宴の客がすべてひきとってしまうと、広間はがらんとした薄気味の悪い場所に変わった。
じりじりと燃えつづける蝋燭の炎と、大きな暖炉の中の炎とが、広い空間をぼんやりと照らしだしている。
ローダの領主エイデールは、くちもとの剛毛をしごきながらむっつりとした顔で上座のみずからの席に腰をおろしつづけていた。その視線はきびしくひとりの人物に向けられている。
かれの前にひざまずき、卑屈ではあるものの奇妙に底知れぬ意志を感じさせる微笑をくちびるにはりつけた、黒い衣の男。
魔術師と自称するこのやせさばらえた人物が、ローダの館に根城を定めて、すでに二十数年がすぎていた。
はじめて男に会ったとき、エイデールはまだ、ほんの若造にすぎなかった。父親が魔術師を顧問とすることにしたときである。
それからは、ほぼ毎日のように顔をあわせ、いまでは領地の支配にもかなりの指示を仰いでいる老人に対して、かれはまだ初めの嫌悪感をぬぐいさることができずにいた。現在の地位を得るために助力を請うたことも、後悔の種になっている。
抱いた嫌悪は日ごと夜ごとに増していた。
「ジンダー・トレイル。そなた、今度はなにを要求する気だ」
「要求など、エイデールさま。わしがあなたさまに、なにを望んだとしても、それは、あなたさまの御為でございますよ。おとりちがえなさいますな」
「うるさい。そなたがやろうとすることは、なんであろうと妨げたことはないではないか。言いたいことをはやく述べよ」
「せっかちなおかただ。心配なさらずとも、塔でのことは順調にはこんでおりますよ」
喉を鳴らして嗤う魔術師に、エイデールは背筋がひきつるのを悟られぬように頑張った。
「わしは、そのようなことはなにも知らん。知りたくもない」
「重々承知しておりますとも。エイデールさまは、もちろん、結果をお待ちくださるだけでよろしいのですよ。なにからなにまで、わしがきちんといたしておりますのでね」
「それで、なにが言いたいのだ、ジンダー・トレイル」
いらだたしげに声を荒げる領主に、魔術師は床に額をこすりつけんばかりにして恐縮してみせた。
エイデールには、ジンダー・トレイルのうすいくちびるが嘲りにゆがんでいるのが見えるような気がした。
「今宵、御前にて歌を披露した若者をくだされ。あの者のやわらかげな髪は、至上の御方のお気に召しますでしょう」
かすかにあげた老人の瞳に恍惚とした輝きを見て、エイデールは胸が悪くなった。
もし、いまが何事もない世なら、けがらわしい魔術師などこの場で斬って捨ててしまうのだが。
現実は、いつ襲ってくるかもしれない北からの脅威におびえ、藁にもすがる思いで腐臭にみちた行為を許しているのだった。
エイデールは、「いいだろう」と言い捨てて、そそくさと自室に下がった。
あとには不気味にうかびあがる黒い塊だけがとりのこされた。
小姓に案内され、暗い館の一室に入ったシアは、自分を両脇からかかえこむようにして押さえているふたりの男を見くらべた。
吟遊詩人は、部屋に用意してあったランプの光の中で、またたいそう優雅に見えた。いっぽうはこれまた、広間にいたときよりも大きく、いかにもてごわそうに見えた。
ふたりともまだわかく、しかし、とても世馴れているふうだ。すくなくとも、シアよりも。
もっともシアは、大陸ではまだ右も左もわからないというのが現実だったが。
「さて」
沈黙を破ったのは、歌びとのほうだった。
華奢な造りの椅子にからだを預けて、薄汚れた子供に興味と親しみをこめたまなざしをむけている。
「なぜ、兵士に追いかけられていたのか、話してくれますね。わが身内の娘よ」
シアは歌びとの顔を見たあとで、ためらいながら寝台に腰をおろしているもうひとりの男の仏頂面に目を移した。
シアの視線の動きに気づいた歌びとは、ふりかえりもせずに相棒をたしなめた。
「アンガス。女の子を相手に凄んでも、仕方がないでしょう」
「おれは凄んでるわけじゃないぞ」
じっさい、かれにシアを脅そうという意図はないのだった。かれの不機嫌は、シアの出現よりも前からつづいていた。しかし、歌びとはとりあわない。
「わたしたちは、まあ、にわかに信用してもらえるほど立派な人物じゃないのは認めますが、それほど悪い人間ではないつもりなんだけどね」
おだやかに話しかける歌びとに、シアはだまったまま、どうしようかと見かえした。
男たちに悪意はないとシアの直感は告げていた。
しかし、かれらがなんのためにここにいるのか、なぜ彼女に興味を持つのか、理由がわからないことには、簡単に信用してはいけないような気もしていた。
なによりも、島の人びととはまったく違う目で自分を見る二人の男に、シアはとまどっていた。
「さっきから気になってたんだけど、なにを一生懸命握りしめてるのかな」
歌びとは、シアのぎゅっととじた右手をもちあげてみせた。
はっと気づいて、反射的に手を広げてみると、そこにはエスカからうけとった銀の耳飾りがあらわれた。
