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 ジーナは、少し前からある少年の姿をみつけると、胸の動悸が速まることに気がついて、戸惑っていた。
 かれは島長の館で働いている作男を父親に持ち、父親を助けてよく働くが、無口で目だたず、周囲からはすこし鈍いのではないかと思われている存在だった。
 かれの母親が産褥で体をこわし、請われて看病をする祖母について、ジーナは作男の粗末な住まいにたびたび訪れるようになっていた。
 祖母の看立てでは病人の命はもう長くはなく、そのことを祖母のふるまいからジーナも知っていたが、当人も作男も息子に事実を伝えることを望まなかった。だから少年は、母親をこの世につなぎ止めようと懸命だった。
 死産だった赤子と、痛々しい息子の奉仕に涙をこぼしていた女性は、さほど時を経ずしてものを食べることすら困難な容態に陥った。
 病人のために、祖母は最後の苦しみを和らげるための薬草茶を処方した。そして、ジーナに作男の小屋まで持たせたのだった。
 母親を癒してくれると信じる薬を大切そうに受け取った少年に、褐色の瞳でみつめられ、たどたどしい感謝の言葉をかけられたとき、ジーナの心にはいわく言いがたい感情がうまれていた。胸に熱いなにかが押しつけられたような、とてもせつない気持ちだった。
 少年の母親がはかなくなり、顔を合わせる機会がなくなったあとで、彼女はなんだかゆううつになった。
 賢者を名乗る男のせいで少なくなってしまった薬草の頼まれごとや、病の治療に祖母について出かけるたびに、いつのまにか少年の姿を探している自分に気づく。
 いったい、この感情は何だろう?
 ぼんやりとしていた疑問をなんとか自分で形にしたと同時に、曾祖母の台詞が槍のように降ってきた。
――そりゃ、おまえ、恋だよ、恋。おまえは恋をしてるんだ。こともあろうに、島長の肩書きにあぐらをかいてるだけの男に、家畜みたいにこき使われても文句のひとつも言えない、しなびた男の息子にだ。なんてこったい。どんなに腹の中が不満で膨れても、無理矢理押しつぶしたあげくに墓場まで大事にかかえて持っていくような、とんだ意気地なしの家系だよ。やめとくれ、やめとくれ! 夢見の血筋にあんな男の種を持ち込まないどくれ!
 なんという言いぐさだろう。
 これが初めての恋に畏れと不安を抱くいたいけな少女にむけて、肉も血も失ってひさしいとはいえ、みずからを曾祖母だと認めるもののかける言葉だろうか。
 それまで、少年のけしてととのっているとは言いがたい見てくれや、かれの父親の悲惨な境遇に気後れするところがないでもなかったジーナだったが、頭ごなしにそう怒鳴られて心が定まった。
「ティストは、意気地なしなんかじゃないわよ」
 ひとこと、そう宣言してみせると、それからはことあるごとに忠告と称して水を差しつづける曾祖母に、あらんかぎりの反抗心を持って逆らいつづけた。
 少年への思いは、侮蔑をふくんだ言葉を浴びせられるごとにぐんぐん育っていった。
 まるで、曾祖母の罵詈雑言が水と滋養であるかのように、芽吹いたばかりの想いは背を伸ばし、枝を育み、葉を茂らせた。
 ジーナは機会あるごとに少年への接近を試みようとした。
 祖母の用事で出かけるときはもちろん、用事のない時でも薬草探しと称して出歩くようになった。畑仕事に精を出す埃まみれの親子の姿を遠巻きに観察しつづけ、島長の館が視界におさめられるあらゆる場所を把握した。ときに島じゅうの羊の世話を任されている少年のあとをついて、島のはずれの牧草地まで出かけたあげく、草むらの影に隠れていた穴に落ち込んで、泥だらけになって帰宅したこともあった。
 そうしてわかってきた少年の毎日は単調な作業のくりかえしで、だからなのか、かれにはほとんどの時間を目の前に焦点を合わせずに過ごしているようなところがあった。
 畑の向こうから薬草採取をよそおいつつ、懸命に視線をとらえようとしても、なかなか気づいてもらえない。
――あの目は、あいているのかい?
