期待どおりに塔の階段をのぼりながら、エスカは傭兵の不機嫌な様子にあらためて共感を覚えた。
塔をつつんでいるのは、まがまがしく肺を侵してゆく濁った臭気で、それは血の匂い、肉の腐ってゆく臭いを含んでいた。
松明がところどころを照らしている狭い階段は、埃にまみれているうえにじっとりと湿っていた。風の抜け道がほとんど存在せず、空気がよどんでいるのだ。
エスカは、重い足をずりあげるようにしてゴンダリオと呼ばれた傭兵についていった。
意識から締め出していた体の痛みが、いまになってかれを苛みだしていた。
永遠に終わらないのではと危ぶみはじめたときに、段はとぎれ、扉が前をふさいだ。
エスカの背中を乱暴に扉の脇に押しつけながら、ゴンダリオは鍵をとり出して鍵穴に差しこんだ。
扉が開くと、ゴンダリオは少年の華奢な肩をつかんで、奥へとほうりだした。
床に叩きつけられたエスカは、ふたたび扉が閉じられ、金属のぶつかる騒々しい音とともに錠がおろされるのをまんじりともせずに聞いていた。遠ざかる足音は、重く浮かぬげだった。
それからしばらくの間、静寂がつづいた。
エスカはじっとよこたわったまま、息もひそめて待った。
この暗い牢の中には、先客がいた。
すみにうずくまってかれをみつめている存在の、警戒の波長が、感覚を侵すひどい臭いの中でもはっきりと感じとれる。
ここがこんなに暗くなければいいのに。
エスカはエイメルの腕環があれば、と思ったが、やがてかなり高い位置に小さな窓が穿ってあることに気づいた。
月が顔をのぞかせるようになると、牢の中にはうっすらとではあるが、目に見える空間があらわれてきた。
相手を確かめたいという、おそらくたがいにもっていたであろう願いは、まず、牢のすみの人物にたいしてかなえられた。
月あかりは、よこたわるエスカの姿を薄闇にぼんやりとうかびあがらせた。
ぼさぼさにみだれた金というよりも白っぽい髪が、そしてぼろぼろにくたびれた粗末な服につつまれた痩せた骨格が、おびえた相手にどのような感想をもたらすのか。
不安になって、ふりかえってみたいという欲望をおさえられなくなった瞬間、気配がうごいた。
エスカはうごきかけていた筋肉を必死になって静止させた。近づいてくる相手を驚かせてはまずい。
人の気配は、よこたわるエスカの背中の間際でたちどまり、そこにうずくまった。
かれを見おろして、観察している。
警戒が、はりつめた緊張をともなわなくなってゆくのをじっと待って、エスカは相手の反応を待った。
「ねえ、生きてるの」
かぼそい声が、苦しげに喉からおしだされた。
「死んでいるの」
ばかげた問いだったが、尋ねているほうは必死だった。
エスカは、ゆっくりと腕をあげ、声のする方へむかってさしのべた。息を呑む音と、かすかにためらう気配ののちに、かれはそろそろとおきあがって、相手の姿を見た。
月あかりを紗のようにまとったしろい体の上に、流れおちるくせのない髪の色は、金。
よごれてはいるものの、そのおもざしは海人の巫のものにうりふたつと見えた。瞳のしずかな輝きも、ひとならぬ完璧にちかいほどの美しさも。
姿を見られて、怯えと警戒を強めている相手に、エスカはようやく声をかけた。
「…生きてますよ。あなたはタデュアそっくりだな」