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 真夜中の集いがようやく散会を迎えたのは、明け方も近く、早起きの鳥たちがさえずりをはじめる頃だった。
 女王はとりあえず休みをとるように皆に言いわたした。
 もう若くはない侍女頭は、疲労から幽鬼のような顔色をしていた。ベレックが作戦会議の場であくびをするのはめずらしくもなかったが、それにしても普段はつやつやと血色のよい顔が、かれの後をついてまわっていた従者の顔色ほどには悪くなっていた。その従者も、峠の死体の仲間となっていたのだが。
 女王が呼んだ侍女といれちがいに執務の間を出ると、クレヴィンは壁によりかかるようにして眠っているアルベスを見つけて、ため息をついた。
「忠義者の従者をもってるようじゃないか」
 後から出てきたベレックが、からかうように声をかけてきた。
 アルベスはすぐに目をさまし、姿勢をただしたが、女王の次男が目の前にいることに気まずい思いをしているのはあきらかだった。かれが手にしているランプは、とうに油が切れて、消えている。
「ここにいる必要はなかったんだ。どうして部屋にもどらなかったんだ」
 クレヴィンはいらだちを隠せずに詰問した。
 不覚をとってどぎまぎしているアルベスは、ベレックをちらりと見てから「お伝えすべきと思われることがございましたので」と答えた。
「あまり部下をいじめるなよ、従弟どの。薄情すぎるとみすてられるぜ」
「おことば、肝に命じますよ。だからこそ、あなたの部下はみな、命がけであなたを守ったのでしょうからね」
 へらへらと笑いながら立ち去ろうとしたベレックは、このあてこすりにふりかえってクレヴィンを睨みつけた。
「おまえみたいな男といっしょになるつもりだった妹が、哀れだよ。許婚者を敵に貢いでも、盗賊にさらわれても、眉ひとつうごかさないんだからな。アマリアがいま、どんなめにあっていようが、どうでもいいらしい」
「それはどういう意味だ」
 クレヴィンの表情が剣呑なものに変わっているのを、従者が見逃すはずはなかった。アルベスは後から主人の上着をつまんで注意をひこうとした。
「そういう意味さ。おまえはあいつとおんなじだ。あの、高慢ちきで、なんでも自分の思うとおりにしたがる、年増の――」
 ベレックが得意げにはじめた演説は、とうとつにとぎれた。
 大男はクレヴィンの後にある扉からいましがた出てきた人物に目を奪われ、一瞬、沈黙した。
 ムールンは、疲労と不機嫌をつき混せたような不景気な顔を若者たちにむけていた。彼女がこのやりとりを騒音ととらえていることに、まちがいはない。
「あなたがたは、いましがた話しあったことを、きちんと理解したのでしょうね」
 ひややかなまなざしが一同の上をなでた。
「失礼しました」
 クレヴィンが頭を下げると、侍女頭ははやく自室に戻れと言い置いて、扉のむこうに消えた。
 ベレックはムールンのことばを茶化してクレヴィンをからかったのちに、ひとりで自室に去っていった。
 クレヴィンは寝不足のざらざらする顔をなでながら離れにある自室にむかった。
 疲労が、澱のようにからだに溜まっている。
 いつのころからか、かれのからだはこの状態が普通のことであると認識するようになっていた。つねならばひたすら目の前のことに集中してきりぬけてきたのだが、婚礼が近づくにつれ、忙しなさはとめどがなくなった。そのうえの徹夜で、いまではもう、どうとでもなれ、という心境になっていた。
「お疲れのようですね」
 後からついてくるアルベスは、居眠りをしていたことを申し訳なく思っているらしい。執務の間から出てきたクレヴィンやベレックの顔を見れば、なにを話していたにしろ、かるがるしいものではないことは推測できる。
 ベレックがクレヴィンに絡むのは、従弟が有能さを示したときだ。年上のフィランのときには納得できたものが、クレヴィンが年下というだけで理解不能になるらしい。
 長男であり、イニス・グレーネの実質上の執務を執りしきっていたフィランを失って、女王は代わりをクレヴィンに求めるようになっていた。しかしいくら見所があると認められているとはいえ、そして有能さで知られた父親から手ほどきを受けていたとはいえ、クレヴィンはまだ十八歳なのだ。これから経験をつみかさね、学んで成長してゆく過程の若鳥に、かけられた期待は不相応に大きい。
 周囲はもちろん、クレヴィン自身がこれに応えてあたりまえと思っていることが、かれの疲労を増しているのだが、当然ながらこのことに気づくものはいなかった。いまのイニス・グレーネにはかれのかわりを果たせるようなものがいない。かれを気づかう立場の者は、すでにこの世にはいなかった。
 なによりも父親を失ったことは、クレヴィンにとってはかりしれない痛手であった。父親の存在は、生きていたかつてよりも、いまのほうがはるかに大きく感じられる。
