〈花占〉の朝は、いまだ前途多難のようである。
ようやくのことで身支度を終えて私室を出たフィアナは、日常から一変したあたりの光景に声を失うことになった。
とにかく、人の通りが多いのだ。
いつもは閑散として、鳩しかいないことも珍しくない聖堂までの石畳の道に、見たこともないほど大勢の人間が歩いていた。
青空の下を無秩序に、ざわめきながら通りすぎてゆくひとびとは、見慣れた青鈍や緑褐色のお仕着せ姿ばかりではなかった。あきらかに一張羅とわかるとっておきの晴れ着を身につけているものがいるかと思えば、不自然なまでに実用一点張りで、防具のようなものまでまとった男たちがいる。はしゃぎまわる子どもたちはどこからどうみても普段着だが、それでも女の子は髪型にひとくふうしているし、年かさの女たちは、ひかえめながらもそれぞれに趣向を凝らした装いで身を飾っていた。
急遽おこなわれることになった祀りだというのに、ひとびとはかなり遠くからも集まってきているようだった。
きっと、特別な催しのために張りきって身繕いをしてきたのだろう。晴れ着が馴染んでいないかれらのすがたは、端から見るとどこか滑稽で、微笑みをさそわれるものが多かった。
その力みまくった姿のなかに、赤褐色の頭とそばかすの散った鼻を複数見かけたフィアナは、ミアから親戚筋がたくさん来ていると聞いて納得する。
老若男女さまざまのひとびとは、先導する女官長のあとを神妙に追う青い外衣のちいさな巫女、そのかたわらにつきそう若い侍女の姿をみとめると破顔したり、まじめくさって会釈をしてみせたり、ひとこと声をかけてきたりした。なかには、あまり好意的ではない笑みを浮かべて距離を置くように眺めるものもいたが、その数はそれほど多くない。
それよりも、かれらの関心はこのあと聖堂で始められる予定の儀式にむかっていて、膨れあがる期待ではちきれんばかりになっていた。
目が合うと、だれもが瞳に朝日のせいばかりとはいえない輝きをたたえて、つよく大きく興奮気味に、うたうように笑いかけてくる。
(祀りだ)
(〈花占〉だ)
(ひさしぶりのトーナメントだ)
あまりに騒がしいのでよくわからないが、ときおり耳に飛び込んでくる話の内容も、ほぼ似たようなものだった。
目には見えない感情のうねりにまきこまれて、宝玉の巫女の神殿は、閑散としたふだんのようすからは想像もつかない活気にみたされていた。
石造りの無愛想な建物の群れには、祭らしい飾りつけなど、ひとつも施されていないというのにだ。
どうやら、平静でないのは自分だけではないらしい、とフィアナは思う。
青い空には多少の雲と、鳥の声。
つめたい風も陽光のぬくもりも、足元をあるきまわりひとに追い散らされては羽ばたいている図々しい鳩も、すべてはいつもとかわりないように思えるのに、この緊張と興奮はどこからやってくるのだろう。
フィアナは、ふたたび頭上で鳴りはじめた鐘に意識をうつした。
儀式の進行を告げるために、夜が明けてからすでに幾度も鳴らされている鐘楼の鐘だったが、その音色は、フィアナの耳に微妙な違和感を残していた。
いや、耳と特定するわけにはいかないだろうか。音によって変化するのは、おもに彼女の心臓の搏動だからだ。心臓が胸の奥でつよく存在を主張しはじめる、といったほうがより近い。
不思議なのは、鐘の音自体に変調があるわけではないことだった。
現にミアは頻繁に鳴らされる鐘にびくつき、そのたびに硬直していたが、音のひびき方についての文句は口にしていない。フィアナの感覚でも、カーティス卿の来訪を告げたときのような、おかしな音とは思われない。むしろ、いつもより澄んだひびきのように聞こえるほどだ。
その鐘の音が、なぜ自分を不安にさせるのだろう。
