prev 一角獣の虜[Chapter 6-3] next

 力のこもった低い声はタランの身体の芯を射ぬいて、湿った地面に縫いとめた。
 身うごきもかなわず、タランは手足が冷たくなっていくのを感じながら、声の主がゆっくりと近づいてくるのを待った。
 あたりの空気が急に凍りついたかのようにはりつめ、敵の圧倒するような気配が知覚のすべてを支配する。
 背後から近づいてきた声の主は、足音をほとんどたてずに腰が抜けたようになっているタランの前までやってきた。
 男を見たとたんに、タランはみずからの運命も定まったと観念した。
 大柄で、よくひきしまった筋肉と鋭い眼をもっていた。
 大きな手に長い槍を携えており、その穂先を正確にかれにさだめている。
 垢じみてよごれすさんだ格好から、賊の仲間であることは知れた。まなざしの剣呑なようすが、なによりもそれを物語っている。
 タランは息をつめたまま、自分にむけられた槍の先端をみつめた。ぴたりと左胸を刺したまま微動だにしない穂先は、手入れが行き届いていることでは騎士の持ち物と遜色ないほどだ。
 緊張の瞬間はながびいた。呼吸を止めたまま、最期の刻を待っていたタランは、いつまでもやってこない痛みに不審をおぼえた。尖った先端からたどって持ち主に視線を移し、かれは髭だらけの黒ずんだ男の愛想のない顔を見いだした。
 男の顔に、殺意はなかった。
 顎はこわばっており、まなざしは尖っている。しかし、どうやら、かれを殺す気はないらしい。
 タランはベルトに下げていた短剣をあわててはぎとり、前にほうった。男はそれを見てゆっくりと槍をひいた。
「おまえは、あの騎士の連れか」
 深みのある声ばかりが頭に響き、ことばを理解するのに手間どっているうちに、男はタランにむかってなにかを投げつけた。小石ほどのものは革の鎧にあたり、はねかえって足下にころがった。
 タランは拾いあげた指環を見て、言われたことばをようやく理解した。
「そいつを持っていた者を知っているな」
「この指環の持ち主を、どうした」
 顔から血の気がひいてゆくのが、他人事のように感じられる。タランは指環を握りながら、主人を思った。紋章入りの指輪を、トレナルはなによりも誇りにしていた。
 男は問いを無視した。
「おまえはイニス・グレーネの者か」
 タランは初めて相手をみる目に力を込めた。
「そうだ」
 まだ従者の身にすぎないが、タランとてディアルスの裔に仕えているという誇りはもっている。だが、挑んでみたところで男の鋼のまなざしに出会い、気持ちは萎えた。
 野の獣のような蓬髪と伸び放題の髭の下にある顔に、表情はまったくなかった。双の眼がおそろしくはりつめた、炎のような情を秘めている以外には。
 タランは気を呑まれ、相手が一歩踏みだすと、なにもかも捨てて逃げだすことを考えた。
 履きふるした長靴がちぢこまった足のすぐ前の地面を踏んだとき、槍が湿った土を削ったとき、タランは息を呑みこむこともできずに男の動作を見まもった。
 男はかれの前に腰を落とした。そのことに驚くまもなく、タランは両肩をがっしりとつかまれていた。
 男は息のかかるほど顔を近づけ、血走った眼でタランを見つめた。
「おまえひとりきりか。いや、まだ大勢くるはずだ……あの娘の言うとおりなら」
 タランはうなずきながらようよう尋ねる。
「姫は…アマリアさまはご無事なのか」
 男の耳に、タランのかすれた声は届かないようだった。
 闇の中にひとすじの光を見た者はこうもあろうかというほどに、歓喜にうちふるえながら大きく息を吐きだした。
「白きたてがみの御神よ。やはりあなたがたはわれらをお見捨てではなかった」
 高位の神に対する呼びかけに、タランはさらに驚かされた。
 盗賊たちのことばがどれだけ荒っぽく卑俗であるかは、昨日じかに聴いたばかりで耳に新しかった。だが、男のことばはまるで神に仕える者が口にするもののように敬意に満ち、気品にあふれていた。
「おまえは盗賊ではないのか」
 ふるえる声で尋ねられて、タランにしがみつかんばかりになっていることに気づいたらしい。
 男はそっけなく身体を離した。
「おれは見たとおりの者だ…いまはな」
 それ以上の問いを拒むつめたい薄笑いに、タランは背筋がひやりとした。
「だが、それもこの場かぎりとするつもりだ。おまえらに力を貸そう」
「…仲間を、裏切るのか」
「イニス・グレーネのアマリアを名乗る娘はあそこにいる。騎士トレナルと名乗る男もな」
 男は立ちあがると地に槍をついた。
「急がねば、どちらも手遅れとなるだろう」



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