天空の翼 Chapter 1 [page 6] prevnext


6 瞳にうつる影


 手首に巻きつけていた手綱が、自分の全体重を支えた瞬間。驚きとくい込んでくる痛みにルークは息を呑み、顔をしかめた。
 踊りあがるようにして飛びだした黒馬は、あっというまに速歩に入っていた。
 埃の立ちこめるなか、仰向けのままひきずられて蹄に踏みつぶされそうになるかと思われたそのとき、ルークは、黒馬が自分を引きずる原因となり、いまだに黒革の手袋ごと手首を締めつけている手綱を、歯を食いしばりながらふるえる腕でたぐりよせた。同時に身体をひねって地面からひきあげ、側面から馬の頸にしがみつく。
 背後からだれかが大きな声で叫んでいるのが聞こえた。声は騎士のものだとすぐにわかったが、びょうびょうとうるさい風と馬の騒音のせいでなにを言っているのか聞きとれない。それに、いまは遠ざかってゆくだけの男の命令を気にしている余裕はなかった。
 馬は脚をゆるめる気配をみせようともしない。だが、しいてルークをふり落とそうとするわけでもなかった。猛るようにぐいぐいと首を前につきだして、ただ、ひたすらに前へと駆けてゆく。
 躍動する黒馬の筋肉にゆすぶられ、四つの蹄が地を蹴る衝撃にふり落とされそうになりながら、なんとか鞍に手をかけることに成功したルークは、つかんだ鞍の縁を支点にして腕の力だけで身体を持ちあげた。地面を掃きつづけたマントが舞いあがる埃とともに背後に大きくひるがえり、片足が馬体を跨いで、腰が鞍の上に着地する。
 すると、この瞬間を待っていたかのように、黒馬はさらに速度をあげた。
 ルークはふり飛ばされそうになって、あわてて鞍をつかむ手に力をこめた。上体をかがめ、両股に力をこめて馬を挟み込んだ。鐙は下方で踊り狂っている。
 するどい風が顔を叩き、髪をなぶる。呼吸が苦しく、目には涙がにじみはじめている。
 古びた石積みのまわりに草の生い茂る山道の風景が、ものすごい勢いで後方へと飛び去っていく。
 舌を噛まないように荒い息をこらえながら、手首に食い込んだ手綱をふりほどいた。ほぐれた手綱を握りなおしたが、そのまま流れるたてがみをわしづかみにする。ようやく顔をあげたルークは眉間にしわを寄せ、噛みしめた歯の隙間から一言吐き捨てた。
「くそっ」
 さきほど聞こえたするどい音の正体はなんだったのか。
 いや、それよりも、黒馬はいったい、どこへむかって走っているのか。
 ようやく体勢をととのえなおしたルークだったが、馬を御することは早々にあきらめた。端から自分のいうことを聞くような馬ではない。ここまで先導するカーティスのあとを一見して大人しくついてきたのは、かれのというより馬自身の意志によるものだった。黒馬は、大神官が個人的に所有する馬のなかでも優れて賢い一頭だと評価されており、ルークもそれについては異存はなかった。特定個人の命令に耳を貸さないことをのぞけば、非の打ち所のない馬なのだ。
 だからといって、これほどまでの暴挙が許されるというわけではない。しかし、こちらを荷物程度にしか認識していない相手をどう処罰すればよいものか。対応に困ることは確かだ。
 道の傾斜がきつくなり、幅も次第に狭まってきた。
 エリディルはかつて砦だったと聞いている。その名残なのか、あちこちにくずれかけた城壁が視界を遮る。道は一本のはずなのに、うねうねと曲がりくねって、まるで迷路のようだ。猛烈な速度で疾走しつづける馬は、道の曲がるにあわせて自在に右へ左へと身体を傾斜させる。同調して重心を移動させながら、ルークは自分が別の世界に踏み込んでしまったような違和感に捕らえられていた。
 時代に取り残されたかのような廃墟の中に人の気配はない。陽光のまぶしさと、風にのって降りかかってくるたくさんの白い花びらが、現実感を奪い去ろうとする。
