prev 一角獣の虜[Chapter 8-2] next

 大雨の叩きつけるように降りしきる中、森の探索は易いことではなかった。
 アマリアをとらえて逃げた盗賊は足がはやく、森の内部を習知していたと見えて、後を追った者がそうそうに撒かれてしまったためだった。
 クレヴィン自身、勢い込んで飛び込んではみたものの、想像以上に入り組んだ迷路のような森の中の、水気を含んでたちのぼる草木や土の匂いに、気後れと不安を感じずにはいられなかった。
 折り重なる枝々の暗がりの中を、ぬかるんだ土やはりだした木の根に足をとられないようにして歩くのは、ひどく骨が折れることだった。
 ときおり閃く稲光が神経をさかなで、遠ざかりつつある雷鳴はさきほどとは反対に、潜在している恐怖をつかみだそうとする。
「クレヴィンさま」
 ふりかえると手をふりながら駆けよってくる姿が、黒い幹のむこうに見えた。
 雨は次第に小降りになってきていた。おかげで視界がいくらかきくようになっている。
 アルベスは険しい顔に不安をうかべながら、あたりの気配を探りながら近づいてきた。その視線は、神経質で落ち着かないものだった。
「手の空いたものにも捜索を命じました」
 額にはりついた栗色の髪を無造作にかきあげながらする報告に、クレヴィンはうなずく。
「賊はどうなった」
「抵抗をやめました」
 アルベスはかすかにため息をついた。表情が冴えない。
「どうしたんだ」
 従者はなんでもないと首をふり、報告をつづけた。
「とりあえず、お戻りください。陣幕を張っていますから」
 眉をあげて反対しようとする主人の気勢を制して、かれは辛抱強くつづけた。
「コーヴェルさまのご意見です。一度、みなを集めて、探索のための方針を確認したほうがよろしいのではと」
 アルベスがやってきたほうを見ると、ほのかに白い空が見える。クレヴィンは自分が思いのほか、外界の近くにとどまっていたことに気づかされた。
「しかし、こうしている間にもアマリアは」
 クレヴィンは声を荒げかけた。
 アルベスは主人の焦りを理解して、顔を伏せた。おかげで、かれは感情的になったことを後悔させられた。
 雨にうたれて冷えた頭が、状況を理解するのにそれほどの時間はかからなかった。
 問題は、やみくもに突っ走ったことを愚挙として認めることのほうだ。
 クレヴィンはしばらく考えたすえに自負心を黙らせることにした。つまらない見栄よりも、アマリアのほうが大切だと自分に言い聞かせたのである。
「大丈夫。そんなに遠くまで行けやしません」
 アルベスの慰めを聞き流しながら、クレヴィンはついさきほどまで戦いがおこなわれていた土地にひきかえした。
 燃えていた家屋は豪雨で炎をあらかた消しとめられていた。
 木造だったので、ほとんどが柱を残して消し墨のようになり、かすかに残る火種が黒い煙をたち昇らせている。物のくすぶる匂いが、あたり一面にたちこめて鼻を刺激した。
 地表には大小の水溜まりがあちこちにでき、その上を従者たちがせわしなくうごきまわっていた。
 煙の刺激臭に目をしばたかせているコーヴェルが、クレヴィンの姿に気づいた。
 うごきは鈍っていなかったが、顔色がひどく悪い。疲労の色も濃かったが、まのあたりにした惨状には、音をたてて血がひいていったような気がするほどだった。
 憤怒につきうごかされてイニス・グレーネの騎士たちがおこなったのは、峠の賊の狼籍に勝るとも劣らずの虐殺だった。逃げおおせたものはほとんどいないに違いない。斬り刻まれた肉塊がものがたっている。
 復讐は遂げられたのだ。
「ローマラスのカーズは、死んだのか」
 見覚えのある男の額をかち割られた肉体が、踏み荒らされた焦げ臭い戦場の中に横たわっているのをみつけてつぶやくと、アルベスが「思いは晴らしたようです」と神妙に答えた。
 たしかに、カーズが相対していた男の身体もすぐそばに見えた。男をかばって身を投げ出した女は、傷だらけの太い腕の中で息絶えていた。
 クレヴィンは自分が率いてきた一隊がひきおこした結果をながめ、吐き気をもよおした。
 中には巻き込まれたらしい女の姿もあった。見おぼえのある面立ちに、あるいは誰かの血縁の娘ではないかと思いいたる。
 都を出立したときに、だれが彼女たちのこのような末路を思い描いたことだろう。それを庇うようにして倒れている、イニス・グレーネの紋章を身につけたものの骸も見えた。
 それとは別に、まわりに騎士の姿が少ないことに気づいた。どうやらアルベスにかつがれたようだった。
 壮年の騎士は、比較的荒れていないところを選んで陣幕を張らせていた。作業の指図をしながら、コーヴェルは報告する。
「騎士たちは二人ひと組みにしてアマリアさまを探させています。おっつけ、報せがくるでしょう」
 クレヴィンが鼻の頭にしわを寄せているのに気づいて、騎士は皮肉な調子でつけくわえた。
