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第五章



 石造りの建物の朽ちかけた壁の影で、アマリアは目をさました。
 埃まみれでくたくたにくたびれて、妙なにおいのする毛布を喉元にひきよせながら、樹間にたちこめた冷気に身をちぢめた。寒さとおかしな姿勢でよこになっていたせいで体中の筋肉がこわばってしまっているが、そんなことは気にならないほど不安で心細かった。
 有無を言わさず連れてこられたそこは屋根がなく、壁も崩れかけて、柱のみがかろうじてもとの姿を残している建物の中だった。さえぎるものがないので外とおなじように寒く、陽のあたらぬ樹陰にあるため、その寒さは湿気た気持ちの悪いものになった。
 朝を迎えたとはっきりわかるほどあたりがあかるくなっているのに、いまも冷気の底にいるように寒さがからだにからみついてきた。カトリンならば、節々が痛むとしかめつらで不平を言いそうな寒さだ。
 まだ、冬は先だと思っていたのに。
 目覚めたときには館に戻っていないかとひそかに期待していたのだが、願いはかなえられなかった。身につけているのは昨日から着ている晴れ着のなれの果てと、カーズが置いていった毛布のなれの果てのみ。
 息をつくと目の前で白くひろがっていった。本当に寒かった。
 アマリアは苦労しながら立ちあがった。かつてはなめらかな石を敷きつめた床であったのだろうが、足元はてんでにうきあがった石が波うっていた。不用意にふみだすと、足をとられそうだ。
 アマリアは昨夜は暗くて見えなかった周囲を見まわした。
 彼女がいるのは、ドゥアラスの館の謁見の間ほどの広さのある長方形の部屋の中だった。四方を外界と隔てている壁は、一方が無惨に壊されて跡形もなく、残りも無傷ではなかった。壁のひとつひとつには壁龕があり、そこには燭台らしきものの形跡があった。そして、入口から見て正面と思われるところに、大きな石のかたまりが鎮座している。
 アマリアは、ゆっくりと足元に注意しながら像に近づいていった。
 あちこちが崩されたのか、欠け落ちたのか、もとの形はとどめていないにしても、とにかく巨大な、アマリアの背の二倍はあろうかという大きな石像だ。
 外から入ってくる弱々しい光に照らされてうかびあがってくる威容を、アマリアは慎重に息をとめつつ見つめていた。
 像が刻まれている石は、建物をかたちづくっているものとおなじではなかった。雪化石膏かなにか、とても高価な白い石だ。手をのばして、触れる寸前にアマリアは躊躇した。突然に理解がおとずれ、彼女は雷にうたれたようにあとずさった。
 像があらわしているのは、ひとではなかった。
 四本の足の先に蹄をもち、たくましい躯の上に長い頸が誇らしげにかかげられる。風になびくたてがみは、多くは欠けてしまっていたけれど、その額に威圧するようにのびる一本の角を見まちがうはずもない。
 ここは神殿だ。いや、かつては神殿だったというべきか。
 一角獣はレセニウス神の象徴だ。かの神は一本角の獣の姿をよくし、処女の前にあらわれるという。ここは、レセニウス神を祀る神殿だったのにちがいない。
 アマリアは像から離れ、ふるえながらもといた場所に座りこんだ。
 盗賊に捕まって連れてこられたというのに、レセニウスの神殿にいるという現実が、うまく把握できなかった。それではレセニウスの神殿は破壊され、神官も巫女もいなくなってしまったのだろうか。
 そんなはずはない。そんな話は聞いたことがなかった。
 アマリアは必死になって考えるうちにほかの話を思い出した。レセニウスの神殿は、ディアルスやディアドレのもののようにひとつきりしか存在しないのではない。レセニウスは各地に御徴を残し、その足跡を尊んで神殿がいくつも造られているとか。
 ここもそうした神殿のひとつだったのかもしれない。
 アマリアは昨夜カーズに言われたことを思い出した。
 ジェーナさまに会う前に、身を浄めろ。
 ひどく低くて聞きとりにくい声だったが、あたりが死んだように静かだったのと、相手に神経を集中していたのとで聞きもらさずにすんだ。
