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第九章



 ロノスは背後に大レセニウス神殿をひかえた門前町である。
 乙女の守護神であるひとつ角の神の霊顕を求めて多くの者がロノスを訪れ、参詣の間の宿泊地として利用した。結婚のゆるしを請うものばかりではなく、娘が授かるとその身の安全を求めて人々はやってきたし、病をえたと思えばそれもまた参拝の理由になった。
 ロノスは風光明媚な土地でもあった。
 イニス・グレーネの土地は概してたいらで、特徴なくつづく丘陵地帯がほとんどなのだが、ロノスの周辺は山の民カルファースの土地に近く、起伏にとんだ景観を臨むことができた。
 人々は参詣のついでに観光を楽しむこともできた。もっとも、こちらは暮らしに余裕のある一部のものに限られたが。
 カルファースは山の民であり孤独を愛した。他部族とは没交渉であったが、ロノスにはときおり訪れて特産物を売っていった。したがって商人は、カルファースの名産を手に入れるためにもロノスを訪れた。参拝客めあての商売もできる。
 おなじ門前町であるイニス・ファールのアーン・アナイスに歴史と規模では太刀打ちできないとしても、ロノスは活気ある町だった。第一、聖なる古都とはりあうような気は、ロノスには毛頭ないのだった。
 そのロノスの奥、峨峨たる山脈を背後にそびえさせた盆地の最奥に、レセニウス神を祀る神殿があった。
 各地にちらばるひとつ角の神の祠としては、もっとも大きく、権威も高い神殿である。
 事実上、レセニウスのものとしては一番の地位を誇るこの神殿は、大レセニウス神殿と呼ばれることが多かった。たんに一角獣の館といえば、この地のものをさしていることがほとんどだ。
 イニス・グレーネから正式に出立した姫君の参詣団は、ロノス領主の館に居を落ち着けたのち、神殿に詣でることをさまざまな理由をつけてのばしのばしにしてきた。
 しかし、到着より一週間が経過したいま、これ以上の遅延は不可能となりつつあった。
 神殿参詣にさだめられた日時があるわけではないのだが、婚礼の儀式には予定があった。
 イニス・ファールにある古神殿からは、双腕神の降臨の祀りにあわせて婚儀を行なうという通達がなされている。一行はその遅くとも三日前には、アーン・アナイスに到着している必要があった。
 そして、それにはあと五日しかないのである。
 ロノスからアーン・アナイスまで、早馬で駆ければ二日の行程である。が、姫君の輿入の行列がそんなにあわてふためいて走るわけにはいかない。威厳がそこなわれるというような、対面的要因はともかく、実際問題として、大勢の人間が隊列を整えて進んでゆくためには、相応の速度が必要なのだ。
 女王の次男であり、現在は囚われの身のお館代理を務めるベレックは、ロノス滞在が長びきはじめた頃から機嫌が悪くなり、相手かまわず当たるようになっていた。
 かれは極秘で設けられた深夜の御前会議の決定を受けて、もっともはやくロノスにたどりついたのだから、それだけ長く足止めを食っているわけで、同情の余地はないでもない。
 が、遅滞があきらかになるにつれ、事情をなにも知らされていないものたちも不審に思いはじめている。そんななかで統率者が不満をあらわにするのは、ほめられたことではない。
 ベレックは自分が不穏な空気をまきちらしていることには無頓着で、出立の期限が近づくにつれてますます短気に、怒りっぽくなっていった。
 アマリアがここにくる途中で盗賊に拐かされたことは、彼女を救いだした騎士たちと、ごく一部の者しか知らないことだ。大部分の者は、約二日の間、アマリアが不在であったことにすら気づいていまい。いずれ死者の弔いなどであきらかになるとはいえ、いまこのときにおいて、事は覆い隠され、口に出すことすら禁止されている。
 ロノスにきてからエセルは姫君の身代わりをつとめてきた。
 ムールンが影のように付き添って、ぼろをださないように気遣ってくれているが、エセルはおどろくほどに姫君らしくふるまっている。もともと、アマリアに非のうちどころのない所作を求めるものはほとんどいなかったので、神妙な花嫁の態度に感心しているむきすらあったほどだ。
