祖先が見捨てた故郷の遺跡をあとにして、かれはすぐにでもマルト・ディムナスへと飛ぶつもりでいた。
だが、いきなり訪れた体の変調に、計画は変更を余儀なくされた。
医者は病の原因を特定することができなかったが、かれにはわかっていた。ちからがあたえる負荷に、からだが耐えられなくなってきていたのだ。
汚れた北の海を離れ、大いなる平和の海の西の海辺で、かれは医者のいうなりに静養をつづけた。
おとなしく人の意見に従う姿に、周囲は驚きを隠さなかった。それまでのかれといえば、人の忠告は敬して無視するというのがふつうだったからだ。
これまでの人生でここまで確固たる目的をもったことは、じつはなかったのだということに気づいて、かれ自身もすくなからず驚いていた。
かれの目的とは、故郷へ戻るために必要な体力を、できるかぎり蓄積することだ。
患者の完治を願う医者とは、微妙にめざすものがちがうことは、この際、いわずに置くことにした。
かれは、すぐれない体調と、はやる気持ちを秤にかけて、どのタイミングを選ぶべきかを考えつづけた。
すでに、故郷へ還るという考えは、かれのなかに深い根を下ろして大木のように成長していた。
祖母の言葉がかれに及ぼしていた影響を完全に無視できるようになったわけではない。
むしろ、自分のなかに占める故郷の大きさに気づいてから、かれは以前よりもそのことにこだわるようになっていた。
祖母がかれにと用意していた未来は、当時のかれにとっては人生の終わりと等しいものだった。
かれは祖母がかれを人柱にしようとしているのだと断じた。かれ自身の人格を無視し、マルト・ディムナスの繁栄に奉仕するちからとしてのみ、利用しようとしているのだと。
あれから十数年が経過し、だが、祖母がその考えをあきらめたとは思えない。
姿を現せば、かれがうけいれたものとしてあつかわれるだろうことは、想像に難くなかった。
だが、その申し出はいまのかれにとって、当時ほど拒絶感をともなうものではなくなっていた。
かれにはわかりはじめていたのだ。
自分のちからをそのままに持ちつづけたとして、待ち受けている未来がどんなものであるのかが。
もし、このままちからに押しつぶされるように朽ち果てていくのなら、それが故郷の大地の上であって、どこが悪いだろう。
かれは居所をあたえてくれた知人に感謝しつつ、海を見下ろす地を去る決心をした。
かの地のひとびとはあたたかく、かれもそれをここちよく感じていたものの、このままここで一生を終える気にはどうしてもなれなかったからだ。
そしてかれはふたたび彼女と出会うことになる。