prev 海人の都[Chapter1-5] next

 海岸からはなれてゆくにつれ、植物の種類は増え、景色は青と白の二色から、緑や赤や黄色をくわえてにぎやかになってきた。足もとは砂ではなく、かたくて黒い湿った土になり、シアを導くのはなぎたおされた草花にかわった。
 多少の高さをそなえた樹木もちらほら見えるようになって、ようやく木陰がシアを太陽から遠ざけてくれるようになった。
 しかし、ほっとしたのはつかのまだった。シアは生い茂る草の中でみちしるべを失った。
 彼女は緑の中で迷い、あげく、疲れてすわりこんでしまった。
 シアはしばらくそのままで息が整うのを待った。目を閉じてからだじゅうから力を抜いた。
 失せ物を見つけようとするときに、シアはときどきこうして静かにたたずんだ。
 島の人びとは彼女を気味わるがっていたから秘密にしていたが、シアはだれも見つけることができず、あきらめてしまったものをたびたび発見していた。見つけたものは、こっそり目のつく場所に置いておいた。天候の変化を知るほうが、ずっとかんたんでらくだったが。
 エスカは失せ物だろうか。ふとうかんだ疑問は心からしめだした。
 からだが透明になって、空気のようにかるくなったような感覚がシアをつつんだ。風がからだを吹きぬけてゆく。
 シアは目をひらいてため息をついた。
 それからきしむからだをおしてやおら立ちあがると、くるりとひるがえって歩きはじめた。
 彼女は草をなぎはらいながら強引に進みつづけたが、ある地点を過ぎると植生はだんだんもとのみすぼらしさを取り戻していった。
 ひらけたところにでて、太陽をさきほどとはべつの方向に見たとき、彼女はようやくそのわけを悟った。シアは、うちあげられた砂浜から、べつの砂浜へやってきていたのだ。
 シアはまぶしい太陽に目をほそめながらふくらはぎやすねをひっかく草のあいだからぬけ出ようとして、はっと息をとめた。
 彼女のいる草地から数百メートル離れた波にけずられた岸壁のすそにひろがる砂浜に、なにかが転がっている。
 目を凝らしてよく見ると、それは人影のようだった。いや、人影だ。
 シアは、草をかきわけ、土手を駆けおりた。
 砂煙があがり、素足の裏が熱せられた砂に悲鳴をあげる。
 息をきらしながら駆けつけると、シアは波打ちぎわによこたわる少年のそばにへたりこんだ。
 それはまさしく、エスカにちがいなかった。
 見習い魔法使いの少年は、正体もなくぐったりと、まるで嵐に運ばれてきた丸太のようにうつぶせになっていた。
 シアはおそるおそる少年の顔に手をかざした。手のひらにあたたかな息がかかり、生きていることを確認して、ようやくほっとひといきついた。失せ物探しは成功したのだ。
 ひとりになったわけではないということに安堵して、シアはあらためて連れの姿をながめた。
 白かった肌は陽にあぶられて、あわれなくらいに赤くなっていた。
 起こしたほうがいいのだろうか。なにか手当てが必要なのかもしれない。
 それを言うなら、シアの肌も、ほてって熱かった。ひりひりと痛む。
 とたんにわが身の苦痛がよみがえってきて、シアは顔をしかめた。
「エスカ」
 魔法使いの肩に手をかけて名を呼んでみたが、反応がない。
 つぎは肩をつかんでゆすぶってみた。耳もとで呼んでみる。反応なし。
 シアは渾身の力をふるって少年をあおむけにした。空腹と疲労に悩まされているシアは、それだけで息があがってしまったが、乱暴にころがされたにもかかわらず、エスカに変化は見られなかった。
 シアはもう一度、少年の名を呼んだ。
「エスカってば」
 ついでに頬をはたはたと叩いてみたが、だめだった。
 これほど邪険にあつかわれているのにぴくりともしない魔法使いに、一瞬、不吉な考えを抱いたが、すぐにうちけした。よほど具合が悪いのか、それとも深く寝入っているかのどちらかだろう。
 しかし、目をさます気配はまるでない。
 しばし考えたのち、シアは立ちあがってさきほど駆けくだってきた土手を見あげた。
 濃い緑が、白い砂に疲れた眼にやさしかった。まだ、果実のなる木は目にしていなかったが、奥に行けばなにか食べられるものがあるかもしれない。これだけ緑が多いところなら、水が飲めるところがあってもよさそうだ。
