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「おばば、ジェーナはどうだ」
 かしらは大声で尋ねると同時に扉を開いた。
 拒まれることなど考えもしない傲岸で不遜な態度は、弟のラドクにも感じられるものであった。
 が、この壮年の男にはラドクにはない周囲を圧する威厳らしきものがそなわっていた。優雅さはないが、戦士らしくしなやかで無駄のない身のこなしが、かれを実際よりもはるかに大きく見せている。
「見てのとおりにございます」
 皮肉げな老婆の答えには馴れているのだろう。かしらは長椅子に近づいて女の顔に触れ、無表情な瞳をのぞきこんだ。
「気分はどうだ」
 太い指につままれた顎は、いまにも壊れるのではないかと思われるほどに小さい。ジェーナはかしらの厳つい顔をながめ、いかなる表情もうかべることなくこたえた。
「気分はよろしゅうございますわ、旦那さま」
 その言いかたは、およそ理解できない異国のことばを口にしているかのごとくに感情のこもらないものだった。
 かしらはくいいるように女を見つめ、そのなかにわずかなりとも変化とおぼしきものを認めようとした。女は男の真摯を知ってか知らずか、婿然と微笑んだ。蝋燭の炎の中で、ジェーナの微笑みは艶めいて美しかった。
 けれどアマリアにはわかっていた。ジェーナの微笑みは狂気のあらわれなのだ。彼女が笑いかけているのはここにはいない別の人物にであって、目の前のいかなるものにでもない。
 それはかしらにもわかっていたようだ。かれはジェーナの肩を両手で乱暴につかんだ。白い服に悲鳴のようにたくさんのしわができた。
「おれを見ろ」
 ゆすぶられてジェーナはびくりとからだをふるわせた。両目が見ひらかれ、からだが固くなる。
「おれを見ろと言ってる」
 命令する声が荒々しくなり、顔に恐怖の表情がひろがってゆく。ジェーナはあいかわらず目の前の男を見てはいない。それでも、からだに加わる振動と男の発するつよい気配は感じているらしい。
 やがてジェーナはぼろぼろと涙を流しはじめた。
「おやめくだされ、ジェーナさまはこわがっておいでだ」
「この女はおれのものだ。なにをしようが、おれの勝手だ」
 男は怒りだしていた。抗議する老婆を鋭くひと睨みすると、そのまま妻と呼ぶ女にいまいましげにむきなおった。ジェーナは身をすくめたまま、首をふる。
「おれを見ろ」
 おし殺された怒りがにじみでる声に、ジェーナはウサギのように怯える。
 男は衣をつかんでひきはがし、まろやかな胸をあらわにした。こぼれた乳房をわしづかみにし、さらに白い肌を剥いてゆこうとする。
 ジェーナは悲鳴をあげた。
 部屋中に、あるいは建物中にひびきわたる金切り声だったが、どこかうつろな悲鳴だった。
 ジェーナは盗賊にのしかかられながら声をあげる。だが、逃げようとも、抗おうともしなかった。ただ、悲鳴だけが糸をひくように漏れつづけた。
 アマリアは長椅子の上から目を離せずにいた。ジェーナの狂気が彼女を呪縛していた。ジェーナをくみふせようとする男の中にも、憑かれたものの尋常でない気配があって、アマリアの中の敏感な部分がそれに共鳴している。
 言いあらわすことのできない切実な想いにとらわれて、アマリアはいたたまれなくなった。
「やめて」
 アマリアは立ちあがり、かしらの背後にまわった。
「おやめったら」
 ジェーナはまだ悲鳴をあげている。が、悲鳴の質が変わりはじめていた。息苦しさにあえぐように、彼女は身をよじる。アマリアは男の頭を力まかせに殴りつけた。
 予想だにしない攻撃に、かしらはジェーナの腹につっこむように倒れた。
 老婆が息を呑む音が聞こえた。かしらはすぐに起きあがり、敵を見さだめるべくからだをひいてふりかえった。
「おまえ…」
 アマリアを見たとたん、かしらの眼に昨夜の記憶がよみがえったようだった。
 かれは怒りに燃えた黒い刃のような眼で、まだ一人前の女とは言えない娘を見た。アマリアは自分のしたことに気づいて、いまさらのように身構えた。
「ラドクが欲しがっていた嬢ちゃんだな」
 かすれた低い声が切り刻もうとするかのようにむかってくる。背筋に冷たいものが走り、アマリアはまなざしに必死に力をこめた。
「わたしは嬢ちゃんなんかじゃないわ」
「おれに命命するな」
 ねめつけられてアマリアはわずかに後退した。
「お…まえが悪いのよ。彼女は嫌がってるのよ。それをむりやり――」
「むりやり、なんだ?」
 その先が口にできないアマリアを嘲笑うかのように男は口元をゆがめた。アマリアはかっとなって頬を染めた。
「むりやりに乱暴なことをして」
「どうやら、本物のお嬢ちゃんらしいな。乳母やの世話が必要なんじゃねえのか。男が女房にすることが乱暴だと言うのか」
 ことばを濁した娘にむかって、かしらはジェーナの服をさらにひきさげてみせた。うきあがる白い肌のなまめかしさに、アマリアはふいをつかれた。力強いゆびがあおのいた女の首すじから胸へとみだらに這ってゆく。
「彼女は巫女だったのよ。おまえは無理強いしたんじゃないの。そんなの、暴力とおなじよ」
 アマリアはひきつるようにふるえている女の肌を見ないようにした。痙撃がつづくにしたがい口から紅い舌がだらりとたれて、かすかなあかりの中で流れでる唾液が光って見える。
