天空の翼 Chapter 1 [page 14] prevnext


14 ひらかれた窓


「それで」
 と、額に深く皺をきざんでふさふさとした眉をつり上げ、エリディルの守護はゆっくりと頭をめぐらせた。半眼のまなざしが、ひどく物憂かった。
「おぬしらは、どのようないきさつにより、拳で親交を深めることになったのだ」
 しわがれ声で問いかけられた守備隊の兵士たちは、重い沈黙の中で腫れあがった痣だらけの顔をたがいに見合わせ、ばつが悪そうにため息をついたり、隣同士で小突き合って痛みにうめき声を上げたりしている。
 兵舎の一階、太い柱と梁によって支えられ、神殿の紋章や紋様をあしらった古色蒼然とした垂れ幕がいくたりもさげられている城塞の広間に、男達が守備隊の副官によってひとまとめにされ、連行されてきたのは、少しばかり前のことである。
 エリディル神殿の守備隊は、兵士のほぼ半数が近隣の農民出身者で占められている。民族的な特徴として体格のよさがあげられる西の辺境人は、ふだんはのんびりと日常を楽しみ、そこそこに仕事に励む、いたっておおらかな性質の持ち主たちであったが、その一方で力勝負には眼がないという特質もあり、しかもいったんタガがはずれると理性を取り戻すのに一昼夜かかるといわれるほど我を忘れてしまう、困った性癖をもそなえていた。この性質は、古くは戦場における激烈な戦闘意欲としてあらわれたことがしられている。
 もっとも、いま雁首揃えてうちしおれている男達の顔を見て、驚愕や畏怖ともにいくつものいさおしに謡われた、血塗れの狂戦士を想像するものはいないだろう。実際、戦乱から遠ざかった現在のエリディルにとって、狂戦士は無用の長物でしかない。
 守備隊の隊長を兼任するフェルグス卿は、炉のかたわらに据えられた自分専用の椅子にどっかりと腰を下ろしたまま、騒ぎを起こした部下達に苦々しい視線を投げあたえていた。
 歴史あるエリディル神殿の一員として、アーダナの聖騎士の来訪を礼儀正しく粛々と歓迎する――そんな非現実的なことを部下に望んだわけではなかったが、それにしても、守護として優秀な守備隊を規律正しく運営することを夢見たことがないわけでもない老騎士にとって、このありさまに落胆をとおりこして物寂しいような気持ちにさせられたことは事実なのだった。
「おぬしたち、体力があり余っているようだな。夕飯は抜きにして教練を聖騎士に披露して見せようかと思うが、どうだ」
 投げやりな調子でひげに埋もれた口が提案する。
 もちろん、実際にするつもりはないのである。日没後に大規模な教練をする必要も、余裕も、辺境の守備隊にはありはしない。憂さ晴らしにただ口にしてみただけなのではあるが、地を這うような不満の声が広間全体にひろがるのを見おろすうちに、フェルグス卿の眼には不敵な光が宿りはじめていた。
「なにか言いたいことがあるようだな。正当な理由があれば聞いてやってもいいぞ」
 事情が事情である故に表立っての反論はなかなか聞こえてこなかったが、そのぐずぐずとした抵抗がかえって老騎士を煽ってしまった。
 梁に吊り下げられたランプの光の下、威圧感たっぷりに、そしてなにやら楽しげに部下達を睥睨するかつてのあるじを、聖騎士カーティス・レングラードは広間の片隅から感慨深い思いで眺めていた。
 そこに、さりげなく近づいてくる男がいた。左手に角燈を持ち、カーティスの視線を捉えて丁重に会釈をしてみせる。それは、さきほどフェルグス卿から聖騎士の世話を任じられたばかりの、守備隊の副官だった。
「お待たせいたしました。カーティス卿、こちらへどうぞ」
 そう言って背を向け、歩みはじめた男の後を追うために、カーティスは背中を預けていた壁を押しやって、よっとばかりに体勢を立てなおした。最初の一歩を踏みだしながら、ふと思い出して背後をかるく意識する。何も言わなくてもついてくるのはわかっているが、とりあえず気付けのために声をかけておく。
「従者ルーク、ついてこい」
 案内されたのは、広間からのびた暗い階段を登りつめたところにある一室だった。
