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 西は太陽の没する地。神の死する地。
 だが、太陽は朝になればふたたび産声をあげる。夕焼けは生まれ代わりを約束されたものの、華やかな死の儀式なのだ。
 湖はあざやかな朱に染められて、やがて訪れる闇の時を忘れ去るほどに美しく輝いている。遥か彼方にのぞむ山々は、つねに変わらずまといつづける雪の衣装を炎のように燃えたたせている。それよりはだいぶ手近にある敵の砦も、いまは夕焼けの中に溶けこんでしまっていた。
 エギリア河をはさんで対時する味方の砦は、あかあかとした陽光のもとに無残な姿をさらしていた。
 戦場となった河原から運ばれてきた兵士たちは、怪我人と死体との区別もつかない。
 生きのびることができるなら、自分の足で逃げてきたはずだ。それができないものは、おそらく、いま息のあるものも死ぬしかないだろう。手当てするための薬師や医師がたりないのだ。情け知らずと言われようと、確実に助かるものをまず優先して手当てさせるほかない。
 ベレックが意地をはらずにいてくれたなら、もうすこしやりようがあっただろう。
 クレヴィンはレーヴェンイェルムの殿の援助の申し出を受けてもよいと思っていた。苦しんでいる兵たちのすべてを救うことはできないにしても、死にゆくものにもなんらかの慰めにはなるだろうと。
 だがベレックは申し出を拒絶し、騎士たちもそれに賛成した。クレヴィンの進言は完全に無視されたことになる。
 クレヴィンは決定に異議を唱えることはできなかった。女王の伴侶が囚われ、第一の副官と参謀が死亡したいま、イニス・グレーネを統率するのは第二の、それまでは一部隊を指揮する権限のみもちあわせていたにすぎない女王の次男なのだ。
 ベレックは、年下でありながらお館や女王の信頼篤いクレヴィンを疎ましく思っている。
 あのときを思い出してクレヴィンはくちびるを噛みしめた。
 イニス・ファールの砦が間近に見え、勝利は手中にと思えた瞬間に、悪夢のような報せが飛びこんできた。
 砦で戦況を見まもっていたはずのお館がだれにも告げず攻撃に加わったのは、最後のとどめくらいはみずからの手で刺してやりたいという、敵に対する積年の思いのなせるわざだったのだろう。そうクレヴィンは理解した。
 だが、アーギルはせまった勝利に酔い、熱くなりすぎた。自制を忘れて馬を駆りたて、突出しすぎたのだ。
 かつてのアーギルであれば、それでもおし寄せる敵を蹴散らし、なぎはらっていたかもしれない。かれの息子ベレックが大ぶりの剣をふりまわして、敵を殴り潰していたように。
 齢五十をこえた将軍に、その力はなかった。味方よりもはやく敵がかれに気づき、死に物狂いでイニス・グレーネのかしらを討ちにきた。それ以外に、劣勢のかれらに生きる道はなかったのだ。
 遅れてアーギルに気づいたクレヴィンの父親は、あとすこしで突破できるはずだった右翼を捨てて、きびすを返した。アーギルに代わって陣頭指揮をとっていた長男フィランは無謀な父親を制止しようとして追ってゆき、かれをかばって真っ先に刺し殺されたという。
 左翼を任されていたクレヴィンは、異変に気づくと中央でひとり剛勇を馳せていたベレックを引き戻そうとした。が、ベレックは伝令を無視した。父親が危ないというのに、いちばん近くにいたベレックは、突進することしか考えていなかった。
 もはや、戦場には規律も組織も存在しなかった。慎重に考えられたはずの作戦はなしくずしに乱れ、敵も味方もない血みどろの殺戮がかわってあらわれた。
 気がつくとイニス・ファールの軍勢は目の前から消えていた。
 クレヴィンは自分の隊を退かせ、できうるかぎりの生存者をひきつれて砦に戻った。
 信じられぬ敗戦にうつろな表情のかれを待ち受けていたのは、さらに厳しい現実だった。
 都から連れてこられた兵の半分は姿が見えなかった。父親とフィランの戦死は確認された。が、生死不明の者の多さが、怪我人のうめき声が充満する砦の絶望をいや増した。
 イニス・ファールの統率者レーヴェンイェルムの殿からの使者が、お館アーギルの身柄を預かった旨を伝えてきたのは、その日の太陽が沈む前だ。
 休戦の確認のために返しの使者として、クレヴィンはイニス・ファール側の砦に送られた。