祀りのせまりつつあることが、響きのたびに意識させられるからだろうか。
儀式の手順を、きちんとおぼえた自信がもてないからだろうか。
それとも舞の所作に、無意識に間違えてしまいそうな落とし穴が、片手に余るほど残っているからなのだろうか。
鐘がゆれて、大気が波うつ。
そのたびに、フィアナは馬鹿みたいにどきどきしている。
回をかさねるごとに、そのどきどきはひどくなっていた。
このままつづくと、実際にあそこで打たれているのは鐘ではなく自分なのだと、知らぬ間に錯覚してしまいそうだ。
フィアナは、無意識に足を止め、宝玉の金鎖をもとめて胸元を探っていた。
「大丈夫ですか、フィアナさま」
「大丈夫よ……たぶん」
くすんだ緑の瞳を横目で見返すと、ちいさく笑って、歩き出してみせる。
ミアは不満そうなため息をひとつつき、手にしたものをいまいましげに握りこんだ。
本当のことをいうならば、きのうの午後、〈花占〉の開催を知らされる前から、すでにフィアナは大丈夫とはいえなかった。
それでも、あのときの大丈夫でなさは、いまの大丈夫でなさ加減より、いくらかマシだった、ような気がしている。
私室で待ちかまえていた女官長に、あらかじめ予想していたものとはまったくかけ離れた言葉を告げられて、それから話はさらにややこしくなったのだ。
「〈花占〉って、あの〈花占〉?」
しだいに事がのみこめてくると、言葉の意味する現実のあまりの荒唐無稽さに衝撃はつのった。
神官長が、中断していた〈花占〉の再開を宣言した。
言葉で言えばただそれだけのことだったが、実際に大きな儀式をおこなうためにはそれ相応の準備が、それなりの時間とともに必要とされるものなのである。
まして、〈花占〉については二週間まえから支度を始めるのが長年の習わしとなっていた。そのあいだ神殿をあげて意識を高めてゆき、結果として儀式全体を参加したものすべてに満足のゆくものとしておこなうことが出来ていたのだ。
それを翌日におこなうという。
祀りに対するエリディルの人びとの熱意が存在しなければ、即座に反対の声があがっていたはずだ。
さすがに神官長も完璧を求めるのは無謀と考えたらしく、儀式自体は主要なものだけにしぼり、できるだけ簡素にするようにと言い渡してきた。
それでも、昔の様式を再現せよという命令がゆずられることはなく、古式の中心はトーナメントであるから、儀式の下準備はいつもより楽だろうとさえのたまったそうだ。
しかし、古式の〈花占〉をおこなっていたのは、数百年も前の話である。どんな古老だろうとその詳しいやり方など覚えているわけもない。
じっさい、神官長自身、その記述を古文書からひっぱりだしてきたので、部下たちにもそれを参考にせよと強要した。命じられた部下たちは、妙なにおいを放ち、触れただけでぼろぼろと崩れてしまうふるびた羊皮紙をおそるおそる読みくだし、足りない部分は想像で補って、ついでに現実的な解釈をくわえ、みなが納得する手順と作法を組みあげなければならなくなった。
そもそもの儀式の準備だけでも大変なのに、である。
時間と記憶の空白を補う役目を背負わされた神官たちのなかには、不幸な神官長の名を呪いの呪文のように唱えつづけて、みずからを奮い立たせたものもいたという。
宝玉の巫女もまた、例外ではいられなかった。
つねに儀式の主役である三の巫女はもちろんのこと、今回はフィアナにも、これまでのような祭壇上のにぎやかしとはちがう、実と責任のともなう役割があたえられることになったのである。
フィアナはまず聖堂に呼ばれて、儀式の実質的な進行をつかさどる祭儀神官に、式次第を最初から最後まで徹底的にたたき込まれた。
それに並行して、女官長直々に所作と奉納舞の特訓も受けた。
