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 服を着替えて食堂へおりてくると、好奇と不快のまなざしがアマリアを待ち受けていた。
 食事の世話をする小姓たちはそしらぬふりをしているが、その関心が世継の姫にあつまっていることは、ときおり感じる視線でわかった。
 アマリアはじぶんが注目を集めていることには無関心なふりをして、さだめられた席についた。
 大きな食卓には、まばらに食事の支度がととのえられていた。
 お館であるアーギルと長男のフィランの席が空いたままだった。さらに、一年前に死んだ姉の席も。フィランの妻の姿も見えない。
 席についているのは、ベレックとベレックの妻、伯母のムールン、叔父であるトスケル、そして彼女のむかいにはクレヴィンがいた。
 上座の女王が食前の感謝を大地の女神に捧げたのち、型通りに杯があげられた。
 アマリアは果実酒を口にふくみながら燭台ごしに従兄の顔を盗み見た。
 彼女は髪をゆるやかにひとつに編んで背中でまとめていたが、左側の頬から肩にかけてきりおとした髪は、もちろんまとめようもなく、短剣の跡も生々しくたれさがっていた。
 クレヴィンは従妹の髪の無残なありさまを見て、衝撃を受けたようだった。宵闇せまる館の影では、切られた髪は見えなかったのだろう。かれに忠告するものも、だれもいなかったらしい。
 最初に話しはじめたのはベレックだった。
 かすかにただよう緊張の匂いを嗅ぎわけることもなく、従兄弟の動揺にはめざとかった。かれは上座にむかって、こう言った。
「母上、いま、おれは父上にかわりイニス・グレーネの武人をあずかる身だ。兄貴には劣ろうが、これでも全力を尽くしてイニス・グレーネのためにと働いている」
 ベレックは、おのが言葉を皆がのみこんだかどうかをたしかめるように食卓を見まわした。
 ほかの者はだまったまま料理を口に運んでいたが、ムールンがひややかなまなざしをむけた。
「ベレック。そのようなこと、ことさらにいいつのるものではない。ここにいるものはみな、そなたのしていることくらい、わきまえています」
 ムールンの辛辣な言いかたはいつものことで、ベレックはこれを無視した。
「おれはできうるかぎりの方策で、イニス・グレーネのたてなおしをはかっているつもりだ。そのつもりで人員を配置したし、かれらには充分信頼に応えてもらえるものと思っていた。しかし」
 ベレックはここでかすかに声を高めた。
「砦にいて、おれの代わりに敵に睨みをきかせているはずの人間が、ここにいる。なぜだ?」
 ベレックはくちもとにしわをよせて、はすむかいにいる従兄弟を見ていた。ざらざらと荒れた肌が、蝋燭のあかりに照らされて獣のもののように見える。アマリアは兄のこめかみの傷がうきでているのに気づいた。ベレックは興奮しているのだ。
「クレヴィン。おれは砦を離れろといつ言ったかね。おまえにはつらい事情があるのは承知しているが、おれの砦は、どうなってるんだ」
 クレヴィンはさきほどから料理に手をつけていなかった。ベレックがひとり、悦に入りながら人を非難しているのを黙って聞いているので精一杯、という感じだ。かれはこらえるためにおしころしたような声で答えた。
「砦はカルムどのにあずけてきました」
「カルムだと。なぜやつが砦にいるのだ」
 ベレックは手にした杯を卓に叩きつけた。いきおいで中の果実酒がとびちり、アマリアも滴を顔に受けた。
「食事中に乱暴はやめて」
 アマリアはベレックを語気つよくたしなめた。妹に意見されて、ベレックはますます肩を怒らせる。
「かわいそうなアマリア。こんなやつのことをかばう必要はない。許婚者を和平の道具にされても、文句ひとつ言えない腰抜け男だぞ。いったい、おまえの剣はなんのためにあるんだ。人の部下をよこどりしやがって、おまえは父親そっくりだ」
 クレヴィンは両手の拳をにぎりしめたまま蝋燭の火を睨みつけていたが、ベレックが最後に言ったことばにすっと視線を移した。
 クレヴィンが父親を愛し、敬っていたことは誰もが知っていた。母親亡きあと、ふたりは仲のよい親子だったのだ。自分が罵られても動じなかったかれだが、父親を侮辱されたと思えばなにをするかわからない。
 とっさに、アマリアは目の前にあった杯を投げつけていた。