 蹄の刻む律動が、空虚な石積みに跳ねかえされて幾重にも耳に響いてくる。
「……!」
 蹄鉄をうった蹄が砂利を踏みつぶす音にまぎれて、なにかが聞こえた。空耳かと思われかけた声は、つぎの曲線をぬけると同時に、くっきりと意味のとれる言葉となって耳に飛びこんできた。
「だれか……だれかきて!」
 切羽つまった若い女の声だった。なぜか、ずいぶん高いところから聞こえてくる。
 鞍から落ちない程度に上体をあげて、声の出所を求めて視線を移動させた。
 ごちゃごちゃとした石積みのつづく奥に、比較的しっかりとかたちの残った強固な城壁の連なりが見えてきた。もしかすると、その上方に人がいるのかもしれない。
「たすけて!」
 見えた。
 霞のような白いもやのなかから、とつぜん浮きあがってきたようだった。
 ひときわ大きく築きあげられたいにしえの姿をとどめてゆるぎない城壁の上に、なにかをふりまわして叫んでいる人影がある。
 人影も、黒馬の蹄の音に気づいたらしい。いや、気づいたから、叫びはじめたのだろう。必死の呼びかけは、あきらかに馬上のルークにむけてのものだった。
「そこのおひと。お願いです。ここにきて、たすけて!」
 娘は、暗い色の布らしきものをふりまわしつつ、城壁の上で走り出していた。服の裾が風をはらんでひるがえる。馬の走る方向とは微妙にずれた進路からすると、こちらにむかっているのではなく、先導しようとしているのかもしれない。
 ルークは、返答に困った。
 馬なりに進むしかない状況で、助力を確約することなどできない。
「こちらです、こっちにきて」
 しかし、娘はかれが助けてくれるものとすでに思いこんでいるらしい。
 逡巡しているうちに鞍上での平衡を失いそうになり、あわててたてがみにしがみつく。
「こっちに、きてください!」
 黒馬が、まるで娘の声に応えるもののようにいなないた。
 ルークがこのふるまいに唖然としているうちに、馬は勝手に娘のしめす方向へと進みだしている。
 道幅はさらに狭くなり、両側の城壁は堅牢さを増してきた。遮られては射し込んでくる陽光に馬の律動が加わって、ルークの視界は光と影にめまぐるしく変化した。
 あまりにも動きが激しいので、世界が静止すると、つかのま、何が起きたのかわからなくなったほどだ。
 目の前にあらわれた石段は城壁の上部へと繋がっていた。陽光を浴びて輝くその最上部から、さきほどの娘が、スカートの裾をからげて駆けおりてくるのが見える。
 気がつくと、両手はたてがみを握りしめていた。黒馬が鼻息も荒くいらいらと足踏みをしているので手を離すと、いきなり首をふりかぶった馬に全身をひるがえされて、一瞬にして振りはらわれる。
 ルークは石段の最下段に落ちた。とっさに体勢を入れかえたので怪我の危険からは逃れたが、不意をつかれることの連続に精神的なめまいが去らない。
 身をたてなおして視線をあげると、連なる段差の途中になにか白っぽいものがひっかかっている。
 先ほどからかれを呼びつづけている娘は、そのわずか上で立ち止まると、白っぽいものを不安そうにのぞきこみ、もう一度、すがるようなまなざしをこちらにむけた。
「はやく、はやくきてください」
 急きたてる声音には、苛立ちが混じりはじめていた。ひきずられるようにして、石段をひといきに駆けあがる。
 白っぽく見えたものの正体は、風に吹かれては舞いあがる長い金の髪だった。
 髪の持ちぬしは、助けを求めてきた娘よりも多少年下と見受けられる少女である。地味な色合いの飾り気のない服の裾を風にあおられながら、黒々としてつめたい石段の途中に頭を下にしてあおむけによこたわっている。
