prev 海人の都[Chapter 2-2] next

 港では、あちこちに避難していて到着の遅れた商船のつれてきた活気が、暗い空気を払拭していた。
 つぎつぎに下ろされる荷をかついで行ったり来たりする人夫たち。それを点検する商人たち。
 嵐をどうにかやりすごして船を到着させた船乗りたちは、遠浅のファリアート海にあって比較的水深の大きい港まで、小舟に分乗して交替で休暇にやってくる。
 せわしなく行き来するひとびとのなかに入って、仕事と仕事のあいまに一服してくつろいでいるものを見つけだすのに、たいした苦労はなかった。
 まず、トルードが楽器をかかえて近づくと、相手はすぐに緊張をといて、なにかの歌を頼むのだ。吟遊詩人が小品を披露したあとでは、かれらはおどろくほどに舌が軽くなっている。アンガスにはとうてい真似のできない芸当だった。
 いつのまにかトルードのまわりにはひとびとのちいさな円ができあがっていた。
 竪琴を手に、楽しげに歌う若い吟遊詩人に、人びとは仕事の手も休めてしばしその歌声に聴きいった。終わると拍手があがり、大部分はじぶんの仕事に戻っていったが、幾人かはそのまま歌びとの周囲に残り、ひとしきりかれの歌をほめた。
「あんた、いつまでここにいるんだい」
「あんたみたいな歌い手なら、祭りじゃひっぱりだこだよ」
 ふところから硬貨をとり出してほうり投げる男たちに、トルードは笑顔で答える。
「そうだなあ。しばらく腰をすえるのもいいかもしれないね。この街は、女神の微笑みをうけているようだから」
「おいらたちのイセリナは声も高らかに笑っていなさるさ」
 そう言ったそばから、べつの声が飛んだ。
「女神なんぞ、くそくらえだ」
 あたりがざわめいて、あかるく穏やかだった空気にとげが刺さったような動揺が走った。
 ことばの主がだれだろうと、つき止められることではなかった。人びとはトルードの歌でつかのま忘れかけていた不安をかきたてられて、ひとり、またひとりと輪から去ってゆく。
 トルードはすぐそばにいた船乗りに、説明をもとめる視線を投げた。
「あんた、エクドラスのみ魂をふんづけちまったのさ。いまのローダじゃ、女神は禁句。祭りが終わるまでいるつもりなら、気をつけたがいいぜ」
 船乗りはローダの者ではないらしい。めくばせしながら、陽に焼けた顔に皮肉な笑いをうかべて教えてくれた。
 吟遊詩人の腑に落ちない表情に、船乗りはつけくわえた。
「祟りがあるんだとよ、女神さまのさ。ご領主さまは名のある術師に祈祷を頼みなさったとか。まったく、ちかごろはいろんなことがあるもんだよな」
 女神の祟り。
 前代未聞のこのことばに、トルードの思考はしばしの停滞を余儀なくされた。