 身体をこわばらせてみがまえる彼女を無理やりひきずってここまで連れてくると、男はそう言ってさっさと立ち去ってしまったのだ。
 ひとり暗闇にとりのこされて、アマリアは別の種類の恐怖にとりつかれることになった。
 カーズが恐ろしかった。
 男たちと剣を交えたことはある。けれど、それはあくまでも訓練であった。イニス・グレーネにアマリアを本気で殺したがるものなど、いはしない。むしろ、傷をつけまいとして手加減をしていたふしがある。
 盗賊たちはアマリアを敬うべき貴婦人だなどと考えはしない。かれらは野蛮で手のつけられないほど不潔で乱暴だった。それはアマリアの経験したことのない、男たちの暴力的な一面をみせつけた。
 だが、カーズは違う。
 盗賊とおなじように不潔で粗野なふうを装っているが、あの男は他のものたちとはまとっている雰囲気が異なっている。
 無言の圧力のような静けさだ。かれのまなざしは重く澱んだ沼のように底知れない。けしてあらわにはしようとしない意志を、押しつけるように見つめてくる。
 アマリアはカーズの視線に狂気に近いものを感じていた。カーズは彼女を凌辱したいのだろうか。秘められた残虐性は寒気となって、アマリアの背筋をなぞるようにしておりていった。
 カーズが怖かった。
 腕をつかまれていると、そこから病に冒されてゆきそうな気がするほどに。
 だが、カーズが行ってしまっても、恐怖はなくならなかった。
 アマリアは膝をかかえこんで、ふるえだす顎を膝頭におしつけた。
 置き去りにされた場所が、暗闇だったからだろうか。夜の森の魔が徘徊する聖地に、それを隔てる防御を失った神殿にいたためだったろうか。
 それとも、カーズの瞳の狂気に侵されて、なにかこの世ならぬものを感じていたのだろうか。
 なにを感じとったにしろ、いまのアマリアの記憶には残っていなかった。
 闇の中で底知れぬ恐怖を感じたという覚えはあるのに、いつのまにか眠ってしまっていて、おぼろなことしか思い出せない。
 一角獣の像に触れようとしたときに、なにかが閃いて、一瞬のうちにからだを走りぬけたような気がしたのだが、いまではそれも消え失せてしまっていた。
 アマリアはレセニウスの化身といわれる一角獣の像を、そのなかば破壊された姿を、離れたところから眺めた。
 処女(おとめ)を慈しみ、彼女らと戯れることを好み、彼女たちの護り神をつとめるレセニウス神。かのおかたはこんなところにまで足をのばし、その足跡を残したのか。こんなところというけれど、かの神が訪れたときには、むろん、盗賊の巣などではなかったのだ。
 レセニウスは気に入りの処女に祝福をあたえ、誓いを求めたのだろう。そして彼女は巫女になった。たぶん。
 この崩れた神殿を護っていた巫女は、どうなってしまったのだろうか。
 神殿が破壊されたときに、殺されたのか、追放されたのか。いずれにしろ、資格を失った乙女にレセニウスの巫女はつとまらない。神殿は見離される。
 アマリアは掌で顔を覆った。
 カーズがなにを望んでここにつれてきたのか、わからなかった。
 いったいどうして、神殿の残骸で一晩過ごすと身を浄めたことになるのだろう。それに、どういうわけで盗賊の女房に会うのに、身を浄める必要があるというのだ。
「起きなさったかい」
 アマリアはびくりとしてからだを凍りつかせた。
「こんな寒いところに、長いこといてもらって。すまなかったねえ」
 冷たい空気をとおして聞こえてきたのは、ひどくしわがれて、おまけに息がぬけるのでとても聞きとりにくい声だった。
 ゆっくりとした不規則な足音が、ひきずるように近づいてきたかと思うと、今度は声がすぐそばから聞こえた。
「さあ、おいでなされ」
 アマリアは顔をあげて声の方をふりかえった。
 わずかにあかるい崩れた出入口のそばに、背の低い人物が立って、アマリアを手招いていた。
「だいじょうぶ。あなたさまに悪いことなんぞ、なにもありはせん」
 警戒されていることに気づいて、おだやかに話しかけながら近づいてくる。よろよろと不安定なゆっくりとした足どりで。
