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 矢が、音を立てて目の前をかすめていった。
 息をのんで、あたりを見渡した。
 行列は混乱していた。護衛の兵たちの多くは前方での作業に借りだされていて、守備の陣形をとることができない。かれらはとりあえずの応戦体制をとろうとしていたが、あせりからことは順調に運んでいなかった。
 矢の飛んできたほうを見ると、壁のようにそそりたつ崖の上に人影があった。ひとりではない。
 一行を上方から取り囲むように弓をかまえ、矢をふりそそいでいる。
 アマリアは浮き足立つ護衛たちの中に兄の姿を探した。身を護るすべをもたない下男たちが、悲鳴をあげながら逃げまどう。ひとりの腕に矢が一本突き立っているのを見て、アマリアは馬車にしがみついた。
「中においでください。危険です!」
 大声で注意されてふりかえると、ひとりの騎士が飛んでくる矢を剣で叩き落としていた。
 エセルの言っていた護衛というのは、かれのことだろうか。
 アマリアは騎士のつけている紋章から、自分の知っている人間であることに気づいた。彼女はあちこちであがる悲鳴や剣戟の音に負けまいとして声をはりあげた。
「わたしに武器を貸して」
「アマリア!」
 ムールンが後ろから非難したが、アマリアは無視した。彼女は騎士に命令した。
「おまえの短剣をお貸し!」
 騎士が姫の気迫に圧されて短剣を渡すと、アマリアはそれを手に馬車から飛びおりた。
 同時に前方からも戦いの声があがった。敵は頭上のものだけではなかった。気がつくと、後方からも騎馬のものたちが押し寄せてくる。
「アマリアさまっ」
 戦いをよけながら駆け戻ってくるエセルが呼ぶのも聞かずに、アマリアは走った。
 からかうような甲高い笑い声が峠の道に響き渡る。それは馬に乗って襲いかかってくる敵が、勝利を確信してあげた鬨の声だった。
 剣と槍、斧の撃ちあう鋭い音の中を走りぬけ、アマリアは後ろにつながれている馬の中からフリストを見つけだした。栗毛の馬は血なまぐさい狂宴に興奮し、神経質に前脚で宙を掻いていた。
 アマリアはフリストを他の馬とむすびつけている綱をはずし、からみつく裾を乱暴にたくしあげなから背に飛び乗った。
 一行を襲っているのは盗賊の一団だった。ゆきあたりばったりの乱暴な追剥ぎではない。しっかりと統率された軍隊のようなうごきが、本物の軍隊であるはずの護衛たちをすっかり蹴散らしてしまっている。
 アマリアはベレックを探した。ムールンの言うとおり、兄は統率者としては無能なのかもしれないが、この場の混乱を鎮められるのは館代理のかれしかいないのだ。
 だが兄の姿は埃と戦闘の中にまぎれて見つからない。
 アマリアはフリストを行列の前方にむかわせようとしたが、騎馬の盗賊のひとりが彼女を見とがめて近づいてきた。
「よお、お嬢ちゃん。威勢がいいじゃねえか」
 獣じみた笑いを顔にはりつかせた男を見て、アマリアはその粗暴な表情に顔をゆがめた。
「きれいなおべベだ。どこかへお出かけかい? そのおべベをちょっと脱いでみせてくれねえかな。おっと」
 男はうすわらいをうかべたまま、突き出された剣の切っ先をかわした。
 アマリアは空を切った短剣をすばやくもどし、男の灰色の眼を睨みつけた。男は手にした偃月刀をかまえ、おかしそうにくちもとにしわをよせた。
「つかえるじゃねえか、嬢ちゃん。それなら」
 アマリアは男の一撃をかろうじてうけとめた。男はアマリアにかるく驚いてみせたが、彼女の手はびりびりと痺れた。アマリアは歯を食いしばって短剣を持ちかえた。
 男は一度、二度と偃月刀をうちおろした。
 アマリアはそれをかわし、手綱をひいてその場を離れようとした。フリストはすっかり興奮していたが、それでもまだ彼女の言うことを聞いた。前脚をふりあげて、敵を威嚇することまでした。が、相手がひるんだ隙を突こうしたかれらの前にあらたな敵があらわれた。
 アマリアはそのまま突っ切ろうとした。相手は黒い馬の腹をむけて彼女を迎え撃つ。
「おどき!」
 アマリアは叫んだ。敵はかすかに脇へうごく。だが、槍をかまえたままだ。
 アマリアは突っ込むのをあきらめて脇へそれようとした。その前方に天から槍が突き刺さってきた。
 地面に刺さった衝撃でふるえる槍を目の前にして、アマリアは息を呑んだ。周囲から近づいてくる大勢の盗賊たちの姿にも、気づいているのにうごくことができない。
 暴れるフリストを押さえられ、飛び乗ってきた盗賊に後ろからはがいじめにされて、はじめてアマリアは声をだした。声はことばにならず、からだも自由にならなかった。
 屈辱が胸をえぐった。手から短剣を奪いとられても、アマリアはなにも言わなかった。なにも言えなかった。熱い怒りに我を忘れていたからだ。
 騎馬の男が寄ってきて、アマリアの顎に手をかけた。埃と汗にまみれた不精髭だらけの顔が、うれしそうにほころんだ。
「ほう。べっぴんじゃねえか」
 アマリアは男の臭いと不潔さとに身をよじり、品さだめをするような言い方に顔をしかめた。大きな手の太い指が頬をまさぐってゆくのを歯をくいしばって耐えた。
 男は逃げようとするアマリアの腕をつかんで、もうひとりの男に笑いかけた。
「見ろよ、カーズ」
 アマリアは不覚をとる原因となった槍の持ち主が近づいてくるのをつよく睨んだ。
 黒馬の上に背筋をまっすぐのばした男は、髭だらけの直線的な顔に蓬髪を肩までたらし、やはり清潔とは言いがたいなりをしていたが、彼女をみすえる青い眼にからかいや好色の徴はなかった。
 冷徹にみつめられて、アマリアはかすかにひるんだ。カーズと呼ばれた男のまなざしには、なにかしら冷えびえとしたものがあった。
 アマリアは急におのれの立場を悟らされた。いまの彼女は無力な虜でしかないのだ。
「こいつはおれのものにするぞ。いいな?」
 くびすじをまさぐられながら、アマリアはカーズを睨みつづけた。カーズは娘のまなざしにさしたる感銘をうけたようすもなく、ただ事務的に答える。
「かしらに断れ。おれに否やはない」
 馬からおろされ、盗賊に奪われた荷馬車の上にひったてられながら、アマリアはエセルやムールンの姿を求めた。
 地には深手を負ってたおれた下男や、騎士たちの亡骸がよこたわるほか、どすぐろく変色した血液がしみこんでいた。たちのぼる金気臭いにおいに咳き込みそうになる。
 しかし、死者の中にも、また彼女とともに荷馬車に乗せられた侍女の中にも彼女たちはいず、また、ベレックの姿も見えない。
 アマリアは荷馬車にゆられながら、埃にまみれ、かぎざきのできた服の裾をなおした。
 ともに捕らえられた数人の侍女たちはみなおびえ、すすり泣いている。仕えている姫君をなぐさめようなどと考えるものは、だれもいなかった。待ちうけている運命への恐怖に、みな自分のことだけで精一杯だった。
 めつきの悪い男たちの群れにかこまれて進む荷馬車の上で、アマリアはまわりの景色を脳裏に刻みつけていた。



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