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 祖母の手伝いをして家事をし、薬草の世話をして、ときに近所の病人の世話をすることで食べ物を分けてもらう。空いた時間には曾祖母の言いつけにしたがい、夢見になるための修行をする。
 そんな暮らしが、しばらくつづいた。
 あの事件の後、ティストとの距離はつかずはなれずだったが、それでもジーナよりもかれの近くにいるのは父親である作男だけだったので、とりあえずはそれで満足していたのだ。
 いつまでもつづくのではないかと、思いはじめていた日々に変化が訪れたきっかけは、作男が野良仕事中に腰を痛めたことだった。
 いまではすっかり〈賢者〉となりおおせている男の治療を、島長が勧めるのをがんとして拒んだ作男は、息子を遣いに寄こして妻を看取ったジーナの祖母に薬を頼んだ。
 足の弱りはじめていた祖母の代役として作男の住まいを尋ねたジーナは、そこで男所帯のせいとばかりは言いきれない、すさんだ生活を目の当たりにさせられた。
――おやおや、まるでなっちゃいないよ。これじゃあまるで、ノミとシラミの御殿だ!
 曾祖母ですら呆れ果てて言葉を失う惨状に、ジーナはもうぜんと働きはじめた。
 小屋は一日では綺麗にならず、明くる日もそのつぎの日も、彼女は朝早くにやってきて、治療を終えると掃除をはじめた。
 はじめのうち、若い娘の強引なふるまいに面食らっていた作男だったが、膏薬を貼るときや病人を支えるときの手つきの優しさや、掃除の後にかならず作り置いていってくれるささやかだが心のこもった料理に、しだいに心をひらいていった。
 そして、夕暮れになって自分の代わりに野良仕事に出ている息子が戻ってくると、世話になってばかりではいけないと諭すようになった。
 気の利かない、不器用な男だと、作男は自分を自嘲気味に評価していたが、かれの息子はそれに輪をかけて無口な、というより、言葉を喋っていたことをわすれてしまうほど、口の重たい若者に育っていた。
 夢見の婆に言わせれば、
――口を母親の腹のなかに置き忘れてきた
 ということになる。
 しかも、感情がなかなかおもてに出てこない。まるで、顔のしたに、もうひとつべつの顔が隠れているのではと疑いたくなるほどに、反応が響いてこないのだ。
 大きなからだで淡々と畑仕事をつづけるティストは、島のものたちに無口で従順な家畜のようにみなされていた。
 作男は、あの口うるさかった夢見の婆の曾孫娘が、こんな息子に思いを寄せてくれることに不思議な感慨を抱きながら、できることなら叶えてやりたいと、思いはじめた。
 そんな父親の思惑があって、ティストはときおり、夢見の家を訪れて力仕事をしていくようになった。
 無言でやってきて、言葉少なにすることを尋ね、もくもくと作業を済ませて帰っていく若者のあとをついて、なにくれとなく世話を焼く孫娘の姿に、祖母も思うところがあったのだろう。
 ある夜、ふたりきりの夕餉に、唐突に言いだした。
「あたしになにかあったら、あのティストというひとに助けてもらいなさい。よおく頼んでおいたからね」
 それからひとつきほどして、祖母は突然体調をくずし、亡くなった。
 急な出来事に周囲は驚き、夢見の婆との絶交から交流の途絶えていた島長ですら弔意を表しに訪れた。
 代々つづいた夢見の古い家に、ジーナはひとり、残されることになった。
 いや、ひとりではなかったが、だれにもかつての夢見の婆の姿は見えないのだから、ひとりと同じことである。
 この家は、これほど暗かったろうか。
 この家は、これほど寂しかったろうか。
 自分を置いて出ていった母親の代わりに、苦労して育ててくれた祖母の死に遭って、ジーナは自分の一部が永久に失われたように感じていた。
 ジーナの祖母に繋がっていた部分を、祖母が死とともに持ち去ってしまったのだ。
 葬儀を終えて参列者の姿も見えなくなり、気がつくと、しずけさだけが彼女をとりまいていた。
 いつもうるさい曾祖母までが、どこかにひきこもってしまっている。
 途方に暮れた彼女は、古びた館から逃げるように走り出した。
 扉を開けたとたんになにかにぶつかって、それが作男の息子だと気がつくと同時に、ジーナは若い男の胸にすい寄せられるように近づいていた。
 急な接近に驚いたティストは一瞬怯んだが、彼女の顔を見てその重みを受けとめてくれることにしたらしい。無言のまま、若い娘のほそくしなやかな身体におそるおそる両腕をまわして、抱きよせてくれた。
 若者のぬくもりを間近にして、ジーナはあらためて感じていた。
 自分には、かれが必要だ。かれがいなくては、生きていけないと。
――ほうほうほう、思いこんだものだねえ。だけど、おまえがいくらそう思ったって、相手にも事情ってもんがあるんだよ!
