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 父アーギルが傷を負い、捕えられた。そのために長兄と叔父は死に、軍の半分が失われた。
 アマリアは怒りにまかせてあたり散らした部屋を、ぼんやりとながめた。
 できあがりかけていた刺繍や、紡ぎかけの糸が、無残なありさまをさらしている。
 ぐちゃぐちゃに乱れた寝台。その上には、父からもらった腕環や耳飾り、首飾りがころがっていた。紅玉や緑玉、碧玉の嵌めこまれた細工物だ。
 アマリアはその繊細で優美なものがイニス・ファールで造られたことを思い出して、乱暴に投げつけた。床に敷かれた絨毯にぶつかって、金属はかすかな悲鳴をあげた。
 自室に押しこめられてから、もう、二昼夜がたっている。
 謁見の間から厩に逃げ込んだところが、フリストに鞍を置くまもなく、外へ出る道を封じられてしまった。馬番たちはすまなさそうにしていたが、かれらも女王の命令には背く気はない。神経質になった馬たちの間でしばらくすごしたのち、乾草の中で眠ってしまったところをあっけなく捕えられ、気づいたら見なれた寝台に寝かされていた。
 それからは、食事を運んでくる侍女以外の顔を見ていない。みな、彼女とはあまり馴染みのないものばかりで、ほとんど無言のままに訪れては去ってゆく。
 はじめは悔しさと怒りで口がきけないほどだった。扉ごしに悪態や呪いのことばを吐きつづけたが、誰も相手にしてくれなかった。きちんとととのえられた部屋を荒らしまわったのは、このときだ。
 からまわりする怒りに疲れ果てて、床に崩おれ、泣きだしたのは、いつのことだったろう。
 涙は、からだで燃えていた炎をすこしずつ衰えさせた。
 父は怪我をした。兄と叔父は命を失った。
 なぜ。
 アマリアは出陣の儀を終えたばかりの父が、誇らしげに自軍を見わたして笑ったことを、昨日のことのように覚えていた。
 兄たちがかたわらでそれぞれのいでたちを競っていたことも。母の眼が太陽をうけてきらきらと輝いていたことも。
 クレヴィンが出立間際にありったけのちからで彼女をだきしめ、悲鳴をあげるまで離してくれなかったことも。
 すべてが昨日のことのようになまなましいのに、もうけして手の届かない、夢よりも遠い記憶だった。思い出すだけで胸が苦しい。熱い痛みが喉までこみあげてくる。
 いかに理不尽な事態がもちあがったとして、こんな現実がもたらされることになるのか、アマリアにはクレヴィンの悲痛なまなざしが理解できずにいらだたしかった。
 なぜかれは、レーヴェンイェルムの要求などをたずさえておめおめと戻ることができたのか。
 アマリアはかれの許婚者なのだ。そのかれが、こともあろうに彼女を花嫁にという敵のことばにあらがいもせず、みずからすすんで女王に伝えようとは。
 アマリアは、クレヴィンがなにかを言いにくるのを待っていた。
 母親も叔母たちも、そして侍女たちも、なにも説明しようとはしなかった。
 アマリアが拒絶したからだ。
 彼女は教えさとそうとすることばに耳を貸さなかった。口汚く罵られ、扉ごしに物をなげつけられては、だれもすすんで言いきかせようとはしなくなる。
 アマリアが待っていたのは、クレヴィンひとりだった。
 ほかのもののことばなど、どうでもよい。かれの口から、真実を語ってほしかった。
 どれほど意に染まぬ残酷なことであろうと、クレヴィンの口からじかに聞きたかった。かれがどう思っているのかを知りたかった。あのまなざしの意味を、おしえてほしかった。
 なのにクレヴィンは来ない。
 イニス・ファールからの正式な使者が来て、レーヴェンイェルムの殿との婚姻が申し込まれ、母がディアルスの名において受諾したことを伝えられても、クレヴィンは姿をあらわさなかった。
 アマリアは視線をうつして、長持ちの上にかしいだ姿勢のままのっている鏡を見た。
 護身の鏡はアマリアの手の中にすっぽりとおさまった。