 老婆は泣きながらジェーナの舌をおしこむと、寝台からリネンをとってきて猿ぐつわにした。
「ジェーナさまがこのようなお姿になられたのも、みなおぬしらのせいではないか。ひとつ角の神は巫女を穢されてお怒りじゃ。おぬしらは、みな神罰に触れて滅ぶであろう。ジェーナさまはみずから、御神のお怒りのほどをわれらに示しておられる。これは警告なのじゃ!」
 老婆はどこからこんな力がでてきたのかと思うほど激しく、かしらの手をふりはらった。
 半裸のジェーナにおおいかぶさり、険しい顔をして、みずからが巫女であるかのように凶々しい予言を告げる。
「警告じゃ」
 かしらは爆発寸前の激情にはりつめた顔のまま、ゆがんだ笑いをうかべた。
「こいつはおれの子を生んだ、おれの女だ。いま、こいつとおまえがこうして生きているのは、だれのおかげだと思ってる。この服も、この椅子も、この絨毯も、おまえらの食うものも、飲むものも、みんなおれが手に入れてきたものだ。この手でな」
 大きな手が老婆の衣の襟首をつかんだ。地から足がはなれ、老婆は硬直した。
 かしらはしわだらけの顔に息がかかるほど顔を近づけていった。
「おまえらの神さまが、なにをしてくれた。おまえらの祈りを聞いて、救けに来たか。え? ひとつ角の御神は、おまえらを護ってくれたのか」
 老婆は答えなかった。答えられなかった。レセニウスはかれらの民を救けてはくれなかった。
 悔しいがかしらの言ったことは事実なのだ。
「御神はお怒りなのじゃ。われらは巫女を守りきれなんだ」
 ようやく言いかえした老婆は、レセニウスの怒りを招くもととなった男をつよく睨んだ。男は勝ち誇ったように笑って、老婆を下に落とした。
「だから、神なんぞに頼るなと言うんだ。腰抜けの神に祈ったところで、なんのたしにもならん。おまえらはおれのものだ。おれを神と思え」
 男は反論をゆるさぬ厳然とした態度で命令した。血肉をそなえた人の子の身で、もっとも不遜なことばを吐きながら罪を少しも感じてはいない。どころか嬉しげににやりとしてみせた。
「なんと畏れおおいことを」
 老婆のつぶやきは感嘆のように部屋に響いた。
 そのとき、外から歓声が聞こえてきた。
「おかしら!」
 何事かと耳を澄ませていると、ばたばたと駆けてきたひとりが扉の外で大声でわめいた。
「よそもんだ。ラドクがよそもんを捕まえた!」
 とたんに男の顔がひきしまった。手下の声は昨夜のなごりでうかれている。かれはきびしい声で答えた。
「すぐ行く」
「予兆じゃ」
 香のただよう薄闇に、ことばは不吉に染みいった。
 扉にむかいかけた男は、足をとめ、肩ごしにふりかえった。
「おれには神罰はあたらん」
 アマリアは、そんなことはないと心の中で叫びたかった。
 からだじゅうがふるえていた。怒りがどくどくと血管をかけめぐり、おのれの無力にさえ、腹がたった。
「なにゆえ、あの者には」
 老婆は血を吐くように言った。口惜しさがうめきになる。ジェーナの小刻みにつづく呼吸が、やるせない。
 神が罰するのは、神を裏切ったものだ。
 ジェーナが正気を失ったのが神の怒りのせいならば、なぜ、盗賊たちには報いがないのか。
 ことあるごとに神罰を口にする老婆が相手にされないのは、巫女を凌辱したかしらに、なにも起こる気配がないからだった。
 巫女は気がふれたが、かしらはいたって正気だ。病ひとつ得ず、老いの兆候もない。
「サイラさま、御神はすべて見ておいでだ。嘆くにはあたらぬ」
 息をひそめて告げる声にふりかえると、いつのまにか、カーズがやってきていた。
「これを見ろ」
 それがじぶんへの命令だとアマリアが悟るまでに、数秒かかった。
 カーズが差し出したのは、武骨なつくりの鉄製の指環だった。
 アマリアはよく見ようとして男の手から指環をとりあげた。蝋燭にかざすと見慣れているのに懐かしい紋章が刻まれているのがわかった。翼ある獣、そして剣。
「これはドゥアラスの紋章だわ」
「確かだな」
「見まちがえるはず、ないでしょう。これをどこで見つけたの」
 興奮をおさえきれずに、声がふるえだした。紋章入りの指環は、女王の一族に仕える者でも一部のものにのみあたえられる。鉄の指環はドゥアラスに剣を捧げた騎士のものだ。
 アマリアは見つめられていることに気づいた。カーズの鋼のような眼と、老婆のすがるような眼とが、いつのまにか戒めの縄のようにからみついている。
 予感がした。
 それはなにかの予兆であり、ドゥアラスの血が告げる、彼女の運命だった。
 息苦しさにあらがいながら、アマリアはふたりの人間のまなざしの意味に怯えている自分に気づいた。
「ラドクが捕まえたよそ者のゆびにあったものだ。おまえが真実、イニス・グレーネの姫だというのなら…」
「真実よ」
 アマリアの主張を聞きながして、カーズはつづけた。
「これは予兆かもしれん」
「如何なる」
 老婆の問いに、男は長椅子のジェーナを見やった。女はさきほどまでの奇矯な感情の発露をも失って、死んだようによこたわっている。事実、死んでいるのとおなじだった。精神的には。
 カーズはみずからの期待をつきはなしたような、ひどくかわいた答えを返した。
 長年待ち望んでいたことが現実になる可能性に、怯えていたのかもしれない。
「赦しだ」



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