 そのようすは、大地に向かってずり落ちていく途中、なにかの理由で時間のながれが止まったか、あるいはほとんど止まって見えるほどに滞ってしまったかのようだった。右腕と右足はすでに石積みからはずれた場所にぶらぶらとし、ちいさな頭も半分くらいは支えを失っている。重心が段の上に残っているため、かろうじて落下せずに留まっているのだが、ちょっと目には少女は宙に浮かんでいるようにも見えた。
 ルークは少女から視線をあげて、そのむこうに尋ねた。
「なにがあったんだ」
 助け手がようやく目の前にやってきたことに安堵の表情を浮かべていた娘は、ルークの問いに青ざめた顔をひきつらせ、素直に答えようとしなかった。
「そんなことより、フィアナさまをなんとかして安全なところまで運んでください。お願いです」
 身分差のうかがえない服装と敬称のとりあわせにかすかな疑念を覚えつつ、ルークは娘の表情を見る。
 興奮しているのか、走ったせいで苦しいのか、さきほどふりまわしていた生成の毛織りらしきかたまりをかき抱いて、息をはずませている。編んで頭にまきつけている赤褐色の髪が、ところどころほつれて風になびいていた。あるいは、とルークは思う。娘はこの状況を演出するのに一役買っているのかもしれない。
「……もしかして、なにかお礼が必要なの?」
 不安げな緑の瞳のうかべている懇願とかすかな非難を置き去りにして、ルークは狭い石段のわずかに残った隙間をゆっくりと踏みしめていった。意識を失ったままの少女を見下ろしてみる。
 かすかに、そしてゆっくりと、胸が上下している。呼吸はしっかりとしているようだ。段を踏みはずした拍子に、頭でも打ったのだろうか。それならば、あまりうごかさないほうがいいのかもしれない、と思うそばから、やはりこのままの状態にしておくわけにはいかない、という判断がとってかわる。なにかの拍子に均衡がくずれれば、今度は一番下まで落ちることは確実だ。
 しろい顔をあおのけて、かすかにくちびるを開いたまま、少女はまぶたを閉じてうごかない。しかしその表情に苦痛の色らしきものは見あたらず、まるで眠っているようだった。その少女の顔に服にと点々と散らばり落ちている白い花びらは、すべてを覆い隠さんばかりのいきおいでとぎれなく降りつづけている。
「フィアナさま」
 娘は必死になって呼びかけつづけていたが、反応はない。この状況ではむしろ意識がないほうが安全かもしれない。
 ルークは石段の上でひざまずいた。少女がこれより下の段にころがり落ちたりしないように、自分の身体で壁をつくる。まといつく髪をかきわけて支えのない後頭部へと手袋をしたままの手をさしいれると、ほそい頸ごとつかむようにした。
 そのままぐいとひきよせると、少女の身体はあっさりと動いた。予想外の抵抗のすくなさに、自分の力加減が黒馬との攻防を前提としていることに初めて気がつく。さきほどの記憶がまだ身体に残っているのだ。切りかえなければ、とルークは思ったが、そのときには、腰のあたりを支点にして少女の脚は勢いよく石段の外にふりだされていた。
「あぶない! 落ちる!」
 黒馬のいななきに匹敵しようかという娘の金切り声に、ルークは少なからずあわてた。
 少女の履いているしっかりとした革製の編みあげ靴のせいで、回転する力がさらに大きくなっているのだ。
 いまにも石段の外へと飛び出しそうになっている少女へむかって、自分の身体を支えるために残していた左手をのばす。触れたものは服だったのか、あるいは身体の一部だったのか、判断をくだす間もなくとにかくつかんで、身体をひきよせた。
 風と勢いにあおられて舞いあがってくる金の髪に視界がさまたげられ、ルーク自身の重心も少女の回転にひきずられて一緒に中空へとほうりだされそうになった。体勢を変化させてむりやり軸を戻し、なんとか石段に踏みとどまることに成功する。
 ほっとする間もなく、少女は懐の中へと落ち込んできた。
 ルークは回転の反動と少女の重みをかかえて、あおむけに倒れこんだ。かたい石積みの角にしたたかに背中を打ちつけ、一瞬息ができなくなる。