 映しだされた姿は、花ならつぼみの、うらわかい娘。褐色の髪はここ数日手入れを怠ったために乱れほうだい。目もとは泣きはらして、赤くぼんやりしている。鼻も赤い。
 ひどい顔だ。
 アマリアは鏡を床に捨てて寝台に倒れこんだ。
 この顔を見ればレーヴェンイェルムの殿も嫌気がさすだろう。
 もっとも、イニス・ファールの領主が欲しているのは、ドゥアラス家の姫という存在なのだから、顔が気に食わないからといって、婚儀をとりやめるとも思えないのだが。
 それを思うと悔しさがつのった。
 自分を自分として認めてくれようともしない、すでに妻のある男のもとに嫁がされることになるなんて。イニス・グレーネの世継の姫ともいわれた自分が。
 扉をたたく音がして、アマリアはびくりと身を起こした。
 扉を睨みつけ、アマリアはそれが開くのを待ちうけた。もはや誰何はしない。だれが来ようと起こることはおなじだ。
「お食事をお持ちしました」
 静かな落ち着いた声が言うのと同時に、盆を捧げもった若い娘がゆっくりと部屋の中に入ってきた。
 アマリアは侍女の顔を一瞥したのち、無視するように顔をそむけた。
 娘はアマリアの態度に心をうごかされたようすもなく、湯気のたつ料理の載った盆を卓に置いた。
「おはやく召し上がってくださいましね」
「あなたの顔、見たことないわ」
 アマリアはふいに視線を戻し、侍女を挑むように見つめた。
「館の者ではないでしょう」
 侍女は真っ向からアマリアの視線を受けとめた。
 アマリアはこの娘に自分を吟味されているような気がしてみがまえた。
 見れば、アマリア自身といくつも違わない歳の頃だ。相手のほうがふたつみっつ年かさと思えるが、思慮深いまなざしにさらに大きいへだたりを感じさせた。
 娘はかすかにうなずいて答えた。
「つい先日雇われたばかりなものですから、ご存じないはずです。エセルと申します。きょうから、姫さまをお世話させていただくことになりました」
 アマリアの顔はいぶかしげにしかめられた。
「カトリンはどうしたの」
「クレヴィンさまのお言いつけです。カトリンどのはもう年なので、イニス・ファールに参るには荷が重すぎると」
 許婚者の名が出たことでアマリアは動揺を隠せなかった。エセルは幾分同情的なまなざしでつけくわえた。
「かわってエセルがイニス・ファールに同行させていただきます」
「わたしは、イニス・ファールになんか行かないと言ったはずよ」
 アマリアはかっとなっていた。
 しかしエセルは表情を変えず、かすかな会釈をして立ち去ろうとした。
 ためらいもせずに背中を見せられて、アマリアは「ぜったいに行かないから」とくりかえした。
 エセルはふりかえると、もつれた髪をふりたてて怒りに燃えた榛色の瞳を刺さりそうなほどに鋭くした年下の娘を見つめかえした。
「姫さまがどのようにおっしゃっても、行かないではすまないのです」
 静かに言いきられて、アマリアはむっと押し黙った。エセルは表情をやわらげて、おだやかにつづけた。
「一刻ほどしたら、食器を下げにまいりますから。どうか、あたたかいうちに召し上がってください」
「クレヴィンはどこ。クレヴィンを連れてきてよ」
 アマリアはそれまでの自制をかなぐり捨てて叫んだ。
 これ以上会わずにすごすことはできない。
 クレヴィンがなにを思い、なにを考えてこのようなことをするのか。問いたださぬことには、疑いが増すばかりだ。
 このままでは、この世でいちばん確かなことであったはずのクレヴィンヘの想いが、苦いものに変わっていってしまう。
 アマリアの必死のことばに、だが、エセルはつれなかった。
「クレヴィンさまは館にはおられません。今朝方、ローナンの砦へ出立なさったばかりです」
 かるく会釈をして侍女が退出すると、アマリアは怒りをこらえるすべを失って果実酒の入った杯を扉になげつけた。
 杯は分厚い扉にぶつかり、音を立てて跳ねて床にころがった。赤黒い液体が、床板と扉とに飛び散った。



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