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プロローグ



 アマリアは野駆けの途中でそれを見つけたのだった。
 いくつものまるい丘をさけて川のように流れる街道、その見通しのきかないまがりくねった曲線から飛び出してきたのは、三騎の馬だった。
 初夏の陽射しはつよく、濃い緑の上に陽炎がたつほどだった。
 アマリアは眼をみはり、身を乗り出して旗をみつめた。
 丘の上にいるアマリアの眼下を疾走する騎馬の旗は、翼ある獣とディアルスの剣をあしらったものだった。旗をちぎれそうにはためかせながら、まいあげた埃の中を駆けてゆくかれらは、悪夢に追われているかのように死にもの狂いだ。
 無茶苦茶だ。あれでは馬がつぶれてしまう。
 アマリアは乱暴に馬を駆り立てすぎるといわれていたが、その彼女ですらあのような走りはしないだろう。
 反射的に、彼女は馬の腹を蹴っていた。
 フリストは即座に反応し、前脚をあげた。
 アルマーダまでつづく街道。アマリアが見ていたのは、宗主国の首都がその彼方にあるという主街道だった。この道を父と兄が率いる軍勢が出立したのは、六日前のことだ。
 もともと、今回の戦は、イニス・グレーネにとっては満を持してのもの。去年の秋から周到に準備をかさね、幾重にも策を練っての総力戦だった。
 父も兄も、勝利を確信していた。三日前にとどいた定時の報告では、戦況はこちらに絶対有利とのことだった。あと数日で相手方は全面的に降伏するだろう。それが、父が母につたえる戦の状況であったはずだった。
 まえのめりに駆けてくる三騎が、軍の急使であることにまちがいはない。
 こんなときにこんなところまで野駆けにきた自分が腹立たしかった。
 空が青く晴れわたり、鳥のさえずりが聞こえようと、フリストが蹄で地面を掻こうと、いいつけにしたがって糸を紡いでいるのだった。
 丘を越えて館に戻ろうとすれば、とんでもなく時間がかかるだろう。せめて、もうすこし近場で足をとめておけばよかったのだ。
 街道へ出てしまえばいちばん早いのだが、出るまでに大まわりが必要だ。どちらにしろ、あの三騎に追いつくのは、容易なことではない。
 アマリアは飛ぶように走る愛馬の上で、いまにもはね飛ばされそうにはずみながら手綱をにぎりしめた。身を低くたもって馬と一体になる。たてがみとアマリアの髪が、見分けのつかないくらいに。
 風にむかって駆けることになり息が苦しかったが、アマリアはフリストにさらにとばせと踵で合図した。
 栗毛の馬は全身を矢のようにして疾駆した。




