prev 海人の都[Chapter 3-3] next

 その金の髪は、エスカのものよりくすんで、重たげな色をしていた。
 祭りの儀式から解放されたのち、案内された粗い石造りの建物の中で、ようやく落ち着いてその人物を見たシアは、かれが――あるいは彼女が、昼間、廃墟の中ででくわした、あのこどもであることに気がついた。
 そして、その瞳がとても青いことにも。
 姿はほっそりとしなやかで、背はシアと同じくらい。
 まるで、精霊のようにととのった顔立ちをしている。
 そのすがたは、獣じみた魚人間の群れの中では、まさに異質だった。
 深い知性を宿した静かな眼で、エスカとシアを迎え入れ、小さな炉のそばの床几に座したこどもは、まなざしだけでかれらにも腰をおろすように促した。
「あなたがたは、なにものです」
 薄衣をまとったからだをかすかに緊張させて、そしてかすかな敵意をほのめかしながら、こどもは尋ねた。
「なにゆえ、聖域を汚すようなまねをしたのです」
「ではやはり、ぼくたちを生け贄にするつもりだったんですね。なぜ、やめたんです」
 質問に答ではなく、質問でこたえたエスカに、そばで見守っていた黒髪の人物が剣呑な表情を見せた。
 シアは、かれもやはり廃墟で会った人物であることを確かめていた。
 おそらく、金髪のこどもの側近なのだろう。そのからだをおおう銀の鱗は、くらがりで黒光りして見えた。
 こどもは、一瞥で側近をいさめて、エスカを考えぶかげに見つめた。
「言われるとおり、神に捧げるつもりでした」
「ぼくたちは、嵐でたまたま、あなたが聖域と呼んでいる場所に流れついただけなんです」
 エスカは同意を求めてシアを見、シアはつよくうなづいた。
「聖域だと知っていたら、もっと注意深くしていたはずです。なにか、大がかりな儀式をしているところのようですが、ぼくたちは、間違いを犯したんですか」
「たしかに、われわれのはりつめた心は乱されました。あなたがたがここにあらわれたということは、われわれの聖域が精神的に汚されたということです。あなたがたがただの人間であったなら、そう、今ごろは、神の火に焼かれていたでしょう」
 今度はエスカが考えこむ番だった。
「あなたは、〈叡知を求めるもの〉。そして、われわれの別れた遠い友人の血につながるもの。そして、われわれはいま、血縁のものを必要としているのです」
 こどもはあっけにとられているシアの前で、すくと立ちあがった。
「われわれは、あなたがたが見るとおり、異形のものです。しかし、かつてはそうではなかった。われわれは、神の恩寵を受け、大地を踏みしめて歩いていた。神々が、みずからに似せて創られたといわれた、美しいからだをもっていた」
「ところがわれわれは神の怒りをかい、罰を受けた。あなた方には伝説としかつたえられていない、はるかな過去のできごとです。われわれは苦しみつづけました。神にたまわった罰は、われわれの罪に見合ったものです。しかし、もうこのままここで生きつづけることには、とうてい耐えられぬ。多くのものには、すでにクウェンティスとしての誇りもなく、ほんのかすかに先祖の記憶が残るだけ。理性によるよりも、獣じみた衝動につきうごかされることのほうが、多くなりつつあるのです」
「クウェンティス、それじゃ…」
 エスカは、ようやく結論にたどりついたものの、信じられずにこどもに尋ねかえした。
「海人? 海人がクウェント・ローダの民だというのは、ただの言い伝えじゃなくて」
「われわれはクウェント・ローダでした。いにしえの昔には」
 シアはそのほそい声に、苦しみと哀しみとを聞きとって、胸が痛くなった。
 記憶の中でなにかがうずくような、せつない痛みだ。
 それは、目の前の少女とも少年ともつかない、幼いからだをもつものの、昼間見た廃墟のようにろうたけた瞳がまねきよせた、ふしぎな既視感だった。
 シアの思いに気づいたかのように、こどもは彼女を見、ことばをつづけた。
「年ふるごとに、われわれはかつてのわれわれから遠ざかってゆく。呼吸はえらでおこない、皮膚はかたい鱗でおおわれ、声帯は変化し、陸上では生きてゆけない、魚類の姿になり。神の約束された赦しの日に、巫となるべきものがいないのです。クウェンティスの在りし日の姿を残した導き手となるものが」
「赦しの日」
「そう、あなたも〈叡知を求めるもの〉であるのなら、聞いたことがあるはず」


