prev 一角獣の虜[Chapter 6-2] next

 タランは後悔していた。
 かれはいまひとりで、盗賊の棲み処である小さな集落を見つめている。
 そこは山肌をおおう緑の樹木の中に埋もれて、人里からも離れており、無法の輩のねぐらとしては格好の場所だった。
 盗賊たちの気配からは遠ざかった傾斜の上から、かれは木造の屋根を見ている。
 常緑樹の生い茂る暗い陰りが、身を隠してくれている。ここにひっそりとしているかぎり、だれにも見つけられないだろう。
 自分たちの領域は何者にも侵されることはないと信じているのだろうか。ここはひどく無防備だった。集落につづく道は細いものが一本きり。まわりは森で囲まれてはいるが、物見台はないし、これまでに見張りらしきものの姿を見かけたこともない。
 見張りどころか、
 と騎士トレナルは言った。
 盗賊は酒盛りのあとで、まだみんな眠っているのではないか。
 きっと、近づいて鼻をつまんでも目覚めることはないだろう。
 主人の幾分羨望の交じった皮肉に、タランはうなずいた。かれらふたりは冷え込む森の中、何の装備も持たぬまま野宿を強いられていたからだ。
 昼以降なにも口にしていないことも手伝って、寒さはことさら身に応えた。盗賊たちに気づかれぬようにするために、火を焚くこともできない。
 昨夜は集落の中でも大きなほうの建物の中から、たのしげな歓声やら歌声やらが聞こえてきた。煙突から流れてくる煙には、肉の焼ける匂いや野菜とともに煮る甘い香りが混じっていて、ふたりの空腹を嘲笑っているようだった。
 トレナルが怒りを憎悪にたかめてしまったのは、無理もないことだった。
 それまで、主人があまりに感情をむきだしにするために、タランはかえって冷静になることが多かった。そうしなければ、かれらふたりとも、あまり楽しくない境遇に落ち込むことは必至だったからだ。
 が、今回のことではタランも大いに憤りを覚えていて、主人のことばにかなり同調していた。
 それが失敗だったのだ。
 とは、いまにして思うこと。
 そのときにはかれも、迷いながらではあるが、トレナルの意見に賛成したのだから、主人の浅はかさを非難する資格はない。
 主人の失地回復を願う身にとって、囚われの姫君を救い出せるかもしれないというトレナルの思いつきは、とても魅力的だった。もし、独力で成し遂げたとしたら、さきに犯した失策が帳消しになるどころか、おつりがくるくらいのものである。従者であるタラン自身も騎士に取り立ててもらえるかもしれない。
 自分の功名心など、この際ほうっておくべきだったのだ。
 そして、トレナルを諌めるべきだった。
 コーヴェルに約束したとおり、ただ見張りつづけることに撤するべきだった。
 だが、ふたりは目上の騎士との約束を破り、盗賊の村を偵察することにした。
 中のようすを調べてまわり、姫君が捕われている場所を見つけだす。そして、あわよくば姫君を救い出して、逃げ出そうとまで目論んでいたのだ。
 実際に村の中に入り、いくつかの家をのぞいているうちに、トレナルの意見もまんざらではないような気がしてきた。盗賊たちはたしかに赤い顔をして眠っていたし、女とともに半裸のままでころがっているものも多かった。
 だらしのない盗賊たちの姿を見て、トレナルは自分の言ったことを実行しようとした。タランはそれだけはと言ってとめたが、そんなことをしてみたくなるほどに、ここのものたちは泥酔しているように見えたのだ。
 どれほどの時が過ぎたのだろう。
 灰色の空の下、うらぶれた家々をこそこそと嗅ぎまわっているうちに、鋭い誰何の声があがった。
 タランはあわててふりかえったが、そばにはだれもいなかった。自分が咎められたのではないと安堵したかれの耳には同時に、別行動をとっていた主人のものと思われる声がして、なにが起こったかがようやくわかったのである。
 一目散に村から逃げだしながら、心の中でひたすら主人に詫びた。いまとなっては主人と自分の考えの甘さを呪わずにいられない。
 騒ぎはすでにおさまっているが、トレナルはいまだに姿をあらわさない。
 ため息をつき根方に腰をおろすと、従者は思案をはじめた。
 騎士コーヴェルと騎士トレナル、そしてトレナルの従者タランの三人が、クレヴィンがベレックの指揮下にあずけた男たちだった。
 コーヴェルは長年クレヴィンの父親の麾下にいた者で、クレヴィンの指南役でもあった。
 トレナルは同年代で先の戦の前に叙任されたばかりの騎士だ。タランはさらにひとつほど年下。トレナルには忠実で、信用がおけた。
 女王の次男で、いまはお館の代理をみずから認じているベレックの指揮のもとに、イニス・ファールヘ輿入れする姫の護衛としてロノスヘむかう途中、かれらのいた行列は峠の賊に遭遇した。
 かれらはまず、アマリアの身の安全を確保するために動こうとした。
 実際にはそれがほとんど不可能となってしまったのは、理由のないことではない。
 騎士コーヴェルは、かれ自身のそれまで培ってきた信頼が仇になった。かれはあずけられると同時にベレックに目をつけられた。ベレックはコーヴェルをかたときも側から離さず、襲撃が始まったときにも、かれは隊列の前方、つまり、気を失った指揮官の側にいた。