 窓は少なく壁が分厚い、太い梁と柱がむきだしの、いかにも古城の天守といった趣の空間である。それほど広くはないものの天井が高く、傾斜のついた壁の一角に高窓があるため、昼間であればそれほど暗くもないのかもしれない。しっくりと馴染んでいる年代物の品のよい重厚な調度は、おそらくこの部屋の住人に代々受け継がれてきたものだろう。壁際には隙間風よけのための古い綴れ織りがかけられ、卓子におかれた燭台の炎によって仄かに白い翼の紋様がうかびあがって見えた。暖炉には火が燃えさかって、そのかたわらに、身支度を整えるための大きな水差しと手桶が用意されていた。
 とりあえず、夕食までここで過ごすように言いおくと、副官はふたたび丁重に辞儀をして去っていった。
「ここはフェルグス卿の私室だな」
 部屋をぐるりと眺めると、カーティスは留め飾りを外して宵闇色のマントを身からひき剥がし、かたわらにあった椅子の背にばさりとかけた。
「で、そっちはどんな具合だったんだ。従者ルーク」
 黒髪の従者は、二人分の荷物を絨毯の敷きつめられた床に下ろしたところだった。暗いのでわかりにくいが、少し青ざめているようだ。
 もしかすると、こいつに昼飯をとらせるのを忘れていたのかとカーティスは気づいたが、本人が言いださない限りその話は置いておくことにする。
 そんな思惑には気づかないルークは、視線を床の荷物からあげると、いつもに増して無表情に淡々と報告を始めた。
「このあたりに最近何者かが侵入した形跡は、見あたらないようだ」
 カーティスは当然だ、とうなずく。かれ自身も村の酒場でそれとなく探りを入れてみて、おなじ結論に達していた。
「寝る間も惜しんで駆けどおしに駆けてきたんだからな。これで長老がたに先を越されるようなことがあれば、我々も浮かばれない。それから?」
「ここから普通のやり方で人目を避けて外へ出るのは、かなり困難だと思う。出入り口は数カ所あるが、どれも現在は封鎖されている。使われているのは我々が通された通用門と、守備隊用の門だけのようだ」
「人件費を節約しているんだろう。そのぶん警備も手薄なはずだが」
「城壁を乗りこえることは可能だ」
 古い砦時代の城壁は、なるほど堅牢でびくともしないが、手入れが行き届いていないので手がかりには事欠かない。簡単によじ登ることができるだろうと思われた。
 しかしそれは、現在の身軽な状態においての話。
 任務遂行の過程において、かれらはこの先、機動性における重大な変化を考慮に入れなければならないことになっていた。大荷物を抱えて高い石壁を乗りこえるのは難しいだろうが不可能とはいえない。しかしその場合、徒歩で山を降りなければならない。しかも、大荷物は悲鳴をあげたり、抵抗したりする可能性もある。相当難儀なことになるだろうし、さらに別の問題もあった。馬たちにここの城壁を乗りこえさせることはできそうもないが、のちの旅程に馬が必要になることは確実だった。
 カーティスは老騎士の大きな椅子に腰を下ろすと背を預けて脚を組み、わずかに波うつ金の髪を後へかきあげながら短くうなった。
「その選択肢は使えないとみておいたほうがいいな……仕方ない。神官長には気の毒だが、やはり正面から攻めることにするか」
 そういいながら目元に思案の影をよぎらせる。
 つづく沈黙の間に、神妙な面もちでつぎの言葉を待ち受けつつ、荷ほどきをはじめた従者の姿を眺めた。あいかわらず動きに無駄がない。口数の少なさと、表情の乏しさも変わらずである。カーティスは、ふとこの若い相棒の横っ腹をつついてやりたい衝動に駆られた。
「そういえば、従者ルーク」
 声の調子を微妙に変化させると、ルークは手を止めてこちらを見た。闇の瞳がわずかに収縮する。
「おまえ、私の知らないあいだに、なにやらやらかしたようだな」
「……」
 おだやかな問いは、思いがけずに相手の痛いところをついたらしい。
 ルークは顔を伏せて荷ほどきを再開すると、無言のままに当座使用するものとしばらく必要のないものに荷を分け始めた。
 そのやり方がいつになく逃げ腰なのに気づいて、カーティスはおや、と思いながらつづけた。口調はからかうようなものへと変えてある。