 銀の杯はベレックの額に命中した。
 酒が眼に入って、ベレックは本気で怒りだしたが、席を立ち、クレヴィンにつかみかかろうとしたときに鋭い制止の声がとんだ。
「おやめ、ベレック。見苦しい」
 女王は怒りに満ちた静かなまなざしを次男の大きな身体に突き立てていた。
 うごきはとめたが、ベレックは不満顔で母親に言いかえした。
「カルムはおれの部下だ。おれはやつに砦へ行けとも、クレヴィンの代わりをしろとも命令した覚えはない。なのに、なにゆえ、やつは砦に行ったのだ」
 おのれの正当性を訴える息子に、女王は真実を伝えることで黙らせようとした。
「私が命じたからです」
 ベレックはなおもつづけようとして、言われたことが把握できず、ほうけたように母親を見つめていた。ダルウラはめぐりの悪い息子にうんざりしたようにくりかえした。
「私が、カルムに命じて砦へ行かせたのです」
 まだあいまいな顔をしているベレックに、かれの妻が横から小声で言いそえた。
「クレヴィンどのを呼び戻したのも、お義母さまなのよ」
 これでようやくベレックも事情を理解したようだった。が、その事情はさらにかれの不快をつよめただけだった。
 ベレックは妻にいらぬことをするなと叱りつけ、母親にむかって抗議した。
「母上。いくら母上でも、おれの部下を勝手にしてよいわけはないだろう。カルムはここでおれのために働いてくれていたんだ。急にいなくなったので、探させていたんだぞ」
「カルムどのはフィランどのの配下と、私は心得ておりましたがね」
 ムールンが水差しをもった小姓に合図しながらひややかに言うと、ベレックは
「兄上は亡くなられた」
「それに、そなたはきょうは一日中、部屋にこもっていたではないの。フィーナどのと一緒に」
 ベレックの奥方はあけすけな指摘に顔を赤らめたが、ベレックは伯母を睨んだだけだった。
「母上。おこたえください」
「ベレック」
 つよく挑んだつもりがつよく呼びかけられて、ベレックはかすかに怯んだ。
 ダルウラはかれを息子としてではなく、かれの主張どおりの人物として見ていた。それはクレヴィンにも覚えのあるまなざしだ。
 彼女は上に立つものの尊大で傲岸な自信にみちあふれて、ベレックを見ていた。
 彼女は問うた。
「そなたがアーギルどのの代理なら、私はなに」
 ベレックは、唾をのみこんだ。だれもかれを助けようというものはいない。フィーナですら、ダルウラに逆らってまで夫に組する気はなかった。
「私はイニス・グレーネの女王ではないの? ベレック」
「女王です」
「イニス・グレーネの騎士たちは、だれに忠誠を誓っているのです」
「女王です」
 ベレックは答えざるをえなかった。かれ自身、叙任式の際、女王とディアルスのために剣を捧げているのだから。
「ならば、騎士が私の命令に従ったとて、なんの異論もあるまい」
 ダルウラはしぶしぶとうなずくベレックに一瞥をあたえると、そのまま席を立って食堂を出ていった。
 ムールンがすぐにその後を追い、ベレックは杯をあけると不愉快な視線をクレヴィンによこした。が、それ以上はなにも言わず、奥方とともにひきあげた。
 終始、われ関せずで黙々と食事をつづけていたトスケル叔父も静かに部屋を辞し、最後まで残っていたのはアマリアとクレヴィンのふたりのみとなった。
「アマリア」
 てぎわよく皿の上の料理をかたづけて、くちもとをナプキンでぬぐい、立ち去ろうとしたときに、クレヴィンは彼女をひきとめた。
 アマリアは食卓に手をついて、ふりかえった。
「さっきはありがとう」
 クレヴィンはまじめな顔で礼を言った。
「あなたを助けたのは母上よ」
 冷静に言いかえす彼女に、クレヴィンはなおも言い張った。
「いや、おまえが杯を投げなかったら、おれはベレックに殴りかかってた。たすかったよ」
 黒い瞳がじっとみつめてくるのを、アマリアは黙って受けとめていた。
 クレヴィンはまだ言いたいことがあるように、くちびるを噛んでいた。視線は、切られた髪の上でさまよい、また、戻ってくる。
「アマリア」
 聞いているというしるしに首をかしげると、クレヴィンは今度は彼女の眼をまっすぐに見すえて言った。
「あした、遠乗りをしよう」



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