 曾祖母の嫌味に反論できないほど、ティストはまわりの出来事に無頓着だった。おそらく、まだ母親の死から立ち直っていなかったのだろうが、ジーナは自分の姿が、じつは透明なのではないかと悩むことになった。
 その日の野良仕事を終えた作男が農具を片づけに行ってしまった後で、井戸端で手足を洗っている少年に意を決して近づいていったときも、褐色の瞳のなかにジーナの姿が映りこむまでには、三呼吸ほどの間合いが必要だった。
 夕焼けを背に、ようやくこちらに気づいた少年は、ついでわずかに眉をひそめた。
 普段、島長に雇われているものたち以外は近づかない井戸端に、場違いな少女がやってきたのだから、警戒をするのも仕方のないことなのだろう。
――いやいや。この顔は、忘れてるんだよ。おまえのことなんか、ちっとも覚えちゃいないんだよ!
 曾祖母の意地悪な言葉を必死でふりはらいながら、胸の動悸に急かされるように早足で井戸端にたどりつき、ジーナはティストに小さな袋を差しだした。
 そこで、少年はかすかに、おや、というふうにして彼女を見た。
 かつて母親のために受け取っていた薬草の小袋とおなじものだと、気がついたらしい。
「これ、中に傷薬が入ってるの」
 少女の視線をたどって、ティストは、昨日、鍬で傷つけた自分のゆびを見た。
「水できれいに洗った後で、塗って」
 そう言ってしまうとにわかに呼吸がくるしくなり、しゃくりあげるようにして無理矢理息をついだ。
 ティストは、ぼんやりと彼女を見返した。
 それは、突きつけられたことばを反芻しているようにも、突然のことに面食らって、どうしたらいいのか戸惑っているようにも、よけいなお世話だと思っているようにも見えたが、正直言って間近で見ているジーナにも区別はつかない。
――はっきりしないねえ
 曾祖母がイライラと文句をつける。
――もっとしゃっきりおしよ、しゃっきり!
 それでもジーナは、かれのすぐそばにいるのだと思うだけで胸がいっぱいになっていた。
「じゃあね」
 ジーナは小袋を少年の胸に押しつけると、くるりと向きを変えて一目散に家に帰った。胸の中どころか、体中が心臓になってしまったかのように、どくどくと脈打っている。
 息を切らしながら、ものすごい大仕事を果たしたような気持ちでいるジーナを、曾祖母はせせら笑った。
――なんだい、あんなに大騒ぎをしたのに、たったのそれだけかい?
 むっとしたが、曾祖母の言うとおりだった。ジーナはティストに、お代はいらないと言うことすら忘れていた。
 案の定、つぎの日に作男がやってきて、乏しい蓄えから傷薬の代金を支払おうとした。祖母は大したものではないからと受け取らなかったが、相手に気を使わせるような親切をしてはいけないと、あとでジーナを叱りつけた。
 ジーナは商売道具に手をつけるのはやめようと思い、それからは代々の夢見が眠る塚の掃除といっしょに、ティストの母親の塚の掃除もすることにした。作男とその息子が、そこを訪れては無言で時を過ごしていることがあるのを、知っていたからである。
 ときにわざとすれ違うような時間に花を置いてきたり、塚に入っていく親子を見届けた後で、音を立てて走り去ったりした。
 さらに、たまに治療の礼が痛みやすい卵や葉野菜だったりしたときには、多めにつくった料理を硬いパンにはさみこんで、薬草取りにもってゆき、井戸端で少年を待ち伏せて一緒に食べたりした。
 そうした努力をつみかさねたおかげで、ジーナは半年後にはなんとかティストにひとりの人間として認識してもらえるところまでたどりついた。
 つまり、顔を見せたときには必ず、「おや」という表情をひきだせるようになったのである。
 曾祖母はあきれかえったが、それだけでジーナは天にものぼるような心地になった。



 そのころ、大陸からまたあらたな客がやってきた。こんどは正真正銘の魔法使いだった。腕に赤子を抱き、気丈な笑顔を見せる女性で、祖母は賞賛の言葉を惜しまなかった。
「あのおかたは、夢見のことにも通じておいでだったよ。ねぎらいの言葉をかけてくださった」
 曾祖母の生前、さんざん夢見の家系を罵っていた祖母だったが、じつは自分の血筋にはけっこう誇りを抱いていたらしい。
――とうぜんじゃないか
 曾祖母は得意満面である。
――夢見は、そもそもクウェンティスの黎明期から礎石を護りつづけてる。礎石が封じているのは、魔法使いのあやつる力の言葉よりも、ずうっと古い原初のちからなんだからね。敬うのは当たり前だわさ
 しかし、自分以外の実力者をくさすことも忘れてはいなかった。
――でも、あの女には近寄らないほうがいい。魔法使いだからって、礎石に詳しいとは限らない。あれは魔法使いの触りたがるものじゃないんだからね。なんだろうね。夢見を持ちあげて、魔法使いの得することがあったかね?
