*三万ヒット御礼企画*

鳥瞰・海辺の都市へ


作・ゆめのみなと



 空は晴れわたっていた。天候の崩れる心配は、しばらくせずにすみそうだった。
 ときは秋へと移りゆくところ。風はわずかに冷気をはらみ、だが陽射しはまだつよい。木々の大地に落とす影だけが黒ぐろとして熱を拒み、格好の休み場所となる季節だ。
 深い森のなかからぬけだした細い道は、傾斜のきつい丘をくだり西へとむかっている。手入れのゆきとどいた道ではない。小石がごろごろ転がり、轍は深く刻まれたまま。両わきから背の高い草が侵食してきて、畔道に毛の生えたほどにまで狭まってしまっている。
 照りつける太陽の下、熱せられた大気はゆらいで草いきれがたちのぼっている。水気を失い緑のうすれはじめた草の原のどこにも、休み場所となってくれるような背の高い木は見あたらない。
 もどろうかと、喉の渇きを思いながら迷いはじめたとき、視界に三つの影が入ってきた。
 近づくにつれ、はじめは点でしかなかった影の姿が少しずつはっきりとしてくる。大人ひとりと、それよりは明らかに小さい、ふたりの影。
 かれらはのろのろと進んでいた。こちらから見ると、まるでナメクジのように遅々とした歩みだ。しばらく滑空する間にかれらとの距離は縮まった。それほど刻を経ないうちに姿を詳細に見ることができるようになった。
 見当をつけたとおりの三人連れだった。
 長身の成人した男性。かれは年季の入った革の甲冑を身につけ、使いこんだ長剣を腰に刷いて、端のほころびたマントを肩から羽織っている。まだ若いのに分別臭くかまえているのは、連れを引率し、監督しているような気分になっているせいに違いない。
 かれの少し前を裸足で歩いている人物は、生まれてこのかたろくな物を食べてこなかったのだろうと推測されるやせっぽちのこどもだ。色褪せた長めの金髪をおさげにしているところを見ると少女であるらしい。時折うしろをふりかえって、男に話しかける。男がことばを返しているのかどうかは、この角度からではわからない。
 そして、ふたりからすこしばかり遅れてついていく、これまた痩せた少年。少女よりは育っていて、だがより疲れているらしい。
 強烈な太陽の光より、淡くつめたい月の影が似合いそうなかれは、重たい足をひきずるように歩いていたが、ふとしたはずみに溜め息をつくと目をすがめて空を見あげた。
「あっ」
 思わず出たという感じの声が、ぽかんとあけはなされた口から聞こえてきそうだった。近づきすぎたことを自戒しながら両の翼にちからをこめ、見失わずにいられる限界まで遠ざかる。
 高度をあげると遠く前方に海がきらりと光った。
 海上の都市、トリエステまではあと少しの距離だった。