 おかげで、本物のアマリアが病の床に臥していることを、だれにも気づかれずにすんでいた。
 だからよけいに、出立がのびていることが腑に落ちないのであるが。
 それはやはりなにも知らされていないロノスの領主も同様で、かれは幾度となく理由を探り出そうとしていたが、それだけはさすがのベレックもあかそうとはしなかった。
 きょうも領主は朝食の後にさりげなく探りを入れてきたが、ベレックのいらだたしげな一瞥とムールンの辛辣なことばに、なにひとつ成果をえられずにひきさがっていった。
「アマリアはまだ起きられんのか」
 領主が姿を消したあとで、ベレックはもう我慢ならないと苛立ちあらわに侍女に訊ねた。かれの声は領主からとりあげているこぢんまりした広間に響いて、列席者の顔をしかめさせた。
「申し訳ございません」
 アマリアのために用意した新しい優美な服を身につけ、姫君のように髪を結いあげているエセルは、領主の姿が扉のむこうに去ったときに、身を隠す衝立の後から出てきていた。
 花嫁になる娘は姿をみだりにさらしてはならない。しかし、彼女は実際は使用人であるから、必要のないときまでもったいぶる権利はなかった。
 間髪いれずに詫びたとはいえ、エセルはすこしも申し分けないとは思っていなかった。とりわけ、この図体ばかり大きくて冷静に事を運ぶことのできない粗野な男に対しては。
 しかし、彼女が謝ってみせたことで、ベレックは多少なりとも自分の怒りを認めてもらえたと思ったらしい。かれは怒りの矛先をを別の方向にむけた。
「いつまで待たせるつもりなんだ。あのわがままは自分がなにをしているのか、わかっているのか。伯母上、もうこれ以上ここにいるわけにはいかないんだってことは、あなたもよくご存じのはずだ」
 ベレックとは食卓をはさんでむかいあっている中年女性は、いつものひややかな表情をくずさずに小さな銀の杯を手にとった。
「おまえに人の考えていることが想像できたとは、恐れ入りましたね」
 皮肉な仕返しに、ベレックは鼻白んでムールンを睨んだ。ムールンは甥の視線をはらいのけるかのようにくびをふり、杯の中身を調べた。
「また、ロノスの地酒だわ」
 鼻の頭にしわを寄せてつぶやき、杯をおく。
 ベレックに言われずとも、彼女自身、状況を苦々しく思っているのだ。不満を能天気に口にだすことができる甥に、ことさら辛辣な口をきくのは、ムールンのここ二、三日の習慣となっていた。
「けれど、おまえの言うことももっともです。これ以上出立を延ばすわけにはゆかないでしょうね」
 卓の上で手を組むと、ムールンはその場にいる全員に覚悟を求めるように、ひとりひとりの顔を見わたしていった。
 エセルは身体をこわばらせてムールンの次のことばを待ちうけた。
「あした、われわれはアーン・アナイスにむけて出発することにします」
 ベレックが当然という表情でクレヴィンを見た。
 クレヴィンは無表情にうなずき、もてあそんでいた杯を口に運んだ。
「エセル」
 ムールンは侍女の名を苦渋に満ちた声音で呼んだ。
「おまえには、もうしばらく身代わりをつとめてもらわねばならない」
 覚悟を決めていたエセルは、すこしも迷うことなくうなずいた。
 だが、不安がないわけではなかった。ロノスに着いてからずっと顔色のすぐれないクレヴィンを盗み見て、彼女は心の中でため息をついた。
「神殿への参詣は、ほかのものをみつくろってすませるように。クレヴィン、お願いできますね」
「はい」
「それでは、おのおの支度をはじめるように。領主どのには私から話をしましょう」
 もう一度、確認をするために一同を見まわすと、ムールンは席を立った。
 侍女頭が広間から姿を消すと、それを追うようにベレックが腰を上げた。ようやく出発の許可がおりて、機嫌がなおったようだ。大男は杯の酒を一息で飲みほすと蒼冷めた侍女の顔を見てにやりと笑い、大股に去っていった。おそらく、部下の尻をたたきにゆくのだろう。