 すでに機嫌のわるかったクレヴィンは、従者に気づかわれることにいらだちを隠さなかった。
「疲れないはずがないだろう。あすは…いや、もうきょうだ。出立の予定で準備をしていたんだぞ。なのに、あのばかやろうが」
 クレヴィンはおしころした声に怒りをにじませて拳をにぎりしめた。憎悪とさえ見まごうような強い感情が、だれにむけられたものかはその口調からもわかる。
「ベレックさまですか」
 従者は言外にまたもやというふくみをもたせて、女王の次男の名を口にした。
 クレヴィンがベレックを名で呼ばず、侮蔑的なあだなで呼ぶのは、初めてのことではない。しかし、今回の怒りようは、並大抵のものではなかった。クレヴィンは顔をこわばらせるというよりひきつらせて、奥歯を噛みしめていた。
「あいつのせいだ。あいつのせいでアマリアが」
 噛みしめた歯の隙間からおしだされたのは、声ではなく、息だったが、長年クレヴィンとともにすごしてきたものの耳は、はっきりとことばとして聞きとった。
 驚いている従者にはかまわずに、クレヴィンは母屋から離れへむかう回廊をまっすぐに歩いていった。昇りはじめたばかりの太陽が、寝不足の眼に痛い。
「クレヴィンさま」
 心なしか力のない従者の声に気づきながら、若者はぞんざいに答える。
「なんだ」
「さきほど、侍女頭さまがご一緒に戻られました侍女ですが、申し上げたき事があると部屋にひかえております」
「エセルがか」
「たぶん、そのエセルです」
「なにゆえ、聞いておかなかった」
「じきじきに伝えたいと、申しますので」
 ふりむいたクレヴィンは、アルベスが意味ありげなようすで見つめているのにでくわした。
 アルベスは、ほぼかれ自身とおなじ背丈で、相対すれば眼と眼が同等の高さでぶつかりあうことになる。その褐色の瞳がほのめかしているのは、父親が、日の出ているときには口にせぬようという冗談で軽々しくもらしてはいけないと戒めた者たちのことだ。
 クレヴィンは父親に影の存在とその役割、力について学んだ。アルベスはかれのかたわらでともに教えを受けた。
 クレヴィンは理解ではおなじような力を示しながら、アルベスが影についてはつねに拒否反応を見せていたことを覚えている。潔癖な従者は、いつまでも正義と公正という理想から自由になれなかった。
 離れはすぐそばにせまっていた。クレヴィンは踵をかえしながら訊ねた。
「指環を見たのか」
「私を信頼なさってください」
 アルベスの真剣な声を背にうけながら、扉を開く。
 部屋の前の狭い控えの間に入ると、クレヴィンは足をとめた。
 薄暗い隅に、壁にもたれて座りこんでいるものがいた。とかれた乱れ髪が顔から肩を覆い、膝を抱えるようにして眠りこんでいる。疲れきっているのがわかる、しどけない寝姿だった。
 クレヴィンはそこから半歩もどって従者を呼んだ。
「起こしてくれないか」
 アルベスがエセルをゆり起こしている間に、かれは部屋に入り、夜中に起こされたときのままにかれの脱け殻の残っている寝台にからだを投げた。
 乱れた敷布のひややかな感触を楽しみ、クレヴィンは吐息をついた。おもたい四肢を精一杯のばして力をぬくと、ただひたすらに、いままでおし殺していた感情に身を任せた。
 ベレックがなんと言おうと、かまいはしない。あんなやつに、いや、だれにも自分の気持ちを説明する気はなかった。
 どれほどことばを尽くしたところで、むなしいだけではないか。人の不実を責めるくらいなら、みずからの失敗はどうなのだ。アマリアを無事に神殿まで連れてゆくこともできずに、なにをえらそうに言うのか。
 荷はすべて奪われた。部隊は全滅。アマリアは盗賊にさらわれた。
 クレヴィンは、深夜にこんな報告とむかいあわねばならなかった自分と女王に同情した。
 あまりのことに、声も出せなかった。これほど茫然自失にならなければ、ベレックの顔を拳で殴りつけていたところだ。
 駆け落ちの危険をほのめかしてクレヴィンを牽制し、みずから護衛をかってでたというのに、かれがせめてと加えた騎士たちの最期すら語ることができない。それも、ただ気を失っていたという理由で。
 にわかに怒りがふくれあがり、爆発しそうになったとき、アルベスの声がした。
「クレヴィンさま。エセルです」
「入れろ」
 朝の光がカーテンの隙間から射しこんでくるが、部屋の中は薄暗かった。
 クレヴィンは寝台の上に起きあがり、ひかえめに立っている侍女の姿をむかえた。
 従者は自分の居場所を尋ねる視線をむけていた。アルベスが山のような疑問を抱えているのは見ただけでわかったが、クレヴィンはかれに部屋から出ているように命じた。
「だれもそばに近づけないでくれ」
 アルベスが眼でうなずいて部屋を出ると、クレヴィンは膝をたてて侍女の方にむきなおった。
 薄暗がりで見るエセルは、おどろくほどアマリアに似ていた。髪をといているせいもあるだろう。みだれた褐色の細絹は顔の半分を覆って、はっきりした容貌を見きわめさせない。