同時なのは、儀式の進行にあわせて所作を覚える必要があるからだ。
とうぜん、古文書を読み下しながらの暫定次第であるから、つぎつぎに訂正が入る。するとまたあたまからやりなおすことになる。
飲み込みのわるい弟子と確定しない式次第にさんざん小言をつらねながらも、ふたりの教師は辛抱強く夕食の後までつきあってくれた。
つまり、フィアナは、夕食の後も延々と儀式の練習をさせられていた。
なんとかかたちが最後までできあがり、もう遅いからと解放されたときにはすでにいつもの就寝時間を過ぎていた。
ふらふらと聖堂を出ると、真剣な顔をしたミアがやはり真顔の年かさの女官とふたり並んで待ちかまえていた。
「儀式のための衣装を合わせます」
衣装部屋にひっぱり込まれて着せかけられたのは、たしかにおぼろな記憶のなかで年上の少女たちがまとっていた、あの花占用の礼装だった。しかし、これが身につけてみるとどれもこれもフィアナの体型に合わない。もともと不特定多数の巫女用としてゆったりと仕立てられている服のはずなのだが、フィアナが小柄すぎるのか服が大きすぎるのか、ぶかぶかしたみためがなかなか改善されないのだ。
調整用に用意されたさまざまな仕掛けを駆使しても問題が解決しないことに、衣装係の女官は伝統の礼装に手を入れることを決断した。
それからしばらく、フィアナは殺気だった女官から人形のようにつつきまわされることになったが、より堪えたのは保存用の香草のにおいだった。衣装部屋に充満しているのはかすかな刺激臭程度なのだが、衣装に濃厚にしみこんだものは鼻腔をつつきまくり、くしゃみを誘発するのである。
なんとか最小限に直しを終えたころには、体力は限界に近づいていた。
ミアに支えられながら自室にたどり着いたのは、いつのことだったろう。
ところが、疲労困憊して寝台に倒れ込んだフィアナに、いつもの眠りは訪れなかった。
寝台のうえにぽつんと置かれていたボーヴィル師の薬草採取袋をみつけたあと、生まれて初めて、一睡もできずに夜明けを迎えてしまったのである。
(信じられない)
鎧戸の隙間から射しこんできた朝の光に、薄汚い袋を握りしめたまま、フィアナは目の前がひたすら白濁していくような心地に襲われていた。
精神状態は、すでに茫然自失を超えている。
両目はうるおいなくもしかしたら血走っているのではと思えるし、喉は渇くし、暑いのか寒いのかわからないような案配で、顔はほてり手は冷たく、なにかの拍子にかすかな震えが身をついて出る。
地に足がつかず、ふわふわと浮いているようだったが、神経はささくれだち、感覚だけが異様に冴えていた。
そのことをだれに相談することもできず、そのうちフィアナは祀りの支度にあわただしい時間に流されていた。
そして、響きわたる鐘の音に、過敏になった神経をさらに波立たせては、どきどきと身をすくめているのである。
いま、薬草採取袋はミアが手に下げていた。
理由もなく、ただそうしなければならないような気がして持って出たのを、階段を下りきったところで見咎められ、女官長に取りあげられたのだ。
取りあげたのはいいが処置に困ったらしい女官長は、しばらく預かっているようにとミアに手渡した。
袋を持たされて歩くことになったミアは、フィアナが〈祈りの間〉にいる間にそれを“薬草おじさん”に届けることを承諾してはくれたものの、かなり不満そうに唇を尖らせたままだ。
たしかに、神聖な儀式にのぞまんとする巫女の一行にとって、これほどふさわしくない持ち物もないだろう。
好奇のまなざしは、ミアと袋とを見比べては去っていく。
さしものミアにも恥ずかしいという感情はあったらしく、まるめたり、折りたたんだりしてなんとか人目につかないようにと苦心惨憺していたが、所有者の性格を反映しているのか、袋はいっこうにおとなしくなってくれなかった。
