prev 海人の都[Chapter 4-2] next

 城門は、常識から言っても閉ざされている時刻だったが、港の外れから街に入ったシアとエスカは、とりあえず、だれにも見とがめられずに市街に入ることに成功した。
 祭りの前のおちつかなさが、まどろむことを許さずにいるのか、街中は入る前に感じたとおり、まだ宵の口という顔をしていた。
(ここのひとたち、いつ寝るんだろ)
 シアはめずらしさにきょろきょろと眼を動かしながら、白壁の建物のつらなる通りをエスカのあとにつづいた。
 エスカが言っていたように、人びとの姿かたちはさまざまだった。
 島の人びとのように浅黒い肌に黒い髪もいるし、もっと明るい色の髪の人もいた。しかし、全体には色の薄いもののほうが少なかった。
 シアは、大陸には金の髪の人間がたくさんいるのだとかってにも思いこんでいたので、すこしばかりがっかりした。
 通りにいるのは、祭りに浮かれて流れている派手に着飾った人びとばかりではなかった。汚い身なりの疲れきった顔をしたものたちも、道の隅にうずくまるようにしてかたまっている。
 真夜中もとうにすぎたというのに、泥だらけの顔をしたこどもたちが、はだしで駆けぬけていくのにもゆきあった。
 驚いてたちどまると、ぼろきれにくるまってしゃがみこんでいるひとりと眼があって、はなせなくなった。エスカが腕をつかんでひきはなしてくれるまで、シアはただれた顔の、性別もわからないほどに疲れて年老いた人間と、じっとみつめあっていた。
「だいじょうぶかい」
 たずねられて、シアは血の気がひいた顔でうなずいた。
「あのひとたちは、難民だよ。北から流れてきたんだろう」
 エスカはシアをかかえながら、人をよけよけ通りを進んでいった。
 粗末な上に汚れてくたびれた服を身につけ、裸足で舗装した道を歩いているかれらふたりも、同様にみなされたとしてもふしぎはなかった。だからこそ、だれの注意もひかなかったのだろう。
 通りには、立派なお仕着せを着た領主の警備兵と、自前の服を着てはいるが装備はおなじ男たちが、定期的に見回りをしていたのだが。
 エスカは、ローダの治安が以前の水準ではないらしいことを感じとった。北の荒廃の影は、すでにこんな南にまでおよんでいる。
 海人が捕らえられたことと、世情不安とは、関係があるのだろうか。
 もっとも、エイメルは海人として捕獲されたのではないのかもしれない。タデュアとおなじように、クウェント・ローダの面影を色濃く残しているのなら。
 エスカは、ようやく宿屋を見つけて、中に入った。
 酒場のにぎやかなようすから、繁盛している店とわかる。清潔で、まず、雰囲気のよい宿らしい。
 かれは汚れたこどもが入ってくるのを見とがめて近づいてきた男に、すばやくめくらましの術をかけた。
 男はまばたきをしてかすかに目を見ひらくと、とたんに商売用の笑顔全開になった。
「二階に一部屋、空いてございます」と男が言う。
 あっけにとられているシアをひきずって、返事もせずに中に入ったエスカは、ずかずかと階段をのぼり、空いているとはじめからわかっている部屋へ入って扉をしめた。
「どういうこと」
 抗議をする少女にかまわず、エスカは扉につけられた錠をおろし、さらになにごとかをつぶやいた。
 呪文だ。
「なにしたのさ」
 ひらいた窓越しに射しこむ月明かりに照らされたうす暗い部屋の中で、少年はふりかえるとシアにまっすぐむかいあった。
「扉を封じる呪文だ。どんな力をもってしても、この扉は開かないようにした。きみはここで待っててくれないか。今度のことにきみは関係ない。わざわざ危険に飛び込む必要はない。きみになにかあったら、メリアナ・グラガードに申し訳がたたないよ」
「でも、エスカだって疲れてるのに」
「クウェル・シルアーリンは、ぼくの使命だ」
「あたしにも、なにかできることがあるでしょ」
 必死にくいさがるシアに、エスカはいらだちをこらえきれずに吐きすてるように言った。
「なにができるんだよ」
 シアは胸が燃えだしそうなくらいに熱くなるのを感じた。
 押し黙ってしまったシアに、エスカは後悔のまじったまなざしを送ったが、ことばをうち消そうとはしなかった。
 かわりに「もし、ぼくが戻らなかったら」と言いながら、耳につけていた銀の飾りをはずして、少女の掌にのせた。
「これを持って、ウェリスへ行くといい。ぼくからもらったといえば、悪いあつかいはされないはずだ」
 最後の気づかわしげなまなざしをシアが無視すると、エスカはそれ以上はなにも言わず、窓から身を踊らせた。
 びっくりしたシアが窓枠に飛びついて下を見ると、見習い魔法使いは裏道を闇へと走り去るところだった。
