prev 一角獣の虜[Chapter 3-8] next

 盗賊たちは自分たちがつれてきた奴隷の発する思いもかけぬふるまいに気圧されて、しずまりかえった。鶏の卵と信じていたものから、突如、蜥蜴が生まれてきたかのような驚きが、かれらを支配していた。
 だが、アマリアがそのとき思ったように、盗賊たちが彼女の権威に畏れをなし、平服することにしたわけではないことは、すぐに判明した。
 アマリアが見すえる目の前で、わずかのあいだつづいた静寂は大きな笑い声で破られた。
 かしらは喉の奥が見えそうなほどに大口をひらいて、生まれてこのかた、これほどおかしかったことはないといった馬鹿笑いをし、それにつられてラドクも笑いはじめた。
 ふたりの笑う姿に刺激されて、盗賊たちも笑いだし、しまいにはヒステリックになってのたうちまわるものまででた。
 アマリアは顔を朱に染めて許しがたい行為に抗議した。
「なにがおかしいの。笑うのをおやめ。これ以上の侮辱は許さないわ」
 にぎりしめた拳をふるわせて叫ぶ娘に、盗賊のかしらはこみあげる笑いをとどめようともせずに言う。
「おまえ、ほんとうに、イニス・グレーネの姫だというのか」
 自分のことばを信じない人間がいるということにアマリアは衝撃を受けた。
「イニス・グレーネはレーヴェンイェルムの奸計にかかって、壊滅状態だそうじゃねえか。そこのおひいさんが、なんだっていまごろこんなとこをほっついてるんだね。え?」
 かしらはねばつく視線をアマリアにむけながらくちびるを楽しげにゆがめた。敵の名を耳にしてさらに屈辱的なことを思い出したアマリアは、恨みをこめて男を見た。下賤の者にこんなことを言われなければならない理由がわからなかった。
「もし、おまえがイニス・グレーネのアマリアだとしても、それがいったいなんだって言うんだ。おまえを救けにくるやつなんか、いやしねえ。おまえはここで最高の狩人の女になるか、売っぱらわれるかのどっちかの運命だ」
 男はまだ笑いころげている弟ににやにやしながら尋ねた。
「おまえ、このお嬢を本気で欲しがってるのか。こんなに気の強いやつは、おまえの手には負えんぞ。やめたがいい」
 これに対してラドクは胸を張って答える。
「だいじょうぶ。おれはこれでも女をのりこなすのは得意なんだ。そうだよな」
 まわりの笑いが下品なものになり、かしらはとうとう侍女を分配するについての決定を下そうとした。
 そのとき、それまでかしらの座す椅子の足元でまるくなって焼いた肉をほおばっていた少女が、やおら必死の形相で訴えはじめなければ、アマリアはラドクの持ち物にされてしまっただろう。
 それはたしかに夕方ラドクにまつわりついていた、リルという名の少女だった。夕方もそうだったが、彼女は真剣そのものだった。
「父ちゃん、だめだよ、この女はだめだ」
 かしらは突然の、それも娘からの抗議に怪訝そうに肩を寄せた。
「なんだ、リル」
 リルは父親の服の裾をつかんでひっぱっていた。ことばがたりなくて、もどかしげにくびをふる。言いたいことはあるのに、理解を得られるように話すことができない。自分に対するふがいなさが焦りになる。
「だめだよ、ラドクにあげちゃだめ」
 かしらは、その場のだれもがそうだったろうが、少女のことばが理解できない。ラドクは夕方の言い合いをむしかえされて、不機嫌をあらわにしている。かしらはもっと穏やかだったが、決定を妨げられて不快は隠しようもなかった。
「将もない。おまえはまた夢でも見たんだな。それとも、ラドクに妬いてるのか」
 そう言ってからじぶんの思いつきを気に入ったらしく、そうかとばかりに少女を抱きよせた。
「おまえがラドクを好いてるのは、父ちゃんにはようくわかっとるぞ。だがな、リル。いまのおまえは、まだ男を満足させるにはたりんのだ。わかれといっても、無理だろうがな」
