prev 一角獣の虜[Chapter 4-2] next

 三人がゴス・グラインに帰りついたのは、夜が更けてかなりたった後のことだった。
 前ぶれなしの到着に、門番はあからさまな不審をもってかれらにあたったが、ベレックに怒鳴りちらされてようよう門はひらかれた。
 門番はランプの光の中にうかびあがる姿にあわてて走りよってきた。
「いったい、どうなさったってんですか。今朝、あなたがたはイニス・ファールヘむかったんだとばかり…」
 女王の次男と侍女頭がここにいる理由がわからず、尋ねかけてムールンの厳しいまなざしに会い、門番は口を閉ざした。
「おまえを信用していいかしら」
 侍女頭は有無を言わさずにつづけた。
「私たちが戻ってきたことは、ほかのだれにも話さぬように。ここにはいつまでいるの」
 気おされた門番はどもりながら答えた。
「は、あの…ひ、日の出の六の刻までです」
「それでは七の刻に館に来るがよい。侍女頭のいいつけだと言えば、私にとりついでくれるようにしておくから。いいね」
 ムールンはそれだけ言うと馬を進めはじめた。
 おなじ馬の侍女頭の後に体をあずけていたエセルは、今度こそ、馬からおろしてもらおうとムールンに話しかけた。
 もう都にたどりついたのだから、これ以上恐縮しながら女王の従姉妹の後にへばりついている必要はないはずだ。
 だが、ムールンは気配を察するがはやいか、エセルに否定命令を下した。
「おまえには、一緒に館まで来てもらいます」
 彼女がなにを考えているのかをわからない点では、ベレックも同様だ。
 ムールンが余計なことはいうなと言いふくめておいたので、城門のところではかれも自重していた。だが、幾度尋ねても理由を話してもらえないので、ベレックは機嫌がわるい。
「伯母上とおなじ鞍の上にいて、居心地がよろしいわけはないだろう」
 ことさらに挑発するようなもの言いをする。
 なあと同意を求められて、エセルは困った。
「そういうわけではありませんわ。私ごときが馬に乗ったままで都に入るなど、不敬もいいところでございます。歩いてまいりますから、どうか、ここでおろしてください」
「時間を節約しているのよ。もういいから、おだまりなさい」
 ここまで言われては、観念するしかないようだった。
 ベレックは小さくなった侍女に遠慮のない嘲笑をあびせてくる。エセルはできうるかぎり顔に感情を出すまいとして、くちもとをひきしめた。
 館のそばまでやってきたとき、ムールンはエセルに裏門を開けてこいと命じた。城門の門番が申し出た先ぶれを断ったため、またもやひともめがあることを嫌って、まず侍女に連絡をとらせることにしたのだ。
 エセルはムールンにドゥアラス家の紋章の入った指環を持たされた。銀製のかなり年季の入ったものだが、手入れがゆきとどいていて染みひとつない。彼女はそれをもって裏門へゆき、詰所にいる衛兵を呼んだ。
 夜更けに訪ねてくる人間に対する不審の念は、指環を見せると一変した。イニス・グレーネの者ならだれでも知っている。銀の馬は女王の腹心の徴。ムールン・フェヘルド・ドゥアラスのドゥアラス家における地位は、もしかすると女王の伴侶よりも重要なものであるかもしれなかった。
「侍女頭さまがおいでなのか」
 衛兵の質問に、エセルは無言でうなずいた。
「あちらでお待ちです。ここを開けてください。そのまえに、女王陛下にこのことをお知らせして。クレヴィンさまにお伝えすればいいわ。そうすれば、あの方が伝えてくださるから。ほかのだれにも悟られぬようにしてください」
 エセルはランプをかかげている若い衛兵にむかって、一心に話しかけた。衛兵は彼女の訴えをまじめに受けとめ、すぐに報せにいくと請けあってくれた。かれが館の暗闇の中に姿を消すと、エセルはムールンのもとに戻り、指環を返した。
「すぐに開けてくれるそうです」
 報告を受けたムールンは硬い表情でうなずいた。
 ふいにエセルはのしかかる疲労を感じた。予定どおりの旅であれば、今頃はロノスの宿で休んでいるはずだ。
 そう思うと、夕刻の出来事から数刻のうちに都に戻ってこられたことが嘘のようだ。かれらはロノスのほとんどすぐそばまで行っていたのだ。
