祭りを散々なかたちで終えた海辺の街は、昨日までの狂騒の後で憑きものがおちたようにしずかだった。
トルードとアンガスのふたり連れが領主の館を出ると、警備兵は敵意と不審のいりまじった目でかれらを見た。昨夜の出来事は館のものたちにはどのように受けとめられたのだろう。
かれらは不機嫌な顔で路地を繁華街へむかった。
警備兵が、昨夜かれらの領主とかれらの街に降りかかった災難の原因は、このふたりにあると思っていることは確かだった。
吟遊詩人と戦士は、忘れものをとりにきたと言って館に入った。
領主のエイデールは何事もなかったかのようにふるまいたがったが、呪術師のことを尋ねると顔をひきつらせた。かれは、呪術師は逃げたとだけ告げた。
「いったい、なんだったんだ。けっきょく」
アンガスのくちもとに、不満そうなしわがきざまれた。
エイデールがかれの短剣の柄にある紋章をみとめ、昨夜の狼藉を不問にし、いちおうの礼儀を尽くしてきたあとでも、まだ納得のゆかない顔をしていた。
「あの方は、忌まわしいことすべてをなかったことにしたいんじゃないか」
トルードは、館に置いたままだった竪琴をいとおしげになでた。
「呪術師はほんとうに逃げたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「これ以上かかわりたくないのなら、はっきりそう言えばいい」
アンガスの怒りは、もうひとつ、第一王子についてローダの領主が言ったことばにもむけられていた。
エイデールは、かれの主君であるシルグラン伯にしたがうとのみ言った。シルグランはいまだ態度をあきらかにせず、ゆえに、ローダもどちらにも味方せぬ、というわけだ。
「塔で起きたことは、すべてかれの知らぬこと。きっと、忘れたいんだろう。地下牢の、あの惨状をすこしでも察していれば、不思議はない。知りつつ黙認していたというのが、真相かもしれない」
そこでトルードはくちをつぐんだ。
シャインサの息子は、かれらのたどりつくよりもはやく、ジンダー・トレイル(それが呪術師の名だった)によっておぞましき存在に捧げられてしまっていた。
サーリはまだ五つ。おそらくは、父親が北方の出身だったのだろう。
現在の踊り子の周囲に男の影はなかった。商売のためにローダにやってきていた男は、息子がいたことすら知らないのかもしれない。
あの朝、シャインサは、トルードの顔を見たとたんに事情を察した。彼女は声もたてずに吟遊詩人を見つめた。大きな黒い瞳がひきつれたように見ひらかれ、トルードはこわばったくちから叫び声があがるのではないかと思った。
だが、彼女は涙を流しただけだった。大粒の涙をぼろぼろと。
「あの子は、死んだんだね」
ふるえる声でそう言うと、奥にひっこんで、しばらくでてこなかった。
しばしの後に謝りながら戻ってきたときには、もう初めに会ったときのシャインサだった。その眼に涙はなかった。
笑って、かれらの無理な頼みに応えてくれさえした。
だが、微笑みは痛々しく、せつなかった。
「おれたちをひとことも非難しなかった」
アンガスはためいきをついた。
いっそ、罵倒されたほうがどれだけ気が楽だったろう。
客観的にいえば、ふたりに責任はない。だが、頼みを果たせなかったという悔恨をぬぐい去ることはできなかった。
たまたま出会っただけのシアたちをたすけたのは、償いのつもりだったのかもしれない。
ゆるやかな坂道をくだりごみごみした下町に入ると、館のまわりをとりまいていた沈んだ空気もはれ、にぎやかさが戻ってきた。
ふたりは昨日面倒をかけたためにいい顔をされない宿屋をすどおりし、シャインサの家を訪ねた。
踊り子は扉をたたく音にすばやく反応した。するどい誰何のあとでふたりは中に誘われた。
狭くて古い、小屋のような住まいだったが、手入れは行き届いている。あたたかく、居心地の良い場所だ。
「どうだった」
尋ねられて、トルードはシャインサの心配をやわらげようとおだやかにうなずいた。
「エイデール様は、今後いっさい追っ手をさし向けたりはしないと、約束してくださいました。コリンはもう、安全です」
シャインサはほっとして、暖炉のそばの長椅子に毛布のなかでまるまっている少年の寝顔を見やった。
コリンは昨晩の奮闘の疲れからか、まだ目を覚まさない。
「そう…よかった」
はりつめていたものがとぎれたような踊り子に、アンガスはつづけて言った。
「サーリのからだは、できうるかぎり努力して送りかえしてくださるそうだ」
あまりにも直截的な言いかたに、トルードはとなりに非難のまなざしを送った。アンガスは眼をそらした。
シャインサはひるんだようだったが、かすかにうなずいてみせた。
「ありがとう。御領主さまにまで、かけあってもらって。お礼のことばもないくらいだよ」
わざと笑ってみせながら、シャインサはとっておきのものだと言いながら酒をふるまった。
杯に高価な琥珀色の液体を惜しまずそそぎいれ、ふるまいながらじぶんでも飲んだ。
「あたしね、いつだって恨んでた」