 呵呵と笑われて、その意味はわからないながら少女はじぶんの意図が理解されなかったことだけは気づいた。リルは父親の腕をふりほどいて、かんしゃくを起こした。
「ちがうってば、こいつに触ったら、わるいことが起こるんだよ。なんでわかんないの。この女は、特別なんだよ。ふつうとは違うんだよ」
 全身で主張する少女に、同意するものはいなかった。
 囚われの侍女たちには、アマリアが特別の存在であるという思いいれはあった。だが、盗賊の虜となり果て、生きるか死ぬかというときに、他人の弁護などできるはずもない。さらに、触れれば災いがふりかかるなどということばに、同意できようはずがない。
 かしらは娘があまりにも言い張るので、次第に不機嫌になってきた。
 ラドクはまなざしで決定を迫るが、そのまま弟にあたえれば娘のかんしゃくはおさまらぬ。
 しかし、いくらかわいい娘が言ったことだろうと、たわけたことばを鵜呑みにする気もない。もちろん、獲物は処分しなければならないのだ。
 かれはさきほど女はいらぬとつっぱねた背後の男を見た。
 カーズはことのなりゆきにまるで無関心のように見えた。うっそりとした髭面に、凍ったようにうごかぬまなざしで、ただリルとかれらをながめている。
「カーズ。おまえ、どう思う」
 問われた男はかすかに頬を痙撃させた。自分にお鉢がまわってくるとは、考えもしなかったのだろう。
 だが、カーズは「は」と、かしらに頭を下げるとその娘と弟のふたりに見つめられながら慎重に答えた。
「奥方の側の者とすればいい。あの老婆ばかりでは、こころも晴れまい」
 ラドクが冗談じゃないと抗議する前に、かしらはカーズに訊ねた。
「ジェーナがよくなる、というのか」
 懐疑的ではあったが期待がこもった問いに、カーズは答える。
「すくなくとも、リルの主張の真偽については、そのうちにわかるだろう」
 リルがはっとなって男を見かえすのに気づいたのは、おそらくアマリアひとりであったろう。
 ラドクは自分の望みが聞き届けられず、またしてもカーズに恥をかかされたと顔を真っ赤にして怒っていたし、盗賊たちはかしらの弟と右腕と目される男との確執をそれほど深刻にはうけとめず、さかんにあおりたてるようなことをわめきあっていた。
 かしらはこの騒ぎを腕のひとふりでやめさせた。
「よし、この姫君はジェーナにやることにする」
 そう言い放った男を、アマリアはもう一度、つよく睨んでやったが、なんの効果もなかった。
「ラドク、おまえは他の女にしろ。文句は言うな」
 憤懣やるかたなしという目つきの若い盗賊は、先に口封じをされてますます剣呑な顔になった。かれは怒りの矛先をリルとカーズにむけた。少女は敏感にそれを感じとり、救けを求めて逃げだしたが、カーズに隠れる場所はなかった。
 ラドクはカーズにむかって笑いかけた。
 一瞬ののち、ラドクの拳はカーズの左頬にのめりこんでいた。
 よろめきながら打たれた頬を押さえる男に、ラドクは呪いのことばを吐きかけていた。
「てめえなんぞ、ゲルドールズの釜に食われちまえ。おれの邪魔ばかりしやがって。どうせ、奥方のものはてめえのものだ。いらねえって言ったそばから、じつはてめえの手の中に入れちまおうって魂胆だったんじゃねえのかよ」
 地獄の主の名を聞いて青ざめるまわりとはべつに、かしらはとうとう本気で怒りだした。
「ラドク、いくらおまえでも言っていいことと悪いことがある。ジェーナはおれの女房だ。いま、おまえはなんと言った。え? なんと言った」
 盗賊のかしらは逆上した刃物のような視線で弟を睨めつけた。
 男が立ちあがり、ゆっくりと歩み寄る姿は、あたかも怒りの炎のみでつくりあげられたという神々の獣のように情け容赦がなかった。