「フェルグス卿の従者見習いだったか、あの坊やはおまえのほうをものすごい形相で睨めつけていたぞ」
 それからやおら立ちあがると、手桶に汲みおかれた水に手をつけた。なまぬるい液体が骨張った大きな手をくすぐる。湯が冷めてしまったのだろう。
 とりあえず、埃と汗で汚れた顔と手を洗うと横にそえられていた手ぬぐいで水気を拭き取り、さっぱりとしたところでカーティスは後ろをふり返った。ルークはそのまま、荷物を分ける作業に没頭するふりをしていたが、手が止まっている。
「それから、三の巫女の後見の騎士どの。ビリング卿といわれたか。かれは私になにか言いたげだったような気がしたが……あれはなんだったのだろうかな」
 ルークはほどきかけた鞍袋の前に座りこんだまま、なにかを真剣に考え込んでいるようだった。ひたすら無言のままである。
 しばしの時が経過した後、カーティスはさすがにすこしばかり心配になって、声を和らげた。
「なんだ、またなにか問題があったのか」
 何事にも臨機応変。さまざまな状況で場数をこなし、アーダナ一の機転を誇る聖騎士団のはみ出し者カーティス・レングラードであったが、この若者から返ってくる反応には、これまでもたびたび面食らわされてきた。
 ルークは無能というわけではない。最上とはいえないまでもそこそこの水準の従者だと思う。側仕えとしては無愛想に過ぎるのが難点だが、従者仕事をはじめてまだ日の浅い、不慣れな若者に望めるかぎり無難に、ときには期待以上に仕事をこなしている。その習熟速度には目を見張るものがあった。いずれ、すべての日常作業を自分よりもすばやく的確に成し遂げるようになるのではないかと、カーティスは予想している。
 つまり、問題は、つとめそのものではない。
 カーティスがとまどうのは、これまで出会い、つとめをともにしてきたどんな従者とも、いや、おそらくはどんな人間とも勝手の違う、ルークのふるまい、あまりにも寡黙で振幅幅の少ない意思表示の仕方のためなのだった。
 聖騎士がルークと初めて顔を合わせたのは、いまからひと月ほど前のことである。
 突然呼びつけられた大神官の私室でおたがいを紹介されたとき、カーティスは大神官の豪奢な装束をまとった御方のかたわらに控える、地味すぎるたたずまいの若者に少なからぬ不審を覚えたものだ。
 聖騎士の従者は、聖騎士団に入団して一年以上経った見習いから選ばれるのが慣例となっている。が、それまでこんな姿をした若者を見かけた記憶はなかったし、それらしき人物の情報を耳にしたこともなかった。
 数年いれば内部の人間のほぼすべてと顔見知りになってしまうような組織に身を置きつづけて十余年。古参のお歴々はいわずもがな、たいていの見習いや下働きの顔をも把握しているカーティスである。それなのに、これから自分の従者になるという人物の見当をつけることができないとは、どういうわけか。
 内心首をひねっていると、かれを呼びだした張本人が微笑んで、種を明かした。
 黒髪の若者は、カーティスの眼をすり抜けて騎士団内に潜んでいたわけではない。
 単にそれまで一度も団に籍を置いたことがなかった、というだけのことだったのだ。
 この慣例を無視した人事の背景には、カーティスの影の上司ともいえる大神官の意向が強く働いていた。正騎士には自分の従者の選択がある程度許されているのだが、今回のカーティスにむろんその余地はなかった。反論しようにも叶わない高所からの押しつけ人事である。断ることもできるのだと命令者は笑いはしたが、それを真に受けて長年つとめつづけた職を失う愚を犯す冒険心は、いかにカーティス・レングラードといえど持ち合わせてはいない。
 カーティスはこの命令を甘んじて諾した。どうせこれまでも従者を思い通りに選べた試しなどなかったのだ。それを不満と表明できる地位を聖騎士団内に築いてこなかったことは自分自身の不明として受け入れ、潔く現実に対応するのがかれの流儀である。
 そんないきさつでやってきた新しい従者は、悪意のないままに、カーティスの平穏であるべき精神生活を散々にかき乱してくれた。
