かれのからだは神殿の裏口でふたりを見送ったが、精神はぴったりとよりそったまま、王女一家の乗る予定だったリムジンにすべりこんだ。
 一の巫女がその権限において身柄を拘束しているひとりの巫女を、神殿から無断で連れ去る。
 一見無謀な計画は、これまでのところなんの支障もなく進んでいる。
 逃亡者である巫女は重大な命令違反を犯しているわりには落ち着き払い、手引きをしている王女の夫を気遣う余裕すら見せていた。
 男は落ち着かなげに幾度も組んだ手を握りかえている。
 どうしてそんなに落ち着いているのか、理由を問いただしたいところなのだろう。うまく答えを導きだすための方法を思案しているのだ。
 彼女はぼんやりとウインドウからしっとりと湿った故郷の景色を眺めている。
 軟禁されてから数ヶ月経っている。外を見るのは久しぶりのはずだ。だが、その視線は明日からも見つづける光景を無感動に目にしているだけというふうにはたからは見えた。
 だが、なんの感慨もいだいてないかのような胸の内にうずまいている思いを、かれは知っていたし、感じることもできた。
 彼女は気をもんでいる男にぽつりと言った。
「グンナルさまには、申し訳ないと思っているけれど」
 ふいを突かれた付き添いの驚きを無視して、彼女はつづけた。
「謝っても仕方のないことだと思うから、なにも言わない」
「言づては…」
 彼女はうなずいた。
「しなくていい」
 男は押し黙った。それでは彼女は、皇太子と本当に決別しようとしているのだ。そう、あらためて悟らされたのだ。
 これまでのいきさつから想像していたような感傷は、彼女からはなにも感じられなかった。
 男がすこし薄情なのではないかと感じたことが、かれにも伝わってきた。それは当然の感想だと、認めざるを得ない。男は王女たちほどに彼女を理解できる立場にいなかったのだから。
 一の巫女の反対が発端にあったとはいえ、彼女の子どもの父親は、婚約者ではなかった。
 いま、アイリーンは同情の対象から軽蔑のそれへと地位を転落させている。
 だが、彼女ひとりをせめるべきではない。いや、むしろ責めを負うべきなのは、かれのほうだ。
 かれのちからが周囲に与える影響を過小視していたかれにこそ、この不幸な事態にたいする責任があるはずだった。
 なのに、かれができるのはこんなわずかなことでしかない。
 彼女が歩んでいかなければならないこれからの人生にとっても、ほんとうにわずかなことしか、してやることはできないのだ。

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