天空の翼 Chapter 1 [page 18] prevnext


18 託されし言葉


 フィアナは椅子の上でわずかに身がまえて、聖騎士の話を待ち受けた。
 昨年、雪が降り出す直前に届けられた父親からの書簡には、詳しいことがなにも説明されていなかった。兄の婚礼という大儀名分は示されていたものの、実家が、ひいては父親が、どういう事情で彼女を迎えに来ようという気をおこしたのか、その点はまるで不明のままだったのである。
 だから、フィアナは父の言葉を完全に信じることができなかったし、いまでもどこまで本気の話なのかと疑っているところがあった。
 それでも、ディアネイアがフィアナの世俗に持っている数少ない繋がりであることは確かで、ということはよく考えてみなくても、フィアナが神殿から出てゆくための、ある程度妥当な理由が提供されるとすれば、その出所はディアネイア候をおいて他にはないのである。
 聖騎士は、その威風堂々としたなりからは意外なほどに優雅なしぐさで茶碗を傾けると、やおらフィアナの生家であるところの東の小国の物語をはじめた。
「今回の主役はディアネイア候の次男どのだ。現在御歳二十五歳。長男が夭逝しているので、ディアネイア候の公式な後継者でもある。かれと隣国のふたつ下の姫君との間に婚約が成立したのは、かれが三歳になったばかりのころだった」
 隣国というのは、ディアネイアとほぼおなじくらいの規模のやはり侯爵領で、先祖代々ときどきいさかいをしながらも、おおむね友好な関係を保ってきた間柄であるらしい。
 長男の先例もあって心配された次男どのの生育状況だったが、こちらはすこぶる優良な健康状態で、すくすくと成長していった。そして、婚約者である隣国の姫君も、病ひとつ得ずに無事にお育ちあそばされたのだそうだ。
 地理的な位置関係から、そして歴史的な経緯から、運命と必然でむすばれた両家のあいだは、良くも悪くも親密だった。
 もともと、小規模な領地が混在するディアネイアの周辺は、多くの領主たちがおのれの所領を維持するために、さまざまな外交手段を駆使してきたところである。小国の支配者たちは自前の武力を持たないところが多い。代わりにおたがいの交流を命綱として、公式、非公式問わず、幾多の行事や祝い事のたびにそれぞれの宮廷を訪問しあい、親交を深め、必要に応じて血を混ぜ合わせてきた。
 そんな環境で、次男どのとその婚約者の姫君は、幼い頃から頻繁に顔を合わせて成長することになった。初対面の時からおたがいに相手が婚約者であることを知っていたらしいが、そのことを意識しはじめる年齢を迎えても疎遠になることはなかったそうだから、おそらく相性がよかったのだろう。
 次男どのが成人されると、周囲は若いふたりがあらかじめ予定された婚姻をつつがなく成就させ、これまでとおなじように両国の円満な関係を築いていくものと期待しはじめた。周囲ばかりでなく、本人たちもまた、とくに積極的ではないにしろ、それを望んでいるという話だった。とにかく、ふたりの間に不仲だという噂がたったことは一度もなかった。
 そうして五年前。嫡男の二十歳の誕生日を前にして、妻を娶るのにふさわしい時期を迎えたと判断したディアネイア候は、正式に隣国へと求婚の使者を派遣した。もちろん、ディアネイアのものたちは皆、色よい返事がかえってくるものと期待していたのである。
 ――そこでカーティス・レングラードは、なぜだか思わせぶりな口ぶりになった。
「ところが――」
「断られたの?」
 必要以上に声をひそめて尋ねるフィアナに、カーティスはかるく片眉をあげた。そのすぐ下で、青い瞳はなにやら楽しげなのが不思議だが。
「いや、断られはしない。だが、はっきりとした承諾の言葉もなかった」
「どうして」
「明確な理由はない。表向き、姫の乳母が病を得たためと説明されたらしいがね」
「おにいさま、フラレたのかしら」
「……フィアナさま」
 不穏当な発言を女官長にたしなめられたフィアナは、なおも真面目な顔をして考え込んだ。
「その気があるのなら、どんな事情があってもいちおうは承諾するんじゃないかしら。あいまいな理由をあげて受けないとしたら、それは結婚したくないって事だと思うわ。乳母が元気になったら結婚しますとは言われなかったんでしょうに?」
「そのとおりだよ。だが、フラレたわけじゃないことは確かだ」