 まず、若者には騎士のつとめがどういうものであるかを理解していないところがあり、これがカーティスにとってはちくちくととぎれなく生じる困惑の種だった。騎士団での見習いを経験していないせいなのだろうが、それまでの従者とはどんな険悪な状況でも成立していた基礎的な部分での意志の疎通が、やけに難しく感じられるのだ。
 しかし、それよりもなによりも理解に苦労したのは、出立直前に主従関係の誓約を解かれた、そのあとの若者の存在の不安定さだった。
 喜怒哀楽が表に出ないのは、その一端に過ぎない。まなざしからは焦点が失われがちで、ともすると自分が自分という存在として、この世に生きていることを忘れているのではないかと疑ってしまうことすらあった。
 このことに関して、カーティス自身は傍観者でいるべきなのかもしれなかった。かれが受けた命令は巫女についてのみ関わりがあり、臨時雇いの従者については任務の共同遂行者という以上の意味を与えられてはいなかったからだ。
 しかし、ある意味ではまったく頼りにならない人材を押しつけられたにもかかわらず、カーティスはこの若者を冷たく突き放す気にはなれなかった。
 ひとつには、大神官が期待に値しない人物をこの任務に割り当てるはずがないと考えるからであり、それをルーク自身が身をもって実証してきたからでもある。なるほど、ある分野に関してのルークは専門家であり、カーティスが舌を巻くほどの腕前を示してみせた。飼い馴らす苦労は大きいかもしれないが、あるいは成果も期待できそうだと、カーティスは踏んだ。
 そんなわけで、カーティスは旅の間、ともすると無自覚に状況に流されてしまう若者に、当座の行動を円滑にするために必要な規範を示し、騎士としてふるまうために必要ないろいろを身体に叩き込んでやらねばならなかった。文字通り、手取り足取りである。
 ルークは言われたことには素直に従い、すぐにはできないとわかったときにも努力を怠ることはなかった。その態度は真摯そのものであり、指導者としてはかなり好ましいものだった。返事をできるかぎり簡素化したがる性癖だけはいっこうに改善しないのだが、それも一応はなおそうと努力してはいるらしい。
 それでも問題はつぎからつぎへと生じつづけた。
 この若者、聞き分けはいいが融通のきかない性格の持ち主だったのだ。
 複雑な現実においては、ある場面で適切だったひとつの命令が、べつの状況では齟齬を生むことはめずらしくない。あらたに受けた命令と過去の命令に矛盾を生じることももちろんある。そんなとき、人間はその場で臨機応変に物事の優先順位を定めてゆくものだが、ルークのように中心となる規範が確固としていない場合、それはひどく困難なことになるものらしかった。
 命令と命令の間で立ち往生するルークを、幾度目の当たりにしたことだろう。
「つとめに支障をきたすかもしれない要因は、きちんと報告しておけよ。だいたいおまえは――」
 そのあとに何を諭すべきかを迷い、指を額にあてて言いよどんだカーティスに、
「……むずかしい」
 ルークがぼそりと言った。
「何が?」
「カーティスの命令だ。そこにいろと言われたが、いつのまにか後に下がってしまう」
 気配を消して人目につかないようにふるまうことを、ルークは、後へ下がる、と表現した。初めてのことだ。
 端からはただぼんやりとしているように見えるだけだが、こいつも少しは悩んでいるらしい。
 そうとわかってすこしばかり報われた気分のカーティスは、若者の真剣な顔にむかって、呼び捨てるなよと釘をさし、つとめて気楽そうにつけ加えた。
「おまえが目立たないでいるほうが楽なのはわかってるが、今回の任務は影の存在でいてはつとまらない。おまえひとりで護衛をつづけなければならないこともあるだろう。そこに護り手がいる、というだけでわずかな危険を回避できることもあるのだからな。努力しろ」
 ルークの気配を消す技は、訓練によって会得したものではないという。ふとした呼吸で人の意識の影の部分に入り込み、視界の中にありながらそこにはいない存在として背景の中に溶けこんでしまう。完璧すぎるほどの隠蔽の技。それは経験を積んだ剣士であるはずのカーティスにすら、ときに存在を見失わせるほどのものだった。
