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第二章



 嵐の去ったあとに残ったのは、しずけさではなかった。
 吹きはらわれた雲の下からあらわれたのは、祭りの前の熱気にむせぶ港町。
 おびただしい犠牲者の群れと、倒壊した建物の残骸と、悲しみと不安と恐怖と歓喜と期待と、それ以上のものだった。
 ローダは、ヒステリックに笑う女のように、祭りのためのよそおいをこらしはじめていた。
 着飾った人びとのすぐそばに、死体や、不幸にも生きながらえてしまった重傷者がころがっている。南国の赤い花を髪にさした娘の横に、みずからの体内から流れでる赤い花をまとうものがいる。
 だいじな人を失ったものたちのうめき声と、はなやかな宴を待ちのぞんで笑いさざめく声。
 ふたりの旅人は、商船の到着とともににぎわいだした街を通りぬけていった。
 人の数は、ゆうべよりもさらに増しているようだ。取引のために行きかう商人たちや、荷を担いで行ったり来たりの人夫たち、船乗り、漁師といった、海辺の街につきものの男たちのほかにも、祭りのために集まる、流れのものたちもいる。
 気がついてみると、そういったものたちの姿は、いたるところにあった。傭兵は無論、香具師や、旅芸人、軽業師、行商人といった、見ただけでなりわいのわかるもののほかにも、さまざまな胡散臭いことを身につけたものたちや、あきらかに北からの避難民とわかるものたちもいる。
 かれらに共通しているのは、長旅の垢や埃にまみれた、不潔なみなりだった。
 アンガスは渋い顔をして、なるべく悲惨な境遇のものたちの姿を見ないように心がけていた。
 ここでかれにできることは、なにもなかった。ひとりひとりを助けている時間も余裕もない。すべてに責任をもつことができないのなら、生半可に手をだすべきではない。
 海を見おろす丘の上で、トルードは感嘆の声をあげた。
 南国のすきとおった碧玉の海が、太陽のつよい光を照りかえして、宝石のように輝いていた。遠浅の海に点在する大小の島々は、それぞれ、濃い緑の陰影をおびてうかびあがっている。
 なにものにも汚されない蒼穹が、かれらの頭上にある。
「ここは女神の恩寵あふれるところだな」
 トルードは吹きくる潮風に気持ちよさそうに目をとじた。
「この空の青さは、目にしみるようだよ」
「闇も逃げだしそうなまぶしさだな」
 アンガスの声も安堵のため息混じりだ。
「あくまでも、希望だけどな、これは」
「めずらしいね、きみがそんなことを言うなんて」
 トルードのからかいを無視して、アンガスは目を島々のほうへむけた。陽光のまぶしさに目をすがめて、なにかを探す。探しているものは、いまのところ、かれ自身にもわかっていない。
「海人、か…」
 吟遊詩人はつぶやいた。
 ファリアートの海人といえば、沿岸では知らぬものとてない存在である。あたり一帯に伝わるさまざまな逸話には、この生きものにかかわるものがかなりある。
 だが、たいていのものは海人を現実のものとして考えることはない。海人はめったに姿を見せないので、かれらに出会ったものの話はたいてい信用されなかった。けれど、人びとは海人の存在をきっぱり否定することもしない。目の前にではないが、確かに存在している人外のものとして、意識の隅に住まわせつづけている。
 その奇怪な姿かたちのせいで、海人は恐ろしいもの、出会うと命の危ないものとして認識されている。海人に会ったものの話として、もっとも多いのが生きながら喰われてしまったというものであった。
 かれらはシャインサの息子がいなくなったという海岸にやってきていた。
 最近頻発している遭難は、海人が犠牲者を引きずりこんでいるのだというのがもっぱらの噂だ。
 死体があがらない奇妙さが、海人についての言い伝えに結びつけられたのだという、ふたりのよそ者の感想は、ローダの民にとっては冷たすぎるものだったかもしれない。
 踊り子は、息子の失跡が説明できることであれば、どんな突飛なことでも信じたいのだろう。
 彼女はアンガスを燃えるような目でにらみ、「なにも知らないくせに」と罵った。
 しかしそれでも、かれらはシャインサの最後の希望だった。
「海人は島を棲み処にしているそうだよ」
「舟を調達する必要があるな」
 アンガスの返答はうわのそらだ。砂浜を見おろして、なにやら考えこんでいる。
 そこはふだんは漁師が網を打つところなのだが、相次ぐ行方不明のために漁をやめているのだとシャインサが教えたところだ。
「下へおりてみる」
 返事も待たずに丘を駆けおりはじめたアンガスを追って、トルードもけっして歩きやすいとは言えない、もろい砂丘をくだっていった。
 勢いよく滑りおりるアンガスのマントが、風にはためき、視界をさえぎるので足もとが見えない。
 トルードはあやうくひっくりかえりそうになった。竪琴のおもみが、バランスをとるのを難しくしている。敏捷な相棒はすぐにかれをひきはなして、後姿は遠ざかった。
 トルードはついてゆくのをそうそうにあきらめた。ゆっくり行っても、アンガスが消えていなくなるわけではない。
 浜の砂は白く、うちよせる波は透明だった。波うちぎわはだいぶ遠い。潮がひく時間なのだろう。
 空には海鳥が舞い、ひどくのどかな昼下がりだった。人びとを恐怖から狂気にかりたてるほどのまがまがしい出来事が進行しているとは信じられない、明るい光景。
 シャインサのことばがあれほどせっぱつまっていなければ、かれらはもうこの街を後にしていたかもしれない。
 たしかに妙な雰囲気は気になっていた。だが、街中をまわったところでは、治安の悪化はともかく、ローダはとりたてて言うことのないほどに平穏だったのだ。
 かれらが通りぬけてきた北の街や村の悲惨な状況にくらべれば、ここはまったく、神々の恩寵をむさぼる華やかで怠惰な街だ。
 もっとも恐ろしい闇の気配もここにはない。言いきることは難しいが、いままでの経験をあてにできるとすれば、第一王子の手はまだ南方までは届いていない。
 とすれば、ここには真に恐れるべき敵はいないということになる。
 だが、見かけだけで判断してよいものか。かれらは闇のもたらす結果については熟知している。しかし闇そのものについてどれだけ知っているだろう。
 魔法使いはそれについて語るが、つらねることばそのものの無力さについても語った。かのものを知るには、相対さなければならない、究極には。
 だが、それを実行して生きながらえたものはほとんど存在しなかった。
 けっきょく、人は闇を知ることはないのだ。みずからの命を代償として支払わないかぎり。
 トルードは砂浜をよこぎって、ようやくアンガスに追いついた。
 背の高い相棒は水際にたたずんで島を見ていたが、歌びとが近づくとふりかえって足もとを指さした。
「そこになにかをひきずった跡がある」
 言われて下を見ると、やわらかい砂地の表面にけずったような筋があり、それはえんえんとかれらがおりてきたのとは反対の丘へとつづいていた。
「まだあたらしいものだな」
 トルードはかがんで砂につけられた跡を見つめた。
 絶えず海から吹いてくる風にさらされているここでは、しばらくたてばこんな跡は消えてしまうだろう。砂は乾いており、潮がひいてだいぶたつことを物語っている。
 最近この浜にやってくるものはいないと聞いていただけに、ふたりは顔をみあわせておたがいの考えを尋ねあった。
「密輸入者じゃないか」
「それなら舟があるはずだ」
 アンガスの口調は否定ではなく、思考の過程をあらわすものだった。
 ふたりはひきずり跡をたどって波打ちぎわへ、そして沖へと視線をはしらせた。が、現実に密輸入者の舟がこの湾をおとずれていたとしても、こんな昼日中に姿をあらわすはずがないことは、すこし考えてみればわかることだった。
「でなければ、荷のほうを追いかけるか」
 トルードは腕組みをしながら、こんどは陸地のほうへつづいている跡をながめやった。
「無駄だろうな。もどったほうがいい」
 相棒に言いすてられて、吟遊詩人はかすかに眉をあげたが、反論はせず、もと来た道をひき返すのにつづいた。
「フェルシリオーンよ。これはまったく、やっかいなことになりそうだ」
 運命の神に向かって大げさにつぶやくトルードに、アンガスは露骨にいやな顔をした。
「おまえが背負いこんできたやっかいごとだろうが」


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