 小鼻の横を掻いてみるとざらっとした感触があった。
 指を舐めてみるとしょっぱい味がする。浮いた汗がかわいて、塩が残ったのだ。
 太陽は容赦無く照りつけている。地面をうめている草ぐさも暑さにしおたれている。照り返しのために見えるものはすべて白っぽい。まぶしくてまともに前を見ていられない。
 頭はぼうっとなったまま。けれど手足は意志とは関係なくうごいている。行く手をさえぎる草を押しのけるようにして歩いているため、手には掻き傷がたくさんついているが、ひりひりとする痛みすら自分のものではないような気がする。
 斜め後からはアンガスがしっかりとした足どりでつづいている。
 かれはいつもは背中にくくりつけている長剣をもって、シアの手にあまる草を薙ぎ払っていた。ほんとうは先頭にたって草こぎをするつもりだったようなのだが、シアがいちはやく先へ出てしまったため、機を逸してしまったのだ。
「おい、大丈夫か」
「うん」
 アンガスはときおり声をかけてくる。シアはつとめて元気そうに応えてみせる。幾度めかのやりとりは、またも草いきれの沈黙に沈んでいった。草むらに葉のこすれる音と踏みしだく音と、荒くなりつつある呼吸音だけが聞こえてくる。
「おい」
 半ば夢のなかにいたシアはびくりとしてたちどまった。まばたきしてふりかえるとすぐ後ろにいたはずのアンガスがいない。視線をさらにのばすと大股に歩み去る後ろ姿が見え、半瞬後にはいちばん後ろを歩いていた魔法使いの少年のことが脳裏に浮かんでいた。
 あわててひきかえしてみると、エスカは元気いっぱいとはいえないまでもとくに変わったようすもなく、ちゃんと自分の足で立っていた。
「どうしたの」
 シアはふたりの顔を見くらべて尋ねた。片方は疑いぶかげ、片方は不満たらたらでどちらにしても円満なようすではない。
「ぼーっとしていまにも倒れそうだと思ったとたんに、ぽかんと空を見あげて」
 アンガスは宙を見て、口を「あ」の形にあけてみせた。そういう顔をしていたと言いたいらしい。
「いよいよ頭がいかれたかと心配してやったんじゃねえか」
 それをとつづけようとするのを遮って、エスカが言い返す。
「ぼくのことなら大丈夫です。頭はいかれてませんし、足だってまだ歩けます。そんなに心配していただかなくても」
「これからまだトリエステまで半日は歩くんだぞ。強がり言って、途中でばてたらどうする。なあ、シア」
 急に同意を求める視線をむけられて、シアはアンガスの黒い瞳にただうなずいた。
「よし、休憩」
 強引に定められた休息は、木陰もなにもない道端に腰をおろしての暑いものだった。エスカが皮の水袋を取り出して喉を湿らせる程度に水を啜ると、シアもそれにならう。アンガスはようすを見てくると言って歩いてどこかへ行ったが、そのまえにふたりの頭から自分のマントをばさりと被せていった。マントの天幕の下でシアは足を投げ出して溜め息をついた。
「空になにか見えたの」
 エスカは両手で顎をささえてぼんやりと生い茂る草を眺めている。声が聞こえなかったのかもしれない。
 それ以上尋ねるのも億劫で、シアは寝転がりたい誘惑と、それをすればせっかくの影からはみ出てしまうことへの怖れとの間で迷った末に、身体をちぢめて横倒しになった。
 草が肌をちくちくと刺してくるが、そんなことはまったく気にならない。自分で身体を支えなくてすむのはなんて楽なんだろうとうっとりする。
 傭兵がゆっくりとした足どりで戻ってくるまで、シアは眠りにおちていたらしい。がさがさと近づいてくるものの気配に目を覚ますと、隣でエスカが立ちあがり、はずみにマントがずり落ちてまばゆい世界が一瞬にして戻ってきた。
「う」
 思わずうめき声をあげると掌で両目を隠した。
「行くぞ」
 眼が明るさに馴れるのを待っている間に、アンガスは先頭をきって歩きだした。今度はシアが後ろを歩く番だった。エスカにも追いぬかれて、いちばん後ろになってしまった。
 シアは小さく息をついて仕方なく歩きはじめた。
 前を歩きたいとつよく思っていたわけではなかった。草をこぎながら進むのでは、大柄で力も強いアンガスのほうが効率がいいに決まっている。シアが先頭に立っている間も後ろから手を貸してくれていて、それで草の海で迷子にならずにちゃんと進めたのだということはわかっている。
 アンガスはシアを邪魔だと思っているかもしれないが、少なくとも顔にだしては見せなかった。頃合を見計らってさりげなく彼女を休ませ、なにげなく位置を入れ替えてしまった。これではいくら頑張っても勝負にならない。
 前方を悠々と歩く男の後ろ姿は、ついてゆくふたりが必死になって足を動かしていることには気づかないようだった。いや、気づいてはいるのかもしれない。そんなことはとっくにお見通しで、知らんふりをしているということも考えられる。
 いったい何者なのだろう。
 シアはいま、ここで眼に見えるもののなかで、確かに知っていると思えるものがひとつしかなかった。すなわち、自分だけだ。
 つい半月ほど前までは、シアはここから離れた小さな島に住んでいた。島長の館で下働きをしていたのだ。
 そこに突然流れついたのが、目の前を歩いている少年である。魔法使い見習いのエスカは、ある人物を捜して大陸の北からやってきた。かれが捜していた人物が偶然シアの死んでしまった母親だということがわかり、島にいられなくなったシアはかれの帰り道に同行することになったわけだ。