   うるわしのクウェント・ローダ
   裏切りのおとめ
   水底に沈みしクウェント・ローダ
   都の栄華はいまいずこ

   いつの日か 神は赦したもう
   そは北の群星のオルデーウスにかかりし夜
   うるわしの声もつおとめの
   天もつらぬく水晶の歌に
   憤怒の臥所をなだめられしとき


 祭壇の前で全身をつらぬいた声が、いま、ささやくように歌ったのは、エスカも聞いたことのある古謡の耳慣れない一節だった。
 クウェント・ローダの滅亡を、英雄ファリアートの哀しみとともに語る歌の、それは最後の一節。
 何百という年月のうちに失われてしまった、予言の節だった。
「ファリアートの願いと思いを裏切った王女セレニアは、神の怒りによって沈められた都にも行き場を与えられなかった。彼女は、戒めとして手足にひれを、うなじにはえらを与えられ、海中へと追われたのです。その子孫が、われわれです。ながの年月をかけて、魚に変化してきたわたしたち。祝福された魚たちに似せてかたどられた、あわれな異形です。かつて赤子のようだった人間には、海人と恐れられ、さげすまれてきた。それでも、ようやく、赦しの日が近づいてきている。もうじき、われわれは赦されて、引き裂かれた同胞と、再会することができる」
 熱をおびてきた語り手は、かすかな興奮とともにため息をついた。
「その儀式に必要な手順のひとつひとつは、細心の注意をもって保存されてきました。わたしは、最後の語り部として、最初で最後の巫として、その儀式を半身とともに少しずつおこなってきました。あすの夜、儀式は完成し、ふたりの声が神へ赦しを請うはずでした。わたしとエイメルが。ふたりで、ようやくかつてのクウェンティスのひとりぶんをつとめるだけの声しか出せないのです。それでも、ふたりなら十分なはずでした」
「タデュアさま。そのようなことまで」
 黒髪の男が責め咎めるのに、タデュアと呼ばれたこどもは、きびしい顔で一喝した。
「わたしはかれらを信用できると判断した。わたしの判断を、疑うのか」
「人間です、このものたちは」
「その人間に、かわりがつとまらぬかといったのはおまえだ。けっきょく、うまくはいかなかったが」
 男は苦い顔をして口をつぐんだ。
 タデュアは無力感のにじむ静かな声で側近をなだめた。
「わたしたちになにができる。ふたりだけなのだぞ。エイメルのためには、やむをえまい」
 重苦しい沈黙のあと、男は無言で闇の中に去った。タデュアは、むずかしい顔をして、側近を見送った。
 シアの心の中では、タデュアのことばが、こだましていた。
 ふたりだけ。たったふたりだけ。
 息のとまりそうなことばだ。
 タデュアはふたたび炉の側に腰をおろし、シアを見た。ふしぎそうに。
「あなたがたの姿を見たとき、生け贄にするという考えと、もしかすると、あなたがたはエイメルのかわりになってくれるのではないかという考えがうかんだのです。わたしひとりには、この儀式は荷がかちすぎる。しかし、それはむしのいい考えだったようです。エイメルのかわりをつとめられるものはだれもいません。たとえ、クウェント・ルディスの裔であろうと」
 エスカは、肩を落としたクウェント・ローダの巫に、ためらいがちに声をかけた。
「儀式は、失敗したんですか」
「いいえ。しかし、あすの夜までにエイメルが戻らなければ、そうなるでしょう」
「どうしてエイメルは戻ってこないの」
「戻れないのです。エイメルは捕らえられたのです。人間に」
 シアは突然火のような怒りをぶつけられて、息を呑んだ。しかし、その絶望的な哀しみをふくんだ瞳にとらえられて、やつあたりを責める気にはなれなかった。
 タデュアにとって、人間は異質な生物なのだ。金の髪の影にかくれて、タデュアもえらをもっていた。それを見られたと悟ったとき、タデュアはさらに怒りを増したようだった。
「このようなことをすることになろうとは、考えもおよびませんでした。しかし、すでに手段を選んでいるときではない。わたしはあなたがたを脅迫しなければなりません」
 かれは、懐からふたつのものをとりだした。
 ひとつは、指環。シアの母親の形見の、精霊の名を刻んだふるびた指環だった。
 そしてもうひとつは、
「これがなぜ、あなたがたの手にあるのか、尋ねはしません。鎮め石は、失われたのだと思っていました」
 クウェル・シルアーリン。
 藍色の宝石。
「このふたつ。エイメルと引き替えにしたいのです。やっていただけますね」


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