 コーヴェルにとって、ふりそそぐ石や飛んでくる矢をかいくぐり、アマリアの乗っている馬車までたどりつくのは、容易なことではなかった。
 一方、騎士トレナルは、アマリアの側をうごかぬようコーヴェルから指示されていた。
 重大な任務を与えられたトレナルは、だが、襲いかかる盗賊を受け流しつつ、馬車を守るという芸当をやってのけるには、戦の経験が浅すぎた。
 若い騎士は武器をふりまわす盗賊たちに気をとられ、熱くなってうちあいを続けるうちに馬車からどんどん離れていった。ひとりふたりを倒して意気はあがったが、自分がなすべきことを蔑ろにしていることに気づいてからは、すっかり浮き足立ってしまった。
 アマリア姫が馬車から飛び出してきて剣をよこせと命じたとき、榛色の瞳に気圧されて短剣を手渡してしまったのは、指示を守れずにうろうろしていたことへの後ろめたさがそうさせたのだ。冷静であれば、アマリアがどれだけ無鉄砲な存在であるかを思い出したはずだ。
 そして、見るまにアマリアは盗賊のまっただなかに突っ込んでいった。騎馬の敵に阻まれて、トレナルには手の施しようもなかった。
 おのれの軽率さがどれほどの結果を招いたか、トレナルは胸に深く刻みつけることとなった。
 もし、アマリアの身に危害が加えられ、傷を負うようなことにでもなったら、かれのせいだと言われても仕方がない。それ以上のことが起こったらとは、考えたくもなかった。
 すでに、アマリアを救い出すのは無理と見たコーヴェルは、茫然とするトレナルをひきずってその場をはなれた。おかげで、トレナルとタランは切り刻まれずにすんだのだ。
 盗賊たちは逃げ惑うものたちをおもしろがって追いかけ、斬りつけた。ぼやぼやしていたら、ふたりとも死者の仲間入りをしていたかもしれなかった。
 さすがに場数を踏んでいるだけあって、コーヴェルは虐殺の狂乱にもとり乱すことなく、若いふたりに平静をとり戻させるとともに、なにをすべきか思い出させた。
 かれらは上機嫌でねぐらに帰る盗賊たちを距離を置いてそっとつけていった。
 周到な作戦をたてて襲いかかってきた者どもとは思えぬほどに、背後に対しては無警戒だった。思いもよらぬ大猟に、気がゆるんでいたのだろう。おかげで一度も気取られることなく、盗賊の棲み処を見つけることができた。
 コーヴェルは、ゴス・クラインに戻って事の次第をつたえるよう、トレナルに命じた。
 トレナルは承服しなかった。コーヴェルが乱戦のうちに負った傷を理由に、自分が――自分と従者が残り、見張りをつづけるほうがいいと主張したのだ。
 コーヴェルはトレナルをためらいつつ観察した。若い騎士が功をあせって気を昂ぶらせているのではないかと、懸念していたのだ。はたから見ていたタランにも、その気持ちはよくわかった。
 トレナルに、思慮分別にまさるという評判が立つことはけしてなかったし、これからもないだろう。
 だが、かれがふたごころなく懸命であることだけは、だれにでもわかる。コーヴェルは若者を信頼したい気分にかたむいていた。傷が痛むのは言うまでもなく、トレナルを伝令にたてることにも不安を抱いていたためだ。
 タランはコーヴェルの不安を軽くしてやるために、主人に口添えしてやった。騎士はかれを見て深くうなずくと、とにかく、不用意なまねだけはするなと言いおいて行ったのだった。
 タランはふたたびため息をついた。
 かれはコーヴェルの信頼までも裏切ってしまった。
 従者としては、すぐにも主人を救けにゆくべきだということはわかっている。躊躇しているのは、このうえにまたもや思慮を欠くようなまねをして、コーヴェルに迷惑がかかることを恐れているためだった。
 トレナルが盗賊に捕えられたことは、ほぼ間違いない。
 かといって、かれひとりで主人を救いにいって、なにかの足しになるわけでもない。
 それどころか、ミイラとりがミイラにということにもなりかねない。
 というよりも、そちらの可能性のほうが高いと、今度こそ冷静になったタランは認めざるをえなかった。
 さらに、とタランはより面目を保ちやすいほうの理由を考えついた。
 あとから援軍を率いてやってくる者に、状況の変化を伝える人間もいなくなってしまう。
 トレナルを捕えたことで、盗賊は警戒するかもしれないし、アマリアの身にも変化があるかもしれない。
 とにかく、コーヴェルにここにいると約束したのだから、だれかがやってくるまでは、ここにいる必要があるのだ。タランはやましさからそう思いこむ努力をした。
 そのとき、
「動くな」
 なんの前触れもなく、鋭い声が命じた。



Prev [Chapter 6-1] Next [Chapter 6-3]

一角獣の虜[HOME]

HOME Original Stories MENU BBS
Copyright © 2001- Yumenominato. All Rights Reserved.
無断複製・無断転載を禁止します。