昼食の後、一行は午前よりは足どりをはやめた。一日目の目的地、ロノスにたどりつくためには、少々歩みが遅すぎたとの指揮官の判断を受けてのことだ。
空はあいかわらず晴れていたが、すこし風がでできていた。窓におろした幕がゆれ、風が通り抜けてゆくので暑さは感じなくなったが、都から離れるにつれて道が悪くなり、馬車がゆれるようになった。
ただゆれるだけなら、馬に馴染んだアマリアにはどうということはない。
だが、鞍の上でゆられるのと、馬車の中でゆられるのとは、わけがちがった。状況が把握できない分、馬車のほうが対処しにくいのだ。
旅慣れないムールンはあきらかに酔っていた。口には出さず、表情にも変化はなかったが、顔色が悪い。
小言を言われる心配が減ったので歓迎すべきことと思われたが、口をひらけば舌を噛みそうだったし、アマリアのほうにも勝手をする元気はなかった。
気が重いままにはじめることは、たいてい、うまくゆかない。
小さいころからそうだった。しなければならない、けれど、やりたくないことをするのに、姉はあきらめはやく、義務と心得て、アマリアからすると不思議なほどに熱をもっておこなった。
アマリアはいつまでもこだわって、けっきょくはすることになっても反発心から熱が入らない。
だから、彼女のすることは両極端だと言われた。馬の世話や剣の稽古は進んでするくせに、織物や刺繍はひとつしあげるのに一年はかかる。
去年亡くなった姉は、ダルウラの跡を継ぐものとして理想的な人物と思われていた。それが産褥であっけなく世を去った。アマリアの先日までの地位は思いもかけないものだった。姉が生きていれば、彼女はけして世継などになりはしなかったろう。
そして、アマリアは力不足を見すかされたかのようにその地位をおろされた。
まるで、自分ひとりがもてあそばれているように、アマリアには思える。
イニス・グレーネの世継にされて、ひきずりおろされたのはともかく、クレヴィンを手に入れたと思った次の瞬間に、他の男の妻になれと言われる。だれもかれもが、ことばは違えどおなじことばかりを繰り返す。イニス・グレーネのためにと。
クレヴィンですら、だれよりも彼女を愛すると誓うかれですら、アマリアがレーヴェンイェルムの奥方になることを疑わない。
ゆれつづけていた馬車がとまり、その場からうごかなくなったのは、いつもなら午後の休息をとっているころだった。
たえまない震動から開放されてアマリアは息をついた。
「どこまで来たのかしら。ロノスはまだ?」
クッションに寄りかかりながら尋ねると、やはり安堵したようすのムールンが、わかりかねると頭をふった。
馬車の横をあわただしく駆けてゆく馬のひづめの音が通りすぎた。
それまで眠っているように身うごきひとつ見せなかったエセルが、幕を端へよせて外をのぞき見た。侍女はさっとからだを緊張させると窓から身をはなさずに言った。
「ここはまだロノスじゃありません。その手前のノルデン峠です。なにかがあったようですわ。騎士たちが前方に集まっています」
「なにかって、なに」
「よいことではなさそうですね」
好奇心むきだしのアマリアに不機嫌な一瞥をおくると、ムールンは侍女に命令した。
「だれかを捕まえて、聞き出しなさい」
エセルは即座に馬車を出て、情報を求めに行った。
彼女が戻るまでにしばらくかかったが、ムールンが開いたままの窓をとがめなかったので、アマリアは衣ずれをさせないように気をくばりながら窓ににじりよった。
外の世界は昼食をとったときよりもだいぶ年をとり、影が長くのびるようになっていた。
馬車がとまっているのは穴ぼこだらけの挨っぽい道の上。大小さまざまの石が、轍のあとにも、そのほかのところにもころがっていたが、車輪や馬に支障をもたらすほどではない。
道が通っているのは、すでに草原ではなかった。アマリアに見えたかぎりでも、見通しはあまりよくない。道がまがっているうえに、両側にある木々が視界をさえぎるのだ。
アマリアは不安になった。
クレヴィンに対して抱いているようなものではない、純粋に予感のようなものだったが、なおのこと本能に近く、恐怖にもっとも似ているものだ。
風が匂う、とでもいうのか。具体的に指摘することのできる事実はないのに、感じる。ディアルスの裔たる民の、女王の家系のもたらす感覚なのかもしれない。
ノルデン峠といえば、旅慣れたものでさえ用心を怠らぬ、危険なところと聞かされている。その記憶がいまいる場所を余計胡乱に見せているのだろうか。
エセルが戻ってくるとまずムールンが説明を促した。彼女はアマリアにうなずきかけると前方で見聞きしてきたことを告げた。
「まず、ここはさきほど申し上げましたようにノルデン峠の近くだそうです。ロノスまではあと三刻強ほどかかるところです」
「それなら、急がなければネヘカの刻までにロノスまでゆけないのではないの」
神殿にむかう花嫁は、闇と出会ってはならないとされているのだ。いまはまだ冬至前だが、日はかなり短くなってきている。
ムールンが慎重に尋ねると、エセルはうなずいた。
「問題は、この先の道に大岩が崩れ落ちていて、先へ進めないということです。道がすべて岩でふさがってしまって、通ることができないのです」
ふたりが理解したころあいをみはからって、エセルはつけくわえた。
「いま、岩をどかしているところですが、進めるようになるまでには時間がかかりそうです」
「なぜ、ベレックがそれを言いに来ないのです」
ムールンの非難じみた問いに、エセルは首をすくめそうになって、あわてた。
「じきじきに作業に参加なさっているのですわ」
あまりにも兄の性格そのものの答えに、アマリアは思わずくすくすと笑った。
ベレックはなんであろうと黙って見ていることができないのだ。はかがゆかない作業にいらついて、周囲が止めるのもきかずに岩をうごかしているのに違いない。
ムールンも口元にしわを刻んでいたが、それは笑いなどではなかった、
「エセル。ここのまわりには、いま幾人の護衛がいましたか」
問われてエセルも顔をひきしめた。
「ひとりです。ベレックさまが、手のあいているものはすべて手伝うように命じたそうで」
「ベレック、あの役立たず! フィランが死んで、あの子が生き残ったことにはなにか意味があるのだろうかね。だれでもいいから、馬車の警護をおろそかにするなと言って連れてきなさい。もし、このようなところで盗賊にでも会ったら――」
エセルは怒られて馬車から叩きだされた。ムールンは窓にはりついて、外の様子をうかがいはじめる。
アマリアはもう外を見ようとはしなかった。さきほどの予感が急にふくれあがって、身動きができなくなったのだ。
ふいに感覚がとぎすまされて、アマリアは馬たちが落ち着かなげに地面を掻いている音を、うなりをあげている声を聞いた。
そのとき、空気を引き裂くような悲鳴があがって、時間が凍りついた。
悲鳴が警告している出来事について、かけめぐる思考にすこし遅れて、時間が溶けはじめる。
「後ろだ!」
男たちの声がするどい矢となってまわりじゅうを飛びかう。かんだかいいななきが響きわたり、混乱にひづめの乱れた音が拍車をかける。
「アマリア」
立ちあがり、馬車から出ようとするアマリアを、ムールンは服のたるみを掴んでひきとめた。
アマリアはかまわず扉を開けた。