荷馬車の不快な振動がようやくとまったのは、太陽が地に没し、青い闇が地表をおおいはじめるころだった。
たどりついたのは、どこか生い茂った木々にとりかこまれた、小さな谷間のようなところだった。周囲から隔絶した、離れ里らしい。もともとが濃い色の葉をつける木々は、いまは宵闇に黒い影となって沈み、あたかも大きな生きものの寝姿のように不気味に見えた。
一行が小さな集落に近づくと歓声があがり、煙の立つ粗末な家々から人々が飛び出してきた。
「ラドク!」
先頭にたって走ってきた少女が抱きついたのは、あの灰色の眼の男。いやらしい手で、アマリアの肌をなでまわした男だった。
「きょうはなにを見つけた? あたしにもなにかある?」
「よっく眼をあけて見るんだぜ、リル。きょうの獲物は極上だぞ!」
「みせて、みせて」
横からやってきた者に馬を任せて、男は少女を抱きあげ、肩に乗せた。
少女は笑いながら男の首にかじりついた。
少女と男は人気者のようだった。盗賊たちはふたりが近づくとかならず声をかけ、狩りの上首尾をよろこびあっている。
かれらはこの日の獲物にいたく満足していた。極上の装身具、極上の調度、極上の織物。すべてがいままで眼にしてきたいかなるものよりも上等だった。それが荷馬車に三台分もあるのだ。盗賊たちは意気揚揚としていた。
アマリアは自分の花嫁支度が粗野な手によって鷲掴みされ、運ばれてゆくのを、皮肉な気分でながめていた。
イニス・グレーネのたくわえた富が、値打ちもわからぬものどものふところにしまいこまれる。女王が手ずから選び、ととのえた品々。あるいは、乳母や侍女たちが、寝る間も惜しんで編みつづけたレースや、たくさんの白いリネン。宝石や金銀細工は、宝物庫にある由緒正しいものばかりを選んできた。
それらはイニス・ファールからアマリアの父アーギルを購うために用意されたものだった。さきの戦で捕虜になった女王の伴侶、お館と呼ばれる武の統率者である。
アマリアは笑いたくなった。彼女の持参品は父親の身の代。彼女自身も、父の代わりに人質になりにゆく、身の代のようなものだった。それが、いまではすべて盗賊のものなのだ。
ラドクはにやけた笑顔でアマリアのいる荷馬車に近づいてきた。
「どうだ、リル。きょうの獲物のなかでいちばんの掘り出し物だ」
肩からおろされた少女は男よりも先にやってきて、侍女の中からあやまたず「掘り出し物」を見つけた。
まだ十にも満たないような、あどけない顔をした少女だ。アマリアはまっすぐなまなざしをそのまま正直に受けとめた。
大きな、透きとおった瞳がアマリアの芯を見透かすようにほそめられる。刹那のあいだ、アマリアは息をとめていた。
少女はかすかな驚きの息をもらし、側にきた男を仰ぎ見た。
「ラドク、これはだめ」
少女はアマリアになにを見たのか、必死の顔つきで男に言いつけた。
「これはだめだよ。さわっちゃいけないものだ」
「なに言いだすんだよ、え?」
男はあきれたようすで腰までしかない少女の頭をなでまわした。無造作になでるので髪の毛はくしゃくしゃになった。少女は頬をふくらませて抗議する。
「だって、だめなんだもん」
言うそばから、ちらちらとアマリアに眼をやる。おそろしいものがまだそこにいることを確かめているとでもいうように。
「ばかだなあ。おまえはなにが言いてえんだよ」
男はアマリアの腕をひっつかんで、ぐいとひきよせた。アマリアはバランスを失って、荷馬車の縁にしがみつく。その一瞬をついて、男は彼女を横抱きにして荷馬車からおろした。
少女はいきなり間近にやってきたアマリアに、おびえたように後ろに下がった。それを見て男は笑った。少女はきずついた顔をきっとひきしめて、
「ばかはラドクだ」
と叫ぶなり、くるりと身をひるがえして駆けていってしまった。
「なんだあ、あいつは」
ぼやきながら戦利品の肩に手をまわしたラドクは、アマリアにむかってはにやりと笑ってみせた。
「妬いてやがるんかな」
アマリアはからだじゅうをこわばらせて男を睨みつけた。
「あの子の言うとおりよ。離れなさい」
男は肩から腰へとなれなれしく手をうごかしていきながら、アマリアに顔を近づけてきた。
「気の強い嬢ちゃんだな。もしかして、おまえ、まだ未通娘か」
アマリアはカッとなって男の鳩尾をこぶしで殴った。
「なんて下品なことを言う男なの」
アマリアは、からだを折って咳きこんでいる男にむかって嫌悪と軽蔑をあらわにした。
「おまえはけだものだわ。人のものを奪って、命を奪って、なのにそうして笑っていられるなんて、どういう神経をしているのよ」
荷車から侍女のひとりが袖をひき、やめるようにと懇願していたが、アマリアはやめなかった。
