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第八章



 かつてローマラスと呼ばれた山奥の村落は、二度目の、そしておそらくは最後の襲撃をうけ、炎上した。
 鬨の声とともに突入したイニス・グレーネの騎士たちは、つい昨日、同胞を死に至らしめた盗賊の一味に有無を言わさず襲いかかった。雷鳴がかれらを鼓舞するように響きわたり、激しい戦闘が燃えあがる炎の谷間にくりひろげられた。
 盗賊たちは、ふいを突かれて浮き足だっていた。
 反撃はてんでにおこなわれたが、騎士たちは思わぬ苦戦を強いられた。
 強いのである。
 峠の惨状を検分して、盗賊行為を働いたものたちが秩序立った指揮のもとにあることは想像していた。建前を無視して急襲をしかけたのも、賊に考える間をあたえず、一気に叩くつもりだったからだ。
 現に不意討ちは成功し、敵は混乱の極みにあった。だれもが自分の身ひとつを守ろうとし、押しよせる騎馬からなんとか逃れようとしていた。
 その死に物狂いの抵抗が、騎士たちの訓練された剣技と互角にせまっていた。
 たがいに罵りあいながら武器をうちあわせ、ふりまわす男たちは、身につけた甲冑がなければ区別がつかなかったかもしれない。
 ローマラスのカーズと名乗った男も、その中のひとりだった。
 ごうごうと燃えあがる炎に煽られ、怒りにかられたまま飛び込んできたイニス・グレーネの騎士たちは、憑かれたように挑みかかった。
 盗賊はそれぞれにみずからの技量のみにかけて、鋭い一撃を受けとめる。
 カーズの話を聞いたときから、予感はしていた。
 加勢を申し出てきた盗賊に、みずからの過去を語る気はなく、くわしいことを聞く余裕も毛頭なかったのであるが、いやな予感はしていたのだ。
 盗賊たちの身につけている動作、武器のあつかい方は、農民くずれの無法者のあぶなっかしいものではなかった。正規の訓練、あるいはそれに準ずる稽古を積んだ熟練者の正確な技だ。
 かれらは税を納めきれずに放浪をはじめた農民や、つらい労働に耐えきれずに逃亡した奴隷ではなく、ましてや、ただの乞食や悪霊憑きなどではなかった。武器をとって戦うことに習熟した、かつての兵士、もしかすると騎士であったかもしれない男たちなのだ。
 殺しあいは凄惨をきわめることとなった。
 数ではイニス・グレーネが圧倒的に勝っていた。徐々に盗賊の姿は減っていった。
 が、そのためには長い時が費やされた。
 盗賊をひとり倒すために、ふたりの騎士がふらふらになるまで打ちあいをつづけた。三人がかりで、ようやく膝をつかせた男もいた。対した騎士は片腕を失い、鎧を血に染めて激痛と怒りにのたうちまわった。
 形勢が不利とみると、盗賊たちはとたんに逃げだしはじめたが、復讐を誓う騎士たちはそれを許さなかった。盗賊たちは否応なしになぶり殺しにされていった。それこそ、魔物に憑かれた狂戦士のように、騎士たちは打ちかかることをやめようとしなかった。
 若いクレヴィンも異常な興奮状態に巻き込まれずにはいられなかった。
 かれは乗馬したままアルベスにつきそわれて、少し離れたところで煙と炎の焦げ臭い匂いをかきながら、アマリアの姿を探していた。
 血みどろの争いと、とどろく雷鳴が焦りをかきたてる。目隠しをしている愛馬も、ただならぬ雰囲気を感じとっているのだろう、ひどく落ち着きがなかった。
 カーズの言ったところでは、アマリアはかれの仲間が無事に外に連れ出しておくということだったが、褐色の頭はどこにもみあたらない。
 ともに拉致された侍女たちは様々なありさまではあれ、見つかっているのに、肝心のアマリア・ロゼの姿がどこにもないのだ。
 いらだつクレヴィンを、アルベスは心配そうに見まもっていた。なんとか気持ちを鎮めようとして、乱闘の中央でひときわ背の高い男と対峙しているカーズに言及する。
「ローマラスのカーズというあの男、なかなかの使い手ですね。しかし、相手はさらに凄い」
 閃光が走り、カーズと大柄な盗賊の、たがいにふりあげた武器が光った。
 剣が一閃し、叩きこまれる。
 大気を引き裂く轟音が、頭上に響きわたった。
 アルベスは雷神への畏れから口を閉じた。
 ふたりとも汗みずくだ。運ぶ足は土を跳ねとばし、肩で息をしながらの壮絶な打ちあいだった。
 クレヴィンは、カーズの剣が脇にそれたのをみとめた。いや、相手がよける速さが勝ったのだ。
 盗賊はすばやく身をたてなおし、大きな剣をカーズの頭めがけてふりおろした。
 カーズは髪の毛の差でこれをかわした。