 そこでかれが見たものは、予想をはるかに超えて勝利者然としたレーヴェンイェルムの殿と側近たちの姿だった。
 かれは、なぜイニス・グレーネが敗れたのかをはっきりと理解した。
 イニス・ファールの長レーヴェンイェルムの殿は、長患いの末に今春、身罷っていた。代替りした若殿は腑抜けという評判で、だからこそ、好機はいまと戦はしかけられたのだ。
 だが、それはどうやら間違いだったらしい。
 かれらは相手をみくびっていたのだ。お館やベレック、ほかの騎士たちはまだしも、影を駆使していたはずのクレヴィンの父親ですら、相手の本性を見抜けなかった。もしかするとイニス・グレーネは誤った情報を流されていたのかもしれない。
 クレヴィンは屈辱に身を焼きながら敵の将の自信にあふれた穏やかな顔を見た。
 かれよりもはるかに力を持ち、威厳に満ちたひややかなまなざしを。
 レーヴェンイェルムの殿はじつのところ、いまはその手の内に捕えられているアーギルから見ればほんの若造にすぎなかったろう。けれど、クレヴィンは、家臣のかれを見る目がまぎれもなくみずからの神を見るものであることに背筋の凍る思いだった。
 イニス・グレーネで、だれがアーギルをあのようなまなざしで見るだろう。
「クレヴィンさま、巡回の報告です。異状ありません」
 報告は隣の部屋に控えていたアルベスからだった。異状があるはずがない。あの若殿は約束は違えないだろう。いま、この砦を襲っても得るものはなにもない。
 クレヴィンは幼なじみの顔も見ずに、ぞんざいに答えた。
「わかった。行っていい」
「失礼します」
 アルベスはクレヴィンの神経を気遣って、このところあまり近づいてこなかった。
 敗け戦は心をすさませる。体も精神もはりつめられるだけはりつめて、それがいきなりふつりと切れたのだ。
 この砦は、報われなかった労働に対する徒労感と敗けたことに対する屈辱、さらには喪われたものたちへの想いで、これ以上ないほどに疲れきっている。アルベスだとて、仲のよかった従者を敵に殺されていたはずだ。
 そんな者にさえ同情される自分が、クレヴィンはいらだたしかった。
 かれと入れ替わりに都に戻ったベレックですら、憐れみのまなざしを向けたものだ。いつもは無視してしまえる無責任な従兄のふるまいを、このときばかりははらわた煮えくりかえる思いでこらえなければならなかった。
 アマリア・ロゼ。
 女王の最後の娘。
 イニス・グレーネの世継の姫。
 ベレックは、なぜレーヴェンイェルムの殿が彼女を望んだのか、理由は知らない。
 クレヴィンはイニス・ファールとの交渉については結果のみを伝えた。敵の砦でどのような会話が交わされたのか、かれ以外に知るものはいない。おそらくイニス・グレーネのだれもがこの条件を、敵の傲慢の証拠とみなしたことだろう。
 だが、レーヴェンイェルムの殿はひとことも、人質を差し出せとは口にしていないのだ。
 家臣たちはなるほど、証を求めてきた。かれらはイニス・グレーネは信用できないといちように顔に書いていた。お館を手元に置き、まだ証をとつめよるかれらのかたわらで、若殿はただ、自分よりもさらに若い使者の姿をながめていただけだ。
 静かな、冷徹なまなざしにあって、クレヴィンは恐れを覚えるとともに屈辱も感じた。相手のゆとりが、そのまま見下しの態度と思えた。
 クレヴィンはそのとき、おのれの中に芽生えはじめた野心の声を聞いた。
 いま目の前にいる男と、いつかは対等になってやる。そして、この手で倒してやると。
 それには、イニス・グレーネの女王の伴侶などで満足しているわけにはゆかなかった。
 いまだかつて相手を支配しえたことのないイニス・グレーネでは、レーヴェンイェルムを圧倒することはできない。イニス・ファールをねじ伏せられるような、強大な力をもつものにならなくては――。
 一瞬のうちに走りぬけた思いが、クレヴィンを突きうごかして事態を恐るべき方向に進ませた。
 かれは休戦と和平を手に入れるために、アマリアを捧げるとくちばしっていたのだ。
 会見の席につらなる者どもの驚きの表情に、かれはひそかな満足すら感じていた。あさはかにも、勝者に一矢を報いることができたような気になって。
 自分のしたことの恐ろしさを自覚したのは、都に戻ってからだった。
