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第三章



 誓いはなされた。
 アマリアは、それを信じて、レーヴェンイェルムの殿との婚儀を承諾した。
 秋が深まるにつれ、ドゥアラスの館はあわただしさを増した。
 夏のなごりの晴天はもはや遠い昔のこと、天候は気温が下がるごとに悪化していった。灰色の雲がおもく垂れこめる空は、意にそわぬ結婚を受け入れねばならなかったアマリアの心を映しているかのようだった。イニス・グレーネの世継の姫であった彼女は、ひと月の後には仇敵イニス・ファールの長の妃となるのだ。
 エセルは侍女として毎日アマリアのそばにいて世話をしていたが、自分の運命を受け入れてからの彼女の自制心には感嘆の念すらいだいていた。
 アマリアが本来、慎重な性格ではないのは、来た当初の荒れようからわかっていた。彼女は起伏の激しいゆたかな感情をおしげもなくあふれさせる。
 エセルはアマリアの怒りと失望の大きさに圧倒されていた。まだ十六歳のアマリアの思いは、あまりにも素直で、あまりにも一途だ。
 エセルは自分がアマリアの感情の奔流にひきずられて、務めが果たせなくなるのではとひそかに恐れた。
 彼女のあるじは彼女の冷静さを求めている。それをもってアマリアの行為をつくろい、怪しまれぬように情報を収集することをのぞんでいるのだ。彼女が冷静さを失えば、ことはアマリアの危険にもおよぶであろう。それはさらにあるじの望まぬことだった。
 彼女の影のあるじであるクレヴィン・イスラ・ドゥアラスは、アマリアよりもさらに強い意志の力でもってみずからの行動を律していた。
 若者がなにを考えているのか、そんなことまで知りたいとは思わなかったが、懸命に平静を保とうと努力していることを折にふれ感じさせられた。
 同情は感じなかった。エセルは、自分の感情がいかに貧しく、乾いたものであるかを承知していた。おそらく、という保留をつけてしか思いを語れない。
 ジァルは好きだった。けれど、愛していると言ったのは、かれがそう言われることを望んでいたからだ。エセルには、アマリアのような感情は理解できなかった。嵐のように人をねじふせようとさえする、こわい想いは。
 なのに、ふたりの外見はよく似ている。
 エセルは窓際で刺繍を刺しているアマリアの姿を観察した。
 陽光があわくふりかかっている、ゆるやかに波うつ褐色の髪の毛にふちどられた卵形の顔。背の高さ、からだつき。
 遠目であれば、あるいは、後ろ姿だけなら、見まちがうものもいるだろう。
 クレヴィンがエセルを侍女として召しあげた理由のひとつには、これがある。いざというときには身代わりをもつとめられると考えてのことだ。
 むろん、アマリアを知る人にこのような小細工はきかない。
 アマリアの瞳は、まるで榛色の奇跡だった。
 それ自身生きているかのようにきらきらと輝き、彼女が胸におさめかねている想いをくちよりも先に、より雄弁にものがたる。彼女に会った者は、例外なくこの瞳に魅せられてすいこまれるように見つめることだろう。
「どうしたの」
 見つめられていることに気づいたアマリアが、怪訝そうにたずねてきた。
「もうすぐ完成するのではありませんか」
 エセルはアマリアの刺繍の模様を一瞥して、それがあとひとさしふたさしでできあがりそうなのを見てとった。
 アマリアはにっこりして、刺繍をかかげてみせた。とりたてて見事というできばえではないが、針仕事の嫌いな彼女にしてはよくやったほうだろう。
「そうなの。辛抱もやればできるものね」
 前に落ちてきた髪をはらいのけながら、アマリアは刺繍をつづけるために費やした努力がいかに大きかったかをはからずも白状することになった。
 じぶんで切り落としてしまった髪は、いまだに不揃いなままだ。おそらくこのままの姿で輿入れをするこ とになるだろう。残りの髪は、いまは乱暴にみつあみにして背中に垂らしている。
「それじゃ、かたづけてお茶にいたしましょうか」
 うなずくアマリアを残して部屋を出ようとしたとき、エセルは女王付きの侍女とはちあわせをした。ことばよりも先に目で問いかけたエセルに、侍女は「アマリアさまに」と言って半開きの扉のむこうへ呼びかけた。
「ダルウラ陛下がお呼びです」
「わかりました」
 アマリアは刺しかけの針を刺繍台の上の布に縫いとめると、すくと立ちあがった。控えるエセルと侍女の横を「お茶はいらないわ」とひとこと言って通りすぎる。
 アマリアは背筋をのばし大股で廊下を歩いてゆき、母のいる執務の間にやってきた。
 途中ですれ違った者たちは、みなアマリアの顔を見ぬようにしながら、じきに人身御供として敵へ差し出される姫君の表情を巧妙にうかがっていた。
