シダを踏みつけて歩く腰の曲がった老人は、背後にカリアスとティストのふたりを従えていた。
 灰衣をまとった姿を前にして、シアは顔をこわばらせた。エスカも眉を寄せて険悪な表情を浮かべている。
 相手の視線が胸にむけられていることに気づいたシアは、青い石を手でつつんで隠した。そのようすに老人は口元をゆがめたが、それは笑みなのか怒りのあらわれなのか、判別つきがたい表情を生みだした。
「この魔物めらが」
 われがねのような声にびくりとなって、ふたりは目の前の現実をようやく認識した。
 かれらは、ほかのひとびとを谷の外側に待機させておいて、三人だけでこっそり近づいてきたのだ。簡単すぎる手が見事に成功したことで、とくにカリアスは意気揚々としていた。オルジスはいやな微笑みをうかべながら、一歩一歩あゆみよってきた。
「やはりここに来ておったか。魔物の考えなど、賢者にとっては空模様よりも明白じゃ」
 老人の鼻が小馬鹿にするように鳴り、半分ねじれひらかれた口から、欠けてふぞろいな、汚い歯がのぞいた。
「育ててもらった恩も忘れおって、いったいわしの小屋でなにをしとった。え? この魔物の盗人」
 ふたりはオルジスの接近にあわせてどんどん後退していった。オルジスがかれらを、特にシアを口汚く罵るあいだに、シアは晴れわたる空の下から入り口の框のうえに、そしてうす暗い小屋の中にと逆戻りすることになった。手のひらはうっすらと汗をかき、そのなかでクウェル・シルアーリンも汗まみれになっていた。
 オルジスは魔物とさだめた金髪のふたりを小屋の奥へ追いつめてしまうと、護衛の若者たちに外で待つよう命令して、退路を断つように中に入った。
「あやつらの相手は、わしの仕事じゃ」
 おいてきぼりを食らわされることになれていないカリアスが、自分も入れろと騒いだが、あっさりと無視された。カリアスの文句を聞き流して、オルジスはシアにねっとりと笑いかけた。ひからびた顔に皺が深々と刻まれる。
「このわしの目をごまかせると思うたか。のう、シア。おまえの母親はとんでもない性悪の魔物じゃった。じゃが、母親が死んだとき、おまえはまだ赤子じゃった。それを不憫と思うたからこそ、わしはおまえを見逃して、あまつさえ、飢えぬようにまでしてやった。何年間もじゃ。かように恩を受けた後で、仇で返すようなまねをするつもりか。魔物には、やはり、情は通じなんだのじゃな。おまえは感謝しているようなふりをして、そのじつ、裏切る機会を待っておったらしい」
 オルジスのまなざしは負の感情をむき出しにして、シアとエスカを交互に射した。シアは、青い顔をしているエスカが、炉端のがらくたに足を取られてしりもちをつくのを見た。老人はこれを自分の眼力の効果とうけとめ、今度はシアを睨みつけた。
「さあ、わしの魔法石を返せ。恩知らずの魔物め」
 シアは後ずさりをしながら言い返した。
「いやだ」
 老人のぼうぼうとした眉がはねあがる。
「なんじゃと」
 小屋の外で成りゆきをうかがっていたカリアスが罵り声をあげたが、なんと言ったのかは聞きとれなかった。オルジスは薄暗がりの中で、曲がった腰をさらにかがめ、顎を突き出して叫んだ。
「言うとおりにせんと、痛い目を見るぞ。わしは、何度も魔物を殺したことがあるんじゃからな。何匹もな」
「うそつき!」
 シアはオルジスに言い負かされまいとして声をはりあげた。
 相手が声の大きさと高さに怯んだ隙に、彼女は勢いにまかせてわめいていた。
「あんたが賢者だの魔法使いだのいうのは、ぜんぶ真っ赤な嘘じゃないか。あんたはでまかせばかり言ってたんだ。母さんは魔物だなんて、どうしようもない悪事ばかりはたらいたのを、あんたが魔法で退治したなんて、でたらめばかり教えて」
 老人は突然の反撃にめんくらって灰色の瞳を呆然と見ひらき、少女の主張を聞いていたが、我にかえると話の接ぎ穂を捉えて反論しはじめた。
「とつぜん、なにを言い出しおるか。わしを嘘つきと言うたな。わしが賢者でも、魔法使いでもないと言いおったな。わしは、都の賢者の塔で学んだのじゃぞ。ディーナ・ル・サームの王城にも招かれたことがあるんじゃぞ。魔物め、なにを根拠にそのようなことを……」
 オルジスは、言いがかりを考えついたのはシアではありえないと気づいて、エスカを睨みすえた。
「こいつじゃな。魔物同士、馴れあいおって。わしが嘘をついているじゃと」
 まだ炉端に腰を下ろしたままではあったものの、そしてその顔色も、けして上々とはいえない疲労の濃いものではあったものの、エスカはひるむことなく老人を見返した。
「あなたがどこでその魔法とやらを学ばれたのかはしらないが、言われるように賢者の塔に籍を置いていたとは思えない」
 少年の青い瞳は、それまでシアの見たことのない冷ややかさをたたえつつ、はっきりと相手を見すえていた。そのまなざしをうけた老人が、一瞬のうちに気を呑まれ、くじかれたのを、シアははっきりと感じ取った。オルジスの、岩のように固かった自信が揺れている。島の賢者は動揺しているのだ。
「なんじゃと」
 反論に力がない。力んでいるのに、威圧感がない。老人はすっかり迫力を失っていた。少年の視線をまともに受けとめることができずに、眼があちらこちらに泳いでいる。
 淡々としたエスカの口調は冷静そのものだった。
「都にあるのは物見の塔ですよ。賢者の塔ではありません。それに、白の賢者の娘御がはっきりとおっしゃいました。あなたには魔法の知識がないと」