 エセルは杯には口をつけなかった。
 このところ、アマリアのふりをするために、いつもなら口にすることなどとうていかなわない料理を平然と食べつづけている。が、飲みなれているほうの酒は遠ざけていた。神経をとぎすませるためにだ。
 いついかなるときにも、どのような事態にも対処できるように。
 緊張は喉を乾かす。ほんとうはムールンが軽蔑する地酒であろうと、かまわない。ごくごくと音をたてて飲みほしたいくらいなのだが。
 そのかわりに、彼女はクレヴィンに尋ねた。アマリアの容体はどうなのかと。
 身代わりにたつようになってから、エセルはアマリアの顔を一度も見ていなかった。
 雨にうたれて熱をだしているとは聞かされたが、侍女にはそれで十分と思っているのか、具体的なことはなにも教えてくれない。
 クレヴィンと顔を合わせるのも、しばらくぶりのことだった。
 若いドゥアラスは食事の時以外顔を見せず、見せたときにも、ムールンにおざなりな報告をする他には口をきこうとしなかった。
 その顔色からなにかを思い悩んでいることは察せられたが、かといって主人の心配をしてやれるほど、エセルに余裕があるわけではない。
 彼女は黙ったまま杯をもてあそんでいるクレヴィンに、もう一度尋ねた。
「アマリアさまは、ご婚儀の際にはお元気になられるのでしょうか。アーン・アナイスまでの旅に辛抱なさることができるのですか」
 クレヴィンはわずらわしげに杯を置き、侍女を叱責しようとした。エセルはみがまえて待った。
 若者の黒い瞳はエセルの真剣な顔に会って、はじめて彼女に気づいたかのようにまばたきをした。
 はじけるかと思われた怒りはそれた。
「そうだな、おまえには問題だ」
 それからつづいた沈黙を、エセルは辛抱強く待った。
 クレヴィンはことばを選んでいる。どこまで話せばよいのか、思案しているのだ。
「もしかすると…いや、大丈夫だ。アーン・アナイスまでじゅうぶん行ける。無論、横たわったままということにはなるだろうが」
 歯切れの悪さにエセルは不安になった。
 クレヴィン自身もそう思ったのか、とりつくろうようにつけたした。
「だから、伯母上のおっしゃるのは、あちらまでの道中ということだ。式までにはアマリアも落ち着くだろう」
 言ってしまってから、かれは一瞬、しまったという顔をしてエセルを見た。
 エセルはつつしみ深く面をふせ、無表情をたもった。
 クレヴィンが口にしたことは、その場の秘事となった。エセルは聞かなかったことに、クレヴィンは言わなかったことに、無言のうちに同意した。
「もちろんですわ。恐ろしいめに遭われたのでしょうから、回復が遅れるのもいたしかたございません。私はアマリアさまがお元気になられるまで、せいいっぱい役目をつとめさせていただます。ご安心なさってくださいまし」
 エセルは深々と礼をするとそそくさとその場を辞した。
 クレヴィンの顔を見つづけることがつらく、それ以上にさきゆきが不安だった。
 もし、アマリアが婚儀にたちあえないとしたら。
 アマリアが盗賊に拐かされて、どんな体験をしたのかは、想像に難くない。エセルは幼かった自分を襲った、イニス・ファールの掠奪をそれにかさねて身をふるわせた。
 暴力への恐怖は、あれから十数年を過ごしてきた、いまの彼女にすらぬきさりがたく染みついている。恐怖と屈辱は、手にとれるように鮮やかな刻印を残し、消えることがない。それはいまだに足もとをぐらぐらと揺りうごかし、立っていられないような不安をもたらすことがある。
 この世の暗黒をアマリアが知ったことは、他人ごとでなく同情できた。
 だが、エセルだとて、恐怖から完全に自由でいるわけではないのだ。彼女だって、レーヴェンイェルムが恐い。
 身代わりがばれたら、死ぬしかないのだから。
 姫君のためにと用意された部屋で灰色によどんだ秋の空をながめながら、エセルははじめて、恋人にすがりたくなっている自分を発見していた。



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