 どこまでもうるさい婆である。
 しかし、男への思いにかまけて夢見の修行を怠りつづける曾孫娘に、かつての夢見は容赦しない。
――打てど響かず、叩けど踊らずの男じゃないか。せまっくるしい島ではあるし、人材は枯渇気味だけど、ほかにもおまえのことを憎からず思っている男もいるんじゃあないのかい。夢見の血筋にもっとふさわしい素質を持った男がさ
 夢見の血筋であるといういわくがなければ、ジーナに言い寄ろうとするほかの男もいたかもしれない。目だたぬようにしていたが、つややかな黒髪と、しなやかな肢体に気づくものはときおりいた。盗み見られるようないやな視線を感じることもあった。ティストがいなければ、なにが起きていたとしても不思議ではなかった。
 だからジーナも言ったのだ。あの晩に、これ以上はないというほどの真をこめて、必死になって伝えようとした。
 好きだと。愛していると。一緒に暮らして欲しいと。
 胸にすがりつきながら、涙をこらえてうったえた。
 ティストは、子どもをあやすようにジーナの髪を撫でて、ふるえる身体を支えてくれた。
 頭のすぐ上からふりかかる吐息の熱さを感じながら、ジーナは男の胸の鼓動を聞きつけていた。つよく、はやく、高鳴る心臓の音を。
 けれど、ティストはそれ以外、なにも応えてくれなかった。
 一晩を夢見の家にすごしながら、懐に守るようにつつんでくれただけで、なにを語ることもなく、明け方になると去っていった。
 ジーナは声を殺して一日泣き暮らしたが、ティストが答をくれなかった理由は、わかっていた。
 かれが慕っていた女魔法使いの残した娘のことがあるからだ。
 賢者を騙る男にひきとられた魔法使いの忘れ形見は、いまでは成長して島長の館で下働きをするようになっていた。しかし、大陸めいた容姿が島人の後ろめたい過去とむすびついているがゆえに、幸せな境遇に置かれているとはとても言えなかった。少女はつねに区別されていた。
 ティストは、シアというその少女の世話を不器用に焼いていた。
 わかっていた。かれは、過去の償いをしなければならないと思っている。それだけあのときに心に負った傷は深く、癒しがたいものだったのだ。
 ジーナはまだ、作男の小屋へと通っていた。何事もなかったようにふるまうのは辛かったが、ティストと会えなくなるのは、もっと辛い。
 それに安堵したのか、ティストはときおり彼女にむかってぽつりぽつりと話をするようになった。しかし、それはほとんどがシアに関することだった。
「あの子は、悪いことはなにもしていない。なのに、みんながあの子を怖がる」
 まるで理不尽な仕打ちを受けているのが自分であるかのように嘆くその声音に、ジーナは言いようのない想いを抱えて帰途につく。
――まったく、罪悪感を抱え込んだ男ってのは、どうしようもありゃしない
 曾孫娘が拒絶されたことにいい気分の曾祖母は、上機嫌でティストを批判する。そして幾度もくり返した命令をふたたびくり返した。
――関心をひきたいからって、あの子に手を出すんじゃないよ。あれはおそろしい運命を持った子供だ。どんなことがあっても、礎石に近づけてはいけない。おわかりだろうね
「わかってるわよ」
 ほかのだれにもわからないだろうが、そして、だれに言っても信じないだろうが、ジーナはシアという少女が怖かった。
 ろくなものを食べさせてもらえなかったのだろう。ひどく痩せていて、大きな緑色の瞳ばかりがめだつ子どもで、それが島びとの記憶をなぞり、恐怖を煽っていることは知っていたが、原因はちがう。
 あの子には、どこかふつうの人間とは違うところがあるのだ。
 それがなんなのかは、いまだ正式に夢見となったわけではない彼女にはわからないし、どうやら曾祖母にもはっきりとわかっているわけではないらしい。
 ただ、感じる。少女がうっすらとなにかの力に護られていることを。そしてそれは、礎石とつながっている力と、ひどく似ているような気がするのだ。
 母親だった女魔法使いにも、こんなことは感じなかった。
 曾祖母の言葉にはことごとく反発してきたジーナだったが、この一言には言われるまでもなく従うつもりだった。それは、理屈ではない、本能のなせる技だった。