 苦笑気味に答えを返してくる聖騎士に、フィアナは、どういうこと、と尋ねかえした。
「姫君から次男どのに、熱烈な恋文が届きつづけているからさ。きっと強制的に遠ざけられているうちに、恋心が燃えあがったんだな」
 なんだ、とフィアナはつぶやくと、勢い込むあまり食卓にのめっていた身体から力をぬいて、今度はおもむろに腕を組んだ。
 愛想よく、手際よく、知的な巫女を演じて、聖騎士と対等にわたりあおうという目標からどんどん遠ざかっていることを薄々自覚してはいたが、いまとなってはそれどころではなかった。
(ということは、お父さまが婚資金をふっかけられてるのかしら)
 さすがに今度は声に出しては言わなかったものの、女官長は彼女の表情からなにかを察したらしい。
「……フィアナさま」
 声音は低く、たしなめを超えて、警告の響きが混じりだしている。
 それを窓の方へと目を逸らして聞き流したフィアナは、あらためて聖騎士に向きなおりかけ、そこで「あら」と首をひねった。
「でも、いちおう婚儀は行われることになったのよね」
 でなければ、フィアナに出席しろとは言ってこないはずだ。
「そう、式は今秋に挙行される予定になっている。ディアネイア側は次男どのためにいろいろと骨を折ったそうだ。ディアネイア家の沽券に関わることだし、このままでは隣国ばかりでなく他国との関係にも影響が及びかねない、いったん白紙に戻すべきだという意見も出たらしいんだが、なによりも、当人たちが婚姻を望んでいたんだな。長年の約束を反故にされて、大人しくひっ込むのは業腹だという意見が大勢を占めたせいもある。というわけで、すったもんだをくり返したあげく、最初に打診をしてから五年後の昨夏、ようやく同意にこぎつけたわけだ」
「そうなの、よかったわね」
 フィアナは、なんとなく複雑な気分だった。
 顔も知らない(というか、おそらくは覚えていないだけなのだろうが)兄の婚姻に、やはり自分の覚えていない一族たちが懸命に走りまわっているという、よくわからない構図が頭に浮かんでくるものの、それに対してどういう反応をしてみせればいいのか、さっぱり思いつかない。
 婚姻の約束が破られて兄が泣き、一族が大騒ぎというならばいちおうの同情を表明することもできるが、いや、それでもいちおうという保留をつけての感想でしかないことに違いはないのだが、晴れて婚儀を挙げるばかりとなったという話の結末には、とまどい以外の感情がどうしてもわいてこないのだ。
 いったい、この話の、なにがどうなって自分に繋がってくるというのだろう。
 まさか、話をととのえるのに五年もかかったから、という理由ではなかろうし。
 ところで、聖騎士の話には、まだつづきがあるようだった。
「たしかに区切りがついた点ではよかった。だが、まだそれで安心というわけにはいかなかったのだな。姫君の実家は、この婚姻を受け入れるにあたっての絶対に譲れない条件として、非常に困難なあることを提示してきた。つまりそれが、あなたに兄君の結婚式に参列してほしい直接の理由なわけなんだ、六の巫女」
「ということは、つまり?」
「そう、ディアネイア候の末娘であるフィアナ・ディアネイアその人が、宝玉の巫女として結婚式に列席すること。それが実現しなければ婚約を正式に破棄するというのが、先方が出した最後の条件だ」


 フィアナはあっけにとられて、聖騎士の奇妙にまじめくさった顔をただ眺めていた。
 正確には、このとき、金髪で縁どられた男の陰影ゆたかな顔だちは、眼の中でまったく像として結ばれず、認識もされていない。
「私の話せるディアネイアの現況はこんなところだ。ご理解いただけただろうか」
 明るい食卓の上にぼんやりと視線を落とすと、隣で、重たいため息とともに茶碗をおく音がした。
「……たかだか世俗の縁をむすびあわせるために、神の宝玉を預かる聖なる巫女を巻き込むなんて、畏れ多いことですこと。あなたは聖騎士として、ご親族に忠告をなさるべきでしたね、カーティス卿。こんな下賤の考えにのって、猊下までを煩わせるようなまねを許されるなんて――神に対する冒涜だとは、お考えになりませんでしたか」
 ひどくゆったりとした調子で紡がれる、熱のない言葉。
 女官長の、苦い思いをにじませるようにして一言一言口にする声が、フィアナの滞りかけた思考にゆるりと筋道をあたえてゆくかのようだった。
