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 仲間によると、クランはすでに五十を越えた、下り坂の傭兵であるらしい。
 あらかじめ決めてあったトルードとの待ち合わせ場所に行く前に、アンガスはクランがいつもくだをまいているという酒場を探しだした。
 体力の限界を感じたら、傭兵稼業は続けることができない。それはこの世界では常識だった。
 自分の肉体に見きりをつけた傭兵は、傭兵をやめるか、より負担の少ない勤め口を見つけて生きのびるかの選択を迫られる。
 クランは年を感じながら、さりとてほかの生き方を覚えられるほど器用ではなく、どっちつかずのまま力仕事を続けている、はたから見れば不様なだけの存在だった。
 安酒場でいちばんの安酒を、ちびりちびりとなめていたクランは、アンガスに話しかけられて顔をあげ、うさんくさそうに若者を見た。
「なんか用か」
「あんた、エイデール様んとこで雇ってもらってるんだろ」
 シミとしわだらけの顔は、それがどうしたと言いたげにしかめられた。アンガスはあわてて質問をつづけた。
「ちょっと聞きてえことがあるんだよ」
 アンガスは拒否される前にとすばやく隣の席に座ったが、クランのほうはそっぽをむいて、杯をすするほうに戻った。
 アンガスは店の主人らしき貧相な中年の男を呼び寄せて、コリスト酒を一杯注文した。自分が滅多に飲むことのできない酒の名を聞いて、一瞬、クランの目がみひらかれた。
 杯が運ばれてくるとアンガスはいくらかの銅貨を手渡し、蜜色の液体がなみなみとそそがれた杯をうけ取ると、クランの前にどかりと据えた。
「エイデール様んとこに雇ってもらおうと思ってるなら、考えなおしたほうがいいぜ」
 杯を半分乾した後で、老いた傭兵はくちびるをなめなめアンガスをうかがった。アンガスはうなずいて、のこりの保証をしてやった。
 クランはまだ疑わしげだったが、なにも文句は言われないとわかると自分のほうから話しはじめた。
「おれの傭兵稼業もずいぶんになるが、あんなけちな領主様はどこにもいねえ。悪いこた言わねえ、あすこだけはやめときな。げんに雇われてるおれが言うんだ。おめえみてえなやつは、もっとずっといい働き口を見つけられるはずだからな」
「そんなら、どうしてやめちまわねえんだ」
 クランはなげやりな口調でいまいましげに答えた。
「おいぼれには、よりごのみなんぞできねえんだよ」
「ゴンダリオはどうなんだ」
 相手の表情が凍りついたのを見て、アンガスはいちかばちか、たたみかけるように尋ねた。
「あいつにも仕事を選べねえわけがあるのかい」
 クランは無言で杯に口をつけた。酒場はひどく静かだった。まるでここにいるすべての人間がかれらの話に聞き耳をたてているような気分になってくる。
「あいつはべつだよ。あいつは別待遇なんだ。特別なやつなんだよ」
「特別って」
「エイデール様はおれたちんなかから特別に選んでゴンダリオを雇ったのさ。あいつの給金は、おれの何十倍だ。だが、そんなやつはあいつしかいない」
「なんのために」
「なんのために?」
 アンガスの問いにクランは怪訝な顔をした。領主の意図が、傭兵にとってなんの意味があるのか。そう言いたげな視線に、アンガスは失策を悟って心のなかで舌打ちをした。
「いや、どんなことをして特別の給金をいただいてんのかと…、おれにもできることなら――」
 クランは自分の息子のような年の男にむかって、せせら笑った。
「ゴンダリオに取って代ろうってのか。あいつを知らねえから、そんなことが言える」
「そんなにすごいやつなのか」
 身のほど知らずがと言いたげなクランの様子にアンガスが尋ねると、畏敬の念を含んだことばが返ってきた。
「あいつはひとりで十人を相手にできる。敵にまわそうなんて思うなよ。にいさん」
「十人を相手にぐらい、おれだってできる」
 アンガスの主張は、どうやら負け惜しみぐらいにしかうけ取ってもらえなかったようだった。
 いまではクランはすっかりくつろいで、酒の勢いからアンガスを尻に殻をつけたひよっことみなすようになっていた。
「馬鹿言っちゃいけねえ。おめえがどんなにがんばったって、せいぜいがふたりを相手にするのが関の山だろうが。それも、ふたりめが最後。勝敗はあの世でアルナースのお告げで知るのさ。おれが一度に三人目を相手にしたのは、てめえより十も年食ってからだったぜ。一度にひとり。そうでなきゃ、生きのびられねえ。それがかしこいやり方ってもんだ。なあ」
 老傭兵の話は、昔の自分の自慢話にそれてしまい、アンガスはどうやって話題をもとに戻そうかとしばらく悩むことになった。店の主人は酒を頼むと同情のまなざしでこたえたが、手助けはしてくれない。
 ようやく昔話が現在までやってきて、いまの仕事の愚痴にまでたどりつくまでに、アンガスは三杯のエールを干していた。
「ちくしょう。おれだってなあ、もうすこし若けりゃ、領主にいいように飼われたりはしねえのによ。エイデールなんぞくそっくらえだ。しなびた魔法使いの言いなりになってるくせによ」
 アンガスは思わず身構えた。ローダの領主におかかえの魔法使いがいると言うのは、初耳だった。そもそも、魔法使いそのものが、いまでは非常に少なくなっていた。その少ない魔法使いのほとんどは、北の賢者の塔に集まっているのだ。
「魔法使いがいるのか」
「ああ、ジンダーなんたらっていう、けちな野郎が、日がなわけのわかんねえ呪文を唱えてる。それをあのご領主さまがまた、真剣に見守ってなさるそうじゃないか。いってえ、なんの呪文を唱えてんのか、近くにだれもよせつけるなってお達しでよ」
 クランは杯をあおって喉を湿らせると、酔った勢いで愚痴りつづけた。
「まったく気味の悪い声だよ。聞いてると背筋がぞぞぞっとするんだ。あんな気色悪い声をいちんちじゅう聞かされて、それで週に五ディルハムたあ、わりがあわねえ。あわねえよ」
 アンガスは主人にコリスト酒をもう一杯たのむと、クランに話の礼を言って店を出た。
 トルードとの待ち合わせ場所は、海岸だった。


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