天空の翼 [Legend] next

プロローグ 伝説


 戦場では凄惨な殺しあいがくりひろげられ、いくつもの命が、踏みにじられる落ち葉のように大地に消えていった。
 情け容赦のない暴力によりひとびとは家を焼かれ、財産を奪われ、同胞を失い、生きるよすがを失いかけていた。
 絶望の淵に足をとられそうになりながら、それでもわずかな望みを抱いて生き延びたひとびとは、戦火の中を大陸の西のかたにある王国の砦へと群れ集った。
 そこは最後の砦であり、ただひとつの希望となった、神の宝玉のあるところでもあったからである。


 そのとき、薄暗い聖堂に硬質な光がきらめいた。
 半球の天窓からふりそそぐ陽光を反射しているのは、いままさに鞘から抜きはなたれた、鋭い切れ味を持つ鋼の刃だ。
 祭壇の前に立つ巫女は、華奢な身体には似つかわしくない重たい武器を、鞘をなげうち両の手で高くさしあげる。
 はかなくかよわげな娘のなりをしてはいたが、身のうちにやどる生命の炎は瞳に強い意志の輝きをともしている。その姿は、天よりかかる光を薄衣のようにまとい、地上におりたった女神の似姿さながらであった。
 無骨な甲冑で身を鎧った若者は、光をまとう刀身と巫女とを恍惚としてみあげている。
 宝玉を額にいただく尊き女性と、そのしろき手にある聖なる剣への崇高な想いにいろどられた熱いまなざしをうけ、厳しいおもてはそのままに、巫女はかすかに頬を紅潮させた。
「宝玉の巫女の名において問う」
 その可憐な口から、銀の鈴のような凛とした声が、若者に向かってまっすぐに放たれる。
「そなたは、闇におおわれた大地のなかにわたくしのゆくべき道を切りひらく光の剣たりうるか。そなたは、いかなる未知の危険や害からも、わたくしとこの世とを護る天涯の盾たりうるか。そなたは、その命あるかぎり、人の世と至高の宝玉と保持するわたくしのために生きることを誓えるか」
 期待と畏れとにいろどられた、はりつめた静寂が、神の変化(へんげ)した聖なる力の宝玉を祀る神殿の奥、至高の聖所に満ちていった。
 ひとびとは、あたかも薄闇に沈みかける森の中、湖面に映るまぼろしを見守るかのように固唾を呑んでいた。
 なぜならば、このあと返されるはずの若者の答えにこそ、若いふたりだけではなく、ここに立ち会う者たち、ひいては戦に疲弊した王国に依存するすべてのものの命運が懸かっていることを、だれもがよく承知しているからだった。
 緊張に満ちた水面は巫女のすずやかな声によってもゆらぐことはなく、さらに息をひそめて、ひとびとはつぎの瞬間を待ち受けている。
 静寂は重圧となって若者にのしかかった。
 いまだ成人に達したばかり、これから騎士の称号を得ようとする若者に、ひとびとが負わせようとしている責任のとほうもない重さに思いをいたせば、かれがここから逃げ去ってしまったとしても無理はないことが理解されるだろう。
 視線は、ひざまずいたまま、凍りついたかのごとくうごかずにいる若者にあつまっていた。
 怯えているのだろうか。
 いま、この瞬間にいたって、自分のとるべき道を他に見いだしてしまったのだろうか。
 しかし、沈黙はためらいのゆえではなかった。
「――我は誓う」
 頭をかすかに上げ、胸に手をあてて、厳かに、真摯に、断固とした決意をもって、若者は口をひらいた。
 その声は、聖堂の内壁にひとすじの光のごとく響きわたる。
「我が同胞のかたき絆にかけて、我をこの世に生みまいらせた尊き両親の名誉にかけて、我が信念とただひとつの真の名にかけて。我は大地を汚す闇をはらう、ひとのしるべたる宝玉の巫女の剣たらんことを誓う。我は神々に賜りしこの世とその愛し子たる宝玉、その護り手である巫女を、いかなる害からもそこなうことなく護る天涯の盾たらんことを誓う。我はこの身のすべてを、我が命を、エリディルの宝玉とその保持者の意志と身体を護るために捧げることを、ここに誓う」
 嘘偽りのない終生の誓いが、音となり、言葉となって、聖所の空気をふるわせ、ひろがる残響はみつめる者たちの心をゆさぶった。
 こめられた真実によってくわえられた深いひびきは、同時に強い感銘を呼びおこした。
 それは奇跡の到来の予感だった。
 ひとびとは朗々とひびく若者の声に酔いながら、光をまとって金色に輝く巫女の姿に視線を移す。
 しろき手のなかにある剣は抜き身のままゆっくりとおろされて、若者の肩にしずかに当てられた。
 緊張と期待のたかまりに、巫女はそっと息をついだ。
 声がかすかなふるえをおびる。
「誓いを受けよう。そなたをわたくし、エリディルの巫女の守護騎士《フェイエルガード》に任ずる。いまこのときより、そなたの命はわたくしとともにある。わたくしはわたくしの騎士に名誉と信頼をあたえることを誓う」
 誇らしげな巫女の言葉が、頂点までたかまりつつあった期待をいっきに歓喜へと転じさせた。
 うながされて立ちあがった若者が手渡された剣を大きくふりあげ、その鋭い切っ先を聖堂の外へ、砦の向こうに迫りくる敵へとさしむけると、突如として聖堂全体が割れんばかりの拍手と歓声がわきあがる。
 と同時に、巫女の守護たるただひとりの騎士の誕生を祝う鐘の音が、西の山並みをこえて響きわたった。
 若者は、この場に立ち会う幸運を得たひとびとを誇らしげな顔でふりかえり、力強く宣言した。
「巫女さまとともに、我が道をひらこう。これはあらたな出発だ。われわれの時代は、いまこのとき、ここから始まるのだ」


 そうして、宝玉の巫女とその守護騎士のすがたに力を得たひとびとは、勇気を奮い敵の脅威と立ち向かうことを決意したのだった。

――巫女の守護騎士の伝説より

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