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第七章



 ここには、狂気がみちている。
 薄汚れた男たちの眼には、狂暴な喜びがやどっている。女の眼にはみずからの境遇を理解することもできない、うつろな闇がひろがっている。
 アマリアは奥方の部屋からひきだされて、村の中心にある広場にきていた。そこでは昨夜の酒盛りの席にいたならず者たちが、かしらの弟に捕まったよそ者をかこんでいた。
 アマリアの姿をみとめてかしらはかすかに渋面をつくり、うなずいた。
 戸外の明るさの中で見る男は、猛々しい鷲のような強さを全身から発していた。瞳の奥にどのような魔がひそんでいようと、いまは感じるとることはできない。どころか、さきほどのできごとは香の見せた幻のようにも思えてくる。
 アマリアはかしらの鋭い視線の先にあるものを求めた。
 ラドクに足蹴にされ、憤怒で顔を赤らめている若者を見て、アマリアは小さい声をあげた。
 汚れた鎖帷子に身をつつんだ騎士には、見覚えがあった。盗賊に立ちむかおうとしたときに、短剣を貸しあたえてくれたのは、たしか、このいくぶん単純そうな顔の人物だったはずではなかったか。
「トレナル…トレナルでしょう」
 名を呼びながら駆けだそうとしたアマリアは、盗賊のひとりに腕をつかまれて、力任せにひきもどされた。痛みに顔をしかめて、彼女は盗賊をふりかえる。ここにくるまでにもさんざんに嫌がらせを受けていたのだが、我慢していたのだ。
「お離し! 無礼にもほどがあるわ」
 声を高くして抗議をすると、泥だらけになってあおむけに倒れていたトレナルが気がついた。
「アマリアさま、ご無事で」
 探していた姫君を見つけた喜びに、トレナルは一瞬、我を忘れた。
 無防備に上半身を起こそうとしたところを、ラドクは思いきり踵で蹴りつけた。
 トレナルは胸をおさえて咳き込みながら、苦しげに身をよじった。ラドクはトレナルのイニス・グレーネにしては赤茶けた髪をわしづかみにし、ぐいとひきあげる。
「へえ。おめえにも名前があったんだな」
 ゆがんだ笑いは嘲笑だった。ラドクの灰色の瞳は、愉しげに光っている。
 トレナルは額にしわをよせ、まだ苦しそうに目をつぶっていたが、切れて血がにじんでいるくちから唾を吐き出した。しぶきはラドクの頬にかかった。
 ラドクは、騎士を地面に叩きつけた。
「なにをするの」
 アマリアはトレナルに駆けよろうとしたが、またもや邪魔が入った。まともにむかうと力がちがいすぎて、勝負にならないのだ。悔しまぎれに肘つきをくわせると、盗賊はふいをつかれてようやく腕をはなした。
 アマリアは隙を逃さずに追っ手をふりはらい、トレナルの前に立ちはだかった。
「イニス・グレーネの騎士に対する、侮辱です。トレナルどのを丁重に扱いなさい。命令よ」
 あたりを制するかんだかい声と、髪をふり乱して叫ぶ娘の榛の瞳に、ラドクは魅せられたようにうごきを止めた。が、それも刹那のことだった。
 高らかな笑い声が、耳を聾せんばかりに響きわたった。
 ラドクは腹を抱え、しゃがみこんで笑い、笑いながら馬鹿にしたようにアマリアを見た。アマリアが怒りをあらわに睨みかえすと、笑い声は次第にみじかく、高く、苦しげなものに変化した。
 しまいには息がつまりそうになったかのような、これみよがしの奇怪な笑い方をしてみせた。
「なにがおかしいの」
 屈辱に声をふるわせるイニス・グレーネの姫を、盗賊たちはにやにやと遠巻きにながめていた。
「そうだ。きさまら、無礼だぞ」
 ようやく痛みから開放されたトレナルがアマリアに同調する。ラドクは顔に嫌味な薄笑いをはりつかせたまま、アマリアを見すえた。
「なにが無礼だって、お嬢ちゃん」
 灰色の眼がすがめられた。ラドクは腕を組み、ゆっくりと近づいてくる。
 トレナルがアマリアをかばい、前に進み出て対峙した。
「きさまらの、その態度がだ」
 盗賊の鍛えぬかれた肉体にむかって、噛みつくように若い騎士は言う。
 アマリアは騎士の声がかすれていることに気づいた。無鉄砲ではだれにもひけをとらないトレナルが、相手を恐れている。
「おい。嬢ちゃんをどかしてくれ」
 言うがはやいか、ラドクは気負ったトレナルのこめかみに体重を乗せた拳をたたきこんだ。
 避ける間もない。トレナルはあおむけにふっとんだ。