 けして、ティストがふり返ってくれないことへの意趣返しなどではない。
――そうかねえ……
 曾祖母の嘲笑うような問いかけに、ジーナは応える必要を認めなかった。
――このまま放っておいても、なにかが起こるに違いないよ
 したり顔が見えるような嬉しげな謎かけにも、彼女は答えなかった。
 そんなことよりも、悪化しているようにみえる作男の病状が心配だったし、薬草畑の雑草取りにも忙しいのだ。
 ぶうぶう文句をつらねる曾祖母を無視し、ジーナは毎日を懸命にやりすごした。
 なにもできなかったあのときの辛い気持ちを思いかえせば、いまはできることがあるだけでも幸せだ。そう、思いこもうとして、ほとんど成功しそうになっていた。
 しかし、後一歩のところで曾祖母の横やりが入る。
――自分をごまかすんじゃないよ。夢見のつとめはごまかしでできるようなものじゃない
「ごまかしてなんか、いないわよ」
――ならば、見てごらん。なにかが近づいてきている。おまえさんなら、見えるはずだよ
 言われたとおりだった。ジーナはしばらく、礎石に触れることを避けていた。ひいやりとした黒い石に触れたときに感じるちからの流れが、ティストの少女を思い出させるからだった。
 夕闇につつまれた礎石が、ジーナにふたたび流れに起きた変化を知らせた。
 まるで、十数年前に起きたあの出来事をくり返そうかとするように、悪意の渦が、島を中心にして生まれつつあった。いや、すでに生まれている。
 そういえば、とジーナには思いあたることがあった。昨日から、ティストのようすが少しおかしかった。
 いつも無口だが、ふさぎ込んだように口を閉ざし、不機嫌な顔をして戸を乱暴に開けたてしていた。どんな物でも丁寧に扱うのがかれのやり方だったはずなのに。
 以前ならば、なにがあったか、すぐに尋ねていただろう。しかし、いまのジーナに若者の懐を探るような会話をする勇気はなく、そのまま無意識に忘れようとしていたのだ。
 ティストにこのことを知らせなければ。
 頭に浮かんだ始めのことを実行するために、ジーナはすでにとっぷりと暮れている夜の帳の下へと飛び出していた。
 とたんに不穏な気配に襲われた。なにか、とてつもなく嫌なことが起きようとしている――そんな予感が胸に兆したかと思うと、とどめようもなく膨らんでいく。
――いやな晩だねえ。殺気立っている。あの鈍のところに行くのかい。こんなときには動かない方が安全なんだがねえ
 さきほど彼女を焚きつけたときとはうって変わった言いように、いつもなら感じる反発が湧いてこない。言われるまでもなく、不安な思いに彼女も支配されていた。
 何度も通った道なのに、まるで初めて歩いているような頼りなさ。ところどころで、おなじ方向にむかっている島びとたちをみかけたが、かれらは声をかける気が失せるような、それは悪意にゆがんだ形相をしていた。
――あれが渦に巻き込まれたやつらの顔だよ
 頭の中で曾祖母が囁いた。
――あのときと、おんなじだ
 ジーナはひどい気分になりながら、島長の館の方向を見た。
 そこでは、憎悪の炎が音を立てて燃えさかっているようだった。
 天を焦がすようにたちのぼる黒い煙が、島をとりまく力といっしょになり、大きな流れをかたちづくって、ゆっくりと渦を巻いている。その中心にあるのが、島長の館なのだった。
 ジーナは勇気を奮い起こして歩き出した。
 作男の小屋は、黒い渦のすすむ館の敷地内に、ひときわ申し訳なさそうに立っていた。
 悪意と憎悪にむせかえりながら扉を叩く。力が入らずに、何度叩いても音が大きくならない。これでは、誰の耳にも届かない。泣きそうになりながら必死で拳を打ちつけていると、ようやく戸が開かれた。
「……ティスト」
 若者はジーナの姿に目をみはり、手首をつかんで乱暴に小屋の中にひき入れた。
 閉じた扉越しに周囲の気配をうかがいながら、瞳は怒ったように彼女を見ている。
「何しにきた」
 ジーナはびくりとした。ティストの声に、殴られたような気がしたのだ。
 彼女は歓迎されていない。そのことを突然突きつけられたような思いがして、身がすくみ、息がつまりそうになった。
――こら。そんな脅しに怯むんじゃないよ! 相手は強がってるだけじゃないか!