 ラドクは喉くびを押さえつけられてふるえていた。あれほど傍若無人だった男が身も世もなく怯えている姿を見、アマリアはかしらの怒りの凄ましさを思い知らされた。
 空気が雷雨の直前のようにはりつめている。
「な…なにも…なにも言わねえよ、あにき――」
 息のかかるほどすぐそばに自分の兄の顔を見ながら、視線をそらすこともできずに懸命に応えた。
「そうか。それならいい。カーズにももう、つっかかるな」
 何度もうなずくラドクをその場にほうりだすと、かしらは膝をついたままのカーズに命じた。
「あとのことはおまえに任せるぜ。おれはもう寝る」
 かしらが踵をかえして去ってゆくと、あとにはしらけた宴の席が残された。
 盗賊たちは幾人かの途中でぬけだしたものをのぞいてはそれぞれに勝手に酒を飲みつづけた。
 ラドクは慕ってくる女たちになぐさめられ、カーズは命じられたとおりに残された荷を分配した。
 その中で侍女たちはてんでに男たちにひっぱっていかれ、ひとりアマリアのみがかしらの命によってとりおかれた。
 カーズはアマリアを蒸し暑い炉の側からひいやりとした暗がりへと連れていった。
 必要以外のことばは口にせず、ただ、来いとだけ告げる男の傲慢さに、アマリアは消えかけていた怒りを燃えたたせようとした。
「どこへ連れてゆくつもり」
 訊ねても答えは返ってこない。建物の外に出て月あかりの下を進んでゆきながら、男は無言だった。
 アマリアは自負心を傷つけられてなおも応答を得ようとする。
「わたしはおまえたちの持ち物ではないと、何度も言っているでしょう。わたしをイニス・グレーネに返しなさい」
 夜風が、うすものの服しか身につけていないアマリアの汗ばんだ肌を冷やしてゆく。背筋に悪寒が走るのを感じて、彼女はこころぼそさをふたたび感じた。
 旅が順調であれば、いまごろは宿のあたたかい寝台の夜具の中で疲れたからだを休めているはずだった。お腹がこれほど空くこともなかったろうし、伯母がなつかしく思われることもなかったに違いない。
 エセルやムールン伯母は、ベレックは、どうしているのだろう。無事だろうか。彼女を探してくれているだろうか。
 とりあえず、ラドクの慰みものになることからは免れたものの、このままここにいてどんな運命が待ち受けているかと思うと、生きたここちがしなかった。むろん、こんな不安や恐怖を盗賊たちに悟られてはならない。
 けれど、この男、カーズというこの男のまなざしからは、どんなことであろうと隠しおおせることができようとは思えなかった。
 ラドクが言うように、カーズはじぶんを手に入れたいのだろうか。そのために、こうして歩いているのだろうか。
 カーズは盗賊の棲み処であるいくつかの粗末な木造の小屋の間を通りすぎ、樹間に足を踏み入れた。
 アマリアは足元もおぼつかぬ暗闇に畏れをいだき、あとにつづくことを躊躇した。彼女のうごきが鈍ったことに気づいて、カーズは低い声で咎めた。
「どうした。来い」
「いったい、どこへ連れてゆくつもりなの」
 非難は、声がふるえているため悲鳴めいて聞こえた。
「わたしはイニス・グレーネの世継だった女よ。こんなことをして、ドゥアラスの者が黙っていると思うの」
 脅迫にならないことばに、カーズはいらだたしげに命令を返す。
「来いと言ってるんだ」
「いや」
 逃げだそうとしたアマリアは、がっしりとした手で捕らえられた。まるで暗闇でも目が見えるような無駄のないうごきだった、
 アマリアは今度こそ、ほんとうに悲鳴をあげようとした。
 ラドクでもいいから、この場を救ってもらいたかった。だが、あまりの恐ろしさに声がでない。カーズの手が触れたところからからだが凍りついていくようだった。



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