「男どもの意気は揚がってますがね」
 血気にはやった荒くれ男たちを抑えるのは不可能に近い。事実上の復讐であるとはいえ、コーヴェルもまた、度がすぎたと感じているらしかった。
 かれはクレヴィンのうかぬ表情にたいして、慰めのことばをかけるようなまねはせず、陣幕の中で待つように進言した。
「指揮官はうごいてはいけません。部下は使うものです」
 軽々しく見られると、コーヴェルはたしなめた。
 不満をかかえたまま、クレヴィンは陣幕の中にしつらえられた床几に腰かけた。
 雨の降りかからない他と区別されたところにいると、自分だけ怠けているような気がして、かえって落ち着かなかった。
 もう一度、今度こそ森の奥深くまで入りこんでアマリアを探したいという望みと、年上のものたちに侮られることなく、一隊を掌握したいという欲望が、心の中でせめぎあっていた。
 コーヴェルの言うとおり、クレヴィンのような若輩がいちいち陣頭にたっていたら、それだけで小物と思われることは避けられない。部下を信頼できない、器の小さい人物という評価を下されたいとは思わなかった。
 しかし、アマリアの無事な姿を見たいという望みは、もっと切迫したものだった。
 ともに拉致された侍女たちはみな、暴力の洗礼を受けていた。アマリアだけがそうでないと、だれが言いきれるだろう。
 廃屋となった建物から見つけられた侍女は、わずかにふたり。残りはすでに絶命しており、確認はとれていないものも無事であるとは思えなかった。彼女たちの汚れやつれた顔を見て、胸がかきむしられるような不安を味わっているところに、アルベスが顔を見せた。
「見つかったのか」
「いえ……トレナルさまのご遺体を発見いたしました」
 姿が見えないので予想はしていたのだが、クレヴィンは成長期をともに過ごしてきた存在を失ったことをあらためて思い知った。
「それから」
 従者はすまなさそうに眉を曇らせ、小さなこどもを中にひきいれた。
 盗賊の一味のものらしく薄汚れた姿をしているが、意外に雨に濡れていない。
「厩に隠れていたんですよ。ほうっておくわけにもいかないので、連れてきました」
 アルベスは了解を求めるようにクレヴィンをうかがった。
 友人の死と従妹の安否を思うクレヴィンに、盗賊のこどもを心配する余裕はなかった。かれはしばらく冥黙したのち、やおら瞼をひらいて、薄暗がりの現実に焦点をあわせた。
 こどもはおびえた瞳で周囲を観察していたが、逃げようとする気配はなかった。クレヴィンが床几の上で身じろぎすると、身をすくませ、いっそう警戒するように見つめてくる。
「神殿があずかってくれるのではないかと思いますが…」
 ロノスのレセニウス神殿が孤児を受け入れるとは思えないが、身のふりかたを考えてはくれるだろう。
「いいだろう。侍女たちと一緒に世話してやれ」
 それからクレヴィンは思いついたように訊ねた。
「奪われた馬は厩にいたのか」
「はい。その…もう一度捕らえることに成功したものは」
 敵地を撹乱するためにカーズによって放された馬の大部分は、逃げ疲れたのちに戻ってきた。が、放たれたまま戻らないものもいた。戦闘にまきこまれて死んだものもいる。
「フリストはいたか」
 アルベスはそれがアマリアの馬の名であることに気づいて、しばし考えていたが、あきらめて首をふった。
「いいえ。見ませんでした」
 フリストがいなくなったと知れば、アマリアは悲しむだろう。まず、そのまえに怒るだろうが、この状態ではだれにも責任を求めるわけにはいかない。
 だが、そのアマリアの行方がつかめないのだ、
 盗賊を皆殺しにして、それでもまだ、見つからない。
 思いもよらぬ事態にあって、クレヴィンはただ漫然と時を費やすことを厭った。それはかれのやり方ではない。
 しかし、かれはいまではひとりではない。ベレックがあてにならないとなればかれは事実上イニス・グレーネの統率者とならなければならないのだ。
 はやる心のままにうごきだそうとすると、脳裏にうかぶ顔があった。
 感情を見せぬ冷徹な顔。
 若いのにすでに何十年も生きてきたかのようにクレヴィンを見おろし、そのことになんの感慨も抱かない、イニス・ファールの長の顔だ。
 クレヴィンはあのときの燃えるような屈辱と決意をうちによみがえらせ、身体をこわばらせた。その姿を陣幕の片隅から見つめているものがいたが、かれは気づかなかった。薄汚れたこどもがひとり、そばにいることなど、かれは忘れていた。
「クレヴィンさま…」
 遠くから伝えられてくることばが外で聞こえたとき、クレヴィンははじかれたように立ちあがった。
 同時にリルも立ちあがり、足早に出てゆく若者の後を追っていったが、そのことに気づいたものもいなかった。



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