 すかさず、相手の肩に剣を突き立てる。深々と刺さった根元から、赤いものがにじんでくるのが遠目にも見えた。
 男は苦痛に顔をゆがめ、歯をむきだしている。
 剣が抜けないことを悟ると、カーズは後に下がりほかに武器になりそうなものを求めた。
「やめて」
 女の悲鳴があがった。
 叫んだらしいのだが、喧騒のさなかで声はかき消された。
 しかし、カーズが気をとられたように横をむいたのが、クレヴィンにもわかった。かれはカーズの視線を追った。
 燃えつづける建物の側に、髪をふりみだした女がいた。
「逃げろ!」
 カーズは女を叱りつけ、肩に剣を突き立てたまま襲いかかる男の攻撃をかわした。
 盗賊はカーズを憎々しげに睨みすえ、呪いのことばを吐いた。カーズはようやく槍を手にとり、穂先をさだめる。
 したたるような緊張の刻がすぎた。
 クレヴィンは間合いをとる両者の呼吸をはかった。
「あぶない!」
 今度の声は、金切り声だった。
 声に反応したのは、カーズだけではなかった。相手の男もうごきをとめた。
「ジェーナ」
 一瞬の隙を、突いたのはカーズのほうだった。
 槍は腕を突き、盗賊はよけようとしてバランスを失った。
 カーズはいったん後にひき、ふたたびの攻撃をしかけようと脚を踏みだした。
 腕がしなり、全身を乗せた重い一撃が相手の胸板めがけてくりだされる。
 確かな手応えが手につたわり、カーズは歓喜とともに身をはなした。が、男の胸を突きぬけているはずの槍が捉えていたのは、べつのものだった。
 細いからだは瞬間の衝撃に耐えられるわけもなく、女は背中から突き立った槍とともに崩れた。
 ふたりの男は、たおれる女の姿を声もなく見ていた。
 まるで時が止まったように、ゆるゆると女は地に落ちてゆく。
「ジェーナ」
 血の気の失せたこわばった顔でかしらが女をだきとめ、愛しげに抱えあげるのを見ながら、カーズは茫然としていた。
「ジェーナさま!」
 叫びながら走りよる襤褸同然の老婆に、盗賊の一瞥が飛んだ。
 つぎの瞬間、老婆は頭を剣で叩き割られてころがった。それをしたのは、盗賊ではなかった。
 クレヴィンは、くりひろげられる理解のできないものがたりに息を呑んだ。
 そのとき、かたわらでアルベスが小さく叫んだ。
「アマリアさま…」
 クレヴィンは全身を緊張させた。間髪を入れず、遠くから叫びがあがる。
「アマリアさま!」
 負傷してたおれている騎士のひとりが、森の方を見て叫んでいる。
 視線を転じると、小さな人影が樹陰の中へと消えていくのがわずかに確認できた。たしかに、アマリアがまとっていたと思われるドレスの裾が、視界の隅でひるがえったような気がした。
 クレヴィンはアルベスがとめるのも聞かず、槍をふりかざしながら乱戦の中に突っ込んでいった。
 戦斧をもってたちむかってくる男と数回打ちあったのち、馬の体重にものを言わせて押しつぶした。アルベスが馬を狙ってやってくる敵の喉を剣で突きとおす。主人の無事を確かめようとふりかえるかれに、クレヴィンは馬を守っていろと命じながら鞍をとびおりていた。
「どこに行かれるんです」
 あわてて手綱をつかみながら血相をかえる従者を後に、クレヴィンは剣をかまえながら走りだした。
「いけません。あなたはここにいてくださらないと!」
 喚声をつき、アルベスの声がクレヴィンの後を追う。
 はりあげる声に気づいて、コーヴェルが血糊のついた剣をふりあげながらふりかえる。
「クレヴィンさま」
 クレヴィンは制止を無視した。
 先に森の中に踏みこんでいった騎士たちの後を追おうとした。
 雷鳴とともに、とうとう雨が降りだした。土砂降りだ。
 水煙が霧のようにたち昇り、大粒の雨が、もともと暗かった視界をかすませた。
「クレヴィンさま!」
 背中からする非難をにじませた声に、クレヴィンはどなり返した。
「おまえもアマリアを探せ!」
 人にとって森は魔の気配の漂うところ、陸地にあって進路の前にたちはだかる巨大な底無し沼のようなものだった。
 黒い森は、いまは暗雲たれこめる嵐のもとでさらなる威容をかもしだしていた。
 創始の時代の荒々しい魔の力が、雨の匂いにまじって嗅ぎとれるような気がする。
 おもく横たわる影が、自分とアマリアとの間を阻んでいる。視界がきかない。
 ずぶぬれの黒髪から水を滴らせながら、クレヴィンは森を見すえて睨みつけるともう一度、声をはりあげた。
「賊が姫をつれて逃げたぞ、捕まえろ!」



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