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 雷が落ちたのではないかと、アマリアは一瞬思った。
 盗賊たちの容赦のない攻撃を受けて、イニス・グレーネの若き騎士はすでに死の一歩前までやってきていた。
 体中の傷から血を流し、トレナルにはっきりした意識はもうない。
 足下には血だまりができ、腕はだらりと垂れさがり、どんな攻撃をされても一歩たりともうごこうとしなかった。無理もない。若者がいま、立っていることは奇跡に近い。
 アマリアは泣きながら地面に座りこんでいた。
 自分の非情を知りながら、もうやめろとはどうしても言えず、涙を流すしかなかった。とめたとしても、トレナルは戦うことを望んだにちがいない。トレナルが倒れたら自分も死ぬのだということだけが、暗い慰めになっていた。
 盗賊たちは、トレナルの無駄なあがきをこころゆくまで楽しんでいた。
 アマリアはむせかえるような体臭と、男たちの残忍な喜びのなかの憎悪とに、からだを汚されているような嫌悪を感じながら、武器を求めた。
 そのときがきたら、ひといきでことをすませられるような、あつかいやすいものがいい。
 空からの樽を転がすようなごろごろという音は、次第に近づいていた。冷たい風には雨の匂いがふくまれており、不吉な光の矢が黒い雲の間から蛇の舌のように見え隠れしていた。
 トレナルの足は、いよいよ身体をささえきれなくなってきていた。かれはときおりアマリアのほうをたしかめるように見ていたが、そのまなざしは夢遊病者のようにうつろだった。激痛に顔をゆがめているのに、戦いを現実として感じてはいないように見える。
 盗賊はよわった獲物を切り刻もうと、大きなナイフをふりかざしていた。トレナルの血を浴びて赤黒い斑入りになった顔を歓喜に輝かせ、あたりには熱狂した怒号とかけ声がとびかっていた。
 そのとき、頭上でなにかが爆発したのだ。
 音はその場のすべてを静止させ、時間をとめた。
 女たちが金切り声をあげて逃げまどい、男たちは呆然とあたりを見まわした。地面にひれふして、頭をかかえているものもいる。
 かしらが音の正体に気づき、意味を悟るのに費やした時間は、驚くほど短かった。
 まばたきするほどの間にかしらの顔つきはひきしまり、混乱して騒いでいる手下を怒鳴りつけた。
「落ち着け!」
 雷とともに低い声が地面にうちつけられた。
「いまのは合図だ。敵がくるぞ、武器をとれ!」
 かしらの一喝が盗賊たちの頭に染みわたり、その場は落ち着きをとり戻したかと思えた。が、気をとり直したかれらは、厩に囲われているはずの大きな獣たちが猛りくるったように駆けてくるのを見て、絶句した。
 馬はさきほどの大音響におびえきっており、手のつけようがなかった。歯を剥きだし、鼻孔を大きく広げて、白目をむきかけている。半狂乱のいななきは、耳に痛いほどだった。ひとり、ふたりがとりついて、鎮めようとしたが、反対に跳ね飛ばされてしまった。頭から叩きつけられた男は、頸の骨を折って死んだ。
 他の者は馬に踏まれることを恐れて逃げまわった。
 昨日の襲撃のおかげで馬の頭数は三倍にふくれあがっていた。広場からぬけでて、道に駆けていってしまうものもいたが、たいていは人や建物にはばまれてぐるぐると走りまわるだけだ。
 悲鳴が雷鳴にまじりあい、広場は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
「ばかやろう、さっさと持ち場につけ!」
 盗賊たちは鞭で打たれたかのように駆け出した。みずからの得物をとりに戻ろうとしたのか、あらかじめ決めてあった持ち場にむかおうとしてか、それぞれに悪態をつきながら血相をかえて走りだした。
 その頭をかすめるようにして、火矢が木造の家々に射かけられた。館の中に飛び込んだものたちは、顔を煤だらけにしてすぐに飛び出てきた。気がつくと、館の窓という窓からは黒い煙がたち昇っていた。男は逃れてきた恐怖から血の気を失った顔で、怖気づいて這いつくばっている男を蹴りつけているかしらに怒鳴った。
「火が、火が」
 かしらはすでに館の中で異変があったことに気づいていた。が、つぎつぎにふりそそぐ火矢の雨と、暴走する馬とにはばまれて近づくことができない。
「ジェーナ!」
 敷居からまろびでたふたつの人影が、老婆と妻のものであることをみとめてかしらが安堵したとき、近くで鬨の声があがった。
 同時に、稲光が空を引き裂いた。
「トレナル」
 自由になったアマリアは、腰がくだけてくずれおちている騎士のもとに駆けよった。
 かれはごろりところがり、荒い息をついた。汗と泥と血をぬりたくったような顔は、疲労と苦痛に色を失い、十も老けて見えた。
 アマリアは馬に踏まれないようにするため、騎士の長靴を履いた脚をつかんで物陰にひきずっていった。トレナルは大柄で、とても重かった。アマリアにとっては途方もない重労働だった。なんとかやりとげたが、若い騎士のはたらきに報いるものとしては、ささやかな行為でしかない。
 かれはアマリアの涙で汚れた顔をぼんやりと見あげ、かすかに口をあけた。