 その、兄の妻となる予定の姫君の実家であるという隣国は、なにゆえ婚儀に宝玉の巫女の列席など望むのだろう。
 巫女の親族となることを世間に知らしめて、神殿の権威をすこしでもその家柄にまといたいとでもいうのだろうか。だとすると、将来の義姉となる姫君の実家は、ずいぶんと俗物的な家柄だといわざるを得ない。
 女官長の抱く不快感はひとり彼女だけのものではない。名を失いし神を信仰するものであれば、おそらく誰でも、おなじように反発を覚えるだろう。すべての人々にわけへだてなく恩寵を与えるのがかの神なのであり、それを現実世界で象徴するのが神の残した宝玉の存在なのである。それは、一部の人々によって独占されてよいものではけしてない。
 たとえ、巫女となった少女が役割にふさわしい聖性をそなえていなかったとしても、いったん神の宝玉の巫女として認められたからには、地位を降りるそのときまで、俗世間から隔絶した存在でありつづけるべきなのである。
 もっとも、フィアナは、自分が冒涜されたと感じているわけではない。巫女がそれほど清らかでも貴いものでもないことは、フィアナ自身が一番よく知っている。聖なるものは神の宝玉なのであって、それを保持する人間のほうではないのだ。
 これが西の公爵の息女である三の巫女についてのことであれば、話はもっと別の様相を呈してくるだろうし、クレアデールの存在がどこにいっても非常に意味のあるものとみなされるだろうことは、フィアナにもよくよく理解できた。
 けれど自分を――なんの取り柄もない、たかだか地方領主の娘であるにすぎないフィアナ・ディアネイアを、一時的に巫女という地位についているという理由でありがたがる人々がいる、という事実に感じるのは、たとえようのない気味の悪さだ。
 もしかするとそれは、巫女を神聖視しすぎるあまりに行き先を誤った、信仰心の現れといえるものなのかもしれない。けれど、潔癖な信仰者にかこまれて育ってきたフィアナにとっては、ずいぶんと受け入れがたい考えであることは確かだ。
 信仰は、身内の羽振りをよくするために存在するものではないはずなのに。
 だが、聖騎士にとっては、それもまたひとつの現実に過ぎないのだろうか。
 フィアナはまた胸の奥からつたわってくるなにかを感じながら、けれど、なにをいう言葉もみつからなくて、向かいあうカーティス・レングラードの精悍な顔をそっとうかがってみた。
 深くくぼんだ眼窩の影の中から彼女を見返してきたまなざしは、それまで感じていた夏の空のような快活さではなく、深い水の翳りにわずかに太陽が射し込んだような思慮深い光をたたえていて、フィアナは胸を衝かれるような思いがした。この表情には覚えがある。
 聖騎士の大きな姿は、女官長の不満と怒り、フィアナのとまどいをすべてうけとめて、あまつさえ深い共感を抱いているようにすら見受けられた。
 男は、無論、理解しているのだ。
 自分に託された事柄が、どれほど世間一般の良識から外れているかということなどは。
 しかし、かれは他者からのどんな働きかけに対しても、甘い融通を利かせたりはしないだろう。
 自分は、任務を果たすためにエリディルにやってきた。
 冷たく光をはじく瞳のあざやかな色あいは、そのことを冷徹に告げて、相手に覚悟を求めているような厳かさがあった。
 ふと、フィアナはここにいるのがアーダナの聖騎士であること――信仰のために現実の力を行使することを許された武人のひとりであることを、強く意識した。
 どんなに親しみやすそうな言葉を持っていても、人当たりがよくて笑顔が爽やかでも、この人物が大神殿の意向を実現するために遣わされた、武器を持った使者である事実に変わりはないのだ。
 おなじ食卓をかこんでいても、お互いの立場はまるで異なっている。
 そのことに思いあたっていまさらのように緊張していると、聖騎士はやにわに表情をゆるめた。のしかかる威圧感がふっとかき消える。
 視界が一瞬にしてひろがったような開放感が訪れた。と同時に、大人ふたりの間に流れている、曰くいいがたい雰囲気を感じとって、いまさらながらにフィアナは冷や汗をかいていた。
「女官長どののご不満はよくわかりますが、話はまだ終わっていない。まずは最後までお聞きいただいて、それから感想をお願いしたいのだが」
 懐の深さを思わせるゆたかな声音が、穏やかに休戦を提案する。
「――そうでしたわね。申し訳ありません」