そうしてミアの、
「大丈夫ですか、フィアナさま?」
は、次第につよい責めを含んだものになっていった。
少ない朝食を文句も言わずに口に運んだことも、かえって不審を募らせてしまったようだ。
それでも、どれだけ非難と心配のこもったまなざしでみつめられても、フィアナのくちが釈明の言葉を紡ぐことはなかった。
心臓の鼓動だけが、むやみやたらに耳につく。
〈花占〉の衣装はやはりゆとりがありすぎて、着心地はひどく心許なかった。
袖は長すぎて手がすっぽりと隠れてしまうし、裾もあげられるだけあげたのにいまだに地面を掃く気配がある。
ゆるゆるの胸元で神経質に宝玉の金鎖をさぐっていた指先に、硬いものが触れた。
隠しから宝石箱がとびだしたのだと気づいた瞬間に、それは服の中をすべり落ちていった。足もとで、なにかが石畳をころがっていく音がする。
(あっ……)
身をひるがえして追いかけようとしたフィアナは、だが、隣から腕をがっしりとつかまれ、待ったをかけられた。
「フィアナさま、どこへ行くんです。聖堂はあっちですよ」
「ミア、ちょっと私、いま落としものを」
「落としたって、なにをですか」
下を探すが、みあたらない。
ふと視線をあげると、聖堂の正面玄関へと流れていく人びとのむこうに、宵闇色のマントの背の高い男が身をかがめるのが目に入った。
「ちょっとミア、手を離して」
あせって邪険に手をふりほどこうとするフィアナに、ミアはむっとしたようだ。
いつのまにか前方に遠ざかっていたモード・シェルダインが、ふりかえるひとびとを押しのけながら、険悪な顔をしてひきかえしてくる。
どうしたのです、とつよく問われたフィアナは下を向いて押し黙った。憤慨しながら答えたのはミアだ。
「フィアナさまが、なにかを落っことしたっていわれるんですけど」
「まだ、なにかをお持ちだったのですか」
ボーヴィル師の袋以外にも、と言外ににおわせて声を高めた女官長に、フィアナは頭を覆った薄衣の影からしぶしぶ答えた。
「姉さまからいただいた、宝石箱を」
お守りの代わりにもってきた、とつづけると、老若ふたりの女は肩を落とし、盛大にため息をついた。
眉間に皺を刻んで額に手をあてた女官長は、しかたがありませんね、とすばやく気をとりなおして指示をくだしはじめた。
「ミア・ハーネス、悪いけれどあなたはフィアナさまの箱を探して。水鳥の紋章の刻まれた小さな飾り箱ですよ。見つけたら、すぐに〈祈りの間〉の控え処に持ってくるように。もし見つからなくても儀式には間に合うように戻りなさい」
女官長の指示を、フィアナは聞き流していた。かわりにさきほどの場所に視線を走らせたが、聖騎士の姿がどこにもない。人混みにまぎれてしまったのだろうか。眼にはいるのはいくつもの紅潮した顔と、とおきり風に流れてくる白い花びらばかりである。
鐘があと三回鳴るまでは余裕があるから、そのことをおぼえておくように、とふくめられたミアは、眉間に力をこめて鼻息荒くうなずいてみせる。
侍女に後を任せた女官長は、あらためてフィアナに視線を移し、
「もちあげて歩かれたほうが、よろしいかもしれませんね」
と、石畳にひきずり始めていた青い外衣の裾を、ひとつまみずつ両手に持たせた。
裾をもちあげると、つめたい風が足首をさっとなでていく。
(うわ)
一瞬、普段履きのふるびた靴が見えてしまうことに気づいて躊躇したが、
「さあ、急ぎますよ」
女官長に二の腕をがしりとつかまれ、それどころではなくなった。
「よろしいですか、フィアナさま」
ひきずられるようにして飛び込んだ〈祈りの間〉へとつづく側廊は、外の喧噪が嘘のように静まりかえっていた。