 疲れているのはエセルだけではなかった。ムールンのこわばった顔は、疲労によるものと思われた。いまだ馬上にあるベレックだとて、朝からの強行軍で顔色は悪い。額のこぶが腫れているのに気づいて、エセルはふと、この傷はほんとうにこぶだけで終わるものなのだろうか、と思った。
 しばらくすると裏門に人の気配が戻ってきた。
 小声でのやりとりがあり、ランプの光が周囲をぼんやりと照らしだした。そして、金属のきしる音がかんだかく響いたかと思うと、中からだれかが出てくるのが見えた。
「侍女頭さま」
 呼ばれたムールンは低い声で答えた。
「ここです」
 ランプをもった衛兵を従えて近づいてきたのは、クレヴィンの従者をつとめる若者だった。かれは好奇心があったとしてもそれをおくびにも出さずにその場をとりしきった。
「馬はかれがあずかります。私についてらしてください」
 手綱を衛兵にわたすと、三人は若者の後について館の敷地内に入った。館もまた、夜陰にとりまかれて静けさのただなかにあった。彼らの到着は、どうやらだれにも気づかれてはいないようだった。
 ムールンはこの状況に満足したように、エセルを見てうなずいた。
 エセルは自分の選択は誤っていなかったと安堵した。クレヴィンは事の異常さを充分に認識している。騒ぎにならぬように配慮してくれているのだ。
 かれらはまっすぐに庭をつきぬけて館にむかい、できうるかぎり静かに中に入りこんだ。そこでかれらは待ち受けていた人物とはちあわせすることになった。
 暗い広間であかりも持たずに立っていたのはクレヴィンだった。女王の甥であり、ベレックの従弟であり、さらわれたアマリアの許婚者でもあった若者である。
 かれは従者のランプの光の中に歩みよると真剣な顔で尋ねてきた。
「どうしたんです、なにがあったんですか」
 ベレックがなにか言いかけたがムールンがそれをさえぎって尋ね返した。
「女王陛下は」
 ひくく殺した声で押しつけるようにきりかえされたクレヴィンは、それ以上を尋ねようとはしなかった。三人の異様ないでたちに、思うところがあったのだろう。かれはムールンの険しい顔から目をそらして、エセルにかすめるような視線を送りながら答えた。
「いま、執務の間に。アルベス、先導してさしあげろ。侍女は私があずかりましょう」
「いいえ、クレヴィン。彼女はつれてゆきます」
 ムールンは従者にむかって進むように合図をした。
 エセルは弁解するように主人を見たが、クレヴィンはかすかに驚きをあらわした後には観念したように侍女頭の後につき従った。どうせ女王の御前ですべてがあきらかになるのである。すこしばかりはやく事を知ったとしても、なんの得にもなりはしない。
 もしかすると、聞きたくなかったと後悔するかもしれない出来事だ。
 イニス・ファールに嫁ぐために今朝出発したばかりの姫が盗賊にさらわれたという報せは、執務の間で待っていた女王の顔色を失わせた。
 衝撃を受けたのはクレヴィンも同様だった。かれは顔をひきつらせてエセルを見た。彼女はちからなくうなずきかえすしかなかった。
 ダルウラはベレックの報告の後、従姉妹のムールンに真偽を問うたが、答えは変わらなかった。
 女王はこわばった顔をうつむけて、平静をたもとうとつとめていたが、さほど成功しているとはいえなかった。
「それではアマリアは、どこにいるかもわからぬと」
 一度立ちあがった女王は力がぬけたように長椅子にへたりこんだ。
「ディアルスよ。なにゆえわれらにこのような試練をおあたえになるのです」
 つねに冷静で誇り高く、威厳にみちた女王の姿に親しんできたエセルは、後ろにひかえて小さくなりながらとまどいを隠すのに懸命になった。
 女王といえども、人間には違いない。ひとりの娘の母親であり、夫を案じる妻でもあるわけで、エセルは今更のようにそのことを実感した。かれらがあがめる存在は、たとえその身にいくらかの神の血が流れていると信じられているとはいえ、いまではほとんど只人とかわりない存在なのだ。
 しかし、ドゥアラスの長が神ディアルスの裔をもって認じていることは、創世の神話時代から連綿とうけつがれてきたイニス・グレーネの依ってたつところだ。ひとびとは常日頃、女王やその息子たちについての軽口を楽しみはしたが、こころの奥底ではしっかりと伝説を信じている。