 その技をルークはとくに意識することもなく、呼吸をするかのようにおこなっているという。むしろかれにとっては、居ながらにして現実として存在しない、その状態の方が自然なのらしい。あきらかに人間として問題があると思うのだが、そこにはルークの精神のありようが大きく絡んでいるのではないかと、カーティスは推測している。
 現実に、いまのルークはほうっておくと自分を失い、何者でもない存在になってしまう恐れがあった。だから、カーティスは事あるごとにかれの名を呼ぶのだ。ときどき、自分でもうるさい母親のようだと辟易してしまうことがある。
「それはわかっている。だが、いようとすると、どうしても余計なことをしてしまう」
 聞きようによっては弱音ともうけとれるこの言葉に、カーティスはむくむくと好奇心を膨張させた。
「どんな余計なことだ?」
 せっつかれた若者は、ほんのすこしむくれたように口ごもって、顔をそむけた。自分の失態を隠したいと思うようになったのだろうか。するとこれは、まず進歩というべきものかもしれない。
「まあ、それはとりあえず努力目標としておくとして」
 カーティスは話題を切り替えることにした。ルークの問題は一朝一夕でどうにかなるようなものではない。それにつつく材料はまだ他にもあった。かれは鞍袋から細工物の小箱を取り出すように言い、手のひらにのるほどの小さな宝石箱をうけとると、それを眺めながら訊ねた。
「おまえ、巫女に会っただろう」
 突然の話題変更に、とまどった若者からはぎこちない肯定が返ってきた。
「ああ、会ったな」
 礼儀のなっていない返事を訂正したいという欲求をひとまず我慢して、カーティスはにっこりと微笑んだ。
「感想は? 我々の巫女は、見目麗しく愛らしかっただろう?」
 すこしばかり自慢げな聖騎士に、ルークはそれまでそむけていた顔をむくりとあげると、かれとしてはいくらか挑戦的なまなざしをむけてきた。
「ひとつ聞いてもいいか」
「もちろんだ」
 カーティスは真顔のルークに質問をうながす。
「あの巫女が十七歳だというのは、確かなのか」
 カーティスは真面目な顔で問い返してみた。
「そうは見えなかったか?」
 見えない、といつになく雄弁に断言しているルークのまなざしに、カーティスは苦笑する。
 亡き姉の面影を色濃くうつした顔立ちで一目でそれとわかったフィアナだったが、確かに予想以上に幼いままだった。未成熟な身体がそうみせるというだけではない。小さな顔に浮かべる表情そのものが無邪気さを多く残しており、実年齢との違和感を増幅させていた。隣に若さではちきれそうな侍女が並ぶとさらにその違いがきわだってみえる。
 それでも、
「まちがいなく十七だ。私が騎士団に入ったときあの子は三歳で、ちょうど巫女になったころだったからな――あれはたぶん私の家系なんだよ」
 ルークは嘘だろうと言いたげな顔をした。さらに脳裏にうかべた巫女の姿と比較するかのようにかれの体躯をまじまじとながめている。そのようすがずいぶんと子供っぽかったので、カーティスは声をあげて笑ってしまう。
「まあ、聞けよ。私の母方の血筋には、ときおりあんなふうに小柄な女性が現れるんだ。そういう女性は、異能の才を発揮することが多い。グローズデリアの血筋とは明らかに別物だが、似ているところもあるかな」
 グローズデリアの中央の黒髪の家系も、過去に宝玉の巫女を多く輩出している。クレアデールはその典型的な例である。
「そう、私の祖母がちょうどあんなふうだった。小鳥のようにちいさくて折れそうで、髪の色も目の色も淡い。遠い昔に混じったという、いにしえびとの血がそうさせるんだと聞いたことがあったが……」
 聞いているのかいないのか、説明するあいだに若者はふたたびまなざしの焦点を失わせ、ぼんやりと宙を眺めはじめた。
 まあ、そんなことは余談だな、と言いおきながらカーティスは箱をもてあそび、笑いを含んだままの眼でルークを見やる。