 アマリアとともに育ち、彼女の顔なら、ほくろの位置まで眼裏に描くこともできるはずのクレヴィンだというのに、エセルの立ち姿を見て胸をつかれた。
 よく見ればそれは、アマリアよりも成熟した、そしてアマリアよりも責任にめざめた若い女の姿なのだったが。
「伝えたいことがあると聞いたが」
 エセルは眼を伏せているので、クレヴィンがじろじろとながめているのに気づいたそぶりは見せなかった。
「お手間をとらせて申し訳ございません。しかし、これはぜひ、お伝えすべき事と存じましたので」
「なんだ」
「盗賊の襲撃を生きのびたものが、ほかにもおります」
 クレヴィンは、理解するために一瞬、返事が遅れた。
 ベレックはかれ以外の戦闘員はすべて討ち死に、殺されずにすんだほかのもの、侍女や下男はアマリアとともに連れ去られたと報告した。
 これにはムールンも同意し、ゆえに女王もクレヴィンも受け入れざるをえない事実と思われたのだが。
「どういうことだ」
 エセルは落ち着いてくれと言わんばかりに声を低めた。
「ベレックさまの報告は偽りです。死体の数から考えると、すくなくとも三名は生きのびているはず。私はひとりの後ろ姿をのみ、確認したにすぎませんが、たしかに盗賊の後をしのぶように追ってゆくところでした」
「それは本当か」
「たしかです。騎士と盗賊を見まちがうようなまねは、いたしません」
 エセルが断言するまでもなく、クレヴィンは疑ってなどいなかった。
 ベレックが自分の部下の死をしきりに嘆いておきながら、クレヴィンからあずかった者たちについて触れなかったのは、その行方を気にかけていなかったからに他ならない。
 おそらく、死体を確かめはしなかったのだろうし、いないことに気づいたとしても、探してみようとも思わなかったのだろう。そしてひとまとめにして死んだことにしたのだ。
「このことはだれも知らないんだな」
 クレヴィンは興奮をおさえようとして声をひくめた。エセルは深くうなずき、
「ムールンさまは正気を失っておいででしたから」
「その騎士は、盗賊の後をつけていったのだと思うか」
 エセルはクレヴィンの問いにかすかに顔をあげた。
「私にお尋ねになるのですか」
「おまえの考えを聞いている」
 侍女は強く言われて驚いたようだった。アマリアなら、聞かれる前に思いつきをとうとうとしゃべっていただろうが、彼女は意見を求められて心底驚いていた。
「ほんのすこし、垣間見た程度なのですが、あの騎士はトレナルさまではなかったかと思います。道中、あのかただけがずっと馬車から離れずにいてくださいました。ですからきっと…」
 トレナルはかれがベレックにあずけた三人のうちのひとりだった。トレナルならば、そういうこともするだろう。クレヴィンの幼なじみで血気に走りやすいが、叙任されたばかりで騎士という身分をひときわ真面目にうけとめている男だ。
「ほかには見なかったか」
 エセルは残念ながら、他のふたりの消息までは教えることができなかった。
 しかし、うちのめされた夜のあとで、これは朗報といえた。
 クレヴィンは女王にむかって、必ずアマリアを救けだすと約束した。しかし手がかりといえるものは、なにひとつない。ノルデン峠あたりが危険であることは誰でも知っているが、盗賊の棲み処を知るものはいない。盗賊たちは巧妙に立ちまわり、襲撃の後に目撃者を残すような真似をほとんどしないからだ。
 それでも誓わずにはいられなかった。
 女王の落胆よりも、イニス・ファールとの関係よりも、クレヴィン自身がそうせずにはいられなかった。アマリアの無事を信じたかった。かれ自身、その約束をすがるための糸のように感じていたところだったのだ。
 だが、トレナルが生きて、しかも盗賊の後を追っているとなれば、望みは皆無ではない。すくなくとも、盗賊がどこにいるかという問題だけはそのうちに解決されることになる。
「よく、報せてくれた、エセル」
 心から、クレヴィンは礼を言った。かれは寝台から身を乗り出して、年上の女性を見あげた。
「当然のことですわ、クレヴィンさま。私はこのために存在しているのですから」
 恐縮する侍女に、クレヴィンは熱をこめた。
「当然のことではあるが、いまは礼を言いたいんだ」
「それではお受けしておきます」
 かすかに目礼する侍女に、クレヴィンは言った。
「あとのことは休んでからにしよう。さがっていい」
 侍女は埃っぽい服の裾をひるがえして静かに出ていった。
 その後ろ姿は、このまま忍びよって、抱きしめてしまいたくなるほどにアマリアに似ている。ムールンがあんな計画を思いついたのには、彼女の存在が大きかったに違いない。
 クレヴィンが寝台に横になったまま、思考とまどろみの中間をいったりきたりしているうちに、気がつくとアルベスの真剣な顔がのぞきこんでいた。
「起きてください。コーヴェルさまがお戻りになりました」



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