 シアはエスカについては一応信頼している。かれは母親にかけられた汚名をはらしてくれ、なおかつ、母親の霊魂を呼び覚まして、話をさせてくれもした。それはすべてかれの帯びている使命に関係してなされたことであって、シアのことを思いやってくれたというわけではなかったのだが、関係なければそれなりになにかをしてくれただろうと思えた。ようするに、エスカは律儀なお人好しなのだ。
 エスカは魔法使いだし(本人は見習いだと言い張るが)、シアは実際に不思議なわざを使っているところを、一度や二度ではなく目にしたこともある。それについて言えば、やはり得体の知れない不安感は残る。けれど、基本的にエスカは善良な人物だと思っている。
 しかし、アンガスについてはそう簡単に言ってのけられない。
 印象が定まらないのだ。
 外見は戦士そのものだ。背が高く、がっしりとした骨格を鍛えぬかれた筋肉が覆っている。身につけているものも、質のほうはわからないけれどよく使い込まれていて、いかにも名乗ったとおりの傭兵らしい。
 けれど大男という雰囲気ではないし、島の男たちのように堅太りしているわけでもなく、むしろしなやかな強さを感じさせる。身のこなしはなめらかだ。
 ローダで見た武器をもつ男たちは、かれよりもずっと乱暴でうごきも唐突だった。
 野卑なことばを駆使するかと思うと、太古の森について賢者のように語ったりする。そのときのアンガスは、一度出会ったことのある海人の巫のように厳かな顔をしていた。
 正体がわからないということでは、かれの相棒であるトルードもおよそ似たようなものだ。吟遊詩人と傭兵は見ず知らずのシアを助けて、ローダの領主の館に捕まっていたエスカを救いだしてくれたのだが、そんなことをしてくれる理由がシアにはわからない。単なる親切にしては、かかる労力が大きすぎるような気がするのだ。
 しかも、アンガスはついこの間も森の中で迷子になっていたシアを見つけて連れ帰ってくれた。そのあとで、何故かそのまま一緒にトリエステまで行くことになってしまったのだが、これもまた、どうしてなのかよくわからない。
 なんだかわからないうちにそうなってしまっているのだ。
 吟遊詩人がいたときには口先でまるめこまれていたような気がするが、アンガスが自分の意を通すのに滝のようにしゃべり散らす必要はなかった。男にひとこと言われるとそうしなければいけないような気分になってしまうからだ。
 かれの何がそうさせるのかはよくわからない。そうたびたび、そんな場面があるわけではなかった。
 そんなこんながつもりつもって、アンガスの輪郭はあいまいなままだ。
 かれは信頼できるのだろうか。
 シアは迷っていた。
 本能的には判断は一瞬のうちになされていた。いままでは常にその答に従ってきた。島という狭い社会のなかでは、彼女の勘には経験の裏打ちがあった。ものごころついてから十余年の間に蓄積された知識があった。いまの彼女にそれはない。迷いは自分の判断に対するものだった。
 自信のないところにもってきて、エスカの心を許さぬ態度が迷いに拍車をかけた。なんといっても、魔法使いはシアよりもずっとものを識っていて、ずっと経験も豊かなのだ。
 もしかするとアンガスの外見も影響しているのかもしれない。黒い髪と黒い瞳、褐色の肌は、島の人々を思い出させた。シアを遠ざけ、蔑み、忌み嫌った人々とおなじ、髪の色、瞳の色。かれと向きあうと身構えてしまうのは、そのせいなのかもしれない。
 答を出すにはあまりにもわからないことだらけだ。
 太陽に熱せられながら歩いていると、どうでもいいことのような気もしてくるのだけれど。いつものように第一印象にしたがってなにが悪いという気になってくる。
 ちょうどふりかえったアンガスは、大きな口元にかすかに笑みをのせていた。こちらを見やる瞳が、きらりと楽しげに光る。
「あと少しだぞ。トリエステが見えてきた」
「えっ」
 草をかきわけて前に出ようとするシアにもろにぶつかって、エスカは迷惑そうに脇に退いた。アンガスはシアをひょいと肩に抱えあげて、陽光を反射する海のきらめきとそれを両腕で囲むようにしているおおきな湾を眼下に見せてくれた。白波のたつむこう、湾の奥にある小山のようなものが目的の都市なのだと言われて眼を凝らす。ひとめで人のつくりあげたものとわかる建造物が、幾重も折り重なるようにしてひとつの街をかたちづくっている。それは海に浮かんだ緻密な細工物のようだった。ひとつひとつの建物の大きさからしてまだずっと遠くにあるということはわかるのだが、それはシアの予想をはるかに超えた場所であるらしい。
「どうだ。見えたか」
「うん。見える」
 シアの声はかすかにうわずっていた。
 視線を後ろにうつすと、エスカもまぶしげに眼をほそめつつ、おなじ方向を眺めている。
「あそこまで、あとどれくらい?」
 下におろされてから尋ねると、魔法使い見習いは疲れた顔でうらめしげに見返してきた。表情からすると知るもんかと言いたいらしい。
「もう少しすればまともな道になる。それからは二刻くらいだな」
 アンガスが苦笑しながら告げた。
 だいぶあるとは思ったが、まだそんなに歩かなくてはならないのか。シアは思わずそう口にだしてしまい、すぐに後悔した。疲れているのは皆おなじなのだ。
「閉門にはまにあうと思うが、暗くなる前に着いたほうがいい」
 傭兵のことばで、三人はふたたび草の海の中を歩きはじめた。

<了>

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