 アマリアがフリストを馬丁に預け、謁見の間にとびこんだときには、伝令はすでに女王の前にひざまずいていた。
 開いた扉にふり向いた人々の顔には、突然の侵入者に対する驚きとともに、絶望が、あるいは失望が、くっきりと刻印されていた。決定的瞬間はすぎさったあとだった。アマリアのみを置き去りにして。
 アマリアは一瞬にしてまといついた多くの視線をふりほどき、風になぶられてみだれた褐色の髪をほどきながら前に進んだ。汚れ疲れた戦装束の男たちを声もなくみつめ、その中に従兄のクレヴィンをみとめた。かれの無事な姿を見て、こころがゆるむのをひきとめたのは、ほかならぬ、ふたつ年上の従兄の暗いまなざしだった。それはいまだなにも知らぬ彼女の上に不幸を暗示していたのだ。
 アマリアはひやりと背筋をなでられるような不吉をおぼえ、理由がわからぬことのいらだちと不安を隠そうともしなかった。
「なにがあったの」
 彼女の声は、静まりかえった薄暗い室内には場違いなほどに大きかった。
 漆喰塗りの壁に反響する音は、神経質なその場の雰囲気をかき乱した。
「アマリア」
 上座から厳しい声が彼女を咎めた。
 アマリアははっとして、支配者の座についている母の姿をふりかえった。
 女王はくちもとに不快をあらわす皺をよせ、ふたりめの、そして最後に残された娘を規律を乱すものとして、断固とした意志をもって見つめていた。
「さがりなさい」
 アマリアは不満をいだきながらも母に逆らうことはできなかった。クレヴィンはすでにアマリアから眼をそらし、蒼い顔をうつむけていた。アマリアは従兄からはなれ、世継の立つべきところ、玉座の母の後ろへむかった。
「イニス・ファールの要求とは、なにか」
 女王はきわめて冷静に、感情を殺した声で先をうながした。
 アマリアは母親のことばの意味することに驚き、顔をあげて周囲を、母親を、ひざまずく伝令たちを見た。
 イニス・ファールがイニス・グレーネに、なにを要求するというのか。父はイニス・ファールを完膚なきまでにうちのめしていたのではなかったのか。
 頭の中でまわりだした疑問に答えたのは、クレヴィンの苦しげなひくい声だった。
「お館さま御帰還の条件として、ローナンの返還、イドリスの譲渡を。停戦の条件として、ドゥアラスの姫をひとり、イニス・ファールに招待したいと」
 女王ダルウラは眉をはねあげた。が、口調は変えず、甥である伝令に訊ねた。
「姫といえば、イニス・グレーネにはふたりいるが」
 クレヴィンはこわばった表情をいっそうこわばらせ、女王の足元を睨みつけた。
「年嵩の姫を」
 アマリアは、息がとまるかと思った。玉座の背をにぎりしめ、混乱とともにわきあがる怒りに我を忘れた。
 クレヴィンはつづけた。
「レーヴェンイェルムの殿は、いにしえのディアルスとディアドレのように右手と左手のむすばれることがあるのなら、東と西はともに歩むことができるだろうと。ドゥアラスとレーヴェンイェルムがひとつとなれば、われらの間の諍いのもと、憎しみも恨みもいずれ消えるかもしれぬと…」
 しばしの沈黙ののち、女王が口を開いた。
「アマリアをさしだせと、そう言ったか」
 それまで平静をたもっていた声がふるえていた。アマリアは母の手が血管が浮きでるほどに握り締められているのに気づいた。
「花嫁として迎えると」
「かの者をイニス・グレーネの世継と知って?」
 クレヴィンは答えなかった。むろん、レーヴェンイェルムの殿は知っている。だからこそ、アマリアを要求してきたのだ。
 謁見の間には長年の敵に対する憤怒と憎悪がみちていた。本来ならば要求するのはイニス・グレーネの側であったはずなのだ。予想もつかない、不運なできごとがおこらなかったなら。
 不満の声があちこちであがった。このように屈辱的な要求をどうしてうけいれられるだろう。
 ダルウラの身体にもおなじ怒りの炎が燃えていた。だが、彼女は女王だった。
「わかりました」
 アマリアはその瞬間に、母の決断が厳しいものであることを知った。
「条件をすべて呑みましょう」
 その場にいるすべてが異をとなえようとした、その瞬間に、
「いや!」
 顔を真っ赤に染めてアマリアは叫んでいた。
「わたしはいや。ぜったいにいやよ」
 彼女は叫びながらクレヴィンに救けを求めた。従兄であり許婚者であるかれは、彼女を救える唯一の存在だった。だが、かれはアマリアを見ようともせず、彼女はただひとりで闘わねばならないことを悟った。
「わたしは世継です。わたしがいなくなったら、イニス・グレーネはどうなるの」
「ロスクランナがいる」
 死んだ姉の忘れがたみを持ち出されて、アマリアは抗議した。
「あの子はまだ赤ん坊よ」
 ダルウラは娘をふりかえりもせずにさとした。
「父上は傷を負われ、捕えられた。フィランは討ち死にした。わが軍はその数のなかば近くを失ったのだ。おまえは、傷ついたものたちに死を宣告するつもりなのか」
 アマリアは息を呑んだ。はじめて知る状況の厳しさに、母のことばの激しさに彼女は怯んだ。
 ダルウラは娘に容赦なく追いうちをかけた。
「おまえは父上と父上の軍隊が壊滅するを望むのか。我々が失うものをこれ以上多くする必要はない」
「わたしはどうでもいいというの。わたしなら、失ってもかまわないの」
 怒りで胸が焼けるように熱かった。母の冷徹が憎かった。アマリアはくちびるを噛み、眼に力をこめて女王を睨んだ。
 ダルウラは彼女の怒りにとりあおうとしなかった、そのことがいっそうアマリアの怒りに油を注いだ。
「わたしは行かないわ」
 叩きつけるように宣言すると、アマリアは広間を飛び出していった。



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