「歳はどう見えようと、彼女がこれから我々の護るべき巫女であることに間違いはない。なにか不満があるのなら、今のうちに言っておけ。考慮する。だが、あとになったら受けつけないからな」
「不満は、べつにない」
 答はきっぱりとしていた。この点ではなにも悩んでいないらしい。
 聖騎士は、組んで日は浅いが自分の相棒と認めるに至った相手の、あまり人に顧みられることのない顔を真正面から見据えた。周囲がその不鮮明な印象から漠然と感じとるよりも、はるかに少年らしさを残した頬の線が、かすかに力んでいた。不揃いな前髪の奥から、真剣なまなざしがまっすぐに見返してくる。その瞳は、驚くほどに澄んでいた。
 そうなのだ。ルークは、まだほんとうに若かった。当初、カーティスはその年齢を二十歳前後と見積もったが、今となっては、もっと下であってもおかしくないと思っていた。
 そして、こんなふうにルークと真向かっていると、カーティスは昔飼っていた犬を思い出すのだった。黒い毛並みのしなやかな肢体と明晰な頭脳を持った優秀な猟犬で、ぬれた黒目がちの眼でじっとかれを見あげ、かれの声にいつも真剣に耳を傾けていた。ルークのことが気にかかるのは、犬の思い出のためなのかもしれないと思うと、なにやらおかしい。
 本音をいえば、ルークより犬の方がずっと素直で扱いやすい。犬はカーティスを唯一のあるじと認識していたが、ルークは違うからだ。かれはいずれ新たなあるじを得なければならない。しかし、犬と同列に扱っていることを知っても、ルークならば大した感想は抱かないかもしれないとも思う。
 ちょうどいいので、眼前のつとめに対する覚悟をつけさせておくことにする。
「ならば、この任務、全力で遂行できるな」
「当然だ」
 よし、と重々しくうなずいてカーティスはつづけた。
「それでは、これからはできるうるかぎり巫女と良好な関係を築くように努力しろ。護衛にとって護るべき存在は神にも等しいものである。相手を尊重すること。できれば相手を好ましく思うこと。仲良くなる分にはどれだけ深入りしようとかまわない。私が許す」
 いったいなにを言いだすのだ、と眉をひそめる若者に、聖騎士はただし、とふんぞり返って念を押した。
「仲違いは厳禁だ。間違っても喧嘩はするなよ」
 わざと含みをもたせた言い方に、なにか思いあたることでもあったのだろうか。
「……善処する」
 今度のルークの返答は、先ほどとは比べものにならない歯切れの悪さだった。


 ミアは、ふたたび走っていた。
 さきほど通ったばかりの道を反対方向へ、焦りながら石畳を蹴っている。
 日没の鐘もとうに鳴り、周囲は真っ暗になっていた。けれど侍女となってからは日々通い慣れた道であり、手にしたランプが周囲を照らしているので、足元が気になるというほどではない。
 いま、娘の心を苛んでいるのは、長時間つとめを放棄して、女官長に大目玉を食らってしまったことの方だった。
 初めは、ほんの少しのつもりだったのだ。厨房で賄い見習いのビニーに弁当用の籠を返却するように要請されたとき、ミアは、聖騎士の従者に預けた籠を受け取り次第、すぐに戻って来ようと思っていた。
 実のところ、そのときすぐに籠を取りに行く必要などないことはわかっていたのである。しかしミアは、女官長が指示した消化のよい夕食だけでは、フィアナの空腹はぜったいに癒されないだろうと強く確信していた。ふだんから大食らいの巫女が昼食抜きでフラフラしているのに、かるい食事くらいで満足できるはずがない。そこでミアは、賄い頭の力作弁当の食べ残しを思い浮かべ、ビニーがこしらえてくれる膳にシャンスのパイだけでも添えてあげられれば、と考えついた。そうすれば、フィアナも弁当をまったく食べられないというわけではなくなるし、食べ残しに対する賄い頭の不満も少しはやわらぐのではあるまいか。
 ミアは自分で自分の考えにほれぼれとした。そうと決まれば、さっそく実行に移すのみである。
 しかし、事は思惑通りには運んでくれなかった。一番の誤算は、自称従者見習いのジョシュである。親族中でもっとも夢見がちだと定評のあるジョシュ・ハーネスだが、まさかあそこまで思慮分別に欠けているとは思わなかった。呆れて物もいえないとはこのことだ。