 倒れこんでくる鎖帷子の男を目の前にして、アマリアは他の男たちにその場からひきはなされていた。
 トレナルはだれに助けられることもなく、どうと地面に叩きつけられる。痛みにゆがんだ顔には泥にまじって赤いものがにじみでていた。
 アマリアは行動の自由をとりもどそうともがいた。
「おやめなさいと言っているのに!」
「うるさい女だな」
 かしらは、不様にも磔のように両腕をとられているアマリアを厳然と見おろした。白いものも混じっている顎髭をなでながら、不機嫌にくちもとにしわを寄せている。
「ラドクが言ったはずだ。おれたちに命令する権利は、おまえにはない」
 ラドクに似た灰色の瞳は、弟のものよりもずっと酷薄で、容赦がなかった。アマリアは男から刃のごとき鋭い視線をうけて、恐ろしさに全身の力がぬけるのをとめようもなかった。
「おまえらだけじゃねえ。だれにもだ。だれだろうとおれたちには、命令させねえ」
 ラドクは倒れているトレナルの腹の上に乗ると、胸ぐらをつかんで上体をひきおこした。顎があがって首ががくがくとうごいたあとで、気を失っていたかに見えたトレナルはわずかにまぶたをあけた。
 痛みにひきつる汚れた顔が、自分の上にいる男の下品な顔を見て挑発するように微笑んだ。
「それなら、おれたちにも命令なんぞするな。おれはイニス・グレーネの騎士だ。おれは女王の命を受けた者にだけ、従うことにしている」
 アマリアは心の中で悲鳴をあげた。
 ラドクはトレナルを地面に押し倒すと顔面を何度も拳でなぐった。後頭部をうちつけて朦朧となったトレナルは、逃れる気力もなくされるがままになっていた。衝撃がくわえられるにつれ、顔面はしずんだ赤に染まってゆく。鼻からは血が流れ出し、ラドクの拳とトレナルの皮膚は汚れていった。
「気がすんだか」
 ぐったりとうごかなくなったトレナルを見おろしているラドクに、かしらが尋ねた。
 ラドクは両腕をだらりとさげて肩で息をしながら、ゆっくりと兄を見あげた。とても満足しているとは言いがたい、とがった表情だ。
「こいつは、まだ生きてる」
 アマリアは血だらけになったうごかないトレナルをふるえながら見つめていた。騎士が自分の血を吸いこんでむせたとき、彼女は安堵とともにため息をついた。
「上等じゃねえか」
 剃刀のように鋭いめつきをした男が、アマリアの横をすりぬけてラドクの隣に立った。
 髪は漆黒。肌は浅黒く、顔のそこここにはゆがんだしわがくっきりと刻まれているが、見た目よりはいくらか若いらしい。やはり鍛えられた筋肉質の躯をしていて、ここ何年か清潔ということばを忘れているのではないかと思われる、きつい体臭の持ち主だ。
 ふりかえると額に南方のもののように見える色鮮やかな布を巻き、片頬に切り裂いたような大きな傷の痕があるのが見えた。
「イニス・グレーネの騎士には、初めておめにかかるが、ガキのくせに、一人前の口をきくところなんざ、笑えるね」
 喉の奥からおしだす笑いには皮肉な響きがあった。
「どうだね、おかしら。要求どおり、騎士としてあつかってやりましょうや」
 片眉をはねあげてかしらは疑問をあらわした。目尻やくちもとのしわがいっそう深くなり、威厳が増した。男は笑いに唇をゆがめて説明する。
「試合をするんでさ、それぞれに得物をとって」
 かしらの眼にいきいきとした物騒な光がやどるのに力を得て、男はつづけた。
「騎士どのは弱きを助け、強きを挫くのがお役目とか。ならば、ちょうどいいじゃありませんか。悪者に捕えられたおひいさんも、ここにこうしておられることだ。このお嬢ちゃんを守って、戦ってもらえばいいや。おれたち全員とね」
 男が同意を求めて仲間を見まわすと、盗賊たちは即座に反応した。
「てめえにしちゃ、てえした思いつきじゃねえかよ」
「いっとう始めはおれだ。おれにやらせろ」
 血に餓えた獣のようにざわめく男たちの興奮に、アマリアは今度こそトレナルは殺されるのだと確信した。
 これだけ痛めつけられて疲れきった若者が、戦闘に耐えられるわけがなかった。どれだけ卑怯で残酷なことであろうと躊躇せずやってのけるけだものども相手に、だれが独りで立ち向かえるというのだ。
 クレヴィンがいてくれたら。
 ついにアマリアは弱音を吐いた。
 ここにはいない者を思ってもしかたがない。そう考えて、できるかぎり思いださないようにしていた従兄の名前。心の中でつぶやくうちに、押し殺してきた不安と恐怖が急になまなましくよみがえってきた。
