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「お客さん、起きてくださいよ」
 嵐が去るまで身動きができないことを理由に、翌日の昼すぎまで眠りつづけていたトルードを起こしたのは、夢に見ていたうるわしの乙女などではなく、宿の主人のがらがら響く野太い声だった。
 トルードが夢と現実を区別しようと苦闘しているあいだに、目覚めるときはいつもすばやいアンガスがいちはやく扉のむこうと会話をつづけた。
 主人はかれらに会いたいと訪ねてきている者がいると告げて、指示をくれと言った。
 アンガスはトルードを見て、どうする、と無言で問いかけた。
 ローダに訪ねてくるような者がいるとしたら、それはアンガスではなく、トルードのほうだったが、あいにくかれにも心当たりはなかった。トルードの困惑の表情からアンガスもそれを理解した。
「なにものか、名を名乗ったか」
 主人はいえ、と否定したが、すぐにつけたした。
「なにも名乗る必要なんか、ありませんで。シャインサといいます、ここらじゃ、ちょっとばかり知られた踊り子なんで。お客さんも、ゆうべ、お会いになってると存じますがね」
 これを聞いたとたん、すぐに下におりていくと言ったのは、トルードだ。
 アンガスはあきらかに腹を立てながら、吟遊詩人のうれしげな顔を見た。
 トルードの琥珀の瞳は、相棒を見てにやりと笑った。
「これは情報収集だよ」
「おまえはまったく。内密にシルグランの領地を通りぬけるっていう目的をどう考えてるんだ」
 いまいましげに言うアンガスをトルードは鼻で笑った。
「いままで兵隊に誰何されたことがあったかい? きみは神経質すぎるよ。たったひとりの、踊り子にすぎない人間に、なにをびくつく必要がある」
「その踊り子が、あるいは危険な存在かもしれないんだぞ」
「ここの状況が気に入らないといったのは、だれだったかな。原因をつきとめるんなら、もうすこし深く探らなきゃね。もちろん、あやしい人物なら、気をつけるまでだよ」
 トルードがやんわりとかれのいままでの経験を思いださせてアンガスをおしきった。
 もちろん、こういったことに関してはトルードがアンガスよりも何倍も経験が豊富だった。だが、アンガスもいまではまったくの無知ではない。トルードの楽観主義があぶなっかしく思えるときは、いくらもあった。
 今回はトルードの言うのももっともなので、しぶしぶ従ったが、愛用の長剣を持参することは認めさせた。
 階下の食堂には夜のにぎやかさとは別の、しずかなあたたかさが漂っていた。
 嵐が去り、天候は回復してきているようだった。昼食の時間をはずれたばかりらしく、人影はすくない。窓から日射しが入り込み、店内は日射しの陰影にいろどられている。
 あらっぽい造りの大きなテーブルの隅に、かれらを訪ねてきたという女がいた。待たされたせいで退屈そうに椅子からサンダルを履いた足をぶらぶらさせていたが、近づく気配につと顔をあげた。
 女は若くはなかった。けれども、歳月を感じさせるような容姿でもない。太陽に灼かれつづけている南国のものにしてはつややかな肌をした、踊り子らしく姿勢の良い、ひきしまったからだつきの女だった。
 褐色の肌に、長いまつげにふちどられた黒い瞳がより印象的だ。
 彼女はふたりを見ると、はじめ、とまどったような顔をしたが、次の瞬間には挑むように微笑んでいた。
「ゆうべ、会ったわね。あたしはシャインサ。踊り子をしているわ」
「あんたが踊り子なのは、見ればわかるさ」
 アンガスがそっけない口調で言いかけると、トルードは美しい顔に邪気のない笑みを浮かべて女に話しかけた。
「ファリアートの歌をご所望になったご婦人でしたね」
「あら、あたしは、海の歌をって言っただけ」
「しかし、海の歌と言われれば、ファリアートをという声がかかるのを、予想されてのことだったんでしょう?」
 シャインサはおや、という表情で吟遊詩人を見なおした。
