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第四章



 盗賊たちが獲物を抱えて去ってゆき、もう戻ってはこないと確信したのちに、エセルははりつめていたからだから力を抜いた。
 彼女は盗賊たちが攻撃をかけてきたのとは反対の樹間に、ムールンとともに身を隠していた。
 いつ見つけられてもおかしくはない隠れ場所だったが、盗賊たちがたくさんの荷車と飛び出していったアマリアに気をとられたおかげで、どうやら難を免れることができた。
 逃げまどっていた侍女たちの多くが殺されたり捕われたりしたのを見ていたので、助かったのは幸運であることはわかっていた。彼女は心の中でディアルスに感謝を捧げた。
 これで二度も命を救けられたことになる。
 エセルは立ちあがろうとして笑う膝に無理に力をこめた。かくまってくれた樹の幹にからだをもたせかけながらなんとか立ちあがると、彼女は盗賊の襲撃がもたらした掠奪と破壊の跡を見渡した。
 そこにうごいているものはなかった。
 かたむきかけた太陽の光が落とす黒々とした影が、つむじ風のように去っていった獣の爪痕を深くうかびあがらせていた。
 荷のほとんどは失われていた。ほかには半壊した馬車と、戦いの果てに力尽き横たわる騎士たち。そしてその愛馬たち。かれらの多くは血に染まり、息がないように見えた。下男たちも多くが命を落としていた。
 エセルは樹にしがみつき、息をついた。恐怖はまだからだじゅうを支配している。
「なんてこと」
 足元で声がして、ムールンが正気づいたことが知れた。侍女頭はエセルがひきずるようにして混乱の中をここまで運れてくる途中で、下男のひとりの生首を投げつけられ、気を失っていたのだ。
「なんとひどいことを。ディアルスよ、これはあなたさまのお考えではありますまい。いったい、わがイニス・グレーネがこのような仕打ちを受けるなにをしたというのだろう」
 蒼冷めた顔をひきつらせたまま、ぶつぶつとつぶやいていた女王の従姉妹ははっとしたようにあたりを見まわした。
「アマリアはどこ」
 草叢から這いだしたムールンは荒らされた街道に残された惨状をあらためてながめ、姪の姿が見つからぬことに困惑の表情だった。
 エセルは、答えを求めてふりかえった目上の女性に、仕方なく事実を話した。
「盗賊に、連れてゆかれたのです」
 うつろだった眼が、あたかも氷のつぶてをぶつけられたかのように見ひらかれ、口が半開きになった。
 エセルはとりみだしたムールンをつとめて見ないようにして、くりかえした。
「盗賊がアマリアさまを連れていってしまったんです」
「なんですって」
 ムールンの声には信じがたい出来事にたいする驚きと恐怖がふくまれていた。侍女の言うことなど認めたくはないのだが、認めずにはいられない。それ以外に現在の状況を説明することばがないことを、彼女自身も悟っていたのだ。
 ムールンははじめの驚きがおさまると、かわって怒りを募らせた。彼女はエセルになぜ阻止できなかったのかと聞きかけてやめた。実際的な性格だったので、エセルがどのようにがんばってもアマリアを救うことはできず、むしろふたりとも捕らえられてしまったに違いないことを推察したのだ。すくなくとも、エセルはひとりの命を救っている。
「申し訳ございません」
 頭を垂れるエセルにムールンは無関心な一瞥をあたえた。
「とにかく、いつまでもこうしているわけにもいくまいね」
「はい」
 エセルとムールンは、一行の残骸と倒れている者たちを検分してまわった。その結果、はじめの見立てどおり、荷は残らず持ち去られ、随員の半分はすでに死んでおり、もう半分も自力でうごくことができないほどの怪我を負っていて、ほとんど生き延びる望みはないだろうことがわかった。盗賊のやりくちは残忍そのもので、エセルは吐き気をこらえるのに苦労した。かれらに意識がないことだけが、救いだった。
 それから彼女たちは行く手をふさいでいたという岩のところに行き、やはり荒らされているその場を見やった。
 岩は、道をふさぐのに頃合いの大きさをしており、まるで測ったようにきっちりと端から端までをふさいでいた。