 腹立たしいのではじめのうちはいちいち睨みかえしていたのだが、いまではもう、気に留めるのも馬鹿馬鹿しくなっていた。クレヴィンにも言われている。イニス・ファールヘ行けばより以上に不愉快なことが待っているに違いないのに、これくらいで怒っていては身が持たないというのだ。
「アマリアです」
 ノックをして名を告げると樫材でできたどっしりした扉が開かれた。
 ムールンがしかつめらしい顔で奥へ案内し、アマリアは控えの間から女王の部屋へと入っていった。
 格子窓からさしこむ午後の光が、部屋をななめによこぎっていた。国を治めるという重責を担う女王は、いまはくつろいで長椅子に身体を預けていた。すこし疲れた顔をしていたがアマリアに気づくとくっとひきしめる。
 イニス・グレーネの女王が娘を呼んだ理由がなんであれ、軽々しいものでないことは明白だった。
「なんの用でしょうか。母上」
 緊張よりも好奇心とかすかな敵意をあらわにした娘の問いかけに、長椅子の上のダルウラは腕を組み、うっすらと微笑んだ。
「おまえがこの館にいるのもあとわずかのことだから、一度、ゆっくりと話がしたかったのよ」
 ダルウラは手で彼女に隣に座るようにうながした。
「支度は進んでいるの」
「刺繍ははかどったわ」
 アマリアは母が驚くかと思ったが、女王の知らぬことはないようで、眉ひとつうごかさずに「そう」とうなずかれた。
「ほかのことは、ぜんぶ伯母上がしてくださってるの」
 だから、支度のことならムールン伯母に聞いてもらったほうが確かだ。だが、そんなことは言われずとも女王がいちばんよく知っている。
「あたらしい侍女は、どうかしら」
「エセルのこと?」
「たぶん、そのエセルのことよ」
「わたしはカトリンがいいわ」
 アマリアは溜め息のように言い、何度も繰り返したことをまたくちにしはじめた。
「なぜ、カトリンをイニス・ファールに連れていってはいけないの」
「カトリンはこれから別の土地にいって、あたらしい生活をはじめるには年を取りすぎているのですよ。エセルが気に入らないの?」
 女王はやさしく尋ねたが、一度決めたことをくつがえす気がないのはあきらかだった。これまでだって、アマリアは母親に逆らいつづけられたためしがない。乳母のことはあきらめるしかないようだ。
「エセルは嫌いじゃないの。ただ…心細いだけよ」
 ダルウラはうつむいたままつぶやくアマリアの手を取って、両手でつつみこんだ。
「心をつよくお持ちなさい。おまえは、一度はイニス・グレーネの世継の姫を名のった者でしょう。イニス・ファールはおまえを王妃として迎えるのです。おまえはイニス・ファールの者たちにあなどられてはなりません」
「あなどられたら、どうなるの」
「おまえは王妃として敬われず、イニス・グレーネはかの民に貶められるでしょう」
 アマリアは目をみはり、じぶんがただの人質などではないことをさとった。
 彼女に与えられた評価は、そのままイニス・グレーネに対する評価ともなる。彼女は敵地にあって故郷そのものを体現する存在となるのだ。
「おまえが行くところは敵陣です。立場をわきまえて、けして軽率な行動はとらないこと。レーヴェンイェルムの殿がおまえを気に入るとよいのだけれど」
 ダルウラは不安げな娘をかき抱いて髪にくちづけた。
「だいじょうぶ。おまえならできます。イニス・ファールの者どもに思い知らせておやり。じぶんたちがいかに傲慢で、不遜な行為をわれらにせまったかをね」
「わかったわ」
 アマリアは決然として言い、母親の頬にくちづけた。
「平気よ。アマリアはイニス・グレーネの世継。イニス・グレーネのためになすべきことは、心得ています」
 ダルウラはふと顔を曇らせ、娘の一途な榛の瞳をみつめた。
 女王は迷っていた。母としては、人質として差し出すのすら気がすすまぬ。だが、彼女がアマリアにさせようとしていることは、その立場をもあやうくさせる危険なことなのだ。
 けれどダルウラもイニス・グレーネの女王だった。イニス・ファールの若造などに愚弄されたまま、引き下がるわけにはゆかぬ。それは、クレヴィンに言われずともダルウラ自身、焼けつくように感じている。イニス・グレーネとして、ディアルスの裔としての誇りが許さない。
 女王は心の中で詫びながらアマリアを抱きしめた。この娘には、もう、会うことはないかもしれない。そんな予感がした。
「おまえに期待しているわ。アマリア」
 それからダルウラは娘のためにディアルスの印を唱えた。
 ディアドレの裔が彼女に危害を加えないように。それは護身の祈りだった。



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