「ばかな……そんな人物は知らんぞ。会ったこともない。こんなちっぽけな島に、そんな大人物がやってこようはずがなかろうが」
「知らないわけ、ないでしょ」
 シアが叫ぶのも耳に入らないようすで、オルジスはエスカの顔色をうかがっていた。
「いや、知らん。そんなえらいお方がおでましになったらば、このわしに、わからんはずがなかろうが。そうじゃ、わかっとりますとも、お若いお方。あなたには力がおありだ。魔法をご存じですな。神秘の世界に通じていらっしゃる。ということは、わしらは仲間というわけだ。こんな辺鄙なところでお仲間に会えるとは思ってもみなかったわい。無礼をしましたな。申し訳ない。許してくださらんかのう……」
 高圧的な態度を一変させて、オルジスはおもねるようにエスカを見た。その濁った眼は下手に出るために従順を装っていたが、いままでよりもさらに陰険の色を深めていた。
 シアは胸の青い石をにぎりしめ、老人から発散される胸の悪くなるような臭気に耐えていた。薬草と体臭の入り交じったにおいは、まるで真実を覆い隠すためにふりまかれた悪意ある嘘そのもののようだった。
「――取引をせんかね」
 低いささやきに、エスカはつらそうに伏せていたまぶたをあげた。
 脈を感じて、オルジスは勢い込んだ。
「のってくれたら、もちろん命は助ける。腹一杯食わせてやろうし、馬鹿なやつらには知られぬように島から抜け出す手伝いをしてもやろう。なんだって、してやる。本当じゃ」
 同意を得ようと前のめりになるオルジスの姿に、シアはまたみんなに嘘をつくのかと、大声で問いつめてやりたくなった。それをエスカが眼でとどめた。この場は自分にまかせるように。かれはそう言っているようだった。
「小娘に、あの石を返すように言うんじゃ。そうすれば――」
「そういって、メリアナさまにも近づいたんだな」
 唐突に放たれた問いに、オルジスはぽかんと口を開けた。ゆっくりと顔に広がる疑問と記憶――。あきらかに、老人はなにを問われているかを悟った。にもかかわらず、知らぬふりを決め込もうとした。
 だが、もう逃げられはしなかった。しらを切り言質をひるがえせば、かってに騙されてくれた島びとたちとはわけが違う。相手が悪かったと、ようやく老人も気づいたようだ。心中を見透かされて言い抜ける道をふさがれたオルジスは、恐れと嫌悪に顔をゆがめて、あえぐように言った。
「いったい、どうして――。そうじゃ、あの女はたしかにメリアナと名乗った」
 苦しげに吐きだされた母の名に、シアはぎゅっと目を閉じた。
「かあさんは、魔物なんかじゃなかったのに」
「魔物だと言い出したのは、わしじゃないんじゃ」
 あわれっぽく言いつのるオルジス。
「でも、賢者として、みとめたんでしょう」
 オルジスは地べたに座りこんで、今にも泣きだしそうになっていた。エスカはもう一度たずねた。
「そうじゃ、認めた。認めたわい」
「どうして」
 シアはオルジスにつめより、強く罵った。
「どうしてそんなことをしたの。なんのために、かあさんをひどい目に遭わせたっていうの。そんなことをする必要が、どこにあったっていうの。どうして!」
 怒りが爆発したような糾弾に、老人は体をちぢこめて後ずさりをした。かれはあわれっぽく言い訳をわめきたてた。
「わしは、ただ、怖かっただけなんじゃ。あの女はつめたくて鋭い眼を持っとった。まるでわしの心の中を見透かすように、緑の眼でみつめるんじゃ。そうじゃ、眼が緑色なんじゃ。ふつうの女じゃあ、ない。精霊を使い魔のようにあやつって、海を越えてきた女なんじゃ。島のものが魔物だと早合点したところで、わしのせいじゃあ、なかろうが。わしを責めるなよ、な。おまえさんを育ててやったのは、わしじゃないか。わしは、ただ、えらくなりたくって、ほんのちょっとえらくなりたくて、ほんとうにそれだけだったんじゃよ、なあ?」
 地面にはいつくばり、しまいには養い子への恩を持ちだしてきてまで自分の正当性を主張する姿に、シアは言葉を失った。
「それだけか。それだけの理由で、彼女を殺したのか」
 エスカの声にも、やりきれない怒りがこもっていた。
 だが、オルジスのわめき声は神経を逆なでするようにつづいた。
「殺したんじゃ、ない。殺そうなんて、思っとらんよ。ただ、あやつの子どもと、魔法石とを交換しようとしただけなんじゃ。あの女が聞きわけんで、言うとおりにせんものだから、まずいことになっちまったが、本当にそんなつもりはなかったんじゃよ」
 シアは、老人の語る過去に背筋がつめたく凍っていく気がした。母親は自分を取り戻そうとして、命を落としたのだ。オルジスに必死で抵抗する弱った母親の姿が見えるような気がして、胸が痛い。
 こんな、ひからびた卑怯な男の意地汚い欲のために、なによりも代えがたい貴い命を奪われてしまったなんて。
「な。わしは、まさか死んじまうなんて思ってなかったんじゃ。まさかほんとうにぽっくりといっちまうとは、これっぱかりもな、思っとらんだのよ。じゃから――」
「もう、やめろ!」
 一瞬、自分の口からでたのかと錯覚するほど、叫び声はシアのこころと重なって響きわたった。
 だが、その声はシアのものではなく、エスカのものでさえなかった。



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