 たしかにあの黒髪の若者がカーティス卿の従者とは思えぬほどに地味で、しかもかなり頼りなさそうでもあることは、巫女付きの侍女としても認めるにやぶさかではない。けれど、自分がそれをいえる身分かどうかをきちんと自覚しているのだろうか。ジョシュが従者見習いを名乗っていられるのは、守護と副官のお情けのおかげにすぎない。
 そのうち、ジョシュの母親には注進しておいたほうがいいだろう。こんな調子ではこれからもなにをやらかすか、わかったものではない。
 ともあれ、親族の暴走をなんとかとどめようという試みは不首尾に終わり、そのうちいつのまにかミアはすっかり時間の感覚をなくしていた。ついでに、自分がなにをしている途中だったかもきれいに忘れてしまった。すべてはジョシュがあの従者に絡んで始めた、殴り合いのせいである。
 しかし、乱闘中に駆けつけてきた聖騎士が、見ほれるような身のこなしでつぎつぎに暴れる兵士を取り押さえる姿に、すっかり我を忘れて歓声をあげていたのはまずかったかもと、自分でも思う。
 背後から力強く肩をつかまれて、なにするのとふりはらおうとした瞬間に目に飛び込んできた、女官長の笑顔の恐ろしさときたら。
 あの瞬間、ミアの心臓は大きな音をたてて縮みあがった。
「ミア・ハーネス。あなたのおつとめは何ですか?」
 思わずくるりと反転して逃げだす背中に、女官長は声で追い打ちをかけてきた。
「フィアナさまの夕食は、もう運びましたからね。あなたは部屋に戻ってお世話のつづきをなさい!」
 なんということだろう。
 ミアは、六の巫女付きの侍女として命じられたつとめを、きれいさっぱりすっぽかしてしまったのだ。
 さっき彼女があんなに咎めたジョシュと、やってることはおなじではないか、と思うととてつもなく情けない。
 うごけないほどお腹を空かせ、もしかしたら涙を流しながら食べ物を待ちわびていたかもしれない六の巫女に申し訳がなく、この穴埋めにフィアナにはうんとよく世話をしてあげなくては、とミアは決心した。
 かえすがえすも悔しかったのは、せっかくの弁当が籠とともにふり回されたおかげで無惨に分解し、原形をまったくとどめていなかったことだ。中身を揺らさないように注意するのを忘れた自分が悪いのだが、あの籠を見たらだれだって中になにが入っているのか、見当くらいつくだろう。
 やっぱり、あの従者は気が利かない、としみじみ感じてしまうミアだった。
 石段の上でフィアナを助けてくれたときには、ずいぶん感謝をしたのだが――。
 部屋の前にたどりついて、ミアはふうと息をついた。
 忙しなく駆けてきたので、呼吸が荒かった。乱れた髪を顔から払いのけ、すこし深呼吸をして息をととのえてから、あらためて扉に向きなおる。歳月を刻んだ重厚な木製の扉が、いつもより幾分よそよそしく感じられた。気が咎めているからだろうか。ノックをしようとあげた手を、すこしばかりのためらいとともに止めたミアは、すぐに思い直して声をはりあげた。
「フィアナさま、お待たせして申し訳ありません」
 入ります、とつけ加えて扉を開く。
 室内はしんと静まり返っていた。燃えさかる暖炉の炎以外に光源はなにもなく、ようすがなにもわからない。
 それに、とミアは妙なことに気がついた。
 頬をつめたい空気が撫でてゆくのは、どうしたことだろう。
「フィアナさま?」
 ミアは手にしたランプを掲げて、慎重に足を進めはじめた。
 卓子の上に、自分の運ぶはずだった料理が盆に載ったままで置かれていた。女官長の言葉が正しかったことを確かめて、ミアはため息をついた。しかし、冷えてしまった料理にはほとんど手がつけられていない。
 静寂の闇につつまれたまま燭台の蝋燭に火を移すと、ミアは少々身構えながらあたりをゆっくりと見渡した。
「フィアナさま、どこですか」
 さしあげたランプの光に押しのけられて視界がほのかにひろがるが、まといつく闇を完全にふりきることはできない。
 吊り下げられた綴れ織りのつくりだす深い陰影に、ミアは急な不安に襲われた。寒さのせいなのだろうか、妙に背中がぞくぞくする。
「フィアナさま?」
