prev 一角獣の虜[Chapter 2-4] next

 しばらくぶりの野駆けに、彼女もフリストも我を忘れていた。栗毛の馬は主人を乗せてかろやかに駆けた。アマリアは声をあげ、はねまわる愛馬に笑いだした。
 心の憂さを忘れて、アマリアはフリストを駆けさせることに注意をかたむけた。
 風が頬をなぶるのも、手綱の感触も、フリストが脚をうごかすたびに伝わる振動も、すべてがここちよく感じられる。
 気づくと彼女はイニス・グレーネの領地がとぎれ、むこうにイードリースの治める森の縁が見えるところにまでやってきていた。
 無意識のうちに街道とは反対の方向へ駆けてきたらしいが、イニス・ファールほどではなくとも、仲が良いとは決して言えない他部族の領土へ近づきすぎていた。アマリアは馬首を返した。
 夢中になって駆けていたときには忘れていられたことどもが、これをきっかけにして心に舞い戻ってきた。しかもなお悪いことに、ひろびろとした草原とぬけるような秋の空とが、髪をふぞろいにした原因である狂気をぬぐいさってしまっていた。
 空が茜色に染まるころ、アマリアは館に戻ってきた。
 すれ違う者たちはみな、彼女の髪に気づくと眼をみはった。だが、以前なら言われたはずの小言や、遅くまで出歩いていることへの非難は聞かれなかった。世継の姫の気がおかしくなったという噂は、もはや都中の周知の事実であるかのようだった。
 厩にたどりついても声もかけられず、アマリアは自分でフリストを仕切りまで連れていかなければならなかった。
 そこで彼女は葦毛の馬が飼い葉を食んでいるのに出くわした。
 アマリアはフリストの仕切りに別の馬がいることに抗議をしようとして、そばにいる馬丁を呼んだ。ランプの薄明りの中で作業をしていた馬丁は、アマリアに呼ばれて怯えたように寄ってきた。
 そのときにはもう、アマリアは葦毛の馬に見覚えがあることに気づいていた。彼女はフリストの手綱を馬丁に渡し、「あとをお願い」と言い置いて厩から走り出た。
 紅から紫へとかわりはじめた空を背後に、館はいまだ沈みきらぬ太陽のあかい光を受けて燃えていた。
「クレヴィン!」
 館の裏口から出てくる従兄の姿を見つけて、アマリアは声をあげた。
 クレヴィンは反射的に顔をあげ、彼女を見つけた。アマリアはかれがなにかを言うよりもはやく、ふところへと飛び込んでいた。
 ふいを突かれたにもかかわらず、若者は彼女をなんなくうけとめた。かれはアマリアをそのままだきしめようとする。
 アマリアはかれの腕の力を感じ、かれの匂いを嗅ぎ、ため息をついた。
「会いたかった」
 クレヴィンは腕の力をゆるめ、アマリアはかれから離れた。彼女を見おろすクレヴィンの顔は暗がりでよくわからないが、笑っていないことは確かだ。
 アマリアはおなじことばに非難をつけくわえて繰り返した。
「会いたかった」
「おれもだよ」
 クレヴィンはアマリアの手をとり、ひきよせた。
「ずっとおまえのことを考えてた」
「それならどうして」
 されるままに手の甲で若者の頬にふれながら、アマリアはつよい口調で訊ねた。
「どうしていままで会いにきてくれなかったの」
 感情が昂ぶって、声がふるえる。アマリアはくちびるを噛んだ。
「もう、わたしを愛してないの」
「そんなこと、言ってないだろう」
 クレヴィンはつよく否定してつかんだままの手をにぎりしめた。
「砦から離れられなかったんだよ。いまは休戦しているが、約束を果たすまでレーヴェンイェルムはこちらを信用しないだろう。こっちもおなじだ。まだ、戦は終わっちゃいないんだ」
「でも、一度は戻ってきたわ」
 そのときに、かれは戦に敗けたことを、さらには彼女の婚姻のことを一方的に告げていったのではなかったか。
 そのことをクレヴィンに忘れてもらいたくなかった。アマリアは崖下に突き落とされた。なのにかれは這いあがるのに手を貸そうともしなかったのだ。
 だが、クレヴィンはため息をつくと手におえない子供を諭すように彼女の名を呼んだ。
「今度のことで、イニス・グレーネが受けた痛手がどの程度か、おまえは知っているのか。お館さまや、フィランどのや…親父のことや、それをぬきにしても何百という人が命を失い、傷を負い、家を焼かれているんだぞ。それを承知の上で言っているのなら、おまえはイニス・グレーネの世継の姫じゃない」
 アマリアはクレヴィンの手をふりはらった。
「そんなこと、知ってるわよ」
「いいや、知らない。知らないから、そんなことが言えるんだ」
 クレヴィンは不機嫌になりはじめていた。
 無知だときめつけられて、アマリアはかっとなった。
「お館さまはわたしの父上よ。わたしはフィランが好きだったわ。フィランは自慢の兄さまだったもの。知らないなんてそんなこと、どうして言えるの。だけど、どうしようもないじゃない。わたしは女で、女は戦に連れていってもらえない。どんなに剣の練習をしても、だれよりも馬の扱いがうまくてもだめ。そうでしょう? 女は戦にかかわれない。そんなもののことに、なぜ、わたしが心を煩わさなくてはならないの。あなたたちが敗けたからって、どうしてわたしがそれを繕ってあげなくちゃならないの」
 クレヴィンがどんな顔をしているのか、日没がすぎてアマリアには区別がつかなかった。
 それでも、いい顔はしていないということは推測できた。あたりが暗くてよかったのかもしれない。
 つぎにクレヴィンの口から出てきたのは、怒りをおしころした低い声だった。
「アマリア、おまえはお館さまがイニス・ファールのやつらに殺されてもいいと言うのか」
 ショックをうけて、アマリアは一瞬、息をのんだ。
「わたしが言ってるのは、そんなことじゃない」
「そんなことじゃないなら、どういうことだ」
 クレヴィンは怒っている。彼女がレーヴェンイェルムとの婚儀を拒否する理由が、かれにはわからないのだろうか。
 そんなばかなはずはない。かれは、たったいま、彼女を抱きしめたばかりではないか。
「わたしは、ただ――」
「ただ?」
 言いようのない想いが、アマリアの喉をつまらせた。はりつめたクレヴィンの圧するようなうながしが、反発心を生んだ。
 アマリアはじぶんが涙をうかべていることに気づいた。これ以上、ここにいたくない。そう思ったとき、侍女が夕食をしらせてまわる声がした。
 クレヴィンの隙をついて、アマリアは館の中に逃げ込んだ。どうしてなのか、なさけなくて、泣かずにいるためにはさらにくちびるを噛みしめていなければならなかった。



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