静寂の中に、靴音がひびく。
そのひびきは、ときに心臓の鼓動にかさなった。
「きのうも申しあげましたが、あなたには宝玉の巫女のひとりとして、三の巫女とともに儀式の要を担っていただかなければなりません」
フィアナが女官長とふたりきりになるのは、きのうの朝食以来だった。
きまずく別れたあのときから、フィアナは女官長との距離が遠くなったと感じている。
その女官長は、今朝はあまり顔色がよくなかった。服も髪も隙なくととのっているが、輪郭にいつものきりりとした雰囲気が弱い。下まぶたに刻まれた皺は、疲労の深い影をおびていた。
「つとめを果たさんとしてあつまったすべてのひとびとに対し、宝玉の巫女は敬意と感謝の念を持ち、ひとしく神の祝福をわけあたえねばなりません。そうした結果、神は巫女を通してたたかいを神聖なものとみとめられ、勝者には聖別された資格が授けられることになるのです」
諭しきかせる声も、神経質に硬くきこえる。
しかし、話自体は、きのう特訓中に何度も聞かされたものの蒸し返しだった。
靴が敷石を踏む感覚をやけに大きく感じながらも、フィアナの意識は言葉の意味からそれてゆく。
脳裏には、告げてしまって元に戻すことのできない自分の言葉が、くりかえしくりかえしよみがえっていた。
これから、どうなるのだろう。
儀式は、うまくいくのだろうか。
あの従者は、いったいいま、なにをしているのだろうか。
自分は、ほんとうに神殿から出て行けるようになるのだろうか。
そんなことばかりが、具体的な予測はともなわないまま、ぐるぐるとめぐりつづけていた。
女官長はとうとう足を止めた。
「きのうから、あなたはまったくのうわの空ですね」
声は苛立たしげで、あきらかに咎める気配がつたわってきた。
「……ごめんなさい」
たしかに、集中はできていない。
反応も、遅れた曖昧なものになってしまいがちだった。
女官長は、苦々しげにため息をついた。
「謝っていただいても、役には立ちません。それよりも、もうすこし足もとをごらんください。〈花占〉はもう、すぐに始まるのですよ」
「――はい、わかってます」
「ほんとうですか。それならば、なぜ、もっと集中してくださらないのです。ずっと心ここにあらずで、私はたいへん不安です――フィアナさま、」
そこで女官長は、鳶色の瞳をひたと据えた。
「あなたは〈花占〉がおこなわれることになった理由を、きちんと理解しておいでですか。ダーネイ神官長は、あなたの処遇を神にゆだねられたのですよ。あなたがなにを望むにせよ、神の御前ではできるかぎりのことをするべきです。ちがいますか」
「……そのとおりだし、そのつもりです」
「ならば、なにをそんなに悩んでいるのです」
この質問に答えるのは容易ではなかった。じぶんでも、心当たりがありすぎて困っているのだ。
しかし、女官長は答えを受けとるまで待つかまえらしい。
フィアナは、視線を床に落としながら言葉を押し出した。
「――胸が、どきどきして……」
「動悸ですか」
「そうかもしれない。どきどきして、ふわふわして。夢を見ているみたいな気分で……」
女官長は眉をひそめた。
「ときどき叫び出したくなるんだけど、泣きたいような気分でもあるし。だれかを思い切り罵ってやりたいときもあるし」
「――フィアナさま」
「あと、大声で歌いたくなったりもするんだけど」
そこで顔をあげて目でうかがうと、女官長は大きく吐息をついた。すこしあきれて、すこしほっとしたように目元がゆるむ。
「わかりました。あなたは不安なのですね。それに、もしかしたらあまりお休みになっていないのではありませんか」
そうでしょう、と言われて、思わず問い返してしまう。
「……なんでわかったの」
「わかるからです」
