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 女主人はあたりをはばかることなく扉をひらき、ほのかな蝋燭の炎により浮かびあがった娘と、騎士のすがたを、かすかな驚きとともに見た。
 彼女はとくに娘を注視した。まなざしは鋭く、錐めいていて、おびえた娘は寝台からあとずさった。
「おやすみのところをお起こししたのじゃないだろうね」
 女主人の言葉に、娘は顔をそむけて逃げだした。
 満足気に見おくった女主人は、ゆっくりと扉を閉めると、訝しげにみつめる騎士の視線を捉え、微笑んだ。
「ご無礼をいたしまして――あの娘は、じぶんがなにをしているのか、わかってはいないのですわ。大目に見てやってくださいまし」
 服の裾をひるがえし、女主人はゆったりと寝台へと近づいた。彼女のうごきはひそやかで、なぞめいており、まったく音をともなわなかった。
 ほとんど闇にちかい、穴蔵のような場所で、彼女はさきほどよりもさらに美しく、生気にみちて見える。娘の顔色が蒼冷めていたのにくらべ――女主人のそれは、薔薇色にかがやいていた。
「で、なにを申しましたの、あの娘」
 あまく、ささやくように尋ねながら、女主人は寝台のかたわらに片手をつき、優雅なしぐさで腰をおろした。あかい唇が、いまでは、騎士の顔からいくらも離れてはおらぬところで笑みをつくっている。
 騎士は状況をかんがえ、おもてむきの警戒をといていた。
 女主人は、男の筋肉のついた腕に手をかけ、さらにからだを寄せてきた。
「あの娘、少々気がふれておりますの。あわれな身の上のために、精神がゆがんでしまったのですわね。じぶんが、かつては一国の王女であったのだと、ふしぎにも思いこんでおりますのよ」
 騎士の碧の瞳がうごいた。
 女主人はかれの表情にかすかな嘲笑をもってこたえた。
「もちろん、そのような事実はありませぬ。かわいそうな娘の空想なのですわ。まあ――仕方のないことであるのやもしれませぬ。わたくしだとて、この館におりますと、ときどき気が違いそうになるのですもの」
 白い手が、男の肩にかけられた。
 ただうつくしいのではなく、いまでは妖しげな色香をそのからだよりたちのぼらせる女は、みずからのおもみを、騎士のうえにもたせかけた。
 芳香はかれの鼻から脳をつらぬき、正気を失わせるかと思われた。ふれようと望まずとも、かのなまめかしき白き肌は、ひどくちかづいており、うなじのほつれ毛が蝋燭に透けて見えるほど。
 あまい吐息が耳にかかり、ひくい声はからだの芯をまさぐるかのよう。
「騎士さま……ああ、この寂しさはとても言葉では言いつくせませぬ…なにゆえ、わたくしはこのように苦しまねばならぬのでございましょう」
 女主人は、騎士をゆるゆると寝台に押したおした。
 すでに男の目は劣情に燃え、みずからを沙漠の水のごとくに狂おしげに見つめている。彼女は自信にみちた態度で寝台のうえにひざまづき、添いふしつつ、獣めいたしなやかさで男のからだにかぶさった。
 騎士は、女主人のからだのしたで、情欲とは無縁の緊張に四肢をこわばらせており、これを悟られぬがため、あかい唇が唇をもとめておりきたるを拒まず、あらあらしきをもって受けいれた。
 蜜のからまるがごとく、くりかえされるくちづけ。腕は女体ならぬものを求め、さまよう。
 度重なるくちづけの後、女主人はようやく上体を起こし、かすかなあかりのなか、騎士を見おろした。黒い瞳はうるみ、かがやき、獲物をまえにした肉食の獣めいて見えた。
 彼女は唇を舐めた。
 みつめるは首すじ――あるいは、喉笛。
 無防備な皮膚、やわらかな肉。
 血のしたたり。
 騎士の脳裏をかすめたは、なにであったか。
 それを想像することにより生じる恐怖を克服し、ふたたびくちづけを受ける。喉に。
 しめった感触が首すじを這いのぼり、熱い息が吹きかけられる。
 しろくほそい手が、顔を撫でてゆき、額にはめられし環にかかる。銀の環である。髪の毛がからみつき、ゆびのうごきは鈍る。銀の環は、あたかもそれじしん生きているかのごとく、女の意志を拒みつづける。
 騎士のまなざしに気づき、女主人ははじめて顔にあせりを浮かべた。
 彼女は、かれの意識を奪おうと、唇を唇でふさぐ。
 刹那、白い刃が、暗闇でさやばしる。
 女の腹に、剣はふかぶかと突きささっていた。


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