「だいじょうぶですか」
 娘が血相を変えて駆けよってくる。
「……ああ」
 咳きこみながらもなんとか応えると、心配そうな娘が身を乗り出してのぞき込んでいるのは、懐の中の方だった。
「フィアナさまは?」
 石段に体をあずけたまま、紗のように顔に覆いかぶさる長い髪をふりはらいつつ、胸を圧迫している重みを膝のうえに移動させる。
 骨格がたどれそうな身体の感触に、ルークはかすかに怯んだ。どこかを壊してしまったのではないかという不安に襲われる。
 おそるおそる少女に触れて、ぐったりとした身体をあおむかせる。娘が、手にした布を少女の身体を覆うようにかけた。どうやら、それは簡素なマントだったらしい。
 すると、髪よりわずかに濃いいろをした細い眉が、かすかにしかめられた、ような気がした。
 娘もそれに気がついて、さらにつよく呼びかける。
「フィアナさま」
 くしゃくしゃの金の髪の影にかくされた薄いまぶたが、わずかにふるえ、ゆっくりと押しあげられた。長いまつげの落とす影の下に、晴れあがった空のような大きな瞳があらわれる。
「フィアナさま?」
 まなざしははじめ、宙に浮いたようにぼんやりとしていた。澄んだくもりのない瞳に陽光が映りこみ、反射する。
 やがて、硝子玉のようだった瞳にゆっくりと意志がやどり、焦点をむすびはじめると、それは生の輝きをおびて息づくように瞬いた。
 中空を見るように静止していた瞳は、いつのまにか焦点をうごかし、自分を膝の上にのせている見知らぬ人物――ルークをとらえる。
 おもわず息をとめた。
 この、かすかにうるみをおびた瞳は、いったい、なにを映しているのだろう。
 陽光にうかびあがる自分の影のようにも思えるが、ものういような表情はどこか別の世界をかさね見ているかのようだった。茫としており、とらえどころがなかった。
 少女の紅いくちびるがわずかにひらかれて、白い歯がのぞく。
 そのようすをぼんやりと見ているルークの耳に、少女が喉をふるわせて発した声がとどく。
 いままで気を失っていたものの発するものとは思えぬほど濁りのない、透きとおった光のような声だ。
 かたちづくられた、ふるめかしい響きがかれに問うたのは。
「あなたは、だれ」
 とたんに、さきほどの感覚が――黒馬が飛びだす直前に感じたのものとよく似た、皮膚の粟立つような感覚が――かれをとりまいた。
 声がことばとなってようやく意識されたのは、響きが風にふきはらわれて、余韻も残さずに消えたのちだ。
 響きにうたれたのか、それとも問いに縛られたのか。
 身動きもままならず、ぼうぜんと相手を見かえすことしかできずにいると、それまで穏やかに凪いでいたはずの少女の視線が、にわかに険しくなった。
 ルークは、瞳のなかの空が青く燃えあがるのを見た。
 派手な破裂音が頬ではじける。
 突然身を起こした少女が、緊張をともなう一連の動作の後にくったりとくずおれるのを、ルークは混乱のまま、硬直のとけた両腕であわてて受けとめる。
「フィアナさま?」
 すっとんきょうな娘の声が、打撃に追いうちをかけた。
 腕の中の少女は、完全に意識を失っていた。
 身体のどこにも、力が入っていない。もとどおりだ。なにも変わっていない。さきほどの出来事は夢だったのではないかと思うほどに正体をなくしている。
 顔をのぞき込むと、そこには理由を問いただしたいと思うほどにやすらかな表情が浮かんでいた。
 片頬には、先ほどの衝撃が痛みとして残っているというのに。
 にわかにこみあげてきた疲労感を嘲笑うかのように、下方から馬のいななきが連続して聞こえた。まだそこに留まっていたのかと驚いたが、そういえば、かれをここに運んできたのはあの馬だったのだ。
 ルークは、自分がここにいる理由がわからなくなった。なぜだろう、黒馬にしてやられたような気がしてならない。