 若い男の顔には、さきほどと変わりなく、ほほえみがあった。
 それで安心したのか、踊り子はにやりと笑った。
「あんたの歌はみごとだったよ、歌びとさん。めったにできない経験をさせてもらったわ。ファリアートをあんなふうに歌った人は、あたしの知るかぎり、いままでいなかった」
「うれしいことを言ってくださいますね」
「あら、お世辞じゃないわよ。たしかにあんたの顔もなかなかの見物だとは思うけど」
「けっこう、重宝しています」
「女を寄せるにはいいかもしれないけど、嫉妬に狂った男には気をつけたほうがいいんじゃない」
「そのとおりですね。ご忠告、肝に銘じます」
「それで、あんた、こいつになんの用なんだ」
 のけ者にされていたアンガスが、むっつりした声で口をはさんだ。
 踊り子は背の高い若者をふりかえって、値踏みするようにながめまわした。
 神経をさかなでされたアンガスは、腕組みをして女を見返す。トルードは思わず吹き出しそうになって、口元を押さえた。
「じつは、用があるのは歌びとさんじゃなくて、あんたのほうなんだ」
 シャインサはアンガスの不意をついた。
「あんた、腕がたつかい?」
 それまでの軽口が嘘のように、声音はひどく真面目だった。
 答にすべてがかかっているかのような質問のしかたにとまどって、アンガスはシャインサに聞きかえした。
「どういうことだ」
「あんた、傭兵だろ。どんなものにも負けないくらい、腕がたつかって聞いてるのさ。あたしが雇う価値があるほど強いかって聞いてるのさ」
 シャインサはいまでは立ちあがっていた。
 黒い瞳には思いつめた真剣さがあり、それはアンガスに暗い記憶を思いださせた。
「どうなんだい」
 アンガスは追いつめられたようにトルードを見た。
 吟遊詩人はからだじゅうで返事を待っている踊り子に、おだやかに話しかけた。
「私の相棒の腕は超一流ですよ。それは保証します。かれのおかげで、なんどもあやういところを救けられているんです。しかし、なにものにも負けることがないほど強いものなど、この世には存在しないと思いますけどね。シャインサ」
 女はゆっくりと肩を落とした。
「それじゃあ、もう、あきらめるしかないって言うのかい」
「あなたがなにを望むかによりますね」
「俺を雇って、なにをさせるつもりなんだ。闇をはらうようなことは、俺にはできないぜ」
 アンガスのことばに、シャインサはびくりとして目をそらした。
「……似たようなものさ」
 なげやりに言いはなって、踊り子はさきほどとは別人のような、うつろなまなざしをふたりに見せた。
「いいよ。期待しちゃ、いなかった。わずらわして、わるかったね」
 ここまでやってくるために、むりやり気持ちを奮い立たせていたものだろうか。
 背をむけて立ち去ろうとする女の後ろ姿は、希望を断ち切られた脱け殻のようだった。
「おれのまえにも、何人かに声をかけたんだな」
 アンガスの声には同情があったが、女は過剰にそれに反応した。
「だれも相手にしちゃくれなかったよ。もう、いいんだ」
 吐きすてて出てゆこうとする女を、吟遊詩人がやさしく呼びとめる。
「待ってください。わけを話してくれませんか。なにかお役に立てることがあるかも知れません」
「むだよ。言えば、だれだって逃げだすんだから」
「聞いてみなければ、わかるまい」
 決めつけられて、いくぶんむっとしながらアンガスが言う。
 シャインサはためらいがちにふりかえり、おそるおそる、じぶんより若いふたりの男を見つめた。
 いま聞いたことばを疑っているのは確かだった。望みに傷つけられることを恐れる女がそこにいた。
「聞いてくれるのかい?」
 トルードは人を安心させるとっておきの微笑みを浮かべた。
「自分をほめてくださる人の言うことです。聞かせていただきますよ、もちろん」


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