 女官長は、つと、立ちあがった。
 ポットを捧げて戻ってきて、なめらかな所作で空になった碗に湯気のたつ液体を注いでまわる。
 とろとろと容器を満たす音がして、はりつめた静寂がやわらげられた。かすかな刺激を含んだ甘い香りが、食卓にほんのりとひろがる。
  肩越しにふり返った聖騎士が、壁際の従者に何事かを告げると、黒髪の若者は無表情なままにこちらを見返して、どうやらいわれた言葉を無視することにしたらしい。その態度になぜかカーティス・レングラードが声をたてて笑う。
 束の間、緊張がほどけた。


 しばしののち、カーティス・レングラードは、ディアネイア候が生きているのは神殿ではなく、家長として最善の道を模索しているにすぎないのだ、とだけ言って髪をかきあげると、おもむろに話を元に戻した。
「というわけでだね、六の巫女。こちらに使者を送ったのと同時にお父上はご自分でアーダナまで出向かれて、大神官猊下に直接お願いされたそうだ。巫女の結婚式への列席許可をいただきたいとね」
「――ようやく本題に入りましたわね。猊下の回答をお聞かせください」
 さきほどまでのとげとげしさは幾分薄れたものの、女官長の声はまだ硬い。
 聖騎士はうなずきはしたもののそれには直接応えず、わずかに上体をかがめて茶をたたえた碗を手にとった。
 ところであなたはどうなのかと、フィアナに向かって尋ねてきたのは、熱い液体をひと啜りして後のことだ。
「宝玉の巫女として、あなたはこのことをどう考えているのだろう」
 視線を受けたフィアナは、なぜか身体が縮むような感覚を覚えながら、唇を舐めて、言葉を探した。
 言いたいことはひとつだけなのだが、それを唐突に持ち出すのは女官長の手前、やはりためらわれる。
「あの――無理なんじゃないかと思います。役に立っているとはとてもいえないけど、私はいちおう、宝玉の巫女らしいし。宝玉の保持者であるかぎり、ここから離れることはできないんだし。巫女をやめることができればべつだけれど、それは――いまのところ、あまり考えていないわ」
 考えていない、というわけではなく、考えられないのだと言いかけたのだが、それはやめた。
 そのことを言ってしまうと、話がどの方向へも進まなくなることは、うすうす理解している。自分で道を断つようなまねはしたくない。
 そんな気持ちを察してるのか、いないのか。
 聖騎士は顎に指をあて、納得顔でかすかに目を細めた。
「そうだね。宝玉の巫女であるあなたが、そう答える以外の言葉を持たないことはわかる。大神官猊下も、巫女が巫女でありつづけようとするかぎり、一時的にでも帰郷を許すことはできないとディアネイア候に申し渡された。そのうえで、猊下は六の巫女の長きにわたるつとめについては同情の意をあらわされ、そのものが巫女でなくなる日が訪れることあらば、望みも叶えられるだろうと仰せになったのだが……」
 全身の神経がむき出しになったような気分で耳を傾けていたフィアナは、思わず瞼を閉じた。
 もったいつけて大仰な言葉を使っているけれど、けっきょくは、自分は巫女をやめない限り、ここにいるしかない、ということに変わりはないらしい。
 聖騎士の違反ともとれる問いかけにまなざしを険しくしていた女官長が、すこし安堵したように吐息をついた。
「それが当然です。さすがに猊下のご判断は賢明ですこと。この件はそれで終わりということですね」
 ところが、女官長の思ったようには聖騎士の話は終わらなかった。
 鷹揚にうなずいてみせた聖騎士は、巫女としての話はこれで終わりだと言い切ったのち、しかし、とつつげて、これまでにないまなざしでフィアナを凝視めた。
「巫女ではなく、フィアナ・ディアネイアとしてはどうだろう。答えて欲しい。ひとりの女性としてのあなたの考えを」
 強く真摯にかさねられたその言葉に、フィアナは心の隙をつかれた。
 宝玉の巫女として、幼いころから教え込まれてきた考えをなぞるのではなく。
 フィアナ・ディアネイアとしては、どう考えているのか。
 あなたはこれから、どのように時を過ごしてゆくつもりなのか。どうやって生きていきたいのか。
 思いもよらぬ角度からの問いかけに、心の枷がはじけるようにゆるみ、外れてゆくのが、あたかも他人事のようにはっきりと感じられた。