 おかしい。なにかが変だった。
 滞りそうになる思考の片隅で異変を察知し、ミアは息をひそめた。
 耳元で、かすかに鳥の羽ばたきのような音を聞いた気がして、にわかに全身が緊張する。
 鳩でも入り込んでいるのだろうか。
 探るように視線を動かし、気配を探るうちに、奥の窓がひとつひらかれて、無防備に外気を迎え入れていることに気がついた。
 冷たい風の理由は、これだったらしい。
 ひとつの不安が解消されて安堵したのも束の間、ミアの眼はまたひとつ、べつの異変を発見した。
 輝く白いなにかが、点々と床の上に散っているのだ。
 ランプの光を手で遮り、眼を凝らしてみると、それはちいさな花びらのようでもあり、鳥の羽毛のようでもあり、あわい雪片のようでもあった。
 ミアはどくどくと脈うつ自分の心臓の音をうるさく感じながら、見るまに薄れはじめる光の欠片のつらなりの、その先へと視線をのばした。欠片はひらかれた窓へとミアを導いてゆく。
 そこに、なにものかの気配を感じ取り、ミアは足をとめた。
 ふたたび、今度は風の音がした。
 風を抱いてはためくのは、鳩ではありえない大きさのなにかだった。それは窓の上にあって、外界とミアとの間をふさぎ隔てるように存在している。星明かりを遮って黒々とわだかまる何者かの冷ややかな気配は、不安に満たされかけている胸をさらにつよくかき乱すものだった。
 ミアはあえぐように息をしながらランプを高々とさしあげた。そこにいるものの正体を確かめるために、懸命に視線を固定しようとする。
 突き刺すような意志を感じて、ミアは反射的に目を閉じた。
 ランプの炎を照り返し、なにかが鋭く光ったのだ。
 その輝きが、ミアには、何者をも見逃さぬ、冷徹な猛禽のまなざしと見えた。
 こんなところで、こんな暗がりで、こんな時刻に。
 のしかかってくる途方もない存在感に圧倒され、恐怖と孤独に、このまま死んでしまうかもしれないと覚悟した数瞬が過ぎる。
 ばさり。
 空気を叩き伏せるような音がして、気配が飛び立った。
 次第に遠ざかる気配に息を殺し、これ以上はできないというほどの緊張が次第に間延びして、うすれた時間の感覚がふたたび戻ってきたとき。
 周囲に満ちていた違和感は、嘘のようにぬぐい去られていた。
 これは夢だ、と自分に何度も言い聞かせながら、ミアはゆっくりと目をひらいた。
 ひらかれた窓に、何者も存在しないことをあらためて確認し、大きな安堵とかすかな失望を覚える。
 いったい、とミアはぼんやりと思った。
 いまの出来事はなんだったというのだろう。
 やはり、鳩だったのだろうか。すこし違っているのではと思いはするが、感じ取った異変の記憶はすでに霧のように薄れてしまい、いまではそれが一番妥当な説明という気分になっていた。なにかの拍子に窓がひらかれて、そこにたまたま鳩が迷い込んできた。きっと、そういうことだったのに違いない。
 そんな些細なことに怯えて、大騒ぎをしたなんて。ものすごく滑稽なことをしてしまったような気がする。
 ゆるんだ緊張のまま座りこんだミアは、ほうと一息ついたあと、そこに白金のようにかすかに光をはじいてゆるやかにうねるなにかを認めて、思考を止めた。
 床を這うようにして暗がりに横たわっているのは長い髪だった。この部屋のあるじのものとよく似た、あわい金の色をしたゆたかな髪。そしてその髪を全身にまとって仰臥する人影。
「……フィアナ、さま?」
 返事はない。
 そのかわりに、というわけではないのだろうが、窓の外の鳩たちが、秘密の露見に驚き慌てるかのように羽音をたて、つぎつぎに飛び立ってゆく気配がする。
 床におかれたランプの炎がひそやかに闇よりうかびあがらせるのは、髪のからまって投げだされた白い腕。かぼそく華奢な肢体。まぶたを固く閉ざした面はまさしく、ひとびとから六の巫女と呼ばれる少女のものであり。
 ミアは、不思議なほど冷静な気分でゆっくりと息を吸い込んだのち、助けを求めて思い切り声をはりあげた。



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