真顔で言い切られて、フィアナは眼をしばたたいた。
フィアナの疑問にはとりあわず、女官長はひとり得心したようだった。
「だから、さきほどから妙なことばかりしていたのですね。不安をごまかそうとして。でも、そんなことをしても無駄です。なんの役にも立たないばかりか、むしろ害悪を及ぼしかねません。フィアナさま、あなたの今回の役割は、ほとんど主役なのですよ」
へたなことをしでかして、儀式を台無しにしないようにしなくては、と勢い込む女官長に、フィアナは逃げ腰になる。
「そんなこといっても、自信ない……」
「それは当然です。あの舞で、あなたに自信があるほうがむしろ不思議というものです」
「……」
「きのうのことで、フィアナさまに舞の才能がないことは、ほんとうにつくづくとわかりましたからね」
しみじみとした言いように、フィアナはがっくりと肩と視線を落とした。
たしかに自分でも舞はうまくないと思っていたが、他人にそこまでいわれるほどなのだろうか。
女官長は、はなばなしく落ち込んだフィアナを励まそうとしてか、わざと口調をあかるく変えた。
「でも、そんなに緊張して不安にすくんでいてはいけません。不安は不安として真正面からうけとめ、そのうえで儀式をおこなうのです。身体から余分なちからをぬくように。失敗しても平気なくらいの余裕をもって臨むのがよろしいでしょう」
しかし、間違えてもかまわないといっているわけではない。
〈花占〉において舞は神への祈りの一部なのだから、これを誤ると儀式が正式に成立しないことになる、というのだ。
「とにかく、フィアナさまにおかれましては、皆の想いと労力を無とせぬように、こころしてつとめをお果たしになりますよう。とくに舞の所作は、ゆめゆめお間違えなきようにお願いいたします」
かならずお教えしたとおりに舞うのですよ、いいですね、とまなざし強く念を押されて、フィアナは、もはやうなずくことしかできない。
「上手に舞えとはけして申しません。あなたの心がけることは、振りを間違えずに踊りきることだけです」
言葉を切ると、女官長は半開きになっていた〈祈りの間〉の扉に手をかけた。重量感のある木製の扉は、きしみながらも自身の重みによってゆっくりとひらかれていく。
助言はさらにつづいた。
「さいわい、まだ少し時間がありますから、頭の中でおさらいをなさるといいでしょう。手順を踏んで、最初から最後まで想像してみるのです。舞以外の前後の所作は覚えておいででしょうね。まさかとは思いますが――」
フィアナはそそくさと扉のむこうに飛び込んだ。
「わかった、おさらいします。できるだけ、まんべんなく、時間の許す限り」
その場しのぎの約束をし、すかさず扉を閉めにかかる。薄衣の端が挟みこまれそうになるのを、あわててひき抜いた。
その隙間にすばやく手がさしこまれ、扉は閉じる寸前でうごきをとめた。
「フィアナさま」
女官長は、まだなにかを言いたそうだったが、そのとき背後から声がかかった。
「それはよい考えだ。およばずながら、わたくしも手伝おう」
凛と響いた少女の声にふりかえったフィアナは、そこに〈祈りの間〉の先客を見つけた。
なぜ、気づかなかったのだろう。
もちろん、万事においてそつのないクレアデールが、フィアナよりもずっとはやく部屋に入り、儀式前の祈りを始めているのは当然のことなのである。
狭く薄暗い祈り所の中にあっても、目前の少女には他者とは異なるくっきりとした存在感がかんじられた。
三の巫女は、漆黒の瞳にきらきらとした興味をたたえてフィアナを見る。
薄衣の下に隠された額の宝玉が、その瞬間、まばゆい輝きをはなつ。
「おはよう、フィアナどの」
どくんと、フィアナの心臓が鳴り、それに応えるように鐘が鳴りはじめた。