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 アンガスが領主の寝室の前で兵士に捕まりかけたとき、この無謀な行為は、当然の結果をむかえたと、シアは思った。
 領主のエイデールに会うと言ったときに、アンガスにはなにか考えがあるのだろうと自分をむりやり納得させたシアだったが、まっすぐに奥の部屋にむかってゆく背の高い男の後を歩きながら、悪い予感がするのをどうにもできずにいたのだ。
 シアが最近まで暮らしていた島の首長だって、よそ者に会うとすればかなりの勿体をつけたことだろう。こんな大きな街の領主なら、もっともっといばっているのにちがいない。
 宴席で見た領主の姿は、その考えを裏づけるよい材料だった。
 こんなに着飾った人間を生まれてはじめて見たシアは、自分が別の世界に来てしまったのではないかと疑ったくらいなのだ。
 ところが、アンガスはふたりの護衛にとり囲まれながらもまったく動じる気配がなかった。
 たしかに、アンガスのほうが護衛よりも背が高い。
 だが、そんなことよりも、自信に満ちた態度が、かれを護衛よりも偉い人間のように見せていた。
「エイデール様に、取り次ぎ願うと言っている」
「エイデール様は、おやすみだ」
「おまえは何者だ。なぜこんなところにいる」
 護衛たちはしごくもっともなことを詰問調で言いながら、アンガスと寝室の間に立ちはだかった。
「おれは今宵の宴で歌を披露した吟遊詩人の連れだ。エイデール様に訊ねたいことがある」
 騒ぎを聞いてかけつけたものたちがふたりのまわりをとり囲み、完全に逃げ場を失ったとき、扉の向こうから不機嫌な声が響いた。
「なんの騒ぎだ。静かにせんか」
 領主の声はその場を一瞬にして鎮めた。
 ついで本人が姿をあらわすと、アンガスとシアのほかのすべてがその場に這いつくばった。
「なにごとだ」
「申し訳ございません、すぐに――」
「なにごとかと聞いておる」
 衛兵を一喝すると領主は、不遜にもひれふさずにいるぶしつけな男を見た。
「そなたか、騒ぎの原因は」
 エイデールの片方の眉がはねあがり、おくれてひざまずいたシアは身をすくめた。
「なにゆえの狼藉かは聞かぬ。そうそうにこの館から立ち去れ。出てゆかぬのなら、斬り捨てさせる」
 兵士たちがはじかれたように立ちあがり、アンガスに迫ろうとした。
 が、アンガスはまっすぐにエイデールを見たまま、動かない。
「おれは、貴方にお聞きしたいだけだ。おれの相棒の歌びとの消息をね」
 エイデールは若者の思いあがった言動にさらに怒りを増したように見えた。領主は無言でアンガスを睨み、アンガスはそれに対抗するように冷たいまなざしで領主を見た。
「情けをかけるのは一度きりだぞ」
「お尋ねしたことに答えていただきたい」
「くどい」
「それではしかたないな」
 アンガスはそう言ったかと思うと、あっというまに間合いを詰めて、領主のふところに短剣を突きつけていた。
「中で話をしていただこう」
 エイデールは眼を見ひらいて短剣とアンガスを交互に見、しばしの後にうなずいた。かれは家来たちに騒ぐなと言い置いて、若者とともに寝室に戻った。
 シアは大慌てであとにつづいた。



「そなた、なにものだ」
 寝室に入ってすぐに、エイデールはアンガスに訊ねた。
 アンガスは短剣をしまうと、肩をすくめた。
「おれは貴方に相棒の行方を答えていただきたいだけだ。その」
 と、アンガスはシアを見た。
「ちびも人捜しでここまできたんだ。そうだよな」
 シアはおずおずとうなずいた。
 ランプの光の中で、エイデールは用心深くさぐるように若者をながめていた。シアは領主が怯えているらしいことに気づいておどろいた。わずかな間に、立場が逆転していたのだ。
「なにゆえ、わしがそなたの連れの行方を知っていると考えるのだ」
「かれはこの館の中で消えたんです。いいですか、館は貴方の支配下にあるはずだ。ここで起こることのすべてを、貴方はご存じであるはず。それゆえ、お尋ねしている。トルードはどこにいるのです」
 言葉遣いは丁寧だったが、アンガスがしているのは脅迫だった。くろがねのような瞳がつめたく輝いている。
「わしは…知らぬ。なにも知らぬ」
 侮辱されているというのにエイデールは後ずさり、否定の言葉をくりかえした。その態度が、かれが本当はなにかを知っていることをあらわにした。