「もちろん……行きたいわ。エリディルから外へ。城壁の外へ。できることなら、どこにでも行ってみたい。もちろん、結婚式にだって披露宴にだってもよ。そんなもの一度も見たことがないもの。とても美しくて華やかで、楽しいものだって聞いているけれど、本当かどうかはこの目で見てみないことにはわからないわよね。それに、お父さまやお兄さまにも会ってみたい。お姉さまたちにも。ディアネイアが、私が生まれた場所がどんなところなのかを知りたい。それに――それに」
 いままで押さえ込んでいたことすら自覚していなかった何かが、信じられないほどつよく、熱く、迸るようにあふれ出てくるのに驚きながら、フィアナはなんとかしてその奔流に適当な言葉をあてはめようと苦心惨憺した。
 まるでうわごとを連ねているかのような、幼稚でとりとめのない自分の発言に情けなくなったが、それでも思いを吐き出している間、フィアナはこころが昂揚し、叫び、大きく翼をひろげたがっているのを感じて、ふるえるような心地がした。
 しかし、
「カーティス卿。あなたのお尋ねになっていることは、とても残酷なことですよ」
 女官長のやんわりとした、あきらかに非難とわかる声に何かが断ち切られ、フィアナは我にかえった。
 馬鹿なことをした、と思う。一瞬にして墜落してしまった、間抜けなひな鳥みたいだ。
 しかし、カーティス・レングラードは揺るがない。
「たしかに、そのとおりかもしれない、六の巫女がこのまま巫女として過ごしつづけるつもりであるならば。だが、そうでないとしたら。地位を降りるつもりがあるならば」
「え……でも、どうやって?」
 耳にしたばかりの言葉の異様さを受けとめきれず、真顔の聖騎士にぽかんと問いかえすと、女官長が立ちあがって(それでも、その視線はカーティス・レングラードより高くなることはなかった)聖騎士を睨みつけ、呆れたように抗議を連ねた。
「そうですよ、カーティス卿。あなたもディアネイア候も肝心なことを忘れておいでなのか、あえて無視しておいでなのでしょうか。フィアナさまが十四年も巫女でありつづけているのには、理由があるのですよ」
 三歳で巫女になってから、これといった奇蹟や恩寵を示しもしないのにフィアナがだらだらとこの地位にいつづけているのには、積極的な理由があるわけではない。
 というより、フィアナは巫女でなくなることができないので、その他にどうする途もないといった消極的な理由からここに居続けている、というのが真相なのだ。
 それは、フィアナの預かっている宝玉に原因がある。
 フィアナの宝玉は、どういうわけか、巫女となったそのときからずっと彼女の体内に存在している。皮膚を裂き、内腑をえぐり出さないかぎり、それを別人が手にすることはできないが、おこなえばフィアナは死ぬしかないだろう。
 だから、フィアナは自分が死ぬまで、宝玉をつぎの巫女へと手渡すことができないのだ。
 ところがここで、カーティス・レングラードは驚くべきことを明らかにした。
「さきほどの猊下のお言葉を思い出してほしい。そのものが巫女でなくなる日が訪れることあらば、望みも叶えられるだろう――あれは例え話ではなく気休めでもないのです。六の巫女が宝玉を返上する術はある。そう、猊下は仰せになった」
 がちゃり、と茶碗が鳴る音にフィアナはとびあがった。
 倒れかけた茶器をささえようと手を伸ばしながら、モード・シェルダイン女官長はあえぐように発言の主を仰ぎ見る。
 聖騎士は食卓に両手をついて冷静にその場を見渡しながら、重々しい口調でつづけた。
「ただし、絶対の成果を保証することはできないし、実現のためには多少なりとも困難がともなう。相応の覚悟が必要となるだろう。しかし猊下は、その努力をしてみる意志が巫女にあるのならば、例外として神殿からの他出を認めてもよいと、そう仰せになったのですよ」
 まっすぐに、心の底を射通すかのようにまっすぐにおりてくる視線に、フィアナは息をのんで、無意識に服の上から金鎖をおさえた。
「だから、フィアナ・ディアネイア。宝玉を預かりしエリディルの六の巫女よ。私が猊下に託されたあなたに尋ねるべき一言は、こうだ」
 青い瞳が挑むようにつよく輝いて、問いをかけてくる。
「あなたには宝玉の巫女の地位を離れるために、試練を受ける意志があるか、それとも否か」



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