 そのうちにアマリアは、相手が年をとっていること、彼女の母親の、そのまた母親くらいの歳であることに気づいた。かろうじてまとめたうすい髪のほとんどは色とうるおいを失い、革のような顔にはしわが細くたくさん刻まれている。息がぬけるのは、歯が欠けているからだ。残った歯も歳月に削られ、黒ずみ黄ばんでいる。
 アマリアは、まだ老いを理解することのないものの傲岸さで、醜さを嫌悪した。しかし、老婆は娘の表情は意に介さず、必死に弱った足をうごかしている。床が不規則にでこぼことしているので、気をぬくと足をとられてしまうのだ。
 老婆が不確かな足場に苦労している間に、アマリアは毛布にくるまったまま立ちあがり、出入口のところまで歩いていった。
「おまえも盗賊の仲間なの」
 きつい声でアマリアは訊ねた。老婆は曲がった身体をせいいっぱいのばして彼女を見あげた。
 しわに半ばうもれかけた眼が、いわれのない非難を受けたものの憤りをもって見かえしてきた。
「あやつらは、けだものですわ。あやつらが来なければ、ここはこのようなあんばいにはならなかっただろうに。一角獣の神さまの神殿が、ほら、こんなにされていいわけなかろうに」
 老婆は神殿跡を無念そうにながめて、肩を怒らせた。
「わたしらは、あやつらにいいようにされてきましたのよ」
 アマリアは老婆の憎悪の激しさにおどろいて身をひいた。
 しかし同時に、自分の疑いがここまで苛烈な感情をひきだしたことに、安堵してもいた。老婆が盗賊を憎んでいるのなら、アマリアの味方になってくれるかもしれない。
 そう思った矢先に希望をうち砕くかのようなどら声がふりかかった。
「よっ、ばあさんじゃねえか。またろくでもねえ神様に祈ってんのかよ。やめとけっていってるだろ。何十年も音沙汰なしなんだろうが。いまさら、こんな山ん中までやってくるかよ。信じるだけ馬鹿を見るぜ」
 ふりかえるとラドクが片足に体重をかけて立っていた。酔っているらしく、舌がうまくまわらない。喉が酒に焼けて声がかすれてもいる。老婆のことばも聞きとりがたかったが、それといい勝負だった。
 アマリアは下品なことば遺いと粗野な発音に、あらたな嫌悪をかきたてられた。昨夜は疲れていたので無視することもできたが、気力が戻ってきたいまでは、自分をおさえる必要があった。
 殴られた口元は腫れて色が変わっており、うごかすと顎がきしんで音をたてる。
「なにをいうか、この罰あたりが。何十年もではない、たかだか十年じゃ」
 老婆が血相をかえてくってかかると、ラドクはせせら笑って手にした杯の中身をぶちまけた。
 琉珀色の液体は老婆の顔にまともにかかり、彼女は悲鳴をあげて咳き込んだ。
 盗賊の男はこれを見てさらに笑い、笑いながら嘲弄した。
「てめえらの神なんざ、なんの力もねえのさ。その証拠に、自分の巫女が兄貴に姦られたって、文句のひとつも言ってきやしねえ。巫女どのだって、なんの奇跡の力もお持ちじゃねえだろう。いうがまま、されるまま、阿呆みたいにぼんやりすわったまんまじゃねえか。あんがい、兄貴とやってるときにイッちまったまんま、帰ってこられなくなってんのかも、しれねえけどな」
 老婆はカンカンになって怒ったが、ラドクは自分の言ったことが気に入ったらしく、上機嫌で笑いつづける。
「おめえもこいつらの神様なんか、あてにしねえほうがいいぜ」
 ラドクはアマリアに目をむけると、にやりとした。大きな口から汚れた歯がのぞいた。アマリアは無言で睨むだけだったが、ラドクは意に介すようすもなく、品のない薄笑いをうかべている。
「待ってな。そのうち、おめえを巫女どのみてえにいい気持ちにしてやるからよ」
 遠慮のない視線に舐められて、からだじゅうが粟だった。脳裏でなにを想像しているのか、考えたくもない。どれほど憎しみを込めてみつめても、相手はいっこうに応えないのが、悔しかった。
「ジェーナさまを貶めるでない」
 老婆がわめくのを鼻で笑いながら、ラドクはねばつく一瞥をアマリアに残して去っていった。
「御神の角にかけて、黒い影に憑かれるがいい。けだものどもめが」
 老婆は顔をぬぐいながら怒りとともに吐き捨てた。
 呪いのことばも盗賊の厚い面には効きめがうすいようだった。



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