気がつくと、かれは神殿の外壁にもたれたまま、だらしなく座り込んでいた。
 小やみになっていた雨は、すっかり上がって、雲の切れ間から一本の白い筋が上空へとのびていくのが見える。
 体中のちからが持っていかれたような、ひどい脱力感がかれを支配していたが、それにしては気分は悪くなかった。
 シャトルはいま、中継ステーションへの軌道に乗っている。
 かれの意識には、もう、自分と他人との境がないような感じだった。
 天が下、昼間の大地も、夜の帳の下も、雨のしずくも、風の通り道も、さかまく波しぶきも。
 なにもかもが自分の皮膚を通して感じられる。
 ゆるやかな渦を巻いてうごきつづける大気の流れが、自分の肉体を循環する血液のようだ。きらめく陽光も、かぐわしい風の匂いも、すべてがかれの中を通りぬけていく。
 自分が広がりすぎて、なくなってしまったようだった。
 そうか。
 かれは、漠然と思いあたった。
 そうか、これか。
 かれは、視界の広さに反して思うようにうごかない自分の身体を、どこか他人のことのように見ながら、立ちあがった。
 これからかれは神殿の暗闇で眠りにつく。
 かれの肉体は、そこで、活動をやめてしまうかもしれない。あるいは、一の巫女のそろえた最新の設備が、ほそぼそと命を繋いでくれるかもしれないが、もう自分で眠りから目覚めることはないだろう。
 かれは祖母に意識をあけわたし、かれという存在に結びついているちからのすべてをひきわたす。
 そうしてかれは、一の巫女と皇太子との「運命の絆」をよりあわせる糸そのものとなる。人間であることをやめて、ただのちからとなるのだ。
 それは、いままで、すべてが無になることだと、かれは理解していた。
 だが、そうではない。
 そうではなかった。
 かれは無になるのではなく、すべてになるのだ。
 かれは、この惑星そのものになる。
 そして、ひとびとの営みを身のうちにかかえながら、夢見るのだ。
 祖母と皇太子のつくる、この国の未来を。
 ひとのよい王女夫妻が、ちいさな息子を懸命に育てていくさまを。
 そして、もしかすると、かれ自身の血を分けただれかが、ふと思い出したように故郷に帰ってくるところを。
 大気は彼女をたいせつにくるみこみ、そして…。



「私もこの惑星(ほし)を愛しているのよ」



 あのときのアイリーンの言葉が、いまになって、するりと胸のなかに落ちてきた。
 かれは、重い足を引きずりながら、一の巫女の部屋には寄らずに、目的地をめざした。
 たずねたいことは、もう、なにもなかった。


〈fine〉

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