prev 海人の都[Chapter 2-4] next

 長身の若者が海辺の丘にたどりついたときには、メルカナンは西に赤く燃え、よせる波はすべて薔薇色に染まっていた。
 トルードはさきにやってきていて、夕映えにむかって腰をおろし、調子をためすように竪琴をつまびいていた。
 吟遊詩人のゆびさきから生まれいでるものは、なにげない旋律でいながらものがなしく、アンガスはローダの夕焼けに北の戦場をかいま見た。
 心のうちではひどく生々しいのに、南ののどかさがかれの思いから切実さをぬきとって、その幻想は夢のようにかき消えた。
「おそかったな」
 トルードは自身も夢見ていたような遠い声でアンガスに尋ねた。
 アンガスはいつもは年より若く見える相棒の端正でしずかな顔を、壊れやすい水面のように見やりながら、いままで街をうろつきまわって集めてきた話をつたえた。
 そのあいだにすががきはゆるやかになり、アンガスが魔法使いの話をはじめた頃には、ほとんどただの音にすぎないものになっていった。
 それにつれて、トルードの霧のかかったような瞳には光が戻り、かれが注意して聞いていることをしめすようにくちもとに小さなしわがきざまれた。
「魔法使いねえ。名前は」
「ジンダー…なんとか」
「覚えのない名前だ。もちろん、ぼくはすべての魔法使いの名を知っているわけじゃないが」
「魔法使いでは、ないのかもしれないが」
「そういう可能性もあるな」
 竪琴を抱えたまま考えこむトルードに、アンガスは道すがら考えてきたことを話した。
「とにかく、エイデールが魔術を使ってなにかをたくらんでいることはまちがいない。それは十中八九、よからぬことだ。ゴンダリオはそのために、雇われたんだろうと思う」
「そこらへんに異存はないよ。不愉快なことをやらされてるんだろうな」
 トルードは同情にたえないといった口調で言った。
「不愉快といえば、イセリナ・ヴァリエスもさぞにがにがしい思いをしているだろうな」
「水泡の真珠がどうしたって」
 アンガスがいぶかしげに海神の娘の名を口にすると、今度はトルードが話しはじめた。
「ローダの船乗りたちの間では、ちょっとした噂らしいんだ。海神がこの世のものたちへの怒りにみちて、生け贄を求めているという話。行方不明の多発は、そのせいだって」
「しかし、噂っていうのは、たしか、海人の」
「海人、つまり、いにしえにわたつみのめでし民」
 トルードは、いまでは言いつたえとしか思われていない伝説を持ちだして、意味深に笑った。
「根拠のないことじゃないよ。まあ、裏で噂を操っているものがいるってことだけど」
 アンガスは、最後の最後まで人を驚かせたいというトルードのもったいぶった態度にうんざりして、視線を海へと移した。
 そこでかれは、まさか実際にあらわれるとは思っていなかったものが、ゆっくりとこちらに近づいてくるのを見つけた。
 それは、船だった。
 小舟ではない。商人が交易に利用しているれっきとした大型船だ。
 もっとも、この遠浅のファリアート海であつかえる大きさの、という但し書きはついた。
 それにしてもある程度の商人があつかう荷を載せるだけの大きさはあった。逆光で、影として見えるだけだが、アンガスはその入江にはいってくる様子の静かさに、不吉なものを感じた。
「ほんとうにやってくるとは思わなかったな」
 アンガスが感心したようにつぶやくと、トルードは得意気に笑ってみせた。
「だてに大陸中をうろついているわけじゃ、ないってこと」
「これで密輸入船だったら、おごってやってもいいよ」
「わすれるなよ、そのことば」
 身を隠しながら軽口をたたいているうちに、船の影は次第に大きくなっていった。
 ふたりは、船がぎりぎり近づくことのできる限界までくると、錨を下ろし、ゆっくりと波の上で静止するのを見守った。しばらくすると、甲板から小舟がおろされ、水夫が馴れた身ごなしで縄梯子をつたいおりてくるのが見えた。
 水夫は小舟まであとすこしというところでとび下り、上に向かって腕をふった。