 曾祖母の言葉に、今度ばかりは目から鱗が落ちる思いだった。ティストはふだん、こんなふうに感情をおもてに出したりしない。かれは追いつめられているのだ。なにによって? それは……
――あの魔法使いの子どもだよ! 汚水溜め男が、島長のとんちきが、悪夢の供物にしようとしているんだよ!
「まさか、またくり返しているの、あのときとおんなじことを」
――何を見てきたんじゃ、バカモノ! さっきの身の毛もよだつ悪意の渦を、なんだと思っておったんじゃ! あれは制御する夢見がいないばかりにあふれだした、島のものの悪夢の集積じゃ。密度を増して度を過ごし、使い道なくひたすら膨れあがった無駄のかたまりなんじゃ。あれがめざしているのは、あの子どもじゃ。だからいわんこっちゃない。あれには手を触れるなというたろうが!
 触れようとしているのは、自分ではない。反論したかったが、激高している曾祖母にはなにを言っても無駄だった。おそらく、曾祖母にとってはジーナも、ほかの島の住民たちも、それほど異なった存在ではないのだろう。
 それよりも、彼女は蒼白になったティストに歩み寄った。
「……そうだ、おんなじだ、あのときと。俺は、なにもできない」
 苦しげに顔をゆがめて、あえぐようにつぶやく。
 大きな手で顔を覆い、ずるずると崩れ落ちてゆく若者に、彼女はしずかに語りかけた。
「こんなところに隠れていては、なにもできない。なにもしようとしていないんだもの、できるはずがないじゃない。あなたは、あの子を助けてやるんじゃ、なかったの。幸せにしたいんじゃなかったの」
 だから、私を選んでくれなかったんじゃ、なかったの。
 最後の言葉を押し戻して、自分はどうしてこんなことを言っているんだろうと思いながら、彼女はつづけた。
「このままだと、あなたはあのときとおなじよ。いいえ、あのときよりも悪い。あのときのあなたは、まだ子どもだった。あのときのあなたには、できないことがたくさんあった」
 土間にひざまずいて、彼女は若者の広い肩をちぢこまった頭をひきよせた。
 褐色の髪に頬を埋めて、大きな背中をやさしく撫でさすりつづけた。まるで母親のようだった。祖母の亡くなった晩のことが思い出された。あのときのかれも、こんな気持ちで彼女を抱いていたのだろうか。
 がっしりとした顎に手を添えて伏せた顔をそっとあおのかせると、頬に涙がひとすじ流れ落ちていた。くちびるを寄せ、すいとった。顎の線を下からなぞりながら、もう一度頭を抱え込む。
 しばらくして、ティストが身を起こそうとしているのを感じて、腕をゆるめた。
 かれはゆっくりとからだを離すと、扉に背を預けてうつむいたままで言った。
「……俺に、できると思うか」
 返答をためらいかけたそのとき、
――人に尋ねるんじゃないよ! そんなこと、自分で決めな、臆病者!
 まるで計ったように頭の中で曾祖母が怒鳴りつけ、その声は目の前の人物には届いていないと知りながらも、ジーナはつよく答えていた。
「もちろん。できるわよ」


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