 さらに、大岩よりは小さい、大小さまざまの岩が散らばっていた。そのまわりには下男たちがたくさん倒れており、この者たちの死の原因は太刀傷や矢傷のような戦によるものではなく、崩れてきた岩にあたったためであるらしいこともわかった。
 盗賊たちが襲ってきたときに反撃が遅れたのは、崖崩れがすでに隊列に混乱をもたらしていたからだったのだ。
「ちょっと」
 岩の向こうになにかがあることに気づいたエセルが、道からはずれていこうとしたときに、ムールンが呼んだ。
 ふりかえると、侍女頭はおりかさなって倒れている下男たちを見つめて神妙な顔をしている。
 エセルが駆けつけるとムールンは下をゆびさした。
「ベレックよ」
 エセルはムールンを見かえした。彼女はうなずき、つぎにくちもとをこわばらせた。
「はたいてでも起こしなさい」
 エセルは言われるまでもなく行動を起こしていた。彼女はベレックの上に乗っていた下男たちを転がして落とした。男ふたりの死体の下に、女王の次男はいた。外傷は額のこぶだけ。かれは生きていた。
「ベレックさま、起きてください。ベレックさま」
 何度か呼びかけながらからだをゆすると、ベレックはうなり声をあげた。が、眼は覚まさない。
 エセルはベレックの大きなからだをゆするのに、腕がだるくなってきた。横ではムールンがもっときつい声で甥の名を呼んでいた。
「ベレック、起きなさい、この役立たず。いつまで寝ているの、いいかげんにおし!」
 ムールンがとうとう本気で頬を殴れという命令をくだしたとき、ベレックはうっすらと目を開いた。
「ああ、おまえはだれだ」
 のぞきこんでいるエセルの顔を見て、ベレックは驚いたように尋ねた。
「ここでなにをしている」
 エセルはムールンを見あげて指示をあおいだ。その視線を追って、ベレックは伯母に気づき、一蓮托生でほかのことも思い出したらしい。
 かれははじかれたように身を起こし、ついで頭をおさえて悲鳴をあげた。
「思い出したぞ、岩をどかそうとしてたんだ。そこへまた、岩が降ってきた」
 そこでベレックはムールンの険しい顔を見た。
「おれは気絶してたのか」
 返答はなかった。ベレックはとげとげしい雰囲気をようやく察した。かれはムールンの服にこびりついた血の染みと、あたりにころがっている死体とに気づいて立ちあがり、かれの率いてきた一行の現在と遅まきながらむきあった。
 ベレックは目の前にひろがっている光景にむかってどなった。
「なんだ、これは」
 空になった荷車、倒れたままの男たちに躯けよって、ベレックはどなりつづけた。
「いったいどういうことだ。なにがあったんだ。伯母上、説明してくれ。どうしてこんなことを許したんだ」
 騎士たちの遺体をひとつひとつ確かめながら、ベレックは呪いのことばを吐きつづけた。あまりにも多くの罪深いことばに、エセルは耳をふさぎたくなった。ベレックは自分の身を救ってくれた祖先の神をも罵ってみせた。ベレックの呪いはそそりたつ崖とつらなる樹木のあいだに無意味にすいこまれていった。
 最後の呪いを吐きだして肩で息をしながら戻ってきたベレックは、ムールンに怒りと憎悪に燃えたまなざしをむけた。
「どこのどいつだ、こんなことをしやがったのは」
「尋ねてどうするの」
 ひややかなムールンの問いに、ベレックは肩をあげて答える。
「復讐するんだ」
 わかりきったことを尋ねる伯母に、ベレックはいらだたしげだ。ムールンはそんな甥にはかまわず、淡々とした口調でつづける。
「そんなことよりも、もっと大事なことがあります。アマリアが連れ去られてしまったのよ」
「それもやつらの仕業なんだろう。ならば一刻もはやく、そいつらをとっつかまえなきゃならないじゃないか」
 ベレックはいきりたった。拳をふりまわしていまにもとんでゆきそうな甥に、ムールンは鋭い一瞥をあたえた。
「たったひとりで、どのようにしてアマリアを救いだすというの。あの子がどこに連れていかれたかもわからないというのに。もっと冷静にものを考えなさい」
 たしなめられていっそう不機嫌になったベレックを、エセルが横からなだめた。