 ことを告げるうちに顔色を失ってゆく人々の姿が、かれを現実にひき戻した。そして、乗馬服のまま飛び込んできた少女の驚愕にみちた瞳が、まっすぐにかれをみつめ、問いかけてきた。
 生命にあふれ、輝きにみちた少女。じきにすばらしい花を咲かせるだろうが、つぼみのままでも充分に美しい、イニス・グレーネの世継の姫。
 アマリアを失うという考えに、クレヴィンはうちのめされた。
 なぜかれはあのとき、差しだすものとしてアマリアを選んでしまったのか。
 それは他のものではいけなかったのだろうか。アマリア以外にもイニス・グレーネにはかけがえのないものはいくつもある。父親を亡くしたクレヴィンにとって、アマリアは宝だった。なにものにも代えがたい、唯一の存在だった。
 が、いまさら後戻りはできない。約束を違えるわけにはゆかない。かれ自身が一度口にしてしまったことなのだ。女神にかけて。
 かれは従妹に理由を問われて答えられるとは思わなかった。
 アマリアはどこまでもまっすぐにかれを見つめてくるだろう。
 クレヴィンはだから、アマリアを避けたまま都を後にした。
「クレヴィンさま」
 アルベスの声が、扉のむこうからかれを呼んだ。
「なんだ」
 思考を中断されたクレヴィンは、いらだたしさを隠そうともしなかった。
「すいません。都から、急使が参りました」
 アルベスのあわてた声のすぐ後からさわがしい足音が聞こえ、扉が乱暴に開かれた。
 制止しようとする従者をおしのけて入ってきたのは、ベレックとともに都へ戻ったはずの騎士カルムだった。男はクレヴィンの顔を見るとさっとあたりを見わたし、人払いを請うた。
 クレヴィンはカルムの険しい顔を一瞥し、アルベスにうなずいてみせた。
 不満げなアルベスが去ったのち、クレヴィンは年上の騎士に椅子をすすめた。
 かれが私室として使用しているのは、つねならばお館と呼ばれる女王の伴侶で軍の指揮官のためにしつらえられた部屋だった。敵とは河越しにむかいあう国境いにあっても、居心地よく家具調度を配置したアーギル好みのはなやかな部屋だ。
 アーギルが捕えられ、ベレックが都に戻ったため、砦の管理はクレヴィンに任されている。クレヴィンは空けられる部屋をすべて負傷兵のために開放した。そのため、かれはもとの部屋から出て司令室で寝起きをすることになったのだが、騎士はそうとはとらなかったようだった。
 カルムは首をふり、クレヴィンをうわめづかいに見つめた。その顔には不信がありありと見てとれた。
「女王陛下より、クレヴィン殿に一刻も早く都に戻られたいとのご命令を承って参りました」
「どういうことだ。私は、いまこの場をうごくわけにはゆかぬ。そのことは陛下もご承知のはずだ」
「アマリアさまのことで、至急ご相談したきことがあるゆえ、との仰せ。この砦は、私カルムが代理を申しつかりました」
「アマリアがどうかしたのか」
 クレヴィンは思わず声を高くして詰問して、カルムが眉をはねあげたのに気づき、心の中で舌打ちをした。
 カルムは面をうつむけ、かさねて言った。
「至急、お戻りください。女王陛下がお待ちです……むろん、アマリアさまも」
 騎士カルムの大きな体を卓ごしに見つめながら、クレヴィンはことばの裏を読もうとした。
 目の前の男は、お館のというより、フィランの側近だった。フィランが死んでからはベレックに付くようになっていたが、なにを思ってここにやってきたのか。女王はなぜカルムを遣いに立てたのだろうか。
 クレヴィンはフィランが信頼していた男に砦をあずけることにした。カルムがどのような腹でいたところで、いまの状況ではたいしたことは起こらないだろう。
「アルベス、馬をひいてくれ。これから都に戻る」
 隣で耳をそばだてているはずの従者に命令すると、クレヴィンはカルムに近づいて肩に手をのせた。がっしりとくいこむほどの力でつかまれて、カルムははっと若い男を見返した。
「カルム殿。それでは、私が戻るまで砦をよろしくたのみます」
 クレヴィンがカルムにうなずくと、騎士はおなじ重みをもってうなずき返してきた。自分の選択にあやまりないことを確認して、かれは砦を離れた。



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