「ひどい」
 窓枠にしがみつきながらへたりこんだシアは、非難のことばを思わず声にだしてつぶやいた。
 見知らぬ場所にたったひとりでとり残されて、彼女はふたたびのこころぼそさを味わっていた。嵐でひとりっきりになってしまったあと、どれだけ不安で恐ろしかったか。ふたたび金の髪のやせた少年を見て、どんなにほっとしたか。
 エスカは、なにもわかっていないのだ。
 だいたい、ウェリスがどこにあるのか、シアが知っているはずがないではないか。
 にじんできた涙をこぶしでぬぐうと、シアは扉をあけようとした。だが、把手はびくともせず、言われたとおり、そこから外へ出ることは不可能だとわかった。
 窓から外をのぞいて、その高さにシアは息を呑んだ。
 島には二階建の建物がなかった。海のまんなかでつねに強い風にさらされているちっぽけな大地では、はいつくばるようにして人びとは生きてゆく。ときおり思い出したように訪れる暴風雨に吹き飛ばされたくないのなら。
 とりあえず、窓枠に腰かけてはみたものの、そこから飛びおりても平気だと言える確証がシアにはなかった。
「いつまでそのようにしているつもりだ」
 風がささやいたのかと思うほど、人肌のあたたかさとは無縁な声が、満月の薄闇にひびいた。
 シアは顔をあげて、空中に浮かんでいる声のぬしを見つけ、目をまるくした。
「……下におりるまで」
「おりたいのか」
 こくりとうなずくと、精霊は美しい顔にまったくなんの表情ものせずに近づき、シアの手を取った。
 体重が消えたかと思うくらいに軽くなった彼女は、いつのまにか自分が精霊とともに宙に浮かんでいることに気づいて、狼狽した。
 足がなににも触れていない、体重がどこにもかかっていないおそろしい状態は、数秒つづいて唐突におわった。
 シアはでんぐりがえっている心臓がおちつくまで、精霊の顔をみつめていた。
 実在感のない、すきとおるような美しさと、不可解な瞳の表情が、そこにあった。
 けして人間には理解できない、異質な存在の顔が。
 なぜここにいるのだろう。
 尋ねても、答がかえってくるとは思えなかった。
 まるで精霊自身が、自分がここにいるわけを教えてくれとでも言っているような、みょうな困惑をおぼえて、シアは、そんなばかな、とうちけした。
「たすけてくれて、ありがと。もしかして、嵐の中でたすけてくれたのも、あんただったのかな」
 精霊は、表現しがたい眼で、彼女を見た。
 かすかに蒼白くひかる双眸が、肯定しているのか、否定しているのかは、まったく判断がつかなかった。
「ね、あんた、まだエスカの子分?」
「ほかに名を呼んだものはいない」
 淡々とした答を、今度は肯定ととって、シアは精霊を見あげて命令した。
「それじゃ、あたしと一緒に来てよ」
「何故」
「エスカを追っかけるの。ひとりでエイメルを救けにいったんだよ。そうしなくちゃ、あのきれいな石も、指環も返してもらえないからって。すごく疲れてるのに」
 シアの一生懸命なことばは、問いの答にはまるでなっていなかったが、その熱意だけははためにもあきらかだった。相手が人間であったなら、苦笑しつつうなずいてくれたかもしれない。しかし、彼女の相手は人ではなかった。
 精霊は、シアの言うことを聞いているのかどうかもさだかではない、超然とした顔つきで、じっとやせた少女の顔を見つづけていた。
 シアは精霊のそんな無表情にはかまわず、最後にもう一度念押しした。
「行くでしょ」
 精霊はシアのことばに、かすかに眼を閃かせた。
「何処へ行くのだ」
 そこでシアは、はっとなった。
 エスカのあとを追いかけるつもりだったから、はっきりとした目的地は知らなかったのだ。
 こんなに遅れをとってしまっては、追いつくことも難しい。
「塔のあるところだよ、とにかく。そう言ってたもん」
 急に元気のなくなったシアの目の前で、精霊はすうと宙へ浮かびあがった。
 重みで沈みかけている月をよぎって、美しい影が一瞬、遠ざかる。
 また、見捨てられたのかと落胆しかけたシアの前に、精霊はいつのまにか戻っていた。
「塔はレイジニスの右手より、わずかに北にある」
「レイジニスの右手?」
 精霊は、みずからのことばを理解しない少女にいらだつ気配もなく、ゆっくりと腕をあげ、その方向をさししめした。
「あっち、だね」
 たしかめながらうなずくと、シアは暗い街路を走りはじめた。
 精霊は、少女の後をなにか気のすすまない風情でついていった。


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