 ついで、縄梯子を下りはじめたのは、黒い衣を身にまとった人物だった。うごきはさきほどの水夫とくらべるまでもなく、とてもにぶかった。この仕事に恐怖を感じているらしく、ときおり、すくんだように動かなくなる。そのたびに上と下から罵声がとんだ。
 黒衣の人物が小舟にたどりつく前に、つぎの人間が縄梯子をくだりはじめていた。やはり、黒っぽい服を着ており、おなじようにうごきはぎこちない。
 水夫たちは、縄梯子をおりてゆくものたちを乱暴に小舟に収容しつづけた。のろのろとつづく行列は、まるで蟻のように見える。
「密輸品は、奴隷だったらしいな」
 トルードの声には、つねに感じられるゆたかな表情が欠けていた。
 小舟は、最後にもうひとり、船に馴れていると思われる男を迎えいれると、浜に向かって漕ぎはじめた。
 ほとんど沈みかけた夕日の、血に染まったような海岸に小舟が乗りあげたのは、ふたりが身を隠している岩からは目と鼻の先で、小舟の人びとの顔立ちも見分けられるほどだった。
 水夫たちは、つれてきたものたちを荷をおろすよりも乱暴に小舟から追い出した。
 よろけるように砂浜にまろびでる奴隷たちは、抵抗らしい抵抗も見せない。おそらく、疲れきっていて声もだせないくらいなのだろう。かれらの服が黒っぽいものばかりなのは、それがひどく汚れているせいなのだとわかったとき、アンガスは呻き声をあげてトルードに眼でたしなめられた。
「避難民だ」
 抗議するアンガスに、トルードはわかっているとうなずいた。
 戦のために住むところを失い、食べるものを失って、北からくだってきた人びとだ。南へ行けばと、そればかりをたよりに生き残ってきた人びとだった。
 トルードはアンガスをうながして、視線を陸の方へむけさせた。
 ふたりの人物が、浜のようすを見下ろす丘の上から、長衣を風になびかせておりてくるところだった。水夫のひとりがすすみでて、背の高いほうに話しかけている。ときどき、ふりかえって避難民たちをゆびさしてはなにごとかまくしたてているが、風向きの関係でことばまでは聞きとれなかった。
「商談は成立したらしいな」
 水夫は背の高い男になにかを手渡すと、船乗りのあいさつをしてきびすを返し、小舟に乗って船に戻っていった。
 離れてゆく船には眼もくれず、ふたりの男はすわりこんでいる五人の避難民を検分するようにしばらくのあいだ無言で砂の上に立っていた。
 それから、ひとりが大股で避難民たちに歩み寄り、低く厳しい声で命令した。
「立て。そして歩くんだ」
 有無を言わさぬ鋭い声に、避難民たちの麻痺したような表情にかすかな反応があった。
 かれらは、武器をもった、自分たちよりも大きく、剣呑な目つきの男におびえた無表情で応えた。反抗することなど思いもよらないようにのろのろと立ちあがった。うごきとともに金属のぶつかる軽い音がして、かれらの手足が鉄の鎖で戒められているのがわかった。
 アンガスはトルードが肩に手をかけてくるのを感じて、息をついた。
 吟遊詩人の言いたいことはわかっていた。いまここで避難民を救けても、その場しのぎにしかなりはしない。あの人びとをほんとうに救けたいのなら、やるべきことはもっとほかにある。
 だが、アンガスは憤りをこらえながら思う。いまの苦しみをどう見過ごせばいいんだ、と。
 遠ざかってゆく避難民とそれを追うふたりの男の影を見送りながら、アンガスは苦々しげにつぶやいた。
「ゴンダリオの不機嫌の理由が、わかったな」
 トルードはこのことばに浮かぬ顔で同意した。
「あいつがゴンダリオなのか。あんな人物といっしょにいれば、なにもしなくても不機嫌になるさ。あれは呪術師だ。エイデールの殿は、本格的にいかれちまったらしいな」
「それに、避難民たちの髪だ」
 トルードはアンガスの指摘にうなずかざるをえなかった。
 ひったてられていった避難民たちの髪の色は、すべて金や金褐色、さらには銀で、それは、ローダでのこのところの行方不明者の特徴とも一致するのだった。もちろん、シャインサの息子もそうだ。
 かれらは顔をみあわせると岩陰から出て、ゴンダリオと避難民たちのあとを追った。


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