 娘は、目を閉じたままの少女と、石積みに背を預けてため息をつく若者の顔をしばらく見比べていたが、おもむろに落ちたマントをひろいあげて、もういちど少女の上にかけた。
「ねえ、あの……神殿まで連れていっていただけますよね?」
 おそるおそる笑みをうかべて尋ねる顔には、それまでは見あたらなかった罪悪感がはっきりとあらわれていた。



 酒場の戸口にたどり着いたときには、さすがに息が切れていた。黒馬はあっという間に走破した道だったが、自力でたどりなおすためには半刻くらいの時間走りつづける必要があったのだ。
 荒い息をつきながら体重を預けるようにして頑丈な扉を押しあけると、あたたかい空気が顔にまとわりつき、カウンターにいた数人の談笑していたらしい村人たちがふりかえった。その中に、求める姿がないことに気づいたルークは、汗で額にはりついた前髪をふりはらいながら、目をこらして首をめぐらし、薄暗い店内を見渡した。すでに開店準備を終えてととのえられた空間は火の入ったランプによってほんのりと照らしだされていたが、場所をとることにかけては牛並ともいえるアーダナの騎士の姿は、どこにも見あたらない。
 困惑している黒髪の若者に、カウンターの奥から一度に五つのジョッキを運んでいたあるじが気がついて、声をかける。
「ああ、あんたのご主人なら――」
「遅かったな」
 その声は、店の外からルークの背後を朗らかにはたいた。
 ふりかえると、建物の裏手から金髪の大柄な騎士と鹿毛の愛馬が、赤みをおびはじめた陽光を横から受け、長靴と蹄でゆっくりと地を踏みしめながらこちらに向かってくるところだった。ふたりとも――騎士も馬も――しばらく姿を消していた従者の埃まみれの姿に興味津々のまなざしである。
「約束通り、おまえの分の麦酒は私が飲んでおいてやったからな。ところで、従者ルーク、いままでなにをしていたんだ?」
 約束とはなんのことだと訝しみながら、ルークは答えた。
「城壁から落ちて怪我をした少女がいる。神殿まで運んでやってくれないか」
 カーティスはかたちのよい眉を片方だけ、わざとらしく跳ねあげた。口調にかすかにからかい気味の皮肉が混じる。
「馬のお荷物にしては上等なことを言うじゃないか。ブラドはどうした」
 黒馬の消息を尋ねられたルークは、思わずつきそうになったため息を押しもどす。
「少女についたままだ」
 あまりにも簡潔すぎて要領を得ない返答に、聖騎士は鼻の頭に皺を寄せ、かすかに癖のある金の髪を大きな手で思い切りよくかきあげたのち、ひとこと、わかった、と断言した。
「どうせ神殿に行くついでだ。おまえの説明を聞くより現場に行った方がはやいだろう。従者ルーク、おまえは後からついてこい」
「え?」
 不意をつかれた従者の目の前で、カーティス・レングラードは長身にしては俊敏な身のこなしを発揮した。あっというまに鹿毛にまたがり、いきおいよく宵闇色のマントをひるがえして飛び出しかけ、しかし、なにを思い出したのか馬をひきしめてふりかえる。
「ルーク!」
 騎士に名を連呼されるのにはだいぶ慣れてきたものの、これはいつになく真剣な呼び方だった。声に鞭うたれてルークは我にかえり、自分でもわからないながらなにかをかすかに期待してつづきの言葉を待ちうけた。すると馬上の騎士は大きな口の端をほんの少しもちあげて、青い瞳に人の悪そうな笑みを浮かべてみせた。
「親父に飲み代の支払いをしておいてくれ」
 ではな、と言いおいて駆け去ってゆくひとりと一騎を茫然と見送るルークに、いつのまにか隣にやってきていた酒場のあるじが気の毒そうにつけ加えた。
「五十ディルだ。よろしくな」



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