「見ていいかな」
とっさにしまいこもうとした機先を制されて、シアはうろたえながら歌びとを見た。
「だいじょうぶ。ちゃんと返すよ」
心配を読みとって思いやりにみちたまなざしを送る歌びとに、彼女はあらがうことの無意味を悟った。
歌びとは、少女の掌から小さな飾りをとると、確かめるようにゆびでくるりとまわした。それから耳飾りは無口なほうの男に手わたされ、真剣な検分ののちにシアの手に戻ってきた。
シアは、男たちの様子が変わったことに、それも、重々しいほうに変わったことに気づいた。
「たいせつなものらしいね。これがどんなものだか、教えてくれるかな?」
耳飾りがかれらにあたえた感銘の意味がわからずに、シアは、それでもまだ迷いながら答えた。
「あずかったんだよ」
「だれから」
黒髪の方が、じれったそうにうながした。
歌びとは、はげますようにシアを見つめ、かれらの関心が、好奇心だけのものではないことをうったえた。
「あたしを島からここまでつれてきてくれた人。その人を捜してるの」
歌びとはうなずくと、もっとくわしく話すようにうながした。
「あたし、島で魔物だって言われて、いられなくなったから、逃げだしてきたんだ。そのとき、エスカはべつのことで島にきたんだけど、やっぱり魔物だって思われて、それで一緒に船に乗って海に出たんだ」
シアがうかがいをたてるように見あげると、歌びとはうなずき、彼女を魔物とは思っていないことを無言で示した。そこでシアは話を続けた。
「だけど、嵐にあって。なんとか助かったけど、今度は浜で捕まっちゃったんだ。それで、エスカの大切なものと、あたしの母さんの形見をとりあげられて、ある人を捜してつれてきたらひき替えに返すって言われたの。エスカはここに来てるはずなんだ。塔のある建物だって言ったんだから。一緒に行くって言ったんだけど、あぶないからっておいてきぼりくらっちゃったんだ」
シアは、なさけなさそうにため息をついた。
自分のことばの幼さと、取り残された心細さがないまぜになって、途方に暮れてしまう。そのうえ、よく知りもしない他人にこんなことを訴えてしまったことに後悔と、そしてたしかに開放感を覚えていることに困惑もした。
ふたりの若者は、少女の説明に足りない部分をなんとか自分たちで補ってくれたらしい。
「かれに言われたことはほんとうだったと、よくわかったというわけだ」
歌びとが後をひきとり、シアは無言でうなずいた。
「エスカはものすごく疲れてるんだ。あたしがなんにもできないから」
「エスカっていうのかい、きみの相棒は。なんでかれはここに目星をつけたのかな」
シアはこの質問に、どう答えたものか迷わずにいられなかった。
このふたりがシアのことを信じたことと、魔法使いに対する反応は別のことと思えた。
大陸では魔法使いはどう思われているのだろう。エスカにしみついた誇りのようなものからすると、そう悪いものとは思えなかったけれど。
シアが黙り込んでいる間に、歌びととその相棒は顔を見あわせて無言の会話をした。シアは、ふたりの態度になにか重大な意味があることを感じて、反応を待った。
「きみが捜してるのは、どんな人物だ。髪の色は?」
「金だけど」
突拍子もない質問に口ごもりながらこたえると、歌びとの眼がきらめいた。
「協力しあえるかもしれないな。目的が人捜しで、目標の特徴が似てるっていうんなら」
同意を求める視線に、黒髪の若者は考え深げにこたえる。
「それはどうかな。こいつが追っかけてる人物が捜してるっていう、もうひとりの行方不明のことがある」
「その人の、髪の色は? シルアーリス」
シアはタデュアの姿を思いうかべた。
「…たぶん、金」
どうだと言わんばかりにほほえんだ相棒に、黒髪の若者は肩をすくめた。
「そういうことなら、可能性はある」
「ということで、これからしばらくの間、よろしく。わが身内の娘」
極上の微笑につられて、ほほえみかえしたあとで、シアは歌びとによわよわしく抗議した。
「その、わが身内の娘っての、やめてくれないかな。なんだか、あたしじゃないみたい」
「それじゃ、なんて呼ばれたい? 茨の道をゆく、勇敢なる乙女」
さらに詩的な呼び名を思いついては連呼しようとする歌びとをさえぎったのは、黒髪の青年だった。
「ただ名前を呼べばいいんだよ。おまえのは歌にはふさわしいが、とんでもなくめんどくさい」
「おお、シルアーリス。盾もつ乙女の名前を、めんどくさいとは!」
「おれはアンガス、こいつはトルードでいい」
うんざりしながら自己紹介する黒髪の若者に、シアと呼んでくれと言ったとき、吟遊詩人は、目を輝かせてシアを見た。
「よろしく、シア。やっぱりきみはシルアーリスだった」
シアがシルアーリスの愛称だということを、彼女はそこで初めて知ったのだった。
「それから、その耳飾りはもう少し厳重に保管したほうがいいと思うよ。きみが思っている以上に貴重なものだからね」