「ベレックさま。いずれにしろ、そのようなことをしているひまは、ございませんわ。私たち、明日中には一角獣の館に入っていなければならないのですから」
「アマリアがおらんのに、神殿なぞに行ってどうする」
 ベレックは侍女の差し出口にカッとしてどなりつけた。エセルは顔をふせて身をちぢめ、謝ったが、ムールンはベレックの短気にますます機嫌をわるくした。
「たしかにおまえの言うとおり、アマリアなしで神殿に入るのは無意味ですよ。けれどね、アマリアがいなくなったとイニス・ファールに悟られれば我々は破滅なのです。レーヴェンイェルムの殿はアマリアとの婚姻とひきかえに休戦を承諾したのだから、この婚儀が予定どおりにすすまないとなれば、約束の不履行を申し立てて攻め入ってくることだとて考えられるのだからね」
 むっつりと口を閉ざして、ベレックは言われたことを考えているようだった。
 エセルはムールンがなにを考えているのか推測しようとしていた。女王の従姉妹はおそらく、アマリアとレーヴェンイェルムの殿との婚礼を、なにがあろうと成し遂げるつもりなのだ。この婚儀には彼女のことばどおり、イニス・グレーネのすべてがかかっている。女王の伴侶アーギルをとりもどし、壊滅状態の軍をたてなおすための時間をかせぐためには、アマリアは絶対に輿入しなければならない。
 たとえ、アマリア本人がいなくなろうと、だ。
 ようやく切羽つまった事態がのみこめたベレックが、苦虫を噛みつぶしたような顔で尋ねた。
「だが、アマリアなしでどうやって婚儀をするんだ」
 ムールンは甥のめぐりの悪さにため息をついたが、もう文句は言わなかった。
「こうなった以上、一度ゴス・グラインに戻らねばなるまいね。女王陛下にご相談申し上げねば。どうだろう、ベレック」
 ベレックは話をそらされたことに気分を害したようだが、提案されたことに否やはなかった。
「それなら、どうやって都に戻るかだな」
 馬車や荷車を牽いていた馬は、とうの昔に連れ去られていた。騎士たちの乗馬は、抵抗のさなかに殺されたか、あるいは戦闘におびえて逃げてしまっている。たくさんの荷を運びながら花嫁をつれての道中がいくらのろのろであったとしても、ゴス・グラインまでは歩いて戻れるような距離ではない。
「ムールンさま」
 それまで黙っていたエセルが、さきほど発見したもののことを思い出して言った。
「この岩のむこうに、馬がおりますわ。二頭です」
「それをはやく言え」
 先頭をつとめていた荷車の上に岩が転がり落ちてきたことを、ころりと忘れていたベレックは侍女を叱りつけた。
 エセルの言ったとおり、岩の反対側では二頭の馬が落ちつかなげに足踏みをしていた。岩は運よく馬にはあたらなかったらしい。荷車はおし潰されて見るかげもなかった。
 この下に御者がいるのだと想像してエセルは顔をくもらせたが、ベレックのほうは無傷の馬に手ばなしの喜びようだ。
 エセルはベレックの後を追って反対側に出たが、馬以外の生存者は見あたらなかった。
 馬をひいてゆく途中でベレックは侍女の浮かぬげな表情を誤解して話しかけた。
「おれたちはつくづく運がよかったんだ。ディアルスは恩恵をあたえる相手を選ぶらしいぜ。おまえも救かったことに感謝して、不運な連中のことは忘れろ」
 驚いて顔をあげると、ベレックはくちもとに不敵な笑みをうかべていた。その瞳にじぶんに対する欲望をみとめたエセルは眼をそらし、かろうじて相槌をうった。
 この男は、自分がひきつれていたはずの兵士すべてが戦死したと信じているのだろうか。
 ムールンは多くの死体に動転して気づいていないのかもしれないが、十五人以上いた騎士とその従者の姿は、下男のものに混じっているとしても十人前後しか見えない。少なくとも三人の男が馬とともに行方をくらましているのだ。かれらはどこへ行ってしまったのだろうとは、考えないのだろうか。
 エセルは無意識のうちに、目の前の男と彼女が仕えることになった若者を比べていた。
 すくなくとも、聡明さにおいてどちらに軍配を揚げるべきかは、あきらかだった。



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