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第六章



 ノルデンの峠にさしかかったとき、騎士コーヴェルはクレヴィンらに心構えをするようにと告げた。
 盗賊のやりくちは凶悪なもので、自分は死者を弔っている暇がなかった。野ざらしになった死体には屍肉あさりが群がってくる。とても見られたものではない、とかれは言う。
 クレヴィンはコーヴェルの気遣いをいらだたしく思った。小姓あがりの従者や、初陣の子どもではないのだ。
 イニス・ファールとの間には、先日の苦い思い出以前にも小競り合いのようなものが何度もあり、その幾つかにかれも参加していた。
 人の死に方には、どこまでも下があるものだということは知っている。それがいつ自分にふりかかってきてもおかしくないのだということも、父親が身をもって教えてくれた。
 しかし、かれが経験してきたことは、あくまで騎士同士のやりとりのうちだった。
 現場が近づくと匂いでそれとわかった。
 傾斜のきつい登り坂のまがりくねった道は見通しが悪く、道なりに生えている木々がさらに視界を妨げる。けれど、死の匂い、腐った肉の臭い、血液の臭い、体液の臭いを覆い隠すものはなかった。
 しめった風に運ばれるそれは、いまだ生臭い。
 クレヴィンは顔をしかめた。悪臭は前へ進むにしたがい、しだいに強くなってくる。前触れの騎士見習いが馬の脚をとめ、声もなく見下ろしているところまでやってきて、コーヴェルのことばに誇張はなかったことがはっきりした。
 神経質に足踏みをする馬の足元にひろがるそれは、地獄絵そのものだった。
 かつて人であったものの残骸が、いたるところにころがっている。ただ単に殺されたということばでは言い表わすことのできない、恐ろしい行為の犠牲者たちだ。
 矢が突きたっている肉の塊や、切り離された腕の片方が、どす黒く変化した血に塗れている。
 ころがっている肉片は、どれがひとりの人物を構成していたものか、判別つきがたいほどにすべてがばらばらになっていた。柘榴のように割れた頭部もある。白目をむきだしにした顔は、断末魔の苦しみに醜くゆがんでいた。
 それまでクレヴィンが思い描いていたのは、数ヶ月前の屈辱的な敗戦の舞台であったエギリア河の光景だった。
 砦から河原にかけて、敵味方の別なく死者で埋めつくされ、身の毛もよだつ殺伐とした眺めがひろがっていた。槍や矢が、折れた剣が、割れた盾が、泥に塗れ、血で洗われて、そこかしこに転がっていた。そばに横たわる勇敢な戦士たちの躯は、屍肉を喰らう鳥たちの格好の餌食となっていた。
 どちらの陣営の戦士も、そこではみなひとしく運命を享受していた。かれらは死に、よこたわるのは苦しみの残骸だ。
 だが、ここにあったのは戦いではなかった。
 見たとたんに胃の腑の中の物が逆流しはじめた。
 いっそ、ひとの形がわからなくなるまでになっていたのなら、これほど陰惨な印象はあたえなかったであろう。盗賊はそこまでの手間をかけることはしていない。
 馬から飛びおりてもどしはじめたのは、ひとりふたりではなかった。クレヴィンは胃の中の物をすべて吐きつくし、胃液で口の中が酸っぱくなったところでようやく落ち着いた。すでに一度は見ているコーヴェルですら、青い顔をしている。
「こんなにひどいものは、戦場でもお目にかかったことはない」
 アルベスに渡された皮袋の水で口をすすぐと、あらためて、襲撃の現場を見た。
 いくらか平静をたもてるほどに馴れたところで、散々に破壊された荷車や、ろくに反撃をした気配もなく倒れている下男たちをながめると、かれらが出会った盗賊がかなり巧妙にことを運んだことがわかってきた。
 まず、行く手を大岩を突き落とすことによりさえぎる。道を確保するための作業が本格的になったところで、さらに上から岩を落とし、混乱させる。隊列の側面からは矢を射かける。相手が事態を把握する前に、いっきに攻め込んで掠奪する。
 事前に聞いたコーヴェルの話は、黒い烏の舞う不吉な場所をじかに見たところで裏づけられた。
 指揮官のベレックが襲撃の初期の段階で気を失ってしまうという不幸があったにせよ、盗賊は完全に味方の反撃を封じてしまったらしい。まとめる人間もいず浮き足立ったまま、男たちはなすすべもなく切り刻まれていったのだ。
「まるで、優秀な指揮官のいる軍隊みたいですね」
 悪臭に鼻を覆いながらのアルベスの感想に、クレヴィンはうなずかざるをえなかった。
 これだけのことをしてのけるには、周到な準備も必要だろう。
 ベレックの無能さがいまいましかった。
 みずから岩をどかすために奮闘していたという女王の次男は、自分の働きがいかに大きいものであったかを滔々と語ったが、その間、隊列は乱れ、荷と女たちは無防備なまま放っておかれていたのだ。
 盗賊は一直線にやってきても、宝の山を手にすることができただろう。