「それでは教えてさしあげます。この館には呪術をもちいてよからぬことを企むものがいる。トルードはただの吟遊詩人ではない。呪歌うたいだ。そのかれがむざむざ捕らえられた。これにはなにか意味があると、もちろん貴方もお考えになるはずだ」
 アンガスにつめよられた領主は、しぶしぶながらうなずいた。
「たしかにな。よろしい、助力を与えよう。だれか、ゼリネス隊長を呼べ!」
 扉の外で騒ぎが起こっているあいだ、シアは豪華な寝室をながめるふりをして部屋の主人の様子をうかがい、アンガスの様子をたしかめていた。
 領主はまだ怯えていたが、すがりつくものを見つけたようにかすかに自信をとり戻していた。それが彼女を不安にさせた。アンガスは対照的にまったく動かない。
 待っていた人物があらわれたとき、そのアンガスに変化が起こった。かれはゼリネス隊長を知っていた。驚きがかれを襲っているふいをついて、エイデールが叫んだ。
「こやつらを捕らえろ!」
 命令と同時に傭兵隊長ゴンダリオ・ゼリネスは鞘から剣を抜いていた。
 アンガスは短剣をもち、一瞬遅れて身構えた。ふりおろされる剣をかろうじて受けとめ、とびのいた。
 はじめの一撃でアンガスとゴンダリオはおたがいの力量を知った。
 ふたりは慎重に間合いをはかる。
 ゴンダリオがアンガスの左肩を狙い、アンガスは身を翻してそれをよける。
 力量は互角でも、状況は圧倒的にアンガスに不利だった。
 館に怪しまれずに入るために、アンガスは愛用の長剣を宿に置いてきていた。短剣では相手の懐に入らなければ傷を負わせることは難しい。鍛えぬかれたゴンダリオの剣に対しては、一撃一撃を受けとめることでせいいっぱいだった。
 天蓋つきの寝台の影に隠れていたシアは、アンガスの苦戦を間近に見てがたがたとふるえていた。
 武器を使っての殺しあいを見るのは初めてだった。
 ゴンダリオの剣が若者に向かって突き出されるたびに、金属どうしのぶつかる激しい音がする。
 アンガスが剣を受けとめ、あるいはかわすたびに、シアは自分が殺されようとしているみたいに目をつぶり、体中をびくりと緊張させた。
「あんたが不機嫌な理由がわかったよ」
 あやうく喉元をかすめていった剣先から逃れて、アンガスはゴンダリオからすこし離れた。
 ゴンダリオは剣呑なまなざしで若者の顔を見た。
 すでにふたりとも肩で息をしていた。アンガスはゴンダリオに続けて話しかけた。
「誘拐の片棒を担いでいたんだろ。寝覚めがわるいはずだよ」
 ゴンダリオは射るような眼でアンガスを睨んで、つぎの瞬間にあきらかに怒りのこもった一撃をくりだした。
 アンガスはゴンダリオの肩に力の入った剣をようやく受け流した。
「拐してきた人たちを、どこへやった」
「なにをしておる、はやくせぬか」
 エイデールの叱咤を背にうけて、ゴンダリオは怒りで顔をこわばらせながら剣をふるった。
 アンガスがよけるとかれは勢いあまってシアが隠れている寝台の影にとびこんでき、少女の目の前に手をついて血走った目を剥いた。
 シアは恐怖と驚きで息を飲み、ついでゴンダリオの手首に光る金の腕環に気づいて声をあげた。
「大丈夫か」
 アンガスがシアを気づかって近よってくるのに、ゴンダリオはすぐに体勢をたてなおして剣をふりかぶっていった。
「そいつがしてる腕環、エスカが持ってたやつだよ。タデュアからあずかった」
「ほんとうか」
「ほんとうだよ!」
 アンガスはゴンダリオの剣をなぎはらい、手刀を右手首に入れた。衝撃で長剣が手から離れ、派手な音を立てて床に転がっていく。
 ゴンダリオは息をのみ、うごきを止めた。
 その隙にアンガスは、すばやくうごいてふたたび領主を虜にした。
 かれは短剣の切っ先を突きつけながら、こんどは情け容赦のない口調でエイデールに尋ねた。
「おれの相棒はどこだ」
 エイデールは威厳をたもとうと努力しつつ、鋭い切っ先を神経質にちらちらと見ながら声をしぼり出した。
「…牢だ…館の、東側にある塔の…」
「ちびが探している奴もそこか」
「たぶんそう…だ」
 エイデールはそこで解放されることを期待していたが、アンガスは領主を首に腕を巻きつけたままひったてた。
「シア、行くぞ」
「きさま、エイデール様をどうする気だ」
 ゴンダリオの非難にアンガスは厳命するように答えた。
「じきじきに案内していただこう」


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