 クレヴィンは、自分を助けにきてくれるのだろうか。
 乱暴に起こされたトレナルはよろけながらも自分で立ちあがり、腫れあがった顔でアマリアを見た。
 トレナルは、騎士としての自尊心のみで身体を支えていた。
 まなざしはうつろで、足元もおぼつかない。それでも、かれはアマリアを守りとおすつもりのようだった。
「やれるのか」
 尋ねた盗賊はトレナルを案じているのではなかった。若い騎士があくまでつっぱりつづけるのを期待して、声をかけたのだ。トレナルは絶望をつきぬけた、ふてぶてしい居直りの心境に達しているようだった。
「正式な試合を申し込まれて断るような、そんな情けない者はグランスールにはいない」
 なんとおろかなことを口にするのか。
 そのひとことがいま、若者の命の期限を定めてしまった。
 そう思いながらアマリアはトレナルをとめようとはしなかった。
 かしらの眼が恐いからではない。
 おそらくは若い騎士をつきうごかしている怒りや憤りとおなじものが、彼女の中にもあるからだ。
 屈伏したくない。結果がどう出ようとも、最期まで顔をあげ、相手を睨んでいたい。
 得物を問われて自分の剣を要求する騎士に、かしらは満足気にうなずいた。
「おまえの騎士に、なにか言うことはないのか」
 アマリアはわずかに彼女をふりかえるトレナルにむかって言った。
「イニス・グレーネの名に泥をぬるようなまねをしたら、わたしがおまえを裁きます」
 周囲は大笑いとなった。
 いまにも倒れそうな男にむかって、よくもこれだけ容赦のないことばを吐けたものである。かしらはトレナルに同情して、剣をもう一本貸しあたえようと言った。
 そのあいだもアマリアはイニス・グレーネの誇りを求めて、トレナルを見つめつづけた。若い騎士は姫君の榛の瞳に無言でうなずいてみせた。血のにじむくちびるがふるえていたが、瞳には理解の色が見えた。
 かしらの命令で中央がひろくあけられ、盗賊たちは試合のために後にさがった。
 トレナルは捕えられたときに奪われたみずからの剣と、予備にもう一本を手渡された。防具は身につけている汚れた鎖帷子のみ。騎士は鞘から剣をぬくと前に構えた。
 なぶり殺しの機会に眼の色をかえている男たちの中から、クルゲルという小男がはじめの相手に選ばれた。得物は二本のナイフだ。
 アマリアは大柄なトレナルと相手の男を見て、もしかしたら勝てるかもしれないと思った。
 クルゲルのからだつきは貧相で、とても戦士という柄ではない。ぬけめのなさそうな顔は、どちらかというとけちな詐欺師かなにかのようだ。
 しかし、最初の一瞬で希望はうち砕かれた。
 これは小手調べなどではない。相手の弱点につけいる情け容赦のない作戦だったのだ。
 クルゲルは眼にもとまらぬすばやさで攻撃をしかけるが、トレナルのほうにかわす体力はない。元々それほど俊敏な性ではないが、散々に殴られたあとだけにいまはまったく足が動かない。
 二本のナイフはトレナルの身体をかすめ、皮膚を切り裂く。
 鮮血が飛び散り、鎖帷子が赤く染まる。
 紙一重で致命傷を受けずにすんでいるように見えるが、実際はクルゲルがわざとはずしているのだ。
 互角にうちあう戦いなら、もうすこしやりようもあるだろう。トレナルは増えてゆく傷の痛みに耐えながら長剣をふりまわすが、相手にはかすりもしない。
 トレナルの剣が空を切るたびに盗賊たちの興奮したはやし声が飛ぶ。
 血しぶきは地面に点々と黒い染みをつくった。
 騎士の汗と泥と血にまみれた凄惨なすがたは、獣にひそむ攻撃本能を呼び覚ましたかのようだ。
 盗賊たちは吠えていた。
 血に狂い、暴力に酔い、ぎらぎらとした眼で獲物の悲鳴を求めていた。
 息を荒らげながらあやうい足取りで立ち向かう、瀕死の男のうめき声が、男たちの狂騒をかきたてる。
 空までがうなり声をあげていた。
 重く垂れこめた黒雲の渦の中から、地響きのような音がわきおこり、大気をびりびりとふるわせた。恐怖にかられる女たちの悲鳴が、さらに男たちを煽りたてている。
 アマリアは息をつめ、両手をにぎりしめてつよくトレナルの戦う姿を見つめた。それ以外、彼女のできることはなにもなかった。



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