 王家についての物語と現実の間には、区別をつける必要がありそうだった。
 エセルは顔を伏せたまま、侍女頭の説明を聞いた。
「お嘆きになるのは当然ですが、陛下、これからのことを考える必要がございます。アマリアが行方不明ということは、イニス・ファールとの約束が果たせない、ということです。ということは、アーギルどのを連れ戻すことが不可能になる、ということでもございます」
 ムールンの声はしずかに、しかし容赦なく現実をついた。ダルウラはふたたび声を失い、長椅子に身を預けた。ランプの炎は女王の心労にやつれた横顔を年令とともにうかびあがらせた。彼女はくちびるを噛み、考えこんだ。
 ベレックはそんな母親の様子を見て、じれったげに訴えた。
「盗賊をとっ捕まえればいいのだ。しめあげて、吐かせればいい」
「無論です。イニス・グレーネの姫をさらうなどという蛮行を許しておけようはずがない。はずはないが、婚礼にはとても間にあわぬ」
「あうかあわぬかは、やってみなければわかるまい」
 復讐に燃えるベレックは女王の消極的な物言いに憤慨したが、ほかの者はとりあわなかった。
「そうです。いまからアマリアを探していては、婚礼には間にあいません」
 追い打ちをかけるように言いきられたベレックは、ムールンにむかって露骨に嫌悪をあらわした。
「さっきから、いったい、なにを考えてるんだ。さっさと説明してくれ」
 ムールンは期待をこめて見あげる女王と、蒼冷めてはいるが好奇心に瞳をきらめかせるクレヴィンとに視線を走らせると、おもむろに口を開いた。
「今回のことはたいへんに不幸な出来事で、ことばに尽くせないほどに多くの犠牲を我々にもたらしました。しかし、不幸中の幸いと言ってもよろしいかと思われることに、このことを知っている者はごくわずかです。この場にいる者のほかには、盗賊に連れてゆかれた者。あとはすべて一掃されました」
 幸いなことに!
 エセルは血まみれの死体がころがる峠の道を思い出してみぶるいした。
 仕方がないとはいえ、かれらは結局、ただのひとりも怪我人を連れ戻らなかったのだ。
 ムールンはまだ生きてはいるもののうごくことができないために見捨てられたものたちのことは無視して、自分のことばがしみとおるのを待った。
「ですから、ベレックにはこのままロノスにむかってもらい、予定どおりレセニウス神殿に参詣してもらおうと思います」
「アマリアなしでか」
 ベレックは腕組みをし、いぶかしげに伯母を見すえた。
 クレヴィンは理解した徴に、かたわらにひざまずいている侍女を盗み見た。
 その視線によってエセルも気がついた。侍女頭がなにを言わんとしているのか。峠で襲われて以来、彼女が考えつづけてきた計画がどのようなものであるのかを。
「とりあえず、アマリアぬきでです」
 ムールンは女王を見つめ、先をつづけた。
「無論、アマリアを探さぬと言っているわけではない。草の根をわけても探しだす必要があります。ですが、イニス・ファールに疑いをもたれるような行為はつつしむべきでしょう。アマリアの一行は予定どおりに聖地に入り、ディアドレの裔にまみえねばなりません。とどこおりなく婚礼をすませてしまえば、レーヴェンイェルムの殿といえど、おいそれとわが領地を侵そうとは考えますまい」
 女王はまだ考えるように視線をさまよわせ、ゆたかな髪の毛をかきあげた。
「婚儀までにアマリアを見つけられなければ、われらは大恥をかくことになろう。無事でいるとは信じているが。その場合は…」
 みずから口にしたことばが女王の眉をひそめさせた。娘の無事を願う母親であると同時に、多くの民を統べる者であるということが、いかに矛盾したものであるか。ダルウラはみずからを戒めるように身をただした。
「その場合にも、我々にはアマリアが必要です。アマリア自身でなければ、彼女の代わりをする者が」
「身代わりを仕立てるというのか」
 ようやくベレックにも事の次第がのみこめてきたようだ。
「だが、ばれたらどうする。イニス・ファールのやつらはアマリアを見たことがないが、かの地には我らの同胞も多くいる。まさか、すべての民にくちどめをすることはできん」