 イニス・グレーネの軍にも、これほど整然とした作戦をやってのける者は多くない。多くないどころか、いまとなってはほとんど存在しないのではないだろうか。
 そこに、一本の矢を持って騎士のひとりがやってきた。
「見てください。これは、イードリースの矢羽です」
 鏃にどす黒い血液がこびりついているその反対側の先に、緑色のすじの入った羽がついている。
 それを受け取ってながめていると、もう一本の矢が届けられた。今度のものには、ティアルカースをあらわす赤い羽がついていた。
「どういうことです」
 アルベスが尋ねると、コーヴェルがもう一本持ってきて見せた。
 どの矢も使いふるされており、矢羽の色も褪せている。
「これはローディンのものです。どうやら盗賊の中には流れ者がいるようですな」
 西の大国ローディンは、ここからはかなり離れたところに都を構えている。イニス・グレーネもイニス・ファールも、その距離のためにとくに親しいつながりを持っているわけではないが、北の大街道を中心とする一帯の、宗主国であるには違いない。この付近の領主でローディンに供物を贈っていないのは、山の民カルファースのあるじぐらいのものだろう。
 ティアルカースやイードリースはまだしも、ローディンがこんなところにまで兵を派遣するとは思えない。
「脱走兵か、傭兵かもしれない」
 クレヴィンは矢をくるりとまわしてアルベスに手渡した。
「ただの追い剥ぎとは、思わぬほうがいいな」
 コーヴェルがかすかにうなずく。とうにさまざまに考えをめぐらせていたことは、その表情からうかがえた。
 クレヴィンは悲劇の跡をできうるかぎり片付けさせた。遺体はそのままかきあつめて埋めるしかなかった。とても運べるような状態ではなかったのだ。すでに蛆がわき、腐りはじめているものもある。
 遺品となりそうなものだけを剥ぎとると、すべて道をはずれた木の根方に穴を掘って埋めた。
 作業にあたる者たちは、同胞にあたえられた恐ろしい最期に、動揺を隠せなかった。
「まるで恨みでもあるみたいだ」
 ひとりの騎士がおそれをこめてつぶやいたことばが、クレヴィンの不意をついた。
 盗賊の首領がかつてはいずれかの土地の名のある武将であったとしても、その精神には影があった。これほど冷酷で残虐な掠奪をおこなう男たちの精神には、どこかゆがんだところがあるのに違いない。
 連れ去られた娘の身を思うと、胸がえぐられるようだった。
 ひとしきりの作業がおわると、クレヴィンは皆を集めた。
「死者の弔いは、あらためて正式に行なう。アマリア姫の救出のためとあれば、かれらも許してくれるだろう。知ってのとおり、姫の身柄には、イニス・グレーネの今後がかかっていると言っても過言ではない」
 指揮官の顔はこわばっていたが、それを言うならそこにいた者の顔は、みな蒼白だった。
 クレヴィンの若さなどだれも問題にしていなかった。かれは威厳をもって話そうと努力していたが、そんな背伸びに気づくものもいなかった。
「これから姫を拐かした盗賊の巣へ行くが、心してもらいたいのは、やつらがただの烏合の衆とは異なるということだ」
 額の包帯も痛々しいコーヴェルが、疲労の色濃いすがたであとをひき継いだ。
「私とトレナルが、この惨劇から生き残った数少ないものであることは、すでに話したとおりだ。いまはその経験から二、三のことを諸君に伝えておきたい」
 コーヴェルの発言は皆に真剣な顔で受け入れられた。
 商人には峠の賊として知られ、恐れられてきた盗賊たちであったが、ドゥアラス家おかかえの騎士たちはそれほどかかわりあいをもたずにきた。商人は傭兵を用心棒として雇いいれるが、正規の騎士たちは無論、そのような仕事とは無縁であったし、武装した騎士たちを襲おうとする賊もいままでは存在しなかったからだ。
 かれらは騎士としての自負心から盗賊を見下していたが、故のないことではない。騎士は人の模範としてふるまうことを期待されている。盗賊行為は騎士道が恥ずべきこととして戒めている行為のすべてを合んでいる。騎士が盗賊を人間以下の存在とみなしたところで、驚くようなことではない。
 だが、嵐のような席巻の爪痕を見せられて、騎士たちの顔は蒼冷めていた。このような行為をなし得るものは闇の神に魅入られたか、あるいは魔物に憑かれたかしているのに相違ない。そんな人間は、もはや人としては扱えぬ。
 コーヴェルの話がすむと、かれらはそれ以上、ここで時を無駄にする必要はないという結論に達した。
 男たちは目のあたりにした虐殺に憤っており、すでに敵を討つことを胸にかたく誓っていた。だが、かれらの眼には異常な残虐性に対する畏怖の念も宿っていた。かれらを待っているのはなまなかな仕事ではないだろう。
 自分を守ることを考えていては、かなわないかもしれない。そんな不安を消し去るために、かれらは心に誓った。
 血は血で購え。



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