 みょうに考え込んでいる曾祖母とはべつに、ジーナは、女魔法使いがティストの心を深くとらえていることに、気持ちを奪われていた。
 少年は、鈍重に見える外見とは裏腹に、繊細なこころと、美しいものへの憧れを人一倍強くもっていた。
 そのことには以前から気づいていたのだが、ジーナは、少年が女魔法使いに対してみせる憧憬に満ちたまなざしにひどく傷つけられていた。
――ふうん、あのぼうず。意気地なしの血筋にしちゃ、趣味はいいね
 ジーナは曾祖母に慰められているのか、いじめられているのか、わからなくなりそうだった。
――おまえは、あの腐れ男のやることに気をつけておくんだよ
「腐れ男?」
――あの、賢者気どりの、いけすかない、不細工なやつのことだよ。いいかい、夢見ってのは、あんな汚らしい騙りの男とは格が違うんだからね!
 最近、曾祖母はことあるごとにオルジスという名の〈賢者〉を引きあいに出してくる。おたがい口汚いところに相当競争心を燃やしているらしい。
――あやつはそのうち、絶対になにかをやらかすよ。見ておいで
 そして、尻尾を捕まえろ、と命令する。
――それが、夢見としてのあるべき姿ってもんだ
 夢見になんか、なりたくない。
 何度口に出してそう言おうとしただろう。
 だが、つぎからつぎへと曾祖母は石つぶてのように言葉を降らせてくる。
 言い返している暇がないくらいにだ。
 その後、賢者と女魔法使いの間にはもめごとが起きた。賢者は女魔法使いを陥れるために島中を巻き込み、事件は醜悪な様相を呈していった。ジーナは曾祖母に言われるまま、少年とともにそのようすをつかず離れず見守った。
 毎日礎石に触れていたせいだろうか。彼女はだんだん自分の視力がよくなっているように感じていた。人に見えないことが、とつぜん鮮明に見えることがあるのだ。
 結果的に女魔法使いが死に至ったとき、ジーナにはそれがまるで島中の悪意の渦に巻き込まれたあげくの、ひどく理不尽な結末のように思えた。
――しようがないねえ
 曾祖母が嘆息する。
――この島には礎石があるから、ひとの感情は増幅しやすいんだよ。いまじゃ、島びとの夢のちからは無軌道にあふれかえってる。ちゃんとした夢見がいれば、これほどのことにはならなかったはずだ。あのくそじじいめ、何にも知らないくせにうまいこと渦を操りおって
 つづく悪態を聞き流して、彼女は目の前の少年にかける言葉を懸命に探していた。
 ティストは、女魔法使いの死に負い目を感じていた。
 自分の考えなしの言葉が賢者に利用され、母とも慕っていた女性の死を招いたのではないかという、罪の意識に震えていたのだ。
 すぐそばにいたのに、なにもできなかった。
 その言葉は、ジーナの心をえぐった。
 礎石が見せてくれるのは黒い渦のゆくえだけだ。ジーナには女魔法使いを救うためにできることはなにもなかった。
 罠をかけた当の賢者よりもはっきりと、あの女性が悪意の罠に陥っていくのがわかっていたのに。
 ティストがどれほどあの女性に心を預けていたか、よく知っていたのに。
 やっぱり、夢見なんて役立たずだ。
――なんてこと考えるんだい。おまえが未熟なのと、夢見の価値とは別ものだよ!
 だったら、ちゃんとした夢見になれば、こんな無力感にうちのめされるようなことはなくなるのだろうか。
 でも、自分はまだ、夢見ではない。
 少年の傷心を癒してやりたいと思いつつ、なにもできないつらさを痛感したジーナは、自分にできることを探りはじめた。


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