酔った踊り子はほおづえをつきながらトルードを見、アンガスを見た。
「あの子見るたんび、思い出してね。あの子まで恨んでたよ。あんまり似てるから、よけい、憎らしかった。でも、なぜだかあの子はあたしのこと好いてた。どうしてだろうねえ」
トルードはコリンから聞いたサーリのことばを思い出していた。
サーリは母親を自慢していたのだ。憎まれていた子が、そんなことをするとは思えない。サーリはじゅうぶんに母親の愛を感じていたのだ。
「あたしはばかだよ。もっともっと、やさしくしてやればよかった」
つぶやくシャインサは、赤い目をしていた。
頑固なシャインサに負けて礼金の半分を受けとったあと、ふたりは踊り子の家を出た。
「これからどこへ行くんだい」
別れ際に尋ねられて、トルードは答えた。
「どこに行こうとも、あなたのことは忘れませんよ」
「あたしもだよ」
ふたりの若者を交互に見て、シャインサはもう一度言った。
「ありがとう」
コリンはシャインサの服をつかんで、トルードを一心にみつめていた。いまにも泣きだしそうな顔だったが、必死でこらえていた。
アンガスが、歌びとの肩をつつきながらいう。
「こいつの居所を知りたかったら、歌をたどるといいよ。あんたのことや、コリン、おまえのことも、じきに歌にしちまうから」
「おいらのこと?」
「そうさ。暴れ馬をあやつり、窮地の人を救った英雄だからな」
泣き笑いのような表情のコリンとシャインサに別れを告げて、かれらはローダをあとにした。
ローダから半日の距離を歩いいたあとで、かれらはしばしの休息をとっていた。
吹く風は急激に秋のものになりつつあるが、日差しはまだ強い。
ふたりは革袋の水を分けあいながら、ゆったりと足を延ばしていた。
「なんだか、よくわからんな。しろがねの騎士がどうしたって」
アンガスは埃っぽい丘の上にねころがってトルードの話を聞いていたが、昨夜、埠頭でわかれわかれになってからのできごとについて語る吟遊詩人のことばは、めずらしくもとどこおりがちで、めったにないことにさっぱりわけがわからなかった。
アンガスの文句には苛立ちとともに、あきらかにこの状況を面白がっている響きがある。
「あれはやっぱり、海人だったのか?」
「まあ、いいよ。そのうちに歌にしてやるから、そのときに感想をお願いする」
徒労感にうちひしがれたトルードは、しばらく竪琴をつまびいていたが、思い出したように話しはじめた。
「そうだ。呪術師のことなら、すこしはわかったよ。やつはそれほどたいした術師じゃないようだ。いや、犠牲になったほうから見れば、格が高かろうが低かろうが、おなじことだけどね。ひとを生け贄に捧げて、悪鬼の眷属を呼び出そうとしていたらしい。そんなことは不可能に近いはずなんだが、驚いたことにほとんど成功しかけていた。執念のたまものという感じかな。魔物は地中深くを棲み処とする金を好む存在で、エイデール殿は莫大な量の金をまきあげられて、貢がされていたらしいよ」
「誘拐されたひとびとが金髪だったのは?」
「どうやら、それはあまり関係ないみたいだな。生き血を捧げるついでにこじつけたというか。あの呪術師自身にふくむところがあったんじゃないかと思う」
得意げに知識を披露する吟遊詩人に、アンガスは横目で情報の出所を尋ねた。
「じつは、あのルディシニスの少年が教えてくれたんだ」
「なんだって」
ふたたびわからない顔のアンガスに、トルードはくりかえした。
「シルアーリスの連れだよ。あのあと、エイデール殿の館をひどく心配していた。あのまま魔物を放っておいてもいいものかとね」
そういうトルードは、エイデールのことを気にかけているふうではない。そういえば、アンガスがエイデールと話をつけているあいだ、歌びとの姿が見えなかった。あのとき、魔物を封じるようななにかをしていたのだろうか。いつもながら忙しい男だ。
「賭けてもいいが、あれは緑の森に縁があるね。おまけに魔法使いでもあるらしい」
アンガスは相棒の顔を見かえして、濃い眉をひそめた。
そんな人物がどうしていまごろこんなところにいるんだ、と言いたげな顔だ。
トルードは、ふくみ笑いをしながらつづけた。
「かれらはこれからトリエステに行くって言ってたな」
「いつ、聞いたんだ」
「館に行くまえ、シアが話してくれたんだよ。エスカは賢者の塔から遣わされた魔法使いで、これから塔に戻るところだ、とも言っていた」
アンガスが目をまるくして飛び起きるのを、トルードはおもしろそうにながめていた。
「どうしてそれをすぐに言わないんだ」
睨みつけられて、吟遊詩人はとぼけた声をだした。
「だって、わたしはエスカに嫌われてるからね。一緒に行くと言ったところで、無駄のような気がしたんだよ。それより、すこし遅れてつけていったほうが、らくかなと思ったので…」
アンガスは鞘に収めた長剣をふりあげて立ちあがり、反応を待っている相棒に、
「行くぞ」
と言い放ってずんずん歩きだした。
空は、青く澄みわたっていた。〈了〉