 とたんに喉の渇きがシアの頭を支配した。かわききった口をうるおすつめたい水の記憶が、せつないまでに彼女を責めた。このところ、皮袋のなまあたたかい水しか口にしていない。彼女は歩きかけて、エスカをふりかえった。
 照りつける太陽の下で、エスカの姿は、あまりにも無防備だった。
 このままほうっておいて、危険なことがあったらどうしようか。
 シアはエスカの足首をつかんで、ひきずりはじめた。とにかく、意識のないまま、こんなところにころがしておくわけにはいかない。
 悪戦苦闘の結果は、むくわれたとは言えなかった。エスカは背丈のわりにはやせていて、はじめのうちはシアでもひきずってゆくことができた。が、砂地を十二、三歩も進むと、もううごけなかった。
「だめだ」
 だれにということもなく、シアは吐きすてた。息があがって、胸が熱かった。これ以上先へは進めない。とても体力がつづかないのだ。おなかがすいて、目がまわりそうだった。
「エスカぁ」
 もう一度呼んでみるが、もう返事は期待していない。ずるずるとひきずられているあいだも、意識を取りもどさなかったのだから。
 シアはなにもかもがいやになって、魔法使いのとなりにあおむけにたおれこんだ。
 エスカは蒼い顔のまま、かたくまぶたを閉じてかすかにくちびるをひらいていた。ほんとうに死んでいるみたいだ。とてもぐあいが悪いようにも見える。
 ふと思いついて、シアは少年の額に触れてみた。
 熱かった。
 どうしよう。
 口をへの字にむすんで、シアはエスカの顔を見つめた。
 こんなことになるのなら、島の賢者に薬のつくり方でも習っておけばよかった。
 でも、オルジスは騙りだと言ったのは、ほかならぬエスカだった。エスカなら薬のつくり方も心得ているはずだ。いまのところ、その知識は魔法使いの頭の中にしまい込まれたままで、何の役にも立ちそうにはなかったが。
「起きてよ、エスカ。ぐあいが悪いの?」
 両手でエスカの熱っぽい顔をはさんで、シアはつよく呼びかけた。すると、いままでかたまったようにうごかなかったまぶたがぴくぴくと痙攣し、ほんのすこし、よどんだ瞳があらわれた。
「エスカ」
「ああ…」
 エスカは喉の奥を鳴らして、意味不明の応答をした。
「ぐあい、わるいの?」
「うう……わるい」
 かすれてあいまいで、ひどく聞きとりにくかったが、どうやらそう言ったようだった。そしてまた抗議のようなうめき声をあげると目を閉じてしまった。
 それからはなにを言っても返事はかえってこない。
「まだ、とうぶんは生きてるよね」
 シアはやけになってエスカに言いつけた。
「あたしは、食べ物探してくるからね。帰ってくるまで、無事でいなよ」
 帰ってくる方向がわからなくなると困るので、シアは傾斜をのぼりきると砂浜を見わたして、目じるしとなりそうなものを探し、あたりの光景を脳裏に刻みつけた。
 そして、魔法使いのもっている感じをからだに覚えこませる。
 それはにおいとか、雰囲気とかいったものだ。シアは自分のことを犬みたいだと思っていた。でも、これはけっこう役にたつ。
 緑の中にはいると陽光がやわらいだ。
 シアはだんだん背の高くなってゆく木々を注意深く観察した。
 さっきは足もとばかりを見ていたから気がつかなかったが、ここに生えている植物は彼女の島のものとは少しばかり異なっていた。よく似ているし、はっきりおなじと言いきれるものもときおり見かけたが、森の雰囲気は微妙に違っている。
 島から出て、ずいぶん遠くまでやってきたのだと、シアはようやく実感した。大陸と島とでは生えている草や木が違うなんて、いままでは考えたこともなかった。
 それでもシアは目的を忘れることはなかった。赤い実のなっている木が見つかって、それは島で食べていたコルンの実にそっくりだったので、高い枝になっている熟したまるい実を手にとった。
 ためしにかじってみると、ほんのりとあまい、慣れた味がした。
 シアはひとつの実を味わうと、つぎつぎになっている実をもいで、みずみずしい果肉をほおばった。


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