 アマリアは吐息のようなことばを聞きとろうとして、かがみこんだ。
 トレナルは乾いた血がこびりつくひび割れた唇をふるわせ、せわしなく息を吐き出していた。なにを伝えたいのだろう。アマリアが全身の神経を若者の口に集中したとき、だが、紡ぎだされかけていたことばは、突然の暴力によって断たれた。
 口蓋を鋭い槍で突かれたトレナルは、びくりと全身を痙撃させ、舌をひくひくとさせると、空気とともに大きな血のかたまりを苦しげに吐き出した。
 驚愕に眼をみはり、アマリアはトレナルの最期を凝視した。
 視線は裏返った白目と閉じられることのない唇に、さらにはぽっかりとあいた赤黒い穴に突き立った槍にゆきついた。
 槍を握っていた男はアマリアの視線に気づいて、笑った。
 灰色の瞳が狂暴な光をやどしていた。
 アマリアは本能的にあとずさった。ラドクはすでに意を決している。かれは怒っており、その原因は彼女にあった。
 槍から手をはなすと腰の偃月刀をぬき、彼女の首に手をかけた。
 陽に灼けた鞣革のような皮膚が、のどに焼けるような感触をもたらし、アマリアは顔をひきつらせる。
「こいつはてめえのせいか」
 ラドクはゆがんだ口でたずねた。
 どこかであがった鬨の声が、いまでは間近にせまる騎馬のとどろきに変わっていた。
 放たれた火矢は建物のあちこちに突きささり、大方はなんの効果ももたらさなかったがあるものは大きな炎を生みだしつつあった。さきに燃えはじめていた館は、強風に煽られてさかんに炎を巻き上げている。
 頭上では稲光と雷鳴が交互に起こっていた。いまだに雨が落ちてこないのが不思議なほどだ。
 近づいてくる雷の音とともに、敵は寄せる波のように襲ってきた。武器のぶつかりあう音が聞こえはじめ、はりあげる声が剣戟の合間にみずからの正体をなのった。
「われらはイニス・グレーネの騎士団だ。アマリアさまはどちらにおられる!」
 昂ぶった声が、騒然とした戦いの中でくりかえされる。
「アマリアさま、返事をなさってください!」
 アマリアはすぐにも飛んで出たかったが、ラドクの戒めがそれを阻んだ。
 盗賊はアマリアの喉を押さえたまま、眼を見すえていた。呼ぶ声は戦の中にまぎれていった。
「てめえのせいらしいな。お嬢ちゃん」
「その薄汚い手をお離し」
 恐怖にふるえているくせに絶対に屈しようとしないアマリアに、ラドクは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「助けてもらえると思ってるのか」
 自分の確信に水をさされて、アマリアは息をのみ、ようやく言った。
「もちろんだわ」
 女のかんだかい悲鳴が、喧騒と混乱に拍車をかけていた。いったい、なにがむこうで起こっているのだろう。だれか、はやくここにきてくれとアマリアは全身で祈った。
(クレヴィン!)
 彼女が心の中で叫んだのと、あたりをゆるがすようなどよめきが起こったのは同時だった。
 ラドクがふいに全身を緊張させ、アマリアに手をかけたまま立ちあがった。
 かれはアマリアをはがいじめにして陰から走り出た。喉をしめつけられて声にならない悲鳴をあげながら、彼女はひきずられるようにしてその場に連れ出された。
 血なまぐさい戦闘ははじまったばかりだ。
 あちこちからあがる煙と炎の下で、男たちはそれぞれの武器を打ちあわせていた。大地は闇に覆われ、いまは太陽にかわり、燃えあがる木造の家々があたりを照らしだしている。
 足下には切り刻まれた死体が無造作に横たわっていた。血の海ができ、そばには槍や矢を針鼠のようになるまで浴びた人と馬が折り重なるようにたおれていた。
 戦っている盗賊と騎士は、ほとんど互角だった。アマリアは相手を殺すために必死になっている男たちの顔を見て、声を失った。自分のものか他人のものかもわからぬ血しぶきに染まり、かれらの姿は魔物のようだった。
 なかでもめだって異様だったのは、くりひろげられている戦の中程で仁王立ちをしているかしらの姿だ。
 並の者にはあつかえぬような巨大な剣を片手に持ち、片腕にはかぼそい女の身体をかかえている。髪の長さで女がなにものであるかはアマリアにもわかった。風になぶられるジェーナの細絹は、もつれているうえにあちこちが焼けてちぢれていた。
 とつぜん、ラドクの身体から緊張が消え、アマリアは不自然な体勢からよろけてひっくりかえりそうになった。それに気づいたラドクは、それまでよりも腕に力をこめた。
 アマリアは身体の痛みに閉口して、さらにあばれた。身をもぎはなそうとして、半ば成功しかけたときに、騎士のひとりが争っているふたりに気がついた。
「アマリアさま!」
 ラドクはアマリアを横抱きにして、はじかれたように駆けだした。
 樹陰に踏み込んだとたん、闇を切り裂いて光が走った。間髪おかずに雷鳴がとどろきわたり、アマリアは宙にういた身体をこわばらせた。
 ついに雨つぶが落ちてきた。
 かと思うと、すぐに天の水瓶の底が破れたかのようなどしゃぶりになった。
 叩きつけるように降る雷雨のなかを、ラドクは走りつづけた。



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