「それにどう? この薄汚いなりは。あかじみて、汗まみれで、臭くて鼻が曲がりそう。側へ寄らないでよ、穢らわしい。こんな不潔な生きものがいるなんて、信じられない。まったく、人のものをよこどりして生きているものどものなりには違いないわ」
アマリアは神経質に笑いながら、一方で泣きだしたい衝動にかられていた。これほどまでに人を悪しざまに罵ったことはなかった。じぶんの汚いことばに怒りをもって集まってきた人々の憎悪の視線が痛い。おびえながら諌めようとする侍女たちのことばは、耳に入らなかった。
アマリアの口を閉じたのは、怒りに満ちた男の拳だった。
殴られた衝撃でアマリアは荷車に背中をぶつけ、よろめいた。
火のような痛みが口元を焼いた。涙がにじんできたが、泣きはしなかった。顔をあげて前を見ると、すぐさま大きな手で胸ぐらをつかまれ、地に足がつかなくなった。
「たしかにおれたちゃ、薄汚ねえドロボウだよ。だがな」
ラドクの声は怒りで低められ、はりつめていた。暗かったので、相手の表情は見えなかったがひどく憤慨していることは確かだ。
アマリアは吐きかけられる息にさらに嫌悪をかきたてられたが、今度は顔をそらそうとはしなかった。それをすれば、負けを認めることになる。
「てめえはその、汚ねえ野郎の持ち物なんだぜ」
「そんなこと、だれが決めたのよ」
アマリアは男の頬に平手を見舞った。
「この女!」
男は罵りながらアマリアを地に叩きつけ、なおも殴りかかろうとした。
拳がふりあげられるのが頭上高く見えた。アマリアはつぎにくる痛みを待ち受けて、身を硬くした。
だが、痛みは襲ってこなかった。アマリアは一瞬、男が自分の上で息を呑むのを感じた。ラドクの攻撃を腕一本で封じたのは、かれよりもひとまわり大柄な男だった。
「カーズ」
ラドクは弾かれたように立ちあがると、自分の腕をつかんだまま、はなそうとしない男にくってかかった。
「はなせよ、ばかやろう。邪魔するな」
カーズは悪態を無視して、暴れるラドクをアマリアからひきはなした。
その間中、ラドクは腕をふりほどこうと躍起になっていたが、力をこめているようでもないのにびくともしない。ラドクは皆に不様な姿を見られて、ますます頭に血をのぼらせ、わめきちらした。
「見苦しいまねをするな、ラドク」
「おれに恥をかかせてんのは、てめえだろうが」
「おまえはまだ、おかしらに許しをもらっていない。この娘はまだ、おかしらのものだ」
「許しなんざ、いつでももらってやるさ」
「もらってからにしろ」
カーズが静かに、だが断固としてせまると、ラドクは不満顔ながらもしぶしぶとうなずいた。
まわりのものも、消極的ながらこの結果に納得したようだった。
女たちが祝宴の支度ができたとふれまわり、盗賊たちは戦利品を持ってそれぞれに自慢話をしながら去ってゆく。
ラドクはふてくされたまま、さっさと宴に行ってしまった。
侍女たちは、ひとり、またひとりとひったてられるように連れてゆかれたが、アマリアにだけはだれも手を出そうとしなかった。
少女がラドクに警告したことは知らなくとも、ラドクとの大立ちまわりを見ていたのだ。恐れをなして当然だった。
アマリアはあたりがすっかり暗くなってしまってからも、しばらくは荷車にもたれたまま、地面にすわりこんでいた。
殴られた口元はじんじんと痺れ、口の中が切れて血の味がする。顎はがくがくしていた。ぶつけた背中は、あざになっているかもしれない。
いったい、なにをしているのだろう。
アマリアは膝をかかえてじぶんの血を味わった。頭が冷えるとおろかな行為がなにをもたらしたのかが見えてくる。
ばかみたいに素手で男にむかっていったりして、結果は傷とあざと痛みしか残らない。おまけに、ここのものたちすべてに警戒心を植えつけてしまった。
彼女は心の中でクレヴィンの名を呼び、従兄はこのことを知りようがないのだといまさらのように悟った。
かれはアマリアが神殿にむかっていると信じているだろう。一行が盗賊に襲われたことを知らされたとしても、どこに連れ去られたのかまではわかるまい。
「痛むのか」
おどろいて顔をあげると、そこにいたのはカーズと呼ばれた男だった。
アマリアはからだがかすかにふるえるのを感じた。ラドクよりもこの男のほうが恐かった。男のまとう静けさには、得体のしれないものがある。
それでも彼女は頭をそびやかし、男を見かえした。
「宴がはじまる。――かしらが待っている」
男は言いたいことはほかにあるのだが、言いだせないもののように重い口調で言った。
アマリアはきれいに結いあげてあったのに、乱れてばらばらになってしまった髪をかきあげた。
「わたしは、だれのものでもないわよ」
男はアマリアの腕を乱暴につかんで、むりやりに立たせた。
「それはしかるべき者の決めることだ」