 ベレックの指摘に反論したのはクレヴィンだった。
「アマリアが素顔を見せる必要があるのは、レーヴェンイェルムの殿のみだ。かれはアマリアが偽物だろうと本物だろうと気にしないだろう。我々が認めるかぎり、それはアマリアなのだから。我々が否定すれば、それは協定不履行となる。そして我々は、民がいくらうわさをしようと、本物のアマリアが出現しないかぎり、それを覆すことはない」
 若者は言いながら、確認を求めるように侍女頭を見た。ムールンはそれをうけて結論づけた。
「つまり、偽物であろうとなかろうと、アマリアはひとりだけ。我々が認めてレーヴェンイェルムの殿の妻となるもののみ、ということです」
 女王は従姉妹と甥の冷静な意見にため息をついた。
「わかったわ。おまえたちは、アマリアが見つかればそれでよし。もし、あの子が死んでしまっていたとしても、アマリアとして別の娘をレーヴェンイェルムの殿に押しつけるつもりだ、ということね」
 クレヴィンはかすかに怯み、熱をこめて言った。
「アマリアは必ず探しだします」
 うなずいた女王は、今度はムールンに尋ねた。
「おまえの思いつきは評価できます。たしかに、アーギルどのをとりもどすためには多少の詐術も必要でしょう。問題はあの子の身代わりがつとまるようなものが、果たして存在するのかということ」
「おそれながら」
 ムールンは女王が口をつぐむよりもはやく切りだした。
「身代わりはすでに見いだしてございます」
 じっとなりゆきを見まもっていたエセルは、いよいよというときになってからだがこわばってうごかないことに気づいた。ムールンに名を呼ばれたときに返事を返さねばならないのに、喉がつかえたように声がでない。
 ただひたすら平服する侍女に、ムールンは、立って女王に姿を見せるように命じた。
 エセルはからだじゅうの力をふりしぼって立ちあがった。まわりに立つ者、すべての視線が彼女に集まっているのを意識しながら、できうるかぎりの敬意をこめて、女王におじぎをした。
「カラバルのエセルにございます」
 女王のまなざしがじぶんを探っていることに気づいて、エセルは胃がひきしぼられるような思いを味わった。
 さきほどまでのよわよわしげな女性は、ここにはいなかった。
 ランプの光を受けてときおりきらめくその瞳は、女神のように高貴で容赦がなく、偉大で、彼女の前ではひとりの侍女などとるにたりない虫けらのように思われるほどに圧倒的だった。この底知れぬ淵には苛烈な意志とともに、慈悲深ささえもがたたえられている。
 その眼はエセルが感じている畏怖までをも見とおすかのごとくにほそめられた。
 女王は紅いくちびるをかすかにひらき、夢を見ているような調子でかたりかけてきた。
「そなたは思慮深い。慎重で、物事をよく見とおす眼をもっている。そなたはアマリアとは似ても似つかぬが、それがために選ばれてここにきた」
 かけられたことばの畏れおおさに、エセルは絨毯に額をこすりつけんばかりになった。
「カラバルのエセル。カラバルは、たしか、十とせほども前にイニス・ファールに奪われたと記憶しているが」
「はい。私は家族同様に殺されかけたところを、こちらのクレヴィンさまのお父君に救われたものでございます」
「その者の言うとおりです」
 クレヴィンがエセルのことばを裏付けると、ベレックは意味ありげに肩をゆすった。
「なんでもお言いつけになってくださいまし。私の命は、イニス・グレーネに捧げておりますゆえ」
 女王は侍女を好ましげに見つめ、ムールンにむかってうなずいた。
「わかりました。そなたの思いつきに賭けてみよう。レーヴェンイェルムの若殿がどれほどのものか、これでいくらかわかろうというもの。エセル」
 女王じきじきに名を呼ばれて、エセルはかしこまった。
「そなたの命は私がもらう。よいな」



Prev [Chapter 4-1] Next [Chapter 4-3]

一角獣の虜[HOME]

HOME Original Stories MENU BBS
Copyright © 2001- Yumenominato. All Rights Reserved.
無断複製・無断転載を禁止します。