 アンガスは建物の奥、薄暗がりの中にごろつきふうの男たちをみとめて、近づいた。
 かれらは見知らぬ人間の接近にすぐに気づいて、身構えつつ若者をむかえた。みなりもかれら自身もうす汚れて、くたびれてはいたが、つらがまえはぬけ目がない。
「よう、兄弟。景気はどうだい」
 近づきながら、アンガスはさりげなくマントをはだけ、自分のいでたちを見せつけた。
 よごれた革の甲冑を身にまとい、腰には長剣。よほどの手練れか、腕力に自信のあるものの使う武器。それも、実用本位の簡素なつくりで、よく使いこまれた柄がついている。
 それはまさしく、戦をなりわいとして、みずからの技量のみをたのんで生きる、傭兵の姿だった。
 アンガスのどこにも、貴族に剣を捧げたもののしるしがないことにいちおう安心したのか、かれらは苦労のきざまれた顔にかすかな笑みを浮かべた。
「けっ、稼ぎたいんなら、北へ行きな」
 杯にみたした液体をすすりながら、壁を背にして腰を下ろしているやぶにらみの男が軽蔑したように笑う。
「いまごろこんなところにいるのは、腰ぬけ野郎だけだ」
「おめえも、ようよう逃げてきたんだろ」
 しわがれた耳ざわりな笑い声があがり、「逃げてきたのはてめえだろうが」とからかいぎみに罵倒する声がとんだ。
「おめえさん、北で稼いできたんだろ。ここは遊ぶにゃいいとこだぜ。酒はうまいし、女も戦ずれしてねえし」
 うしろでおこった発作的な笑いをしかたないというふうにながめやりながら、一番近くにいた男がアンガスに話しかけた。
 店の主人に飲み物をたのみながら、アンガスは男のとなりに腰をおろした。
「あんたも北から来たのか」
「おれたちみたいなのは、みんな北からやってくるのさ」
 男はがっしりした太い指で杯をわしづかみにして、口もとにしわを寄せる。鍛えぬかれた体躯をした、百戦錬磨の傭兵らしい。日焼けした顔は顎が張っていかめしく、あちこちに残った傷跡がくぐりぬけてきた死線の数をしのばせる。そのまなざしは相手を必要以上に緊張させるつよいものだった。濃い色の瞳が、相手を見透かそうとするようにすがめられる。
「見たところ、ずいぶん若いようだ。グライン・ドリーリアの加護にめぐまれたな」
「神様の加護ね。どうせなら途中でおっぽりださずに、最後まで面倒を見てもらいたいもんだよ」
 アンガスはなげやりに言い、主人が運んできた杯をうけとると懐からもったいぶって銅貨をとりだし、ためつすがめつしたあとでほうりなげた。
「ありがたい戦女神はゆうべおれを見すてたもうたのさ」
「最近の神々ってのは、薄情だからな」
 男はくちびるを湿らせる程度に酒をすすると、陰気にほほえんだ。
「あんたは神のお力添えを必要としない人種らしいな」
「あてにはせんな」
 アンガスは男の手にしている杯の中身が、とてつもなく値の張る極上品であることをかぎつけていた。一介の傭兵が、昼日中から口にできるような代物ではないはずだ。
「それでも、うまいことやってるようじゃないか」
「なんとかやってるんだ」
 杯をもてあそびながら男は一瞬、眼をほそめた。
「その、なんとかやる方法をおれにも教えてほしいよ。ここでなにかいい話は聞かないか」
 一文なしの情けなさを言いつのるアンガスに、男は冷淡だった。
「稼ぎたいんなら、北へ戻れ。戦はいくらでもあるぞ」
「せっかくここまでやって来たものに、それはないだろう。いつかは戻るさ。おれは傭兵だからな。だが、すこしのいい思いくらい、味わわせてくれよ。当座の金を稼ぐくらいの口は、ローダにもあるだろ。あんたはそれを知ってるはずだ」
 主人が酒壷をもって、空になった杯に代わりを注ごうとするのを、男は手で制した。壷からあふれてくる芳香は、アンガスの記憶にある紅玉の液体のものにちがいなかった。
 ディナス・エムリスの王宮でさえ、祝い酒としてしか出されたことがない、リクトラス酒。
 たしかに、南方の特産品だったが、それでも庶民の口に入るものではない。
 男はアンガスの視線から、飲んでいた酒の名を知られたことに気づいたらしい。
 アンガスは一瞬、迷ったが、好奇心を隠さずにこのまま探りを入れることにした。
「あんたの宝の山は、ほかのやつらにゃ、内緒ってわけか」
 男はいらだたしげにアンガスを睨みつけた。
「おれにかかわるな」
 そのまま、杯を叩きつけるようにテーブルに置き、男は怒りにこわばった表情で酒場から出ていった。
 触れなば斬らんがごとくの男の剣幕に驚いて、酒場の中はしんと静まりかえった。
 ひとびとの視線は、去っていった男の背中から、とり残された若者の上へと集まった。
「よう、あんちゃん。なんかまずいこと言ったんじゃないの」
 さきほどまで騒いでいた傭兵のひとりが、あっけにとられているアンガスをからかった。
「ゴンダリオのやつ、頭から湯気を出してたぜ」
「べつだん、変わったことを聞いたわけじゃないぜ。ただ、手元が不如意なんで、ここでちょっとお勤めの口でもきいてもらえないかと思ってさ」
 だれでもやることだろうと、アンガスはまわりに同意を求めた。
 うす汚れた傭兵たちは、たしかにそうだとうなずいた。ほかの職人たちのギルドのような強固な組織はなかったが、傭兵たちにも横のつながりらしきものはある。
「そらそうだけんど、あいつ、このところなんかカリカリしてるからなあ」
「ヤツがいまつとめてるのは、やばいところなのか」
「いいや。クランもいっしょだが、ヤツは元気だよ」
「おれも雇ってもらえねえかなあ。儲かってるようだし」
 ため息混じりのアンガスのことばに、すぐそばにいた傭兵のひとりが笑いだした。
「だめだめ。ここのご領主は、けちで有名なんだ。エイデール詣でなんぞするのは、飢え死に一歩前までごめんだね」
「商人の護衛でもあたったほうがいいぜ」
 それならどうして、ゴンダリオはエイデールに雇われているのだろう。
 アンガスはゴンダリオの同僚だというクランの